熊野純彦のレビュー一覧
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ネタバレ41
対象群は,自分の身体の有する力が増減するのに従ひて秩序着けられる.私の身体を取り巻く対象群は,其れ等の対象に対する私の身体の可能な行動を反射するのである.
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第一の仮説では,精神も亦物質と等しく認識不能な物となる.精神は定義し難い能力に帰されており,其の能力が感覚を何処からともなく呼び起こし,何故だかは解らぬが其れ等の感覚を空間中に投射して,かくて空間の中で諸感覚が物体を形成するに至る,とされるからである.
第二の仮説に於いて,意識の役割は明確に定義される.つまり,意識は可能な行動を意味してゐるのである.其れ故,精神が獲得した様様な形式,意識の本質を我我に対して覆ひ隠す形式は,この -
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デカルトまでのギリシャ・ローマ世界における思想について、通史的にざっと知識を整理しようと購入したが、そのような実用的な用いられ方を拒むような著者の文体にあえなく返り討ちにあい、結局2度3度と読み返すことに。「世界と、世界をめぐる経験のすべてがそこに結晶しているような一語を語りだすためには、幾重にも錯綜したことばのすじみちを辿りなおさねばならない。そのとき哲学的思考が抱え込む困惑は、日常の風景を反転させ、世界の相貌を一変させる一行を探りあぐねる詩人の困惑と、全く同質のものであるはずである(p.30)」。本書で哲学者の思索をなぞる著者のことば自体もまさにこのような詩的な響きを帯びており、どの文章
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ネタバレ哲学者熊野純彦さんによる資本論入門。本書の趣旨はご本人が終章で述べているように、「価値形態論を形而上学批判として読みなおすところからはじめて、資本の運動を時間と空間の再編過程ととらえるこころみを経て、科学批判としての資本論体系をきわだたせながら、利子生み資本と信用制度のうちに時間のフェティシズムを見さだめる」ことです。本論についてコメントするには自分は力不足ですので、興味深かったことを二点挙げたいと思います。
一つ目は、マルクスと環境問題についてです。熊野さんは、「資本制と自然とのあいだに、マルクスは最終的には両立不可能性を見てとっていた可能性」があると述べ、特に「自然そのものの内部に自然的に -
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フランスの哲学者エマニュエル・レヴィナスの哲学を存在論の視点から描き出した入門書。フッサールやハイデガーになじみがないとやや難解な部分もあるが、全体としては読みやすい作りになっている。
詳細に立ち入ることはやめておこう。
ここに書き留めておくべきことはひとつ、レヴィナスは極めて繊細な感受性をもった哲学者だった、ということだ。
リトアニアに生まれたユダヤ系のレヴィナスはフランスに留学した後、第二次世界大戦に巻き込まれ、捕虜として収容所に入れられる。本書に「奇妙な戦争」とあるように、しかしその収容所生活は穏やかだったようだ。「夜と霧」を著したヴィクトール・フランクルの過酷な収容所体験に比べると -
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20世紀のユダヤ人哲学者レヴィナスの入門的解説書。
倫理学者の熊野純彦氏の著書で、初版は1999年である。
カントとハイデガーの訳をきっかけに、熊野氏の著書に興味を持ったが、彼自身が
「レヴィナスの仕事は自分の中で浮いていて、いつまでもレヴィナス屋さん扱いは困る」
と言っていたことが面白く感じ、本著を手に取った。
レヴィナスについての前知識は、ハイデガーに師事したがその後批判に転じた、と言うことだけだった。
非常に繊細で、細い線の上をたどるような議論の連続で難解であったが、さすが論点は分かりやすく解説されていた。
壮大な世界観は古代や近代の先人たちが行っているので、現代に近づくにつれて議論 -
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ある程度哲学史一般に触れたことのある人向けの解説書というレベル。
かく言う私も、古代から中世は勉強不足+神が前提にあったり是非を問うたりとで腹落ちがどうしてもできず半端な理解にとどまってしまった。不甲斐なし。
本書の魅力は、著者もまえがきに述べているように哲学者の原著テキストを積極的に掲載して説明を進めているところ。原著なのでそのまま理解しようとすると難解ではあるが、その直後に解説を加えてくれるし何より哲学者の息遣いが感じられて思考の懐が深まった感覚。
とはいえ、ここの哲学者の主張と連関は掴みきれず。。『哲学史入門』シリーズの古代-中世の部分再読と、ネオ高等遊民の入門書必読だな。精進いたし -
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読書会で取り扱い。他者への従属的関係であるエコノミーの外部で、「〈誰でもない者〉が〈何でもないもの〉を〈誰でもない他者〉に与える」という贈与の形式を満たす至高者のコミュニケーション。そこでは「振る舞い」や「精神状態」といった「主観性」が伝達される。しかし一方で、そうした贈与は「幸福の涙」という現象で説明される奇跡的なものであり、決して企図された行為によっては実現されえない。一方でそうした幸運の到来には、我々は世界や他者を必要とし、聖/俗・可能なもの/不可能なものといった区別は必ずしもなされない。聖なるものは、世界との親密性を取り戻した状態だが、そこでは明晰さが徹底的に突き詰められてもいるのだ。
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ニーチェの『道徳の系譜』を読み解くとともに、彼の道徳批判がもつ超越論的な意義を解き明かそうとする試みがおこなわれています。
ニーチェの道徳批判といえば、われわれの道徳的な心性の背後にルサンチマンが控えていることを指摘したものとして広く知られています。しかし著者は、ニーチェの道徳批判を、いわゆるモラリストたちのそれから区別しなければならないと主張します。モラリストたちは、表面上は道徳的にふるまっている人びとの心の奥底に、非道徳的な動機が存在していることを鋭く見抜きました。しかしそうした批判は、いまだ道徳そのものに対する問いなおしではありません。
著者は、「ニーチェがカントの批判哲学の超越論的