あらすじ
下克上の世になぜ、日本歴史上有数の禅宗文化が花開いたか?日本史の常識を覆す全日本人必読の新・日本史!
室町時代といえば足利尊氏が南北朝の混乱期を経て武家政権を確立した1336年から織田信長によって将軍足利義昭が追放された1573年までの間を指すが、本書は“天皇になろうとした将軍”足利義満の権勢の後、室町幕府の弱体化が進行する過程に焦点を絞り、来るべき群雄割拠の時代の予兆を詳述する。“無政府状態”と化した時代―下克上の世になぜ、宗教の力が全国に及び、日本歴史上有数の禅宗文化が花開いたか、その謎に迫る痛快日本史、必読の書。
目次
第1章 「懶惰(らんだ)の帝王」足利義政編-「無責任」将軍が招いた応仁の乱
第2章 日野富子と傀儡政権編-「半将軍」細川政元のクーデター
第3章 国一揆と一向一揆編-律令制度の崩壊と新しい土地システム
第4章 室町文化の光と影編-忘れられた日本文化のルーツ
年表
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Posted by ブクログ
①③足利尊氏と後醍醐天皇との争い、南北朝に日本が分かれていく過程を書いていたような・・・
②太平記から①③の内容+筆者の主張の補完のイメージ
④足利義満について、天皇になろうとした将軍という視点で書かれていて、面白かった
⑤足利義教=魔王として君臨した独裁政権のパイオニア、織田信長の先輩としての視点でこれも興味深かった
Posted by ブクログ
この巻は今までの中で一番読みやすかったかもしれません。 井沢節も未だ健在・・・・ではあるものの顕在というほどではないうえに、KiKi 自身があんまりよく理解できていない時代の話であるために「うっそぉ!!」と思うことがほとんどなかった・・・・・というのがその大きな理由なのかもしれません。
正直なところ、KiKi は「応仁の乱」っていうヤツのことがよくわかっていなかった(名前だけは知っていたし、嫌になるほど長い争いだったことや都を疲弊させたことは知っていたけれど、根本的に誰と誰が何のために争っていたのかを理解していなかった)から、その輪郭がうすぼんやりと・・・・ではあるものの、ようやく理解できてきたような気がするし、同時に「惣国」というもののことを全くと言っていいほど知らなかったので、「惣国一揆」と「一向一揆」のどこが根本的に異なるのか?を丹念に解説してくれていたのも有難かったです。 まあ、この著者の言うことですからどこまで信じていいのか?は甚だ疑問ではあるんですけどね・・・・・・(苦笑)
又、「能」というヤツをこれまでの人生の中でただの一度も観たことがなく、同時にほとんど知らないという意味では同じように知らないと言っても過言ではない「歌舞伎」以上に有名どころのストーリーさえ知らなかった KiKi にとって「能」に関する解説も楽しく読むことができました。 さすがに信長さんのイメージ・ソングとでも言うべき「人生50年・・・・」というヤツが「敦盛」という演目の中の歌舞であったことは知っていたけれど、肝心要のストーリーは知らなかったし・・・・・(苦笑) と、同時に「観阿弥・世阿弥」親子の名前に入っている「阿弥」の謂れに関してもなるほどと思わされるものがありました。
室町文化に関して考察している最終章は KiKi にとってはさほど目新しいことがあるわけではなかった部分ですけど、1点だけ「なるほど!!」と思わされたのは華道に関する記述の中で「南京大虐殺」に関して井沢氏の反論が書かれている部分があったのですが、そこで書かれている視点は KiKi にとってはなかなか斬新なものに映りました。
曰く、華道の大元を辿ると「香華を手向ける」という仏教発祥の地インドの習慣があり、これは元はと言えば死臭を防ぐという目的があったということ。 その伝から考えれば世に言う「南京大虐殺(≒ 30万人に及ぶ大虐殺)」があったとしたら、仮に99%の遺体を何らかの方法で処理できていたとしても、残り1%(≒ 約3,000体の遺体)の腐敗臭に多くの人が苦しんだはずであるという説です。
KiKi 自身、この時代の文献を実際に調べてみたことがあるわけではないので、そういう事件が全くなかったと断言できるわけではないのだけど(と同時にインドと南京ではどの程度の気候差があるのか知らないけれど)、これは心にとめておきたい視点だなぁと感じました。