あらすじ
大澤真幸・熊野純彦両氏の責任編集による叢書「極限の思想」第4弾!「自らの思考を極限までつき詰めた思想家」たちの、思想の根源に迫る決定版。21世紀のいま、この困難な時代を乗り越えるには、まさにこれらの極限にまで到達した思想こそ、参照に値するだろう。
本巻は『存在と時間』の精密な読解を通して、ハイデガーの思想の精髄にせまる!
ハイデガー自身が執筆し公刊された唯一の体系的な著作にして、未完の大著『存在と時間』。難解をもって鳴るこの哲学書をどう読むべきか。
「私たちがそれぞれそうであるところの存在者」を「現存在」と呼び、また、私たちが「世界の内にある」在りようを「世界内存在」と呼ぶ。このように、さまざまな概念を次々に出しながら、ハイデガーが分析しようとしたこととは何だったのか。私たちがそれぞれの「私」を生きているとはどういうことか。本来的な自己とは。――その哲学的果実を味読する力作。
【目次】
第一章 『存在と時間』という書物
第二章 世界の内にあること
第三章 空間の内にあること
第四章 他者と共にあること
第五章 ひとりの私であること
第六章 本来的な在りかた
第七章 自己であること
終章 世界内存在を生きる
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Posted by ブクログ
最上級に噛み砕いて、これほどわかりやすく『存在と時間』を解説してくれた本はない。
自分の生を日常性から一歩深い視点で見つめることができる。
初めて解説本を読んで、『存在と時間』そのものに挑んでみようと思えた。
Posted by ブクログ
自分がいまだに通読したことのない『存在と時間』についての読みをこの一冊で包括的に提供してくれた、(単行本ではあるが)新書的アプローチの本。注釈を中心に国内外の最新のハイデガー研究の成果が書かれており、読者としては信用がおける。
要約の仕方については論争的な部分もあることも含めて著者自身が丁寧に紹介しているが、素人目にはあまりその点はわからない。とはいえ木田元の「未完問題」アプローチがあることは知っており、それゆえ「未完のものをどう論ずるのか」という先入見が自分にも多少残存していたので、その懸念をかなり早い段階で棄却してくれた点は読み進める上でありがたかった。
ハイデガー哲学に必ずしも「(健常な)身体」概念を要請する必要はないこと、哲学における「自己物語」の話が現存在の同一性を認定する上で重要であることなど、20世紀哲学のあれこれを読みながらハイデガーをつまみ食いする上でしばしば引っかかっていたことをしっかり説明してくれたのも、よかった。
もしかして、このハイデガー本において示される自己論は、キルケゴールの実存主義哲学やメルロ=ポンティの身体コミの現象学より、プラグマティズム思想家兼社会心理学者であるジョージ・ハーバート・ミードの『行為の哲学』や、その後(主にイギリスの)質的社会心理学で展開された言説心理学(Discursive Psychology)のとる立場に近しいものとして読み直せるのではないか。そういう気づきを得させてもらった。それは著者が「ノンバイナリに気づく一人の男性」の事例について述べた時、ジェンダー論における哲学的アプローチとしてハイデガー哲学を参照したことで、より鮮明になったように思われる。
Posted by ブクログ
本書は「私たちがそれぞれ『私』の生を生きているとはどのようなことか』という問題に対する取り組みとして『存在と時間』を解釈する。
実存主義にも存在論にも還元できない、そうした『存在と時間』に固有とも言える哲学的洞察を評価する試みであることを個々に明記しておく。
Posted by ブクログ
ハイデガーの『存在と時間』の解説書です。
『存在と時間』はかつて、既刊部分のみをもとに実存哲学の代表的な著作とみなされていましたが、その後「存在の問い」というより大きな問題設定のなかで『存在と時間』の位置づけを見なおすことの必要性が主張されるようになり、日本でも木田元が多くの著作を通じて、そうしたハイデガー解釈を啓蒙してきました。
もちろん、そのような理解が広く受け入れられたあとも、仲正昌樹の『ハイデガー哲学入門─『存在と時間』を読む』(2015年、講談社現代新書)や北川東子のハイデガー 存在の謎について考える』(2002年、NHK出版)など、あえて『存在と時間』の議論を実存哲学として紹介することで、その魅力を示そうとした著作はあります。これに対して本書では、『存在と時間』が現在われわれが手にとることのできるようなかたちで刊行されたことの意味を重視し、「存在の問い」という後年のハイデガーが手掛けることになる問題設定のなかで『存在と時間』の解釈をおこなうのではなく、『存在と時間』の内在的な解釈を通して、ハイデガーがわれわれの「生」についてどのような分析をおこなっているのかということを明らかにすることがめざされています。
その一方で、伝統的な実存哲学の概念に依拠して説明をおこなうのではなく、ドレイファスや門脇俊介といった研究者のスタンスが踏まえられているのかもしれませんが、現実のなかで実践的な活動をおこなうわれわれのありかたにそくしてハイデガーの議論を読み解く試みがなされており、新鮮な気持ちで読むことができました。
Posted by ブクログ
ハイデガーの思想に関しては先に読んだ飲茶の『あした死ぬ回復の王子』が物凄く分かりやすかったので、もう少し違う視点、更に原典に近い内容を読みたくて手に取った。それと、何より著者の高井ゆと里に興味があった。ノンバイナリーの哲学者である。
ハイデガーの哲学そのものは、やはり原典をきちんと読もうという結論に達した。私は物臭なので、原典の今の感性から少しズレた語感を今の感性に直して、その上で自分自身の思考に当てはめる所作を好まない。噛み砕いて解説する本があるならそれで良くて、原典を経験したマウントは、本質的にそこまで重要視しない。
ただ、本書は、高井ゆと里氏独特の感性というか、言葉遣いがあったと思う。それだけで満足である。高井ゆと里に何故惹かれたかは、自分自身の分析と共に、ゆっくり考えたい。