プラトンの作品一覧
「プラトン」の「国家」「饗宴」ほか、ユーザーレビューをお届けします!
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Posted by ブクログ
まず文学作品として楽しめた。
ソクラテスというと変わり者の賢者というイメージを持っていたが、この本ではその人となりが生き生きと描かれていて少し印象が変わった。それぞれの論者の語り口や在り方の描き分けがあって、プラトンの技巧を感じられる。古代ギリシャの作品が時代を超えてなお楽しく読めるのがすごい。
哲学的内容としては、5人の論客がエロスとは何かについて語る。
少し勘違いをしていたけど、ここで語られているエロスは欲求全般ではなく、美しいものに向けられる欲求らしい。作中ではエロスは美ではなく、美を求める主体でもない、その中間体だと説明されている。主体が欲求対象を持つ状態をA、持たない状態をBとすれば、AとBの間の状態ではなく、AからBに向かう矢印、ベクトル、動機のようなものだろうか。この動機にも複数種類ありそうだから、エロスはその中のひとつなのかもしれない。美を含む善へと向かうある特殊な推進力のようだ。
人は美の永続的な獲得を望み、不死性を満たすためにその手段として美の中で生産(継承)を行う。
ディオティマの愛の梯子の話も興味深かった。
個別の美を求めることから始まり、美の共通項に気づき、一般化していく。美の範囲を肉体から精神、人から社会、自然法則、学問に拡張していく。つまり抽象化と、価値基準の変換が起こる。美への認識が本質へと近づいた時、絶対美(イデア的な美)に気がつく。エロスの方向性は一つでも、人間の認識が不完全であるために、欲求の対象が一方向に定まらないということだろうか?
この流れは、ファイドロスの俗世的な少年愛、愛する人の前で立派でありたい肉体的な恋の話、パゥサニヤスのより精神的な向上、個よりも関係の正しさを重んじる少年愛、医者のエリュキシマコスによるシステムの中に存在する調和やバランスに介在する話、アリストファネスによる寓話における片割れを求めるというエロスの生じる理由の説明、アガトンによるエロスそのものの性質や効果への矛先の変換、とある程度構造が重なっている。仕掛けのある文章の運び方だ。
では、イデア的な美の中に生産するとは何を意味するのだろう?
美が不変なら、観測者の基準が変化して、美を模倣する、再生産しようとする、例えば生き方や生産に本質的な美が反映される?あるいはそれを人に伝えようとする?
美を永遠に所有するとは、美との関係性を持続することなのかもしれない。所有というものがそもそも主観的な捉え方だとも考えられる。
美と善の関係も曖昧だが、美は善がエロスにとって欲求の対象となる際の現れ方、人の意識できる善の一側面なのかもしれない。
最後にアルキビヤデスが押しかけてきてソクラテスについて語り始めたのも面白かった。
Posted by ブクログ
『ゴルギアス』
感想について、いくつか考えたことをまとめるのが面倒なので、箇条書きに記していく。
*ゴルギアス
『ゴルギアス』は弁論術の大家であるゴルギアス本人と、その弟子のポロス、新進政治家のカルリクレスと、ソクラテスとの対話の三幕構成だった。ゴルギアス本人についてはとくに割合が少なく、弁論術の大家で老紳士ということぐらいしかわからなかった。
*対話とは
ソクラテスの一問一答的な問答法と、ゴルギアスたちの得意とする大同演説的な弁論術は対極に位置する。ソクラテスの議論はいちいち整理されるので非常にわかりやすいが、ソフィストたちの武器である長広舌の弁論を封じて、自分のフィールドに持ち込んでいるという意味では、せこましいとも言える。
ただ、ソクラテスの議論はやはり見習わなければならないところがある。非常に平易で、論理的であろうと、議論の毀れがないようにと努めている。このように議論できるのが本来一番良いはずであると思う。しかし、それは本当か、議論のすり替えではないか、そこは同意のものとして済ましてもいいのか、と思うところが多々あった。ソクラテスのような人となら議論してみたい。
*結末の神話の内容
ソクラテスによれば、人間は死ねば魂と肉体とに分離し、死後も肉体は生前に形成された肉体の状態を保つように、魂も同様に、生前の魂の状態を保つ。そしてそうした魂は冥界へいき、裁判を受け、よい魂は天国へ、悪い魂はタルタロスの地獄へ行くのだという。しかも、魂は肉体という装飾が剥がされた丸裸の状態であり、ごまかしが効かないのだという。
*神話についての感想
かなり唐突だったし、ソクラテスはこれを神話(ミュートス)ではなく、真理(ロゴス)なのだと、自明のこととして扱っている。当時、有神論的な世界観があったというのはわかるが、これはかなり現代人の私たちには受容しがたい。また、ソクラテスが長広舌でこの神話について紹介した後、それは何者によっても反駁・意見が交わされることなく、それはあたかも疑いえない真理であるかのように幕が閉じる。まるで勝ち逃げのようなこの結末はなかなか受容し難かった。
*神話を受け入れられない理由
私にとってこれが受け入れられないのは、それがプラトンの倫理学の基礎のように受け取られたからだ(少なくとも『ゴルギアス』を見る限り)。かいつまんでいえば、「魂を汚さないように、よき魂として死んだ後に天国に行けるように、現世でも気をつけて生きよう、そのために倫理を守ろう」といっているように見えるのだ。
これはほとんどキリスト教と変わらないではないか。これが「魂の配慮」の下心なのか。ニーチェがプラトンの哲学を原始のキリスト教と準えるのも頷けるところがあった。
*ふたりの利己主義・傲慢な若者(ポロン・カルリクレス)
二人の若者はどちらもなかなか極端な人物で、明らかに倫理に反していると思われることを平気でいう。それに対してソクラテスが、(よき魂に反する)そうした非倫理的なことを合理的に嗜めるという形式にもなっていたように思う。
しかし解説によれば、これはプラトンの意地悪な脚色も入っているらしく、二人の人物は実在した人物とされているが、どちらも当時の若者の類型として登場させているのだという。ちなみにゴルギアスについても、実際のゴルギアスは法廷弁論をよしとしなかったらしいが、本書のゴルギアスはそれについても熱心に論じている。
*読後の感想のひとつ —厭世
ともあれ、類型として採用された二人の若者像は、当時の時代状況の若者の本音を描き出している。また、ソクラテスが珍しく長広舌になって、腐敗した衆愚政治に対する辟易を述べているが、こうしたことは、時代や国が変わっても、全く進歩しないところがあると自分の厭世観が強まった。
Posted by ブクログ
饗宴
著:プラトン
訳:久保 勉
出版社:岩波書店
岩波文庫 青601-3
「ややこしい本を読む技術」にプラトンのお勧めがあったので購入しました。
解説の部分と、対話の部分を分けて読んだほうが分かりやすいと、何かの本にあったので、やってみました。が
対話の部分を塗り分けていたら真っ赤になってしまったので、途中でやめました。
「饗宴」は、「ファイドン」、「ファイドロス」とともに、プラトンの三大対話著作の1つです。
師ソクラテスは著作物を残してはおらず、プラトンがソクラテスの考え方を書に現わしています。そして、アリストテレスへとつながる、ギリシャ哲学の本流となります。ギリシア諸学の原点となるのが、ソクラテスと理解しています。
訳者が用意した序説が冒頭にあります。饗宴の地図でとってもたよりになります。
本編は、39節からなっていて、副題はついていません。まずそこからとっつきが悪いです
構成はこうです
序曲 アポロドロスの回想 1
1 5人の演説
⓪宴のはじまり 2~5
①ファイドロス 6~7
②パゥサニヤス 8~11
③エリュキシマコス 12~13
④アリストファネス 14~16
⑤アガトン 17~19
2 アガトンとソクラテスとの対話 20~29
3 アルキビヤデスの賛美 30~37
エロスの漸次の進歩
①肉体的な愛
②制度上の美
③心霊上の美
④学問上の美
⑤美しきイデアから絶対の神々しき美
終演 解散 38~39
プラトンは、エロスを、肉体的な美から、最高段階にある哲人王の美への成長とといています。
3つの智恵、エロス、パトス、ロゴスの1つの解説ととらえました。
目次
序説
凡例
饗宴
訳者注
あとがき
ISBN:9784003360132
判型:文庫
ページ数:182ページ
定価:720円(本体)
1952年10月05日 第1刷発行
1965年03月16日 第16刷改版発行
2008年12月04日 第79刷改版発行
2021年07月15日 第94刷発行
Posted by ブクログ
『パイドロス』に刺激を受けてこれも読む。同じくプラトンがソクラテスのことを書いた書。後半は解説。
ソクラテスは70歳になった頃、「アテナイの国家が信じる神々とは異なる神々を崇め、若者を堕落させた」といった罪状で告発され死刑を求刑される。
わかりづらいところもあるけど、わたしが感銘を受けたのは以下のような部分。
p64「善き人が悪しき人によって害を加えられるというのは、思うに、神の掟に適わないのですから。」
p104 「善き人には生きていても死んでしまっても、悪しきことは何一つないし、その人のことは、神々によって配慮されないことはないのだと。」
後半の解説で、以下を読み、はっとした。
p151 天災や偶然や事故、あるいは、悪意や不注意によって財産や名誉や身体が損なわれることは、いくらでもある。しかし、それによって、なにかを被った人自身、つまり「魂」のあり方が損なわれ悪くなるということは、けっしてない。反対に、不正な仕方で他人を害する者こそは、自ら魂のあり方を歪め壊しているのであり、加害者こそが自身を害しているのである。
これはまさに夫がいつも言っていること!
卑近な例でいえば、悪口を言われたからといってその人が貶められることは決してない。悪口を言う人が自分自身を害しているだけなのだ。悪口を言われた人は何も気にする必要がないということになる。
この考え方ができればあなたは無敵だ。何も怖いものはない。
ソクラテスの死は、今のわたしたちにとっては哲学の成立を意味する。
p165「私たち21世紀の読者には、死を前にしたこの予言には、ソクラテスやプラトンの意図を超えて、さらに長い時間での生起が込められていることが分かる。ナザレのイエスが十字架に掛けられたことにより「キリスト教」が成立し、彼の教えが全世界に広まったように、ソクラテスの裁判と刑死が「哲学」の意味を開示し、その営みを継承する人々によって西洋の哲学が成立して、今や日本をふくむ全世界で人々は哲学に従事しようとしているのである。」
かの有名な「無知の知」について記されている。
p31「『この人は、他の多くの人間たちに知恵ある者だと思われ、とりわけ自分自身でそう思い込んでいるが、実際はそうではない』と。
そこで私は、その人が自分では知恵があると思っているが実際はそうではない、ということを当人に示そうと努めました。このことから、私はその人に憎まれ、また、そこに居合わせた多くの人たちにも憎まれたのです。
私は帰りながら、自分を相手にこう推論しました。
『私はこの人間よりは知恵がある。それは、たぶん私たちのどちらも立派で善いことを何一つ知ってはいないのだが、この人は知らないのに知っていると思っているのに対して、私のほうは、知らないので、ちょうどそのとおり、知らないと思っているのだから。どうやら、なにかそのほんの小さな点で、私はこの人よりも知恵があるようだ。つまり、私は、知らないことを、知らないと思っているという点で』と。
このことから、私は、その人よりももっと知恵があると思われている別の人のところにも行きましたが、まったく同じ状態だと思われたのです。そしてそこでも、その当人と他の多くの人々に憎まれてしまったのです。」
ただし、「無知の知」は日本で流布する言葉であり、ソクラテスはそのような表現はしていないという。
p129 「ここで大切なのは、ソクラテスが『知らないと思っている』という慎重な言い方をしていて、日本で流布する『無知の知』(無知を知っている)といった表現は用いていない点である」
そしてこのように考えるがゆえに、彼は死も恐れないという。
p59「死を恐れるということは、知恵がないのにあると思いこむことに他ならないからです。それは、知らないことについて知っていると思うことなのですから。死というものを誰一人知らないわけですし、死が人間にとってあらゆる善いことのうちで最大のものかもしれないのに、そうかどうかも知らないのですから。人々はかえって、最大の悪だとよく知っているつもりで恐れているのです。実際、これが、あの恥ずべき無知、つまり、知らないものを知っていると思っている状態でなくて、何でしょう。」