熊野純彦のレビュー一覧
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[ 内容 ]
フッサールとハイデガーに学びながらも、ユダヤの伝統を継承し、独特な他者論を展開した哲学者エマニュエル・レヴィナス。
自己の収容所体験を通して、ハイデガーのいう「寛大で措しみない存在」などは、こうしたおそるべき現実の前では無化されてしまう、と批判した。
人間は本当はどれだけわずかなものによって生きていけるのか、死や苦しみにまつわる切なさ、やりきれなさへの感受性が、じつは世界と生を結びつけているのではないか、といった現代における精神的課題を、レヴィナスに寄り添いながら考えていく、初の入門書。
[ 目次 ]
個人的な経験から―ばくぜんと感じた悲しみ
第1部 原型じぶん自身を振りほどく -
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『西洋哲学史』(熊野純彦、2006年、岩波新書)
本書は、自然哲学の祖とされるタレスの時代の哲学者から、トマス・アクィナスからデカルトの時代の神学論争までをその範囲とし、15章にわたり各章20ページ弱でそれぞれ解説している。
古代から中世までとは言え、新書ですべての範囲を理解できるかといわれたら、それは難解なのではないか。まして、たとえばソクラテスの思想を本書一冊でカバーできるはずがない。
しかし、本書は西洋哲学の歴史を辿ることが目的。古代の哲学者がどのように人生、真理、世界、神について考え、発展させてきたのかという思想の流れを追うには良書と言えるのではないか。
(2010年5月22日 -
Posted by ブクログ
新書であるため、持ち運びが可能という点で気に入った。
有名哲学者達の思想をざっと知る分にはいいのではないか。
アウグスティヌスに関する11章の3つの部分が非常に興味深かった。
P167L6〜L10
「友人や恋人、一般に愛する者の存在には、「関係」という一語には尽きないなにかがあるのではないだろうか。愛する者は「もうひとりの」「他の」私というよりも、私の存在の一部である。私の存在は、愛する者と切りはなすことができない。だれかを愛するとき私は、じぶんの存在を、むしろ、自身の外部に有している。すくなくともじぶんが存在することの意味を、自己の外部にもっているように思われる。」
P169L9〜L1 -
Posted by ブクログ
【デカルト】
私は考えるコギト 私が存在するスム
スムの不可疑性と神の絶対性→デカルト形而上学
スピノザ「心身の結合と精神自身の原因を探しあてることができず、神へと退却した」と避難(エチカ5部序言)
→ゲーリンクス「機会原因論」スピノザ「並行論」ライプニッツ「予定調和説」
【近代形而上学】
【スアレス】
現実に存在するものは単独的・個体的
共通的本性+否定(=トマス、スコトゥス、後にライプニッツ)
機会とした神の介入
ヴォルフ以降うしなわれるが、バウムガルテンを介してカントへ流れ込むことになる
【マールブランシュ】
デカルト的懐疑→「私たちはいっさいを神のうちに見る」
神 多様性 -
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マルクスの『資本論』における議論を、著者自身の解釈もまじえながら解説している本です。
単なる『資本論』の概説書ではなく、たとえば価値形態論に差異と反復をめぐる形而上学批判というテーマが伏在していることに注目したり、資本の運動の諸相を時間と空間の再編過程としてとらえるなど、著者自身の関心が積極的に押し出されています。また、労働価値説と生産価格論のあいだに齟齬があることを指摘したベーム=バヴェルクの批判を念頭に置きつつ、平均利潤がどのようにして実現されるのかという問題にある程度立ち入った考察をくわえ、このことが価値から価格への転形問題へとつながっていることを示唆するなど、『資本論』についてすでに -
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西田幾多郎や和辻哲郎、大森荘蔵や廣松渉といった、近現代における日本の代表的な哲学者20人をとりあげ、彼らの思想についてコンパクトに解説している本です。
第1部は熊野純彦の「近代日本哲学の展望」という、近現代の日本哲学の通史的な解説が置かれています。第2部は、それぞれの哲学者たちの果たした仕事の意義を端的に示す論文一編を選び出し、それについての解説がなされています。
京都学派の哲学だけでなく、大森荘蔵や廣松渉、市川浩や坂部恵といった戦後に活躍した哲学者たちもとりあげ、日本の哲学の大きな流れを描き出しているところが本書の特徴といえるように思います。