ドリアン助川のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
考え方が大きく変わるきっかけになりそうな本。田我流味を感じるし、多分彼はこれを読んでる。笑
本の中に答えを見つけた気分になれました。
実際のエピソードというか、日常での考え方を盛り込んでくれたので共感しやすかった。全部の章が納得できるわけではなかったけど、今はそれでいいと思う。わかる時が来るかもしれないし。
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あれが欲しいこれが欲しいと欲の塊になっている人は、結果として現れたものの姿しか観ることができない。無欲の人のみが、現象の向こう側にある、見えない本質を観ることができる。言葉でわかるようなものはTAOではない。
全ての感覚は、相対性のもとに成り立っている。褒められたとしてもその座に居座り続けてはいけない。褒められたということに満ち足りてその座を後続に譲るべき。惜しまれるうちに退く、愛でられている間にそっと去る。去り際が美しい人が人に好かれるコツ。
人間は無駄を含めて、1日を成り立たせている。しかもその無駄な部分に生きていく味わいが隠れている。
全ての煩悩は所有欲から発している。
世界中に所有しているものはひとつもない。でも、自分が生きている間は、観る、聴く、触れる、といった方法で世界と関係を持つことができる。
囲いを作る人生。よそとここを区別する人生ではなく、生まれながらにして世界が与えられているという自由で豪快な感覚を持つ。
表層の現象を所有するとかしないとかではなく、内なる目を持って世界を捉え、本質的な関係を構築できる自身を養う。
人間には肉体というものがあり、肉体はなんでも取り入れようとしてしまう。食べ物のような物質的なものも言葉のような物質ではないものも。ただ、なんでも受け取ってしまうと心が疲れてしまう。だから、自分にとって悪い言葉は、「受けとりません、お持ち帰りください」というスタンスで相手に返す。
人生の指標となるような貴重な気づきを得られるのは、たいていが孤独や寂しさの中にある時。選ばれてない時が、選ばれてる時。孤独に苛まれたら、「しめた、むっちゃラッキー。」と言葉に出してみる。 -
Posted by ブクログ
本書の帯びには「9.11の悲劇を体験した作家が混迷の世に問う長編」とありました。
ニューヨークのマンハッタン周辺を舞台に,色々な国籍の若者たちが交流する中で,自分のアイデンティティーを確認しながら,迷いながら生きていく,命の交流が描かれています。
自分の国と自分とは同じなのか…。あるときには,重荷に感じる国。でも,立ち位置として持っていたい国。タイトルにある「国」は,実際の国であり,心の中の国である。国は自分の一部であるけれども,じゃまな存在ともなる。
英語教室の講師が,国をめぐって言い争う若者たちに言う。
「こういう晩に,人を区別するような話はやめてもらおうか。そういうものを,背負わなくていいときもあるだろう。すくなくとも今夜はそうだ」
「シンプルなことだよ。まずは自分の人生を豊かにしなさい。遠くの大義より,近くの人を大事にしてやることだ」
竹島が,独島が,日本人が,アメリカ人が…と国を背負ってばかりいてはいけない。今,あなたの前にいる人間との出会いをどのように大事にしていくのかです。
本書には,日本からバンドをしようと思ってニューヨークに来た青年・拓人が出てくる。彼のバンドの曲名に「アルマジロ」と「恋歌」というのがあるらしい。これって,そのまま,著者のドリアン助川が所属していた「叫ぶ詩人の会」の楽曲ではないか。わたしのCDラックには,その叫ぶ詩人の会のすべてのCDがある。 -
Posted by ブクログ
多摩川の河川敷に住むホームレスたち(主人公は新入りの望太)の物語と,単位制高校2年生の絵里との物語が並行して進んでいく。もちろん,最終的にはどこかで接点はあるという設定。
随所に出てくるホームレスの古株ブンさんの言葉が,なぜかわたしの心に染み入る。どん底ともいえる状態の中で生きている意味とは何なのか。彼らの未来とは何か。今この時間とは何か。ドリアン助川の心の言葉が,この古株の言葉を通してわたしに迫ってくる。
そして,やっぱり,ドリアン助川の目は温かい。人生に失敗した(と思っている人)も,普通に歩いているサラリーマンも,同じように生きていくべきであるし,未来はある。望太の結末と絵里の結末は,形は違えども,向かった先は同じだったと思う。 -
Posted by ブクログ
素敵な表現がたくさんでてきます。読後,今,生きているこの時間を大切にしたくなる,そんな本です。ドリアン,優しいな。
著者は,ラジオ放送のパーソナリティーをつとめている時に,実際に,いろんな悩みを訴えてくる視聴者に,彼の言葉で応えるということもやっていたらしい。本作品は,夕暮れ時だけ現れるポストに入っている手紙への返事を通して,多角的に物事を見ること=観自在菩薩の助けを頂くことを教えてくれる。しかし,人には言うことができても,本人自身が感じている悩みには角度を変えてみることができない。これもまた,ドリアン助川の姿と重なってくる。「他人にエラソウニ言うけど,自分はどうなのだ!」と叫ぶ曲が,彼(語る詩人の会)の歌にもあったよな。
あまり多くを語ると小説の中味がばれてしまうので,このくらいにしておきます。
わたしは,最後の2人に返した返事をコピーして残しておきました。とてもいい言葉です。 -
Posted by ブクログ
もう「叫ぶ詩人の会」の歌を聞いて以来,ドリアンのファンになってしまったので,評価は付けられない(5以外にない(^^;;)。
さて本書について…
新宿に住む十数匹の野良猫を題材にして小説が書けることが面白い。主人公の山ちゃんという男性(ボク)。小さな焼き鳥屋の店員の夢ちゃんという女性。その焼き鳥屋に集まる常連は,なかなかクセのあるメンバーだ。
小説の常で,内容についてちょっとでも紹介すると,読むときのドキドキさがなくなる。だから,これ以上は書かない。
ただ,いろんな創作や文学や芸術は,一般大衆の大多数を相手にするのではなく,目の前にいる一人に向けて行うものではないか…という作者の訴えには,納得する。
この小説も,1人に向けて書かれたもの。その1人は,わたしであり,あなたである。そして,このレビューも,今,これを読んでいるあなたに向けて書こうと思って書いているのである。 -
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ハンセン病の老婆と務所帰りの男との物語。
刑期を終え出所した千太郎は、お世話になった先代のどら焼き屋「どら春」で働き、オーナーである先代の奥さんに借金を返す毎日。
とりたてて旨くもなく、まずくもない中国産のあんを使ったどら焼き屋から逃げ出したいと考えていた千太郎に、声をかけてきた老婆。
指が曲がり、体の不自由さを感じさせる老婆は吉井徳江と名乗り、どら春で働かせてほしいという。しかもあんを作って50年という。
アルバイトとして働くようになった徳江の作るあんは絶品で客足も伸びる。
しかし徳江がハンセン病患者の隔離施設だった天生園から来ていることが噂になり、客足が落ち、オーナーにも首を切るように言われる。
徳江の作り出すあんに希望を抱いていた千太郎は、店を持ち直そうと奮闘する。
生きる希望を強制的に剥奪された徳江と、犯罪に手を染めて社会不適合者になっていた千太郎との対比が、差別や人の生き方という視点で語られている。
生きる意味を見出してくれる作品。 -
Posted by ブクログ
前に「あん」を読んですごく心地良い温かさを感じたから、同じ著者の小説をもうひとつ読んでみようと思って…
この小説も、じんわり涙が出てくるような温かさに包まれてた。
感動の押しつけはまったくないんだけど。ほんとに、じんわり、という感じ。
多摩川沿いで生活を営む人々の短編集。多少、連作めいた要素もあり。
野良猫に名前をつけて可愛がる農家の中年女性、古書店で働く恋する青年、川べりに棲むホームレスに絵を教えてもらった少年、閑古鳥が鳴く食堂の主人、妻をなくしたシングルファーザーetc
日々を送る人々の傍にはいつも川があって、そこには悲しみや辛さや笑顔がある。
ただ通りすがるだけの川、時に訪れて遊ぶ川、たまに脅威にもなる川。
普段そこにあることは意識しなくても、そのエネルギーに影響される、自然というものの力。
それぞれの人間にドラマがある、ということを改めて思った。
毎日、ただすれ違うだけの人にも、生きてきた年数分のドラマがある。
衝撃的なことはめったに起きないからこそ、取り立てて大きな衝撃が起きない物語群がとてもリアルで、とても胸にくる。
日々生きてて、あぁ嫌だなぁと思うこととか、ちょっと嬉しくて笑っちゃう感じとか、してしまったことを悔いて落ち込むこととか、そういう些細なリアルが溢れてる。
最後に温かさが満たす、そういう物語ばかりじゃないのもリアル。
生きてて痛いことも、たくさんあるもんね。 -
Posted by ブクログ
ネタバレここまで私の心に響き渡って、心揺さぶられた作品は久々。ストーリーも登場人物の設定もメッセージ性も、何から何まで素晴らしい。
前科のあるどら焼き屋の雇われ店長千太郎と、ハンセン病で50年以上もの間、社会から完全隔離されて生きてきた老女徳江の物語。
親兄弟からも見捨てられ、夢も希望も理不尽に奪われて、生きる気力さえ失い、神を恨むほどの不条理な人生をイヤでも歩まなければならなかった二人の生き様。
親子ほどの歳が離れた二人の出逢いが、お互いに生きてきた意味を成す。
「私たちはこの世を観るために、聞くために生まれてきた。この世はただそれだけを望んでいた。だとすれば、教師になれずとも、勤め人になれずとも、この世に生まれてきた意味はある。
でも世の中には、生まれてたった二年ぐらいでその生命を終えてしまう子供もいます。そうするとみんな哀しみのなかで、その子が生まれた意味はなんだったのだろうと考えます。今の私にはわかります。それはきっと、その子なりの感じ方で、空や風や言葉をとらえるためです。その子が感じた世界は、そこに生まれる。だから、その子にもちゃんと生まれてきた意味があったのです。
(中略)人生の大半を闘病に費やし、傍から見れば無念のうちに去らざるを得なかった命もまた、生まれてきた意味があったのです。その人生を通じて、空や風を感じたのですから」
私自身、人生に絶望して、生きている意味を見失っていた。親との関係もうまくいかず、子宝にも恵まれず、仕事も失い、病気を患って早10年が経ち、失われたものや時間だけが過ぎ去っていく中で、この本に出逢った。
誰かのためとか、社会の役に立てなくても、ただ、この時代を観て感じるだけのために、ただ生きている。その言葉は、とても優しくてただ温かかった。
一般的に生き物は、生殖能力を失うとそれ以降あまり長く生きられないと言われている。子孫繁栄のためにこの世の生命はあり続けるのだと。
でも、人間だけは、生殖能力を失っても何十年も生きながらえることができる。それはきっと、子孫繁栄以外にも、生きている意味があるからなのだと思う。それが、ただ、この時代を観て感じるだけでも、そのことに意味があるのだと。
徳江は最期まで、小豆の声や、木々の声、風の声、小鳥の声に耳を傾け続けた。
「聞こえると思って生きていれば、いつか聞こえるんじゃないかって。そうやって、詩人みたいになるしか、自分たちには生きていく方法がないじゃないかって。そう言ったの。現実だけ見ていると死にたくなる。囲いを超えるためには、囲いを超えた心で生きるしかないんだって」
そういう風にして生きている人を私は何人か知っている。そういう気持ちだったのかと身につまされる想いを感じた。 -
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数年前に朝日新聞の人生相談の明川さんの回答を読んで面白いなー・・・
と思って、それ以来、そのコーナーを見逃さないようにしてたんだけど、
今回はその明川さんの本です。
家にも学校にも居場所を見つけられないトルリという少年と、
サジという名の洋菓子店を営んでいる職人の話。
トルリは幼い頃から、そのサジとは知り合いなんだけど、最近、サジの洋菓子店から
お菓子をちょくちょく万引きしてる。
サジは、ちょっと問題を起こして以来お店のお客さんが減り、
最近では傾きかけた洋菓子店で、それでもお菓子作りに励んでいる。
そんな中、ひょんなことから、二人は給水塔に登り降りれなくなってしまう。
大人の為の童話のような、懐かしい温かいストーリーです。
ちょっとしたことで、人間って理解し合えるし、
人間の気持ちって硬く固まっていても、柔らかくなれるんだよ。
って言われたような気がします。
中学生くらいから大人まで、サラサラ〜 と読めて心があったかくなる
そんな本です。