あらすじ
アメリカを怒らせた幕末日本のお粗末外交!
嘉永6年(1853)、アメリカ東インド艦隊司令長官マシュー・ペリー率いる“黒船艦隊"が浦賀に来航した。「突然」の来航に浦賀奉行所は慌てふためいたが、じつはペリー来航の情報は、これより前にオランダ商館長より幕府にもたらされていた。ペリーは決して「突然」やってきたわけではなかったのだ。「何もしない」「問題先送り」体質にどっぷり染まった幕府は、アメリカ使節団への対応も後手後手にまわる。“偽奉行”に交渉させたり、「二枚舌」を使って交渉をのらりくらりと長引かせるなど幕府の「その場しのぎ」の対応に、当初は友好的な態度で交渉に臨んでいたアメリカ側は激怒。「砲艦外交」へと舵を切る……。しかしその後も、英語に堪能なジョン万次郎を「讒言」で交渉役から外したり、挙げ句の果てには条約文を意図的に「誤訳」したりとお粗末な外交を続ける幕府は、やがてその終焉を迎えることになる。
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Posted by ブクログ
☆☆☆2018年12月レビュー☆☆☆
『逆説の日本史』もいよいよ幕末へ。1853年ペリー来航前夜の歴史から不平等条約締結までの歴史。幕府はペリー来航を予期できた・・・という話が主だが、僕はここで3人の人物に焦点を当てたい。
まずは中島三郎助。浦賀奉行、大船の建造などに功績があり、のちに桂小五郎にその知識を伝えたという。筆者である井沢氏は、この時代の人物の評価として「日本人」として物事を考えているかどうかを基準にしている。中島が桂を指導したことは、「幕府」でも「長州」でもなく「日本」のために中島が働いた証左であろう。
次に江川英龍。「労災死」して大人物として紹介されている。江川は、反射炉の建設、品川台場の建設、ポートホイッスル砲の建造と、多くの業績を残し、過労?で死亡した。
僕はこのような人物は知らなかった。惜しいことだと思う。
阿部正弘。優秀なのか、無能なのか評価が難しい人物。無為無策でペリーを迎えてしまったという大失策はあった。しかし一方では島津斉彬を薩摩藩主にする、といった人材発掘には力を発揮した。
阿部の人物評は未だに定まっていない。
幕末の三度の大震災が人々の心理にどのような影響を与えたかという観点に注目しているのも面白い。交換レートの問題が幕末の歴史に与えた影響など、歴史教科書ではあまり触れられない部分にも焦点を当てている。