高橋義孝のレビュー一覧
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厳めしい文学者、貴族の称号を持つグスタフ・アシェンバハはある日の散歩途中、突然旅への誘いに見舞われた。理性的な彼は芸術に倦んで、疲れたからだ。はたして、内面の旅でもあり、ヴェニスへ導かれる旅の始まりだった。
映画「ヴェニスに死す」を私は先に観た。よくわからなかった。
その後、ヴェニス、すなわちヴェネツアを訪れたことがある。まるまる2日間、街を、路地をさ迷いサン・マルコ広場でゆっくりとし、リド島にも渡った。
行ったと行かないではかくも認識がちがうものものなのか。当然だが文学「ヴェニスに死す」は描こうとしているころのものが、ヴェネツアの風物と深いかかわりを持っている。
行った人はわかるだろ -
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【始】第一幕 優雅な土地
ファウスト、花の咲く草地に、疲れて不安な身を横たえ、眠ろうとつとめている。
薄暮。漂い動く妖精の群、優しい小さなすがた。
アーリエル(アイオロスの竪琴の伴奏でうたう)
花々が春の雨のようにすべてのものの上に漂い落ち、野の緑の祝福が地上の子らの上に輝くと、小さな妖精の広やかな心は、救うことのできる人のもとへと急ぐ。
【終】
神秘の合唱
すべての移ろいゆくものは、永遠なるものの比喩にすぎず。
かつて満たされざりしもの、今ここに満たさる。
名状すべからざるもの、ここに遂げられたり。
永遠にして女性的なるもの、われらを牽きて昇らしむ。
第一部より神話の話がかなり多く -
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ネタバレ表題のとおり2作品を収録。
どちらの作品も共通しているのは、主人公は文芸家(詩人・作家)で、叶わぬ恋をしており、叶うところまでいかないところに美や陶酔を感じている。と、これだけ書くとなんだか進展がなさそうな感じがするが、実際進展がない。ストーリーとしてはあまりメリハリがないが、その一瞬一瞬の詩的表現が耽美的でどちらかといえばそこを楽しむ話だと思う。
進展のない話だが、ここで下手に主人公がアクションを起こして失敗して・・・なんて展開になると逆に野暮な気もする。
『ヴェニスに死す』では美少年をストーキングしたり、かなりアウトに近い行動もあるが、ギリシャ神話すらも持ち出して表現する己の恋心情の圧倒的 -
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祖母がこれは面白いからと熱烈に勧めて来たので、読んだ一冊。
何とか読んだものの、当時の私には難し過ぎて何だか良く理解できなかったというのが正直なところ。
「トニオ・クレーゲル」の方はほとんど記憶に残っていないです…
そして、「ヴェニスに死す」は何て暗い話なんだろうと^^;
ヴェニスは美しき水の都だと思ていたのですが、この本では臭く不吉な雰囲気の街として描かれていてちょっと驚いた記憶があります。
読後、祖母に良く分からなかったと言ったら、2回3回と読み返せば理解が深まると言われたのですが、気力がなくてまだ再読はしてません。
でも、いずれもう一度読みたい一冊であることは間違いないです。 -
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表題二篇が収録された本作。『ヴェニスに死す』が読みたくて手に取りました。
初老の芸術家アシェンバハは旅行先のヴェネツィアに滞在していたところ、同じホテルにポーランド人家族が居るのに気付く。その家族のなかに美少年タージオ(タジュ)を見つけ、一目で心を奪われてしまう。アシェンバハは遠目から海辺で姉たちと遊ぶ少年をじっくりと眺める時間が至福となり、次第に少年の後ろを付けたり、視界に入ることに喜びを感じるようになる。
アシェンバハの行動は傍から見れば変態的です。自分の子どもほどの年齢の少年に熱を上げ、自らを滅ぼす道へ突き進んでいきます。
ではアシェンバハにとって少年に出会ったことは破滅の始まりだった -
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古典は難しい。というのはその時代背景が分かっていないとキャラクターの性格や行動に共感しにくいことがあるからだ。主人公のハンス・カストルプはハンブルグ出身の無垢で「単純な」青年であり、その性向は当時の比較的裕福な階層の若者としては平凡なものなのだろう。物語は彼が「魔の山」と呼ばれるスイス高原ダヴォスのサナトリウムで療養中のいとこを尋ねると頃から始まる。そこで出会う患者たちとの関係を深めていくうちに、彼も(おそらく肺病に)罹患し、生活を共にすることになる。理性と道徳という視点から人間のあるべき姿を説くセテムプリーニとの対話ややせ細ったロシア人のショーシャ婦人への仄かな思いなどが延々と語られるのだが
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大正2(1913)年、東京・神田生まれのドイツ文学者によるエッセイ。この世代によくみられるモダニスト、やわらかい心の持ち主かと思い手にとってみれば、やや期待外れ。
文中しばしば登場する「昔の日本はよかった」「近頃の若いもんは」「女というものは」式な発言は、なんだかおじいさんのお小言に付き合わされているようで、現代のぼくらからするとあまり居心地のよいものではない。とはいえ、エッセイを読むということは、心にピタリとくる一文をみつけるいわば「宝探し」のようなものと思えば、著者のいかにも江戸っ子らしい歯に衣着せぬ物言いと人間への洞察力に富んだ見方には、読んでいて目から鱗が落ちる瞬間も少なくなかった。 -
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『トニオ・クレーゲル』
「普通の人」とはどんな人か、「普通でない人」はどんな人か、「才能のある人」と「才能のない人」はどちらに属するのか、そもそもすべては別のカテゴリとして別れているものなのか、そして自分はどこに当てはまるのか。
自分がどうあるべきか分からなくなり不安になったことのある人に読んでほしい一篇。
10代のうちに読んでいたらもっと精神的に成長できたかもなぁと感じた。
『ヴェニスに死す』
アシェンバハが「美」に呑み込まれていく様は底なし沼に足をとられた人のようだった。終盤の狂気っぷりは物語としてはとても面白かったけれど、人としてはさすがに気味が悪かった。
現代でいうならアイドルにハマ