西洋哲学史 古代から中世へ

西洋哲学史 古代から中世へ

ビジネス・実用
1,188円 (税込)

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あらゆる思考のそもそものはじまりには哲学者そのひとの経験があり、どのような論理にもそれをつむぐ言葉がある──やわらかな叙述と魅力的な原テクストをつみかさねることを通じて、「思考する」ことそのものへと読者をいざなう新鮮な哲学史入門。哲学の祖タレスから中世までを本篇でたどる。近・現代を扱う続篇も近刊予定。

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西洋哲学史 古代から中世へ のユーザーレビュー

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感情タグBEST3

    Posted by ブクログ

    西洋における哲学史の大まかな内容を掴むには良い本。個人的にはキリスト教と哲学の調和が一番気になっていたので、アウグスティヌスやトマスの思想を知れてよかった。

    0
    2026年05月19日

    Posted by ブクログ

     本書は印象的な引用についての言及から始まる。引用のない哲学史は「まるで、詩そのものを一行も引用していない、詩の歴史のようなものではないでしょうか」、と。本書はまさしく、手に取ってパラパラとめくるだけでも、全体の五分の一ほどが引用に充てられていることがわかる。それでも本書は、本文250ページに対して各章17ページほどの15章で構成されており、紀元前6世紀から西暦1500年という2000年にわたる期間の思想史をその根本的な特徴を捉えながらも全く窮屈さを感じさせることなく、核となる哲学的思考を生き生きと再現する哲学史である。
     思考の原初に立ち返るかのように引用された文章を読み解く著者の筆致は、地の文と引用文との境目がなくなるほどにその哲学的思考へと分け入る。それは哲学史を読むということがすなわち哲学であることをじかに体験させるものである。新書という分量の制約の中で引用されるテクストは思考の核となるものを取り出し、読者が実際にその引用されているテクストを自ら読みたくなるようなものであり、優れて哲学入門的である。
     本書の哲学史的配慮は単に時系列の哲学史的叙述ではこぼれてしまうようなテクストそのものの伝承へと読者の注意を向けることにも表れている。ポルピュリオスを注解するボエティウス、そしてボエティウス自身の『デ・ヘブドマディブス』の後世への影響、あるいはエリウゲナによる偽ディオニュシオス文書の再評価、それからアフロディシアスのアレクサンドロスの能動知性に関する省察など、枚挙にいとまがない。先にも述べたゆったりとした叙述の中に、読者自身が哲学史へと分け入ればぶつからなければならないテクスト同士の関係へとそれとなく注意を促しているのである。
     本書は各章が短い紙幅に限られるからといって、重要な個所を通り過ぎるということもなく、むしろアンセルムスやトマス・アクィナスの神存在証明については従来にない十全な仕方で問題の所在を浮き彫りにしている。中でも印象的なのは、一方で記述が集中しがちなプラトンやアリストテレスは従来の哲学史ではあまり引かれることのないカルミデスや自然学の簡潔な引用から成り、他方で古代懐疑論の10のトロポスについては従来の哲学史では考えられないほどにくっきりとその議論が提示されていることである。見事に凝縮された叙述を通して読者はそれぞれの哲学の思考の核に触れることができるのである。
     本書が哲学史を通した哲学入門であることはここまで指摘したことから判明であるが、それだけではない。本書は日本の哲学史研究の精華を紹介していることにも特色があるのである。何よりも印象的なのは井上忠『パルメニデス』であろう。もちろん原典の生き生きとした引用を通して原典そのものへと招かれることは間違いない。しかし同時に哲学史研究の精華を読み解くことへとも招かれているのである。哲学に興味を持ったなら避けて通れないテクストを提示しながらも、純粋に哲学に興味を持つ読者に哲学の喜びを抱かせる本書は、繰り返し手に取りたくなる珠玉の哲学史である。

    0
    2025年12月08日

    Posted by ブクログ

     デカルトまでのギリシャ・ローマ世界における思想について、通史的にざっと知識を整理しようと購入したが、そのような実用的な用いられ方を拒むような著者の文体にあえなく返り討ちにあい、結局2度3度と読み返すことに。「世界と、世界をめぐる経験のすべてがそこに結晶しているような一語を語りだすためには、幾重にも錯綜したことばのすじみちを辿りなおさねばならない。そのとき哲学的思考が抱え込む困惑は、日常の風景を反転させ、世界の相貌を一変させる一行を探りあぐねる詩人の困惑と、全く同質のものであるはずである(p.30)」。本書で哲学者の思索をなぞる著者のことば自体もまさにこのような詩的な響きを帯びており、どの文章にも安易な読み飛ばしを阻む深みが潜んでいる。

    以下覚え書き。

    第1章   イオニア学派、ミレトス派
    タレス 
    自然(ピュシス)に目を向け、世界の原理(アルケー、始まり)を問う
    アルケー=水
    アナクシマンドロス 
    自然=反復と循環、アルケー=無限なもの(アペイロン)
    アネクシメネス
    無限なもの=アエール/プネウマ(空気)

    第2章 
    ピタゴラス
    輪廻(身体という牢獄からの魂の解放)→身体を超えた秩序(ロゴス)
    魂(プシュケー)、知性(ヌース)によるロゴスの知覚 →「数こそが原理」
    どれでもなく、どれでもあるもの(e.g.直角三角形)
    数が生むハルモニア(調和)
    ヘラクレイトス
    アルケー=常に消滅しながら生成しているもの(e.g.炎)
    「万物は流れる(パンタ・レイ)」
    ロゴス=相反・対立するものの両立(=調和)
    クセノファネス
    神は非物体的な一者、不動でなければならない

    第3章 エレア学派
    パルメニデス
    存在だけがあり、無はあり得ない
    では、あるものとは?→それ自体は生成も消滅もしないもの(他のものは「ない」)
    エレアのゼノン
    「多」と「動」の否定
    多・動は有限(現にある数だけある)かつ無限(間に別のものがある)→矛盾(帰謬法)
    カントのアンチノミー(無限と不定の混同を批判)への影響
    アリストテレスの反論「無限の分割は有限時間内で可能(分割の場合は時間も無限…一対一対応)」X「際限」
    メリッソス
    空虚はあらぬものだが、運動のためには退去する場所として空虚が必要(古代原子論へ)

    第4章 エレア派への回答
    「何かが変化したというためには、変化しないものが必要(アルケーは変化しないとすれば多と動も生じない)」
    エンペドクレス
    元になるものは不変、その結びつき方が変化する
    アナクサゴラス
    生成は混合であり、消滅は分離である(生成も消滅もなく、常に同一のまま存在し続ける    e.g. 種子)
    デモクリトス
    あらぬものもある(「あらぬもの=空虚におけるあるもの」の運動→現象と感覚における差異を生ずる)
    エピクロス
    原子は性質を持たない(性質=ノモスは変化するが、原子は変化しない)→では、差異はどのように生ずるか?
    プラトン
    虚偽や誤謬は「ある」の反義であり、これらがあるならば「あらぬ」もある →「あらぬ」=「ではない(差異を生成)」cf. サルトル「無化」

    第5章 ソフィストたち
    神話的思考への啓蒙
    プロタゴラス
    人間の感覚への「あらわれ」が全てのものの尺度 → では存在とは異なる「あらわれ」とは何か?
    ゴルギアス
    存在は人間に捉えられず、捉えられたとしてもそれを表現することはできない
    ソクラテス
    「アポリア(行き止まり)」→無知の知(無知ゆえに知を愛し求める=フィロ・ソフォス→philosophy)
    対話術「エレンコス」においても答えを与えない(知らないから)
    シノぺのディオゲネス
    小ソクラテス学派(キュニコス学派(犬儒派))
    プラトニズムへの反感

    第6章
    プラトン
    イデア…当のものごとが、「それ」によってまさにそのものごとである、そのもののこと
    目に見えないイデア=エイドス(すがた、形相)への希求…愛知者
    「探求のアポリア」知らないものをなぜ探究できるのか
    →「想起説(アナムネーシス)」…潜在的には全てを知っている、学ぶ=想起する
    「等しさ」と「等しいもの」は違うものなのに、「等しいもの」から「等しさ」を直感するのはなぜか?→「等しさ」が「等しいもの」のうちに「現前」→イデアのみが真に、永遠に存在する
    諸事物とイデアの共通項は?(アリストテレス「第三人間」)
    「一」と「多」変化する事物を超えて真なる存在であるイデアを思考

    第7章
    アリストテレス
    プラトンのイデア…自然=神の技術、イデアを参照し想像する → 秩序(ロゴス)は世界の外部に存在
    → 自然それ自体のうちにロゴスが求められるべきでは?
    自然的存在…自らの運動と停止の原理を持つ
    技術が自然を模倣する
    自然=生長するものの生長、運動の原理、存在者の存在の始源
    四原因説
    質料のみでは実体は得られず、形相(何であるか、エイドス=ロゴス)が必要
    質量が形相を可能性として含む=可能態、質料が形相を伴う=現実態
    製作行為=質料に潜在する形相を顕在化する技術、自然の比(ロゴス)に従う
    1. 自然がロゴスを内在=目的論的な自然像
    2. 徳(エートス)…働きそれ自体が目的となるような人間の素質
    「形而上学」…自然学を超える(メタ)学=存在論、実体とは何か
    第一の実体:個物
    第二の実体:種(エイドス=形相)…実体の本質
    現実態にある形相…可能態にある形相にとっての「目的」
    全ての存在者にとっての目的=「純粋形相」=「神」
    運動は永続的でなくてはならない(永続的でないなら運動開始前と終局後に何らかの変化があることになる)
    →「第一の動者」はそれ自体永続的であり、かつ運動してはならない
    動かされず動かす「不動の動者」…愛されるものが愛するものを動かすように動かす
    神的なものの「観想」→最高の至福

    第8章 ストア派の論理学
    タブラ・ラサ…経験論へ
    真実:表象と対象との一致(しかし、対象との対応により真理を定義するのは循環論では?→真アカデメイア派の古代懐疑論へ)
    意味と指示の区別(明けの明星と宵の明星の指示対象は同一だが意味は異なる)
    質料と形相の区別(アリストテレス)の受容
    「神」=全ての質料に浸透するロゴス、理性それ自身
    ストアの決定論…因果関係による順序と連鎖(ロゴス=宿命=神)
    自然と調和して生きる→国家を超えた「世界市民(コスモポリテース)」
    アパティア(無感動)…感情に流されてはならない、全ては自然に従う
    →現在こそが永遠、現在が最後の瞬間であるかのように生きる

    第9章    古代懐疑論(ピュロン主義)
    セクストス・エンペイリコス
    感覚的なものへの疑い(エレア派に起源…パルメニデス「思いなし」、古代原子論者「ノモス」)
    判断中止(エポケー)により、独断論者の「体系」を批判
    メガラのエウクレイデス
    パルメニデスの「一つの同じもの」とソクラテスの善の結合 
    ディオドロス
    活動こそが能力を表す、現実的なもののみが可能的である(cf. アリストテレス「現実/可能態)
    パイドン(エリス派)
    アルケシラオス(新アカデメイア学派)
    ストア派の循環論(真の表象と偽の表象を隔てる基準があるとする)を批判
    ピュロン主義者たち
    表象と思考を対置し、判断中止へ至る方策=「トロポス(いい回し)」
    「トロポイ(感覚の仕方)」は相対的→一旦判断を停止(アポリア)する必要
    批判的合理主義(演繹的体系の無根拠性を指摘)の原型

    第10章 新プラトン主義
    フィロン
    二段階創造説…「思考される世界」「感覚される世界」
    神は「エイコーン(神の似姿、一性)」を範型として人間を創造
    プロティノス
    存在=一性(一つでなければ存在できない、多による一の分有)
    多を形作る一を、一としているもの→三つの原理(「一者」「たましい」「知性」)
    たましいが身体を一つのものにし、知性はたましいの活動を規制する
    プロクロス
    一者は存在に先立ち、他のものの存在の源となる「第一の原因」であり「善」

    第11章
    アウグスティヌス
    感覚への懐疑論(新アカデメイア派)への反論…真なるものの認識は如何にして可能か
    「感覚する私(=欺かれる私)」は確実に存在している(デカルト方法的懐疑との類似)
    自ら存在し、自らの存在を知り、自らを愛することは感覚による表象(=欺き)を介しない
    確実・真なるものは人間の内面に存在、理性による判断が真理(一性)を捉える
    内面における「神」という絶対的外部性があるからこそ、完全・真なるものが認識できる
    時間の経過で散り散りになる「私」を統合しているのは「神=永遠の現在」である

    第12章
    ボエティウス
    「三位一体論」…たましいと身体が「一つ」cf. プロティノス
    普遍論争の原点
    「存在=単に在ること(存在の文有、偶有性)」と「存在者=本質的に在ること(実体)」の差異 
    アリストテレスの「善」…分有ではなく、実体により「善」なるもの=「神」
    単純なもの、一なるもの、善なるものでは「存在」=「存在者」
    「存在そのもの」である「神」から流出する「善」により、存在者は「善」となる
    「永遠」=無限の生命の、全体的で同時的な完全なる所有

    第13章
    偽ディオニュソス
    「神」=闇に隠れるもの 無知により到達可能(神秘主義)
    エリウゲナ
    「神」=「創造し創造されないもの」かつ「創造せず創造されないもの」=存在を超えた「無」
    スピノザの先駆?
    アンセルムス
    スコラ哲学
    さまざまな善を可能にする「共通な或るもの」=「最高の存在者」
    神の存在証明:それより大なるものを考えることができないものでも考えることができる!=実在しているはず(カントの反論:完全であっても存在するとは限らない、「存在する」はものに関わる述語ではない)

    第14章
    トマス・アクィナス
    アリストテレスをラテン世界に逆輸入したラテン・アヴェロイスト「二重真理」批判
    - 「可能知性(全ての人間が持つ単一の知性。アリストテレス「能動知性(身体の形相であるたましいに作用)」に対置される)」批判…全ての人が同一であるのは自由意志の否定であり不合理
    - 「世界の永遠性(アリストテレスも主張)」批判
      スコラ哲学的な存在証明の非自明さを指摘
    「五つの道」による神の存在証明①第一動者②始動因③必然性④秩序⑤目的因
    第三の道…偶然的世界が存する以上、必然的な神もまた存在せねばならない
    a世界の存在、b世界の本質(=偶然性)、c神の存在、d神の本質(=必然性)のとき、
    a:b=c:d(存在の類比)という比によって、経験的地平から神が証明される
    世界は神を出発点とした被造物=世界は神の存在を「分有」する
    神だけが「自存する存在そのもの」であり、他の一切の存在者は神から流出(=創造)される

    第15章 神の絶対性へ
    スコトゥス
    「存在」の一義性…同一主語について同時に肯定と否定がされ得ない述語
    「存在」はカテゴリーに先立って有限/無限の両者に適用される「超越概念」
    神に適用されれば無限、被造物に適用されれば有限→神と被造物を介在
    オッカム
    「神の予定」予定に反することができなければ全能ではなく、予定に反するとき全知でない
    神は未来の事柄について確定した知を有する=神にとっては全てが現前する、一切が現在
    永遠とは全体の現前、神の予定=未来の未確定な事柄についての確定された知
    偏在する神
    デカルト
    無から一切を創造する神
    人間が法則を必然と感じるのは神が絶対性を人間に植え付けたから

    0
    2021年04月18日

    Posted by ブクログ

    本社は古代から中世にかけての西洋哲学をまとめたものである。一般の西洋哲学史の本は、人物名とその人が唱えた概念を一文でまとめた形で纏められているものが多いが、本書は歴史のコンテクストを追いながら、それぞれの人物の思想について、具体的かつ論理的に説明しており、とても面白かった。説明してある内容はそれなりに分かりにくいものだと思うのだが、著者の日本語は大変良質で、ゆえに見事なまでにコンパクトかつ分かりやすく説明していたため、理解しやすかったように思える。

    0
    2016年09月23日

    Posted by ブクログ

    本書は15章で構成されており、それぞれが対応する哲学の歴史的変遷、どのような思想が論じられていたかを具体的な哲学者や学派を通して説明されている。

    大まかにそれぞれの哲学者がどのような思想を持っていたか知るのには適しているが、細部まで説明がなされているわけではないので、よく知りたいならば本書で紹介されている哲学者の著書を読むべきだ。

    西洋哲学への入門書として、また歴史的変遷を見直す一つの手段として非常に有効であると言える。

    0
    2010年11月22日

    Posted by ブクログ

    やっと読み終われた…という感じ。
    最初のほうの記述がとてつもなく私好みの文だったのですが、途中は鳴りをひそめていた気がします。

    自然から神に至るあたり、実感に欠けてくるのが問題なんですかねぇ。神って言われると、ウッてなってしまいます。

    でも新書にしては細かくて面白かった。特に前半がいい!

    0
    2009年10月04日

    Posted by ブクログ

    タレスに始まり中世へ・・・。なんとやわらかで滑らかな語り口!熊野先生の講義を受けたことあるのですが、彼の喋りの独特の空気がそのまま文字になっていて感動した。引き込まれるなあ。

    0
    2009年10月04日

    Posted by ブクログ

    ある程度哲学史一般に触れたことのある人向けの解説書というレベル。
    かく言う私も、古代から中世は勉強不足+神が前提にあったり是非を問うたりとで腹落ちがどうしてもできず半端な理解にとどまってしまった。不甲斐なし。

    本書の魅力は、著者もまえがきに述べているように哲学者の原著テキストを積極的に掲載して説明を進めているところ。原著なのでそのまま理解しようとすると難解ではあるが、その直後に解説を加えてくれるし何より哲学者の息遣いが感じられて思考の懐が深まった感覚。

    とはいえ、ここの哲学者の主張と連関は掴みきれず。。『哲学史入門』シリーズの古代-中世の部分再読と、ネオ高等遊民の入門書必読だな。精進いたします。

    0
    2025年05月27日

    Posted by ブクログ

    初学者向けにしては難解なテクスト。同時に重厚さも備わっている。

    アリストテレス以降は非常に読みやすく感じたが,アリストテレスの提示した論理学的知見が現代に浸透していること,また近代哲学が極めてアリストテレスの影響を濃く受けていることが理由かもしれない。
    トマスの解説部などは,原文を読まないと理解が追いつかないような側面もある。

    とは言え,原典のテクストにも当たりながら,西洋哲学の軌跡が端的にまとめられており,なるほど名著と言えるだろう。

    0
    2021年10月11日

    Posted by ブクログ

    うむ、入門書にしては難しい!笑

    ただ根気強く読んでいくと輪郭くらいは見えてくる。「ヨーロッパ哲学の伝統はプラトン哲学の脚注だ」という言葉の意味もよく分かる。プラトンだけではなく、アリストテレスも全編にわたって顔を出してくる。

    個人的な本書の立ち位置としては哲学史の輪郭を把握して個々の哲学者にアプローチしようと思う。その後はまた本書に帰るかも知れない。
    哲学はマクロ→ミクロ→マクロの勉強でいこうかな。

    余談だが、アウグスティヌスの『告白』は高校生の頃から存在は知っているが初めて読もうと思わせてくれた。

    0
    2020年08月07日

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