熊野純彦のレビュー一覧
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新書であるため、持ち運びが可能という点で気に入った。
有名哲学者達の思想をざっと知る分にはいいのではないか。
アウグスティヌスに関する11章の3つの部分が非常に興味深かった。
P167L6〜L10
「友人や恋人、一般に愛する者の存在には、「関係」という一語には尽きないなにかがあるのではないだろうか。愛する者は「もうひとりの」「他の」私というよりも、私の存在の一部である。私の存在は、愛する者と切りはなすことができない。だれかを愛するとき私は、じぶんの存在を、むしろ、自身の外部に有している。すくなくともじぶんが存在することの意味を、自己の外部にもっているように思われる。」
P169L9〜L1 -
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哲学的歴史を相剋したものとみなすとき、それが因果的な過去や史実に限らず、「昨日何をしたか」という個人の記憶や道徳的履歴まで含めて考えるべきだと感じた。その上で、結局、一人の人生は生まれながらの初期設定も含めて〝因果“あるいは〝予定説、運命論“で描き出せるものであり、ニーチェの超人という思想は、その関係性からの思考的離脱にあるのではなかろうか。
ルターやカルヴァンの予定説は、「人間は生まれる前から救われるか否かが決まっている」という救済の選別を前提とする。が、ニーチェは人間が自己を創造しうる「自己超克」を重視。つまり、予定説が押し付ける「すでに決まった運命」や因果論には反旗を翻し、自らの運命へ -
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ハイデガーの思想に関しては先に読んだ飲茶の『あした死ぬ回復の王子』が物凄く分かりやすかったので、もう少し違う視点、更に原典に近い内容を読みたくて手に取った。それと、何より著者の高井ゆと里に興味があった。ノンバイナリーの哲学者である。
ハイデガーの哲学そのものは、やはり原典をきちんと読もうという結論に達した。私は物臭なので、原典の今の感性から少しズレた語感を今の感性に直して、その上で自分自身の思考に当てはめる所作を好まない。噛み砕いて解説する本があるならそれで良くて、原典を経験したマウントは、本質的にそこまで重要視しない。
ただ、本書は、高井ゆと里氏独特の感性というか、言葉遣いがあったと思う -
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【デカルト】
私は考えるコギト 私が存在するスム
スムの不可疑性と神の絶対性→デカルト形而上学
スピノザ「心身の結合と精神自身の原因を探しあてることができず、神へと退却した」と避難(エチカ5部序言)
→ゲーリンクス「機会原因論」スピノザ「並行論」ライプニッツ「予定調和説」
【近代形而上学】
【スアレス】
現実に存在するものは単独的・個体的
共通的本性+否定(=トマス、スコトゥス、後にライプニッツ)
機会とした神の介入
ヴォルフ以降うしなわれるが、バウムガルテンを介してカントへ流れ込むことになる
【マールブランシュ】
デカルト的懐疑→「私たちはいっさいを神のうちに見る」
神 多様性 -
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マルクスの『資本論』における議論を、著者自身の解釈もまじえながら解説している本です。
単なる『資本論』の概説書ではなく、たとえば価値形態論に差異と反復をめぐる形而上学批判というテーマが伏在していることに注目したり、資本の運動の諸相を時間と空間の再編過程としてとらえるなど、著者自身の関心が積極的に押し出されています。また、労働価値説と生産価格論のあいだに齟齬があることを指摘したベーム=バヴェルクの批判を念頭に置きつつ、平均利潤がどのようにして実現されるのかという問題にある程度立ち入った考察をくわえ、このことが価値から価格への転形問題へとつながっていることを示唆するなど、『資本論』についてすでに -
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西田幾多郎や和辻哲郎、大森荘蔵や廣松渉といった、近現代における日本の代表的な哲学者20人をとりあげ、彼らの思想についてコンパクトに解説している本です。
第1部は熊野純彦の「近代日本哲学の展望」という、近現代の日本哲学の通史的な解説が置かれています。第2部は、それぞれの哲学者たちの果たした仕事の意義を端的に示す論文一編を選び出し、それについての解説がなされています。
京都学派の哲学だけでなく、大森荘蔵や廣松渉、市川浩や坂部恵といった戦後に活躍した哲学者たちもとりあげ、日本の哲学の大きな流れを描き出しているところが本書の特徴といえるように思います。