あらすじ
大澤真幸・熊野純彦両氏の責任編集による叢書、刊行!「自らの思考を極限までつき詰めた思想家」たちの、思想の根源に迫る決定版。21世紀のいま、この困難な時代を乗り越えるには、まさにこれらの極限にまで到達した思想こそ、参照に値するだろう。
本書はサルトルをとりあげる。
『存在と無』で展開されたサルトルの思考は、極限の思想のひとつを拓くものだった。哲学的な野心に満ちたこの大著は、存在と非存在、一と多、超越と内在、存在と意識、時間と空間、さらには人間と神、存在と認識、身体と他者、行為と自由といった、永遠の問いと言ってよい問題を問いかえそうとするものだった。
本書は、サルトルの名とともにいったんは不当な忘却を淵へと置き去りにされたこの古典、前世紀前半を代表する哲学書のひとつを、一箇の思考の極限として読み直す。
さらには、『聖ジュネ』『自由への道』など、多彩な作品群にもふれながら、繊細に厳密に、いまこそサルトルを読み直す試み!
[本書の内容]
序章 無への問いかけ
1. パルメニデス
2. 非存在の煌めき
3. 不安と自由の深淵
第I章 対自存在の問題
1. 非措定的なコギト
2. 廣松渉のサルトル批判
3. 対自存在の可能性と時間性
第II章 対他存在の次元
1. 他者論の問題構成をめぐって
2.《視線》の問題──ヘーゲルからサルトルへ
3. サディコ=マゾヒズム──性愛の挫折と言語の本質
第III章 人間存在の自由
1.『自由への道』の一挿話から
2. 人間的行為における自由と状況
3. 世界を所有することの諸様式──ジュネ、サルトル、マルクス
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Posted by ブクログ
『存在と無』を読んだあとに読んだ。当時はあれを小説を読むような態度でたのしんで、それになにしろ一年かけて読んだものだから、要約みたいなものを示すなどということはぼくには到底できなくて、それをこんなにも手際よく、コンパクトにまとめられるだなんて、まったくとんでもないことだと思った。
Posted by ブクログ
サルトルのいう「想像力=自由」「夢中=非定立的意識」「対自存在=世界に無をもたらす主体」を私なりの表現で書き換えてみる。まさに、たった今経験したことで、書いておきたいと思った。
昼間覚醒している時の妄想。その中での登場人物の振る舞いは自他に自由で自らは脚本家とも神とも呼べる絶対的存在になれる。しかし、そこには現実の質感がない。一方、夢の中では自他に自由がなく、現実の質感があって、一喜一憂する感情まで湧き立つ。怖い夢を見た。
ここに、想像力がつくり出す「非在の世界」と、夢がもたらす「擬似的現前の世界」の対照がある。
サルトルにとってイマージュ(心像)は「ひとつの行為であって、一箇の事物ではない」。それは「無」を志向する意識の働きであり、世界に対して後退し、現前するものを無化することによって成立する。つまり想像力は、現実から自由に距離をとる「世界からの逃走能力」に支えられている。昼間の妄想はまさにこの「逃走能力」の極端な形に近い。
ところが夢の中では、意識はすでに「無化」ではなく「擬似的現前」に取り込まれ、事物や他者に対して反応し、感情を起こす主体として巻き込まれてしまう。ここには、サルトルが「即自」と呼ぶものに対する拘束が見える。夢の中の自我は、現実の世界に近い「抵抗のある場」に投げ込まれ、想像世界の自由をほとんど失っている。
ちなみに、とある本のデータが面白く、これに関連するので紹介したい。インターネット検索を分析し、ウェブ上で男性と女性がどんなことを検索しているのかを調べたようだ。男性は圧倒的にポルノを検索し、女性は圧倒的にEロマンスサイトを検索していたようだ。日本のデータではないから何とも言えないが、仮想世界での欲望と白昼の妄想を反映したものだと言えるだろうか。逃げ込んだ先の妄想世界の神は「欲望を純化して暴走させる」グロテスクなものである。現実世界では、他者からの拘束が必要なわけだ。
サルトルは、非反省的・非定立的意識を重視し、我々が何かに没入しているとき「<私>は存在しない」と述べた。夢中で読書しているとき、主体は消え、対象についての意識だけがある。夢もまたこの非定立的意識の極端な状態といえる。逆に、昼間の妄想は「私は妄想している」という反省的意識を伴いやすく、脚本家=自我の位置を保っている。したがって夢と妄想は、サルトルのいう「非定立的自己意識」と「反省的自己意識」の両極を体現しているようだ。
サルトルにとって、懐疑と同様に想像力は人間的自由の証拠だった。妄想と夢、二つの意識モードをこの枠組みで見れば、妄想は自由の純粋な発露であり、夢はその自由が失われた「即自」的拘束の場である。しかし、夢の現実感・情動性は、逆にいえば「自己意識の回復」を準備するものでもある。つまり「妄想」と「夢」という二つの極のあいだを往復しながら、人間は世界を無化し、また世界に巻き込まれるという「対自存在」の根本構造を生きている。
本書を読んで考えた。しかし、不完全な思考はこれもまた「自己都合な妄想」であり、実存からの逃走かも知れない。