エッセイ - 日経BP - 日本経済新聞出版作品一覧

  • 楠木建の頭の中 戦略と経営についての論考
    4.6
    ある企業が他社と違うことをやって利益を出していたとしても、他社に真似されてしまえば違いはなくなり、利益もまたなくなってしまいます。にもかかわらず、強い企業は依然として強い。競争がある中で、なぜある企業は他社を上回る利益を持続的に生み出せているのか。 この大きな問いを前にして、著者の論考を一冊にまとめたものが本書です。
  • 大宮エリーの なんでコレ買ったぁ?!
    3.5
    「ついに本になってしまった。こんなゆるいエッセイが。。」 ――著者自らも驚き。思わず買ってしまった愛すべきモノたちにまつわる軽妙トーク! 旅先のお店で欲しくなってしまった、絶対に使わない小物たち。 つい忘れてしまって何個も買ってしまう羽目になった携帯の充電器。 イベントで見て衝動買いしてしまった家電。 火を吐く修道女とか、ケースからグーパンチが飛び出すガムとか、ちょっとしたおもちゃ。 あの日、しなかった花火。 ……つい買ってしまったトホホなあれこれ。 誰もが思い当たる「なんでコレ買ったぁ!?」にまつわる抱腹絶倒のエッセイ集です! 「日経MJ(流通新聞)」+Web連載に加筆・修正しました。 ・つい衝動買いしてしまい、あとから微妙に後悔する ・すごく気に入って買ったのに、まわりの反応は薄い ・でも、まあいいか、と深く考えない。ので、また買ってしまう ・家が狭くなる、と同居人から小言を言われる ――こんなあなたにおすすめです!
  • 可動域を広げよ
    3.9
    長い人生何をして過ごしますか? 日がな一日家でごろごろするか、 次々とやりたいことが見つかるかは、 あなたの心掛け次第。 好きなものを書き出してみる。 得意分野をじわり広げる。 偶然の出会いを見逃さない--。 痛(いた)気持ちいいを楽しむ、 人生100年時代の生き方・学び方。 ○人生100年時代と言うけれど、増えた可処分時間をどう過ごすかで明暗がわかれてしまう。 日がなテレビとごろ寝で過ごすか、次々とやりたいことが生まれ、挑戦をし続けられるかは、 ひとえにその人がどこまで柔軟でいられるかに関わってくる。 本書は「可動域」をキーワードに、人生100年時代の生き方、学び方を伝授するもの。 ○人というのは放っておくと心身とも固くなっていく。 赤ちゃんは基本的に柔らかく、可動域も広い。そして何にでも興味を示す。 それが、だんだん年齢を重ね、青年期を経て、人生半ばをすぎると、 身体とともにいろいろなものが固くなる。 交際範囲は狭まり、行動パターンや発想も型どおりになり、最終的に死を迎える。 ○赤ちゃんや青年時代のような、柔軟な心と行動を取り戻すには、 まず身体から動かしていくのがいい。 息を吐いて身体を緩ませる。「痛気持ちいい」ぐらいまで関節を広げてその実感を味わう。 ○身体のウオーミングアップをしたところで、可動域を広げるには二つの方法がある。 一つは自分の得意領域から始め、少しずつ広げる、 偶然を逃さず「離島」に飛び移って、新しいことに挑戦する、である。 ○さらに、可動域が広がる読書術や、病気やケガ、異動や失職などの逆境を、 可動域を広げるチャンスにする法、 可動域を加速度的に広げることに成功した達人たちの事例も紹介。
  • 食あれば楽あり
    4.7
    小泉先生の食の冒険第2弾! 韓国の激臭エイ料理や漁師町のマンボウ料理といった珍味から、「ベーコン茶漬け」「ギョーザ丼」など身近な食材の意外な食べ方まで。読むうちにお腹が空いてくる楽しいエッセイ集。
  • 楠木建の頭の中 仕事と生活についての雑記
    4.6
    『ストーリーとしての競争戦略』の著者による仕事論・生活エッセイの集大成 スカイマーク機内誌の大好評連載も収録 仕事・生活に、どういう原理原則を確立するか 世の中に、どう折り合いをつけて生きていくか 著者の考えをヒントに、自分オリジナルの価値基準を練り上げていく
  • 詩探しの旅
    3.7
    旧ユーゴ、北欧、南欧、中東、南米、香港……この20年、世界各地の詩祭を渡り歩いてきた。 詩を書くのではなく、詩を生きることを僕は学んだ。 ――それでは宴へと参りましょう 言語も国境も個も越えて、知性と情熱が声になる。比喩と多義性に満ちた詩の言葉は、「野蛮な世界」の現実を乗り越える力を増してゆく。
  • 白秋期 地図のない明日への旅立ち
    4.2
    50代、60代、70代こそ、人生の黄金時代。 個人がもっとも自分らしく生きることのできる、人生のハーベスト・タイムです。 ――50代からはじまる「白秋期」に収穫の実りを得るためには、毎日とどう向きあうか。 誰もが避けられない3K問題(健康、経済、老後の孤独)と、どのようにつきあえばよいか。 86歳を迎える著者が、自らの実感を込めて贈る、人生後半の生き方のヒント。 【本書の目次より】 地図のない明日への旅立ち――まえがき 1章 白秋期は人生の黄金期――六十代からはじまる黄金時代 2章 たかがお金、されどお金――脱仕事主義のすすめ 3章 長寿は幸福に能わず――病院に依存しない生き方のすすめ 4章 ことわざの効用――巧言令色のすすめ 5章 孤独のユートピア――慣習の絆を断ち自由に生きる エピローグ――あとがきにかえて 人生を、青春、朱夏、白秋、玄冬の四つの時期に分けて考えれば、白秋期とは五十歳から七十五歳あたりまでの二十五年間である。その季節を私たちはどう生きるのか。 白秋期は晩年ではない。フィジカルにはさまざまな問題を抱えていたとしても、いまの五十歳から七十五歳までの時期は、むしろ人生の収穫期ではないかと、私は思っている。――まえがきより
  • 本当は逢いたし
    3.0
    最新句集『此処』で2020年度の読売文学賞を受賞した俳人が、3・11からコロナ禍までの10年間に日経新聞や俳句雑誌に発表してきた60篇あまりのエッセイを1冊に編む。 タイトルは自作句「本当は逢いたし拝復蝉時雨」から。時々のくらしを営む「此処」から「彼処」にいる本当は逢いたい人たちを思い綴る。彼処にいるのは――軍医として赴いた戦地で命を奪われた父、俳句の師、つい最近亡くなった夫、そして被災地で、猛威を振るう自然災害で、先のむごたらしい戦争で命を失った人たち。楽しい旅の途次に、家事の合間に、テレビを観ている時に、想像力は自然に育まれた命そのものへと向かう。自らの思いを常に客観視しているような透徹なまなざしから生まれる文章は、各エッセイに引いた自作句、師や友や先達の句をピリオドとして、えもいわれぬ余韻を残す。 84歳の著者による句集『此処』は増刷を重ね、枠にとらわれない軽やかな口語表現は俳句の世界を超えて、若い人にも広く受け入れられた。本書はそのメイキングとも言える。
  • ミステリ国の人々
    3.6
    紹介 ミステリ小説という「国」には作家が造形した様々な「人々」が住んでいる。誰もが知る名探偵、事件の鍵を握る意外な人物、憎めない脇役、不可解だけれど目が離せない人……そんな人たちを通して、ミステリを読むおもしろさが何倍にも膨らむ「ツボ」を刺激してくれる、ミステリファン垂涎、読まず嫌いの小説ファンには目からウロコのエッセイ集。 ホームズ、ルパン、エラリー、金田一耕助という直球もあれば、明智小五郎の妻・文代といった変化球も織り交ぜつつ、本格ミステリの古典とされる『グリーン家殺人事件』やジョン・ディクスン・カーの密室モノ、ハードボイルドではロス・マクドナルド、ミステリの日本三大奇書とされる『ドグラ・マグラ』『黒死館殺人事件』『虚無への供物』まで目配りをきかせた人選は、格好のミステリ国へのパスポートになっている。 本書の最大の魅力は、古今東西の名編に、「有栖川有栖」がどのような読書体験を得られたかという個人的な経験が色濃く反映されていること。当然そこには作家だからこそ影響を受けた人物造形やトリックといった栄養分も含まれており、著者のファンはもとよりミステリファンにはたまらないエピソードばかりである。エッセイ集とはいえ1話読み切りスタイルでは必ずしもなく、取り上げたそれぞれの作品と登場人物が相互に響き合う連関性を保ち、読み進めていくうちにいつの間にか読者は、作品や登場人物を離れた「ミステリ国」そのものの奥深さに引き込まれていくだろう。作家ならではの読みが冴える待望のミステリガイド!
  • もう泣かない電気毛布は裏切らない
    3.5
    俳句甲子園世代の旗手、待望の初エッセイ集 恋の代わりに一句を得たあのとき、私は俳句という蔦にからめとられた。 幼い息子の声、母乳の色、コンビニのおでん、蜜柑、家族、故郷……日常の会話や風景が、かけがえのない顔をして光り出す。 人は変わらないけど、季節は変わる。言われてみればそうかもしれない、と頷く。 定点としての私たちが、移ろいゆく季節に触れて、その接点に小さな感動が生まれる。過ぎ去る刻をなつかしみ、眼前の光景に驚き、訪れる未来を心待ちにする。 その心の揺れが、たとえば俳句のかたちをとって言葉になるとき、世界は素晴らしいと抱きしめたくなる。生きて、新しい何かが見たいと思う。(「あとがき」より)
  • 私が作家になった理由
    4.0
    都会的な短編小説の名手としてだけでなく、多彩な貌を持つ作家がみずみずしい文章で綴った自伝的エッセイ集! エスプリの効いた文章は自己を通した時代に対する批評となり、時にユーモアを交えて辛辣な毒も見え隠れする。 早稲田大学の文学部で学び、卒業後は給料を得て習作するのに適している国会図書館に勤務し、退職して物書きに転身、文学賞をえて作家になる――小説家になる典型と言ってよいほどのコースを歩んできた作家が「初めから狙ってたんでしょ」と聞かれると、ちがうのだと否定する。小説を書くことも注文を受けて初めて筆をとったのであり、若い頃から志していたわけではなく、小説家になる能力など、備わっていない、と思っていたと綴る。でも、83年の人生を振り返ってみると……志していなかったにもかかわらず、小説家になるための経験を思いもよらず積んでいたのではないか。その一場面一場面を綴っていくことによって、作家に「なってしまった」理由が浮かび上ってくる。軽妙なタッチゆえにくぐりぬけてきた時代への風刺も洒脱で、いかにも阿刀田さんらしい“自伝”が編まれた。創作秘話も満載で、デジタル化の波に翻弄されている文学、そして本への尽きせぬ思いも随所に。楽しく読んで腹にずしりとくる、そんな文学論にもなっている。

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