井上理津子のレビュー一覧
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「犬族」でも「猫族」でもなく、動物保護にも関心のない私だけど、どのみち買うならこういう本屋さんで買いたい。「本とビールが好き」というポイントで店主さんとお話してみたい。ビブリオバトルを観戦したことがないのだけど、この本を読んで見てみたいと思った。
この本の店主は、青山美智子の『お探し物は図書室まで』に、パラレルキャリアを実際している人のモデルとして出てくる。巻末の参考文献で本書を知り、図書室で取り寄せした。
え、実際この店あるの?と、軽い気持ちでGoogleMAPで検索。あるのか!
世田谷線の猫の車両、いかにも我が家の子どもたちが喜びそう。
東京にはいろんな店があるなぁ。 -
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お墓の現在の状況を軽めに、必ず料金を示す下世話さで紹介してくれる良書。
冒頭の先祖の石の墓じまいの場面で、骨壷が倒れてたり、湿気が多くて水浸しになってなっている場面が印象的。坊主が離檀料をせしめて、遺骨を配送業者に依頼することに苦言を呈し、叱りつけていつまでも改葬(墓の移動)をさせようとしない昔ながらの石の墓が一方の極にある。
他方で、新宿徒歩3分の自動搬送式の納骨堂は正直気になっていた。かなり商業的なんじゃないっていう当然のツッコミもしつつ、やはり住居に近くてついでにお参りができ、手ぶらで行けるし、管理不要という便利さが石のお墓に代わってくるのも頷ける。
でも骨に対して祈るのか?そもそもお墓は誰のもの?という疑問から墓が多様化していく。ロッカー型、樹木葬、散骨、0葬、ブランド化など、合理的なんだけど、先祖供養という割り切れないものをどこまで合理化するかを競っているよう。読者はどこまで許容できるかしらん。 -
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ネタバレ遊郭の産院から
産婆50年、昭和を生き抜いて
著者:井上理津子
発行:2013年3月10日
河出文庫(河出書房新社)
初出:「産婆さん、50年やりました 前田たまゑ物語」(1996年、筑摩書房)を改題、増補、文庫化
井上理津子さんは、多くのノンフィクション作品を出していて、ほんの一部しか読んでいないけど、本書はこれまで読んだ中で一番。大変な傑作ではないかと驚いた。しかも、これが著者にとって初めての書き下ろし作品だという。「さいごの色街 飛田」ばかりが有名で、しかも、橋下徹が飛田新地(組合)の顧問弁護士をしていることが一人歩きすらしているが、井上作品はちゃんとフルで読み、味わって欲しいものである。
本編の書き出しに、ドラマ「おしん」のことが出てくる。前半、本書もまさに「おしん」のような話なのである。しかも、こちらは実話、ノンフィクション。タイトルからすると、遊郭近くの産院で長く産婆をしてきた人が、遊郭の女性たちの望まぬ妊娠や出産などを含めて子供を取り上げ、さまざま見て来た人間模様を語るような本ではないかと想像してしまう。
少々違う。「遊郭の産院」で働いていたのは、若い頃に看護婦見習いをしていた3年半のみ、産婦人科病院が神戸の新開地、福原遊郭にあった。産婆の資格を取ると、「お産の神様」と呼ばれた産婆の助手(神戸の摂津本山駅)、結婚してその近くで開業、戦後は尼崎で長く産婆(途中から助産婦)という道をたどった、そんな女性の話である。
まず面白かったのが、最初の「おしん」部分。前田たまゑは、1918(大正7)年生まれ。福知山線の広野駅が最寄り駅とあるので、おそらく今の兵庫県三田市あたり。父親はおそらく農業。先妻が長兄を残して死亡し、後妻が次兄、姉、そして、たまゑと産んだが、たまゑの下の子が死産となり、その後遺症で母親は京大病院に入院するも、健康保険制度がない中で医療費が嵩み、田んぼを売ったり借金を重ねたりして治療費を捻出した甲斐もなく、助からなかった。たまゑが6歳の時だった。父親は絶望したのか、たまゑを長男にまかせてお寺に入ってしまう。次兄と姉はすでに伊丹と大阪へ奉公に出ている。たまゑは長兄夫婦に世話になるが、長兄の嫁はきつく、すさまじい勢いで叱りつける。子供が生まれると、子守はほとんど任され、夜泣きすれば外であやす暮らしが続いた。
たまゑが17歳の時、その兄嫁も死産を経験する。立ち会ったたまゑ。自らの母親も、兄嫁も死産を経験。看護婦になりたいと思い始める。たまゑは勉強ができたため、学校の教師が尋常小学校の高等科にいかせてやってくれと頼みに来る。高等科へ行き、それを終える時にこんどはおじが来て、看護学校へ行かしてやったらどうかと兄夫婦に言う。そして、そのおじさんの紹介で大阪の住友病院看護学校を受ける。学科は通り、面接へ。この段階で落ちることはまずないと言われていて、面接の前半もうまくいき、「では、がんばってください」とまで言われたのに、不合格だった。最後に親のことを聞かれ、正直に母親が居ないことを言ったのが原因だった。片親は取らないとおじに言われた。
農業の手伝いをして暮らす。そして、20歳の時に神戸の新開地にある加西病院へ看護婦見習いとして入ることになった。福原の遊郭の近くにある産婦人科病院だったが、そこで働いた3年7ヶ月のうち、お産に立ち会ったのはたったの1回きりだった。あとは、梅毒や淋病、子宮筋腫や子宮癌の患者ばかりだったという。
労働条件は今でいう超ブラック。住み込みなので家のことも便利遣いでさせられた。院長の妻とあわず(というより性格が悪く)、本来の病院の仕事が済んでも家の仕事をいいつけてくる。朝から夜まで働かされる。さらに、根性も悪い。例えば、物の言い方もぞんざいで常にむかっとさせられるなか、ある夜に急に猫なで声で頼みごとをしてきたという。物資が配給の時代なので切符を持って交換に行かなければいけないが、「明日の朝、この切符でまんじゅうをもらってきてくれたら、ありがたいんだけど」と言う。たまゑも、そんなまんじゅうが食べられるならと思うと、夢にまでまんじゅが出てきたほど嬉しくなり、朝の4時に起きて、15分ほど走り、2時間も並んでぬくぬくまんじゅう6個を小走りで持って帰った。渡すと、「はい、ご苦労さん」の一言で、6つとも2階へ持って上がってしまった。子供3人なので家族は5人。残り一つはあるはずなのに。くやし涙を流した。
給料は18円。休日は月に3回のみだが、まるまる1日休みの日はなく、午前中の診療が終わった午後1時頃からやっと休めた。給料日が近づくと、きまって田舎の長兄から手紙が来て、月々の借金の返済が迫っているので10円を送金してほしい、と請求。残りは8円、半額は貯金するから、小遣いになるのはわずか4円。しかも、そこから田舎の義姉(兄嫁)に半襟や帯締めなどを買って毎月のように送る。
部屋は、診療室横の三畳間。薬剤の入った箱や空箱などが山積みされた物置同然。使わなくなった診察台のベッドは寝返りを打つと落ちそうになったが、それでも衣紋掛けに掛けた自分の白衣に目をやると、看護婦見習いになれたという満足感ににんまりした。
院長はおっとりしたいい人だった。2年して、産婆学校へ通うことが許された。勤労学生に。とてもうれしかった。家にいると正規労働以外に子守やおつかいなど家のことを言いつけられるから。
学校は2年間だが、産婆の資格は在学中にも取れた。資格を取り、それでも学校は続けたが、加西病院は1年半でやめた。本格的に産婆になろうと考えたためだった。そして、本山(摂津本山駅)の開業産婆である竹信という「お産の神様」と呼ばれる人のもとで、住み込みの産婆助手として働くことになった。
「神様」のもとで出産に関して大いに学び、結婚をすると、その近くに家を借り、産婆として独立した。順調ではあったが、戦争に突入することになる。陣痛はいつ始まるか分からない。子供が出てきた時に、情け容赦なく空襲が来る。生まれたばかりの子供を抱きかかえて逃げ惑わなければならない。そんなすさまじい話なども紹介されている。
そして、三田へ疎開。戦後、夫の実家がある尼崎に戻ると、焼け野原に掘っ立て小屋を建てた。それが、引退まで続ける尼崎での産婆へとつながっていく。自らの妊娠と出産もあり、人の子供を取り上げようとしたら自分が産気づいてしまったというようなエピソードもあったりして、なかなか読ませる。ここが一番ボリュームも大きく、饒舌に語られていく中で、日本の社会の変化、歴史の一端がありありと表現されていくのである。戦時中、あれほど「産めよ、ふやせよ」の国策のもと、子供を産まない女は非国民扱いしたくせに、戦後は一転して避妊を勧める役所。「これは国策です。従ってもらわないわけにはいきません」と産婆あらため助産婦を集めて偉そうに言う。これでは助産婦の仕事が奪われてしまう。
そんな怒りに感情移入しつつ、読み進めていくと、最後はなんと、著者である井上さんが2番目の子供をこの人に取り上げてもらう話で締めくくられるのである。取材で知り合い、1人目を病院で産んだ時になにか違和感を持っていた著者が、迷うことなく前田たまゑ助産婦に取り上げてもらおうと思ったようである。
「おしん」が終わってからのルポも、実に面白いのである。
まさに、傑作ノンフィクション。 -
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井上理津子(1955年~)氏は、京都女子短大卒、全日空、女性と暮らし社勤務等を経て、フリーランスのノンフィクション・ライター。2015年に出版された本作品で、新潮ドキュメント賞候補となる。
本書は、題名の通り、「葬送」に関わる仕事をしている人たち、即ち、葬儀の専門学校の生徒、葬儀社の社員、湯灌師、納棺師、復元師、エンバーマー、火葬場の職員等に真正面から取材をし、彼らの仕事や思いを描いたノンフィクションである。
私は従前より、人は死んだらどうなるのかなど、いわゆる死生観について関心があり、キューブラー・ロス『死ぬ瞬間』をはじめ、その類の本は十冊を遥かに超える数を読んできた。また、ノンフィクションが好きなので、その中には、(本書の解説を書いている)佐々涼子の『エンジェルフライト』等、葬送に関するものもいくつか含まれている。本書については、以前より気にはなっており、今般たまたま新古書店で目にし、読んでみた。
読み始める前に漠然と思っていたのは、彼らはなぜこの職業を選び、どのような思いを抱いて働いているのか、ということであった。私は既に両親を亡くしているが、その両親でさえ、動かなくなった遺体に不気味さを全く感じなかったと言えば嘘になる。そう考えたとき、他人の遺体を、湯灌し、復元し、エンバーミング(遺体の科学的防腐処理)を施し、納棺し、火葬するという仕事は、並大抵の心持ち、覚悟では務まらないと思ったのだ。そして、読み終えて最も強く感じたことは、「仕事師たち」の強烈なプロ意識である。シニアな仕事師たちは、成り行きでその仕事についた人も少なくないが、若い仕事師たち(主に葬儀の専門学校で取材した人たち)の多くは、過去に自分が親しい人の死に遭ったときの仕事師たちの対応に感動して、自ら葬儀のプロを目指したというのだ。そして、取材を受けた仕事師たちは、自らその仕事を選んだか否かに関わらず、人の死、その結果としての遺体、そしてその遺体と遺族の別れに関して、一過言を持ち、掛け値なしの誠実さで対応するのである。私は一般の会社員だが、仕事に対する覚悟は到底敵わないと、正直に思う。
また、それぞれの仕事の内容についても詳しく書かれており、中でも、事故や事件に巻き込まれた遺体の復元や、遺体をきれいに焼く火葬などの様子は、正直息を呑むものだ。自分の両親の葬儀においても、仕事師たちのこれだけの仕事があって葬儀が行われたことを知って、今更ながら頭が下がる思いである。
本書では、最近の葬儀に関する潮流についても書かれており、想像通り、葬儀の規模は縮小傾向で、形式は多様化が進んでいるというが、自分がどのように送られたいのかを考える上でも、読む意味のある一冊であった。
(2024年5月了) -
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そこは桃源郷か地獄か。
大阪に残る色街、飛田新地。大きな声で語る人がいない、中の人も外の人も語りたがらない飛田について徹底した取材を元に書かれた労作。売買春は悪か、そんな話をするのではない。そこに生きた人、生きる人が口を開いた言葉を記録したものである。
性を売るのは自分の勝手ではないか。そういう意見の人もいるだろう。売春は悪いことだから廃業させなくてはいけない。そういう運動もあるだろう。だけどここに書かれているのは、他に行くことがなくて飛田に来た人がいて、飛田にいる人を蔑視する人がいるかということだ。そして悪いことだから辞めなさいと言って辞められるものではなく、他に生きる術を身につけさせて一人立ちさせるところまでやらないなら、この仕事はなくせないということだ。
あと読み終えて感じたのは、満たされてないことが他人への攻撃性を育てるのではないかということだ。貧しくても満足しているなら、自分を無理矢理持ち上げて、相手を下げる必要がない。近年日本でも海外でも閉塞感からか分断が広がり、自分と異なる者への攻撃が激しくなっているのは、それだけ満たされていない人が増えているからだと思った。 -
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いつか親を亡くす。
たぶんいつになろうと、ショックや悲しみや、戸惑いがあると思う。
本書はすごくリアルで、実際に起こったそのショックや悲しみ、戸惑いがつたわり、参考になった、と言うと待ってるみたいでいやだけど、、、。
パワフルな義姉さんと仲良しで何より。
やはり、こういうことは誰かと助け合わないとしんどい。
現実は亡くなるまでの介護、お金、治療、延命、家族意外の親族の意見、沢山の面倒ごと、体力的な負担もあるんだと思う。
書くことで両親の死ときちんと向き合い、整理できるのは羨ましい。
あとがきにある「さよならのあとで」は私も友人を亡くした時に救われた本。