熊野純彦のレビュー一覧
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ネタバレ[ 内容 ]
明治初年にフィロソフィーという考え方が移入されて以降、日本哲学にはいくつものドラマが生まれた。
例えば漱石や鴎外のように、文学と混淆していた黎明期、西田幾多郎が『善の研究』で日本中の青年を魅了し、田邊元や和辻哲郎が西洋の哲学者と切り結びつつ独自に思想を花ひらかせた頃、西田とはまったく異なる文体で大森荘蔵や廣松渉が哲学を語り始めた戦後…。
本書によってはじめて、近代日本哲学の沃野が一望される。
[ 目次 ]
第1部 近代日本哲学の展望―「京都学派」を中心にして(前史―西田幾多郎まで;学派―下村寅太郎まで;転回―マルクスの衝撃;終焉―田中美知太郎へ)
第2部 近代日本哲学の名著―五 -
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[ 内容 ]
フッサールとハイデガーに学びながらも、ユダヤの伝統を継承し、独特な他者論を展開した哲学者エマニュエル・レヴィナス。
自己の収容所体験を通して、ハイデガーのいう「寛大で措しみない存在」などは、こうしたおそるべき現実の前では無化されてしまう、と批判した。
人間は本当はどれだけわずかなものによって生きていけるのか、死や苦しみにまつわる切なさ、やりきれなさへの感受性が、じつは世界と生を結びつけているのではないか、といった現代における精神的課題を、レヴィナスに寄り添いながら考えていく、初の入門書。
[ 目次 ]
個人的な経験から―ばくぜんと感じた悲しみ
第1部 原型じぶん自身を振りほどく -
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『西洋哲学史』(熊野純彦、2006年、岩波新書)
本書は、自然哲学の祖とされるタレスの時代の哲学者から、トマス・アクィナスからデカルトの時代の神学論争までをその範囲とし、15章にわたり各章20ページ弱でそれぞれ解説している。
古代から中世までとは言え、新書ですべての範囲を理解できるかといわれたら、それは難解なのではないか。まして、たとえばソクラテスの思想を本書一冊でカバーできるはずがない。
しかし、本書は西洋哲学の歴史を辿ることが目的。古代の哲学者がどのように人生、真理、世界、神について考え、発展させてきたのかという思想の流れを追うには良書と言えるのではないか。
(2010年5月22日 -
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新書であるため、持ち運びが可能という点で気に入った。
有名哲学者達の思想をざっと知る分にはいいのではないか。
アウグスティヌスに関する11章の3つの部分が非常に興味深かった。
P167L6〜L10
「友人や恋人、一般に愛する者の存在には、「関係」という一語には尽きないなにかがあるのではないだろうか。愛する者は「もうひとりの」「他の」私というよりも、私の存在の一部である。私の存在は、愛する者と切りはなすことができない。だれかを愛するとき私は、じぶんの存在を、むしろ、自身の外部に有している。すくなくともじぶんが存在することの意味を、自己の外部にもっているように思われる。」
P169L9〜L1 -
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ラカンの思想とは、端的に言えば、「人は自分の意志で動いている主体ではない」という徹底した否定ではないか。
私たちは「こうしたかったからそうした」「この出来事が原因だった」と後から説明する。だがその説明自体、すでに事後的で、意味づけによって整えられた物語にすぎない。ラカンにとって主体とは、原因を自由に選ぶ存在ではなく、言語(シニフィアン)と、意味づけ不能な偶然(テュケー)に巻き込まれたあとで、ようやく立ち上がるものである。本書は、この直感を哲学史と精神分析の両面から、極限まで突き詰めていく……が、正直、かなりハードである。
というのも、まずアリストテレスの「原因」論に立ち返るからだ。しかも前 -
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哲学的歴史を相剋したものとみなすとき、それが因果的な過去や史実に限らず、「昨日何をしたか」という個人の記憶や道徳的履歴まで含めて考えるべきだと感じた。その上で、結局、一人の人生は生まれながらの初期設定も含めて〝因果“あるいは〝予定説、運命論“で描き出せるものであり、ニーチェの超人という思想は、その関係性からの思考的離脱にあるのではなかろうか。
ルターやカルヴァンの予定説は、「人間は生まれる前から救われるか否かが決まっている」という救済の選別を前提とする。が、ニーチェは人間が自己を創造しうる「自己超克」を重視。つまり、予定説が押し付ける「すでに決まった運命」や因果論には反旗を翻し、自らの運命へ -
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ハイデガーの思想に関しては先に読んだ飲茶の『あした死ぬ回復の王子』が物凄く分かりやすかったので、もう少し違う視点、更に原典に近い内容を読みたくて手に取った。それと、何より著者の高井ゆと里に興味があった。ノンバイナリーの哲学者である。
ハイデガーの哲学そのものは、やはり原典をきちんと読もうという結論に達した。私は物臭なので、原典の今の感性から少しズレた語感を今の感性に直して、その上で自分自身の思考に当てはめる所作を好まない。噛み砕いて解説する本があるならそれで良くて、原典を経験したマウントは、本質的にそこまで重要視しない。
ただ、本書は、高井ゆと里氏独特の感性というか、言葉遣いがあったと思う -
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【デカルト】
私は考えるコギト 私が存在するスム
スムの不可疑性と神の絶対性→デカルト形而上学
スピノザ「心身の結合と精神自身の原因を探しあてることができず、神へと退却した」と避難(エチカ5部序言)
→ゲーリンクス「機会原因論」スピノザ「並行論」ライプニッツ「予定調和説」
【近代形而上学】
【スアレス】
現実に存在するものは単独的・個体的
共通的本性+否定(=トマス、スコトゥス、後にライプニッツ)
機会とした神の介入
ヴォルフ以降うしなわれるが、バウムガルテンを介してカントへ流れ込むことになる
【マールブランシュ】
デカルト的懐疑→「私たちはいっさいを神のうちに見る」
神 多様性 -
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マルクスの『資本論』における議論を、著者自身の解釈もまじえながら解説している本です。
単なる『資本論』の概説書ではなく、たとえば価値形態論に差異と反復をめぐる形而上学批判というテーマが伏在していることに注目したり、資本の運動の諸相を時間と空間の再編過程としてとらえるなど、著者自身の関心が積極的に押し出されています。また、労働価値説と生産価格論のあいだに齟齬があることを指摘したベーム=バヴェルクの批判を念頭に置きつつ、平均利潤がどのようにして実現されるのかという問題にある程度立ち入った考察をくわえ、このことが価値から価格への転形問題へとつながっていることを示唆するなど、『資本論』についてすでに