吉本隆明の作品一覧
「吉本隆明」の「西行論」「追悼私記 完全版」ほか、ユーザーレビューをお届けします!
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Posted by ブクログ
たぶんばななさんの本経由(もしかしたら別の作家さんの書評かも?松田青子さんとか?)で『隆明だもの』に行って、そのなかで担当ライター&編集さんがよき雰囲気で描写されていた流れから手にとれた1冊。
ばななさん宵子さんの影響をおおいに受けつつ、隆明さんがますます素敵なお父さん像に。それだけの人ではないとはもちろん承知しているが。「子ども扱いせずに、ちゃんと長尺で真摯に正直に話してくれる」というのは、子から見て、親の素敵像になるらしい。たしかにそうかも。私が両親をいまいち尊敬できないのは、ちゃんと話していないからだ。知のレベルでは隆明さんなんて遠く及ばないけれど、それでも私の知の範囲内にはなるけれども息子たちと今後もちゃんと話そうと思ったり。
Posted by ブクログ
ヨシモト先生の次の言葉を目にして、胸にジーンと来た。
<フランシス子はもうお骨にしてもらいました。
いなくなっても、なんとなく気配を感じるというようなことを言う人もいますが、僕は別段そういうことはないですね。
イメージはまだ歴然と残っているけど、それ以上のことはとくにない。
いないもんはいない。
亡くなったんだから亡くなったんだってことはわきまえていますから。
フランシス子は死んだんです。>
ヨシモト先生は、フランシス子亡き後の心境を夢遊しているようにしかも健気に語っているが、その寂しさが痛く伝わってくるようだ。ヨシモト先生の長女・ハルノ宵子さんほ、『開店休業』(プレジデント社、2013)の中で、最晩年のお父さんの様子を次のように語っている。
<フランシス子は、2011年6月に急性腎不全で死んだ。その時父の中で何かが終った。”守り守られる”対の関係を喪失したのだ。妻も娘たちも最早その対象ではない。父にとってフランシス子が唯一、愛せば同等の愛を返してくれる対象だったのだ。
その頃の父は眠りがちになり、半ば夢の中で思考するようになった。父が亡くなったのは、フランシス子の死から9ヵ月後だった。>
ヨシモト先生の娘さんの言葉から、『最後の親鸞』の一節を思い出す。まだお元気な頃(60歳前後)のヨシモト先生はこう述べている。
<どんな自力の計いをもすてよ、《知》よりも《愚》の方が、《善》よりも《悪》の方が弥陀の本願に近づきやすいのだ、と説いた親鸞にとって、じぶんがかぎりなく《愚》に近づくことは願いであった。愚者にとって《愚》はそれ自体であるが、知者にとって《愚》は、近づくのが不可能なほど遠くにある最後の課題である。>(『最後の親鸞』)
<《知識》にとって最後の課題は、頂きを極め、その頂きに人々を誘って蒙をひらくことではない。頂きを極め、そこから世界を見おろすことでもない。頂きを極め、そのまま寂かに《非知》に向って着地することができるというのが、おおよそ、どんな種類の《知》にとっても最後の課題である。この「そのまま」というのは、わたしたちには不可能に近いので、いわば自覚的に《非知》に向って還流するよりほか仕方がない。しかし最後の親鸞は、この「そのまま」というのをやってのけているようにおもわれる。>(同上)
転記していると頭がクラクラしてくる。「知者にとって《愚》は、近づくのが不可能なほど遠くにある最後の課題」は、《愚》それ自体である愚者の私にとっては、いとも簡単なことなのにと嘆息が出る。
詳しいことはわからないが、親鸞さんは「愚者でいいではないか」と仰っていると思うが、一方、ヨシモト先生は「愚者になりたい」と語っている。愚者の私から見るとものすごく贅沢なことを、ヨシモト先生は語っている。
ヨシモト先生は最期に「眠りがちになり、半ば夢の中で思考するようになった」ということは、最後のヨシモト先生は、「頂きを極め、そのまま寂かに《非知》に向って着地すること」をやってのけているのかもしれない。
現実は、知者であっても、その意志に関わりなく認知症になることがある。
最後に、こういう話もある。
栗本慎一郎氏の『鉄の処女 血も凍る「現代思想」の総批評』(カッパ・サイエンス、1985)に収録されたマンガ「そして彼もいなくなった」(高橋春男 作)の中で、ヨシモト先生は「古本」という名で登場し、「古本もテレビを見ながら、ねむるようにあの世にいったのである(寿命だったとゆう説アリ)」。
お終い
Posted by ブクログ
本書について、『現代詩文庫8 吉本隆明詩集』(思潮社、1968)の感想にも書いてある。
付け加えるとすれば、『吉本隆明詩集』(思潮社、1963)、『現代詩文庫8 吉本隆明詩集』(思潮社、1968)と比べると、本書は『固有時』以前の詩篇をたくさん収録している。
大作「エリアンの手記と詩」が入っているのは有り難い。このようなメルヘンチックな詩を書いたヨシモト少年がやがて「ウルトラ・ナショナリスト」になっていくことが、自然でスムーズな流れなのか、あるいは変貌・豹変なのか、異なる時代に生きている私は想像し難い。
それから、「童子像」という詩はカッコイイと思う。
童子像
大道は無門である
ただおまへは千差諸異にみちをゆくのだ
もしおまへが孤独な無の門を透ることができたら
いゞか
そのときさびしい天の河原に立つだろう
以上
Posted by ブクログ
司書の姉から、いい本があるらしいよ、と教えてもらった一冊。パラパラと数ページ流し読みしただけで、これはすごい本だぞと直ぐにわかった。
著書をほぼ読んだことがなかった。この方の考え方を知らないなんて、勿体なさ過ぎた。全ての15歳に、国からプレゼントしたらいいのにと思うほどの一冊。自分に余裕があれば、関わっている全ての子達にプレゼントしたいところだ。鬱陶しがられるとは思うが、そんなことどうでも良いほど、価値ある一冊だった。
大人が読んでも、親の立場の人が読んでも、もちろん良いと思う。早く読みたかったとは思うと思うが…
特に好きだったところ…
◯誰にわかってもらわなくてもいいから、自分がなぜそう感じるのか、自分の考えを自分で知っておく。書く事はそういうときの手助けになるはずです。自分と向き合うための方法でもあるし、そうやって、自分自身の実感を繰り返し探っていくことが心が鍛えられるというのかな。
◯才能なんてものは問題にならない。問題になるのはせいぜい最初の2 、3年位のもので10年経ったらそんな事は全然問題じゃなくなる。結局は手の問題なんですよ。手が知ってる。手を動かしていると、2.3年は同じでも、10年経つとその人らしさというのかな。その人にしかできない表現というものが必ず出てくるものなんです。28
◯人は自分が自分を思うほど、君のことを気にかけてるわけじゃないんだぜ。36
人がその人が1番重要だと思うことを大事にして生きてる。それが人間てものなんだ。
◯「こうしたから、こうなった」なんて、何かを学んだ気になってると、人生まちがっちゃう。そんなふうに原因と結果が安直に結びつくことは、現実にはまずないんだって思ってた方がいい。45
◯優劣があるわけじゃなくて、〈段階〉が違うだけ。63
夏目漱石の恋愛においての失敗のエピソードが紹介されていたが、普通なら今の時代だと、何かしらの発達障害だと一言で終わらせてしまうような漱石の言動も、吉本隆明は、
「漱石って人はきっと頭が良すぎたんでしょう。当人の中では、ちゃんと脈絡がついているんだろうけど、どうにも飛躍しすぎるところがある。それで副次的な考えが先走って、そのせいでことごとく失敗している」と分析している。なんて思索が細かいんだと、驚いた。
寺子屋の講義を受けた子供の感想が紹介されていた。その中で、
「吉本さんは経験の活かし方が違うのかもしれません。いずれにしても、経験を表現する時、他の大人とは違う表現をする、そんな大人に思えます。」
という言葉があった。吉本隆明さんの、ちゃんと平易な表現にして伝えようとしてくれる言葉が、確かに子供達にも届いたんだなと感じさせてくれた。
以下、備忘録…
[話し言葉]が相手に何かを伝えるための道具なら、[書き言葉]は自分の心の中に降りていくための道具だと言ってもいい12
思春期と言うのは、[1人]から[2人]にスイッチが入る時期なんですね14
なんかよくわかんないなって思ったら、わかったふりをしないで、わかんねぇなって思ってる。そこでいいことを言おうとすると、大抵間違いだぞっていうのがある。21
今の若い人は、自分が本当に思っていることも、周りに遠慮していえないじゃないですか。若い人たちが謙虚になったといえばいえますけど、変にものわかり良くしないで、もう少し本当のことハッキリさせたほうがいいですよ。誰にわかってもらわなくてもいいから、自分がなぜそう感じるのか、自分の考えを自分で知っておく。書く事はそういうときの手助けになるはずです。自分と向き合うための方法でもあるし、そうやって、自分自身の実感を繰り返し探っていくことで心が鍛えられる。22
何になるにせよ、手をたくさん使えば誰でもなりたいものにちゃんとなれます。25
才能なんてものは問題にならない。問題になるのはせいぜい最初の2 、3年位のもので10年経ったらそんな事は全然問題じゃなくなる。結局は手の問題なんですよ。手が知ってる。手を動かしていると、2.3年は同じでも、10年経つとその人らしさというのかな。その人にしかできない表現というものが必ず出てくるものなんです。28
世界の信用するのはどこかに所属している人間なんです。自分では良いことをしたんだと思っていようが、組織を離れた人間が信用してもらうのは難しい。36
人は自分が自分を思うほど、君のことを気にかけてるわけじゃないんだぜ。36人がその人が1番重要だと思うことを大事にして生きてる。それが人間てものなんだ。
「こうするよりほかなかったんだ」とでもいうような消極性だけが唯一、自分の人生を決定づけてきた気がするんですよ39
「こうしたから、こうなった」なんて、何かを学んだ気になってると、人生まちがっちゃう。そんなふうに原因と結果が安直に結びつくことは、現実にはまずないんだって思ってた方がいい。45
子供の頃から「これを習わせておけば、こうなるだろう」みたいなことは、あんまりやらせない方がいいんじゃないかなぁ。それよりも、もう少し時間の隙間をあけてやったほうがいい。43
自分で、「自分はこうだ」とあんまりせっかちに決めないで、親の脛をかじれるうちは齧って、いろんなことを経験しながら成長するのが一番いいと思いますよ43
親鸞について調べる46
宮沢賢治春の修羅の一巻。速さ時間の戦い方っていうのがすごい。60
宮沢賢治は自分が文学者と言うより宗教家だと思っていた。あの人は「ほんとうのほんとう」にたどり着きたいと思って生きた人。61
優劣があるわけじゃなくて、〈段階〉が違うだけ。63
大人になるとはどういうことか75
問題は歴然としてあるんだけれど、それに対して、誰にも言わないでも、わからないでもいいから、自分はこういうやり方で緩和しているんだという、自分なりのやり方を編み出すようにするのが1番いいんじゃないか。やり方はそれぞれに違っていいと思うので、考えて考え抜いて、自分で確立できたら、それはもう、立派に大人になったと言えるんじゃないでしょうか。 76
鷗外とか
ちょっと難しいけれど、読み進めています。
連続してではなく、時々開いてみています。
今回、鷗外のところが目に留まりました。
『阿部一族』をこの前読んで、ホメロスの
『オデュッセイア』での屋敷内での戦いが
違いはあるけれど似ていると思っていましたが、
『ヰタ・セクスアリス』が鷗外の転回点と
なっているというのを読んで、ラテンつながりで
興味を持ちました。