あらすじ
フッサールとハイデガーに学びながらも、ユダヤの伝統を継承し、独自の他者論を展開した哲学者エマニュエル・レヴィナス。自身の収容所体験を通して、ハイデガーの「寛大で措しみない存在」などは、おそるべき現実の前に無化されてしまうと批判する。人間はどれだけわずかなものによって生きていけるのか、死や苦しみにまつわる切なさ、やりきれなさへの感受性が世界と生を結びつけているのではないか。こうした現代における精神的課題を、レヴィナスに寄り添いながら考えていく入門書。
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Posted by ブクログ
第1回目 2022.3.27
とても丁寧で親切な解釈が提示されている。入門と呼ぶに相応しい。倫理を究極の形で探究したレヴィナスの鼓動を感じた。
第2回目 2025.8.23?
Posted by ブクログ
フランスの哲学者エマニュエル・レヴィナスの哲学を存在論の視点から描き出した入門書。フッサールやハイデガーになじみがないとやや難解な部分もあるが、全体としては読みやすい作りになっている。
詳細に立ち入ることはやめておこう。
ここに書き留めておくべきことはひとつ、レヴィナスは極めて繊細な感受性をもった哲学者だった、ということだ。
リトアニアに生まれたユダヤ系のレヴィナスはフランスに留学した後、第二次世界大戦に巻き込まれ、捕虜として収容所に入れられる。本書に「奇妙な戦争」とあるように、しかしその収容所生活は穏やかだったようだ。「夜と霧」を著したヴィクトール・フランクルの過酷な収容所体験に比べると非常に恵まれた境遇だったようだ。けれども収容所から解放され、戦火に巻き込まれて何もかもなくなった故郷を見た後、レヴィナスの「存在」や「私」、「他者」の思考が展開していく。
レヴィナスの繊細な感受性はそれを受けてこう記す。
“たったいま死んだものによって残される空所が、志願者の呟きによって充たされる。存在の否定がのこした空虚を、あるが埋めてしまうのだ”
哲学書を読む醍醐味は、こうした繊細な感性に捉えられた事象とそれを解きほぐしていく力強い思考をたどることにあると思っている。哲学者が語るのは真理ではない。彼ら彼女らが語るのは自らの感受性なのだ。その意味で言えば、哲学は芸術でありうる。
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おそらく日本で一冊であろう、レヴィナスの入門書。
レヴィナスはハイデガーやフッサールのもとで現象学を学んでいて
パリ5月革命は肯定的ではなかったあたりが、
自分の知らなかった、いくぶんか興味深いレヴィナスを知れた。
確かに一言でレヴィナスを語り尽くすのは難解であるが、
非常によくレヴィナスのエッセンスを取り入れつつ、熊野氏の味も出ていると感じた。
最終章になるにつれ、レヴィナスの論理が彼の人生とともに変わっていくさまも見る事ができて、
感慨深かった。
他者論には欠かす事の出来ない偉人。
Posted by ブクログ
20世紀のユダヤ人哲学者レヴィナスの入門的解説書。
倫理学者の熊野純彦氏の著書で、初版は1999年である。
カントとハイデガーの訳をきっかけに、熊野氏の著書に興味を持ったが、彼自身が
「レヴィナスの仕事は自分の中で浮いていて、いつまでもレヴィナス屋さん扱いは困る」
と言っていたことが面白く感じ、本著を手に取った。
レヴィナスについての前知識は、ハイデガーに師事したがその後批判に転じた、と言うことだけだった。
非常に繊細で、細い線の上をたどるような議論の連続で難解であったが、さすが論点は分かりやすく解説されていた。
壮大な世界観は古代や近代の先人たちが行っているので、現代に近づくにつれて議論が詳細に分かれるのは必然なのだと思う。
また、フッサール(ユダヤ人)→ハイデガー(ドイツ人)→レヴィナス(ユダヤ人)という師弟関係が、20世紀前半のドイツを背景に連鎖しているのは劇的であると感じた。
人間周囲のものの捉え方として、
ハイデガーが、人間視点で人間の「ために」ある道具という世界観で見ているのに対し、
レヴィナスは、飢え渇望する人間が世界を「享受」すると捉える。
ハイデガーをナチスドイツに結びつけるのは後付けが過ぎるように感じることもあるが、このように対比すると、レヴィナスの「享受」と言うありの方が世界に馴染んでいるように感じられ、分かりやすいと感じた。
中盤以降繰り返される「エロス」「愛撫」の議論は、どうしても馴染みづらいところがあった一方、
レヴィナスと同様かそれ以上に繊細と思われる熊野氏の世界観を堪能することもできた。
身体的、特に顔についての老いやその後にある死についても、執拗に論じられ、何故そこまでという気もした。
「いま現前しているということは、《中略》すでに現前していない時の痕跡である」(p197)というレヴィナスの文章は美しかったので、顔の皺はともかく、人間として過去の蓄積としての現在の自分、と考えればもっとポジティブに捉えられたのでは?と感じた。
まだレヴィナスの思想の入口しか捉えられていないと思うので、他の著書も読んでみたくなった。
また、本著の導入部のとして書かれていた熊野氏の幼少期のエピソードも興味深く、氏の著者もさらに読みたいと思う。
Posted by ブクログ
一通り目を通した。
読み終わったというにはほど遠い理解度かもしれない。
レヴィナスといえば、他者論。
前半を中心に扱われるフッサールやハイデガーとの接点は、自分の中で少しクリアになった気がする。
一方、6章以降、レヴィナス自身の他者論が中心となる部分になると、とたんに難しくなるのはなぜだろう?
文章も独特な感じ。
使われている言葉は、術語もあるけれど、全体としてはやさしい言葉が使われている。
何か、詩のような感じさえ受ける。
ところが、言っている内容は、なかなか頭に入ってこない。
こちらのセンスとレディネスの問題だろうけど。
なんだろう、この見かけの平明さとのギャップ。
Posted by ブクログ
「存在」「主体」「身体」「糧」「世界」「他者」「女性」等々のキーワードを、レヴィナスの思想の展開をたどりながら、説明していく。彼の思想を捉えるための手がかりが得られるように思うが、一読しただけでは、それもなかなか難しい、というのが正直なところ。
Posted by ブクログ
レヴィナスの思想について、判りやすくゆっくりと解説した入門書。
中身はしっかり詰まっているので新書だからといっても読むのに時間はかかるが、先に読んだ物よりも判りやすい印象を受けた。先に読んだせいかもしれないが、年譜と思想を交互に読んでいくせいか。
Posted by ブクログ
[ 内容 ]
フッサールとハイデガーに学びながらも、ユダヤの伝統を継承し、独特な他者論を展開した哲学者エマニュエル・レヴィナス。
自己の収容所体験を通して、ハイデガーのいう「寛大で措しみない存在」などは、こうしたおそるべき現実の前では無化されてしまう、と批判した。
人間は本当はどれだけわずかなものによって生きていけるのか、死や苦しみにまつわる切なさ、やりきれなさへの感受性が、じつは世界と生を結びつけているのではないか、といった現代における精神的課題を、レヴィナスに寄り添いながら考えていく、初の入門書。
[ 目次 ]
個人的な経験から―ばくぜんと感じた悲しみ
第1部 原型じぶん自身を振りほどくことができない―『存在することから存在するものへ』を中心に(思考の背景―ブランショ・ベルクソン・フッサール・ハイデガー;存在と不眠―私が起きているのではなく夜じしんが目覚めている;主体と倦怠―存在することに耐えがたく疲れてしまう)
第2部 展開「他者」を迎え入れることはできるのか―第一の主著『全体性と無限』をよむ(享受と身体―ひとは苦痛において存在へと追い詰められる;他者の到来―他者は私にとって「無限」である;世界と他者―他者との関係それ自身が「倫理」である)
第3部 転回:他者にたいして無関心であることができない―第二の主著『存在するとはべつのしかたで』ヘ(問題の転回―自己とは「私」の同一性の破損である;他者の痕跡― 気づいたときにはすでに私は他者に呼びかけられている)
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
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☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
Posted by ブクログ
ちっとも入門ではない。語りは専門書みたいな感じ。迂遠な書き方になっているのは丁寧に前提を再定義していくのなら仕方がないとはいえ原書からわかりやすくなったところは殆どない。ただ、読んだ人が理解の助けになると思って少し諸々の関連性を述べているので延長線上にあるテキストといえる。理解が深まる度に、読み直すと見えてくるのかもしれない。そういう感じのテキストでおおよそ新書らしくはない。とはいえ悪いテキストではないと思う。
Posted by ブクログ
別の人の講義でレヴィナスを学んだときは「深そうなこと言ってるようだけどなんだか肌に合わないなあ」という印象だったが、著者による解説を読んで考えが変わった。著者の緻密な分析によるところが大きいのかもしれないが、結構かっちりとした真面目な倫理学的主張を展開している。
Posted by ブクログ
少し前に読んだ哲学大図鑑で気になったので、入門書として読んでみたが、中々難しかった。
レヴィナスの思想の背景にあるフッサールの現象学は以前に入門書を一読していたから掴めたものの、ハイデガーの方は不勉強であった為、それと比する形での説明は理解できたと言い難い。
一般書としての平易な記述をかなり意識されていたが却ってまどろっこしさを感じる部分もあった。
終盤の内容は、個人的な時間の不可逆性への恐怖や生まれたこと生きていることの申し訳なさ、関係すること認識してしまうことの不安と関連づけて考えられた。解釈は間違っているかもだけど。
いずれにせよもう少し知識をつけて読み返したい。