高橋義孝のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
解釈が難しいところを読み返しながら
読んでいたため5時間かかりましたが
「変身」を読み終えました。
「変身」のグレゴール・ザムザと
「判決」のゲオルクは
親に心を支配されているところが
共通していると思う。
親が要求したものに応え続ける人生。
「判決」のゲオルクが父親に怒鳴られている時もゲオルクは父に愛を向けていたように
「変身」のグレゴールも
どんなに職場で辛い思いをしても
自分自身が虫になって
自分自身の未来すら見えない状況でも
家族のことを一番に思い愛していた。
しかし「判決」の父親も「変身」の家族も
自分達が要求したものに応えられないものは
裏切り者であり
愛するに値しない人間と成りうる。
「変身」のグレゴールは誇らしい息子
家族を経済的に支えることのできたからこそ
この家族に必要とされ限定的に愛された。
経済的に支えられない虫となったグレゴールは
この家族にとって愛すに値しない。
虫になったグレゴールは家族の行く末を案じ
弱って死んでいったが
仮に虫にならなかったとしても
グレゴールは最後まで家族の支配から逃れられず要求し続けられ
本当の自分の人生を生きることなく
死んでいったのだろう。
あんなに行く末を案じた家族は
本気になればそれぞれ仕事をし
生活をしていけるというのに
今までグレゴールに頼って生活していた。
グレゴールがいなくなった今
彼らはそれぞれ働いて生活をしているが
妹が結婚をした時
その夫がもしかするとグレゴールのように
支配され要求され続けるのではないかと
なんだか心配になってしまいました。
親に支配され続ける子供の
なんと悲しいことかと深く考えさせられました。
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Posted by ブクログ
外交販売員として働くグレーゴルは、朝起きたら巨大な虫になっていた……という設定が面白い。虫になった割には冷静かもしれない。絶対にそれどころではないのに、上司を説得しようとしているし。稼ぎ頭であるという責任感がきっとそうさせている。
・ずっと仕事がストレス
・両親の借金を返さなくてはならない
・5年間無遅刻無欠勤からの寝坊
……まるで適応障害になったときの私みたい。
・さまざまな種類のご飯を用意してくれる妹
・りんごを投げつける父
・家具をどうするかについての母娘のやり取り
「グレーゴルとどうやって向き合う?」という家族の悩みや苦しみが感情豊かに描かれている。家族の1人が突然変わってしまったら、私はどうするだろう。
グレーゴルは、虫でいることに順応している。そこらじゅうを這っている。あまりにも苦しいと無理に順応してしまうことってあるよなあと思う。
この家に必要なのは「社会保障」であり、グレーゴルが虫になるまで無理して働くことではなかった
骨太の女中さん(通称:後家婆さん)だけはグレーゴルに怯えない。椅子で殺しかける様子は、ある意味暴露療法のようだ。
ラストシーンはなんともいえない。グレーゴルってこれで幸せなのかな。不幸せではない気がするけれど、わからない。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ正直、自分に重ねながら読んでいた。ウェルテルの感情の大枠には共感できたが、ウェルテルの行動や細かな感情には自己陶酔を感じると言わざるを得ない。ウェルテルはとても感情的な人間で、だが賢かった。作品の根幹となる自死というものについて、理論的な人間であるアルベルトと話し合う場面もあった。その場面では、ウェルテルはアルベルトとは根本的に異なり、相容れないだろうという感情が先行し、これが後々の蟠りに繋がったのであろうと感じた。思い込みが激しく、それに違和感を感じる事ができるほど賢いが、改善には繋がらないような人間臭さがあった。その人間臭さがロッテへの執着につながった。ロッテの性格を考えると、アルベルトという神に誓えるほど尊敬し、愛している相手がいながら、ウェルテルのことも恋愛感情だけでなく、大事な存在に思っているという感情にずっと蓋をして、聖母のような労いや敬いの心でウェルテルに接していたが、いざ、ウェルテルが自死するのではないかということを知覚すると、その蓋が一気に外され、蓋をしていた感情がロッテに流れ込んだだけでなく、その過程までウェルテルに見られたような感じがラストシーンにはあった。作品構造としては、ウェルテルからの一方的な友への手紙をつらつらと並べており、あたかも読者がウェルテルの友であるかのような錯覚に陥り、ウェルテルを擁護しようという感情につながった。ウェルテルとロッテは作中の詩に自分たちを投影し、私はウェルテルとロッテに自分を投影していたため、現実と小説の境界が曖昧になり、シュルレアリスム的表現を勝手に感じていた。
若い時期に読むことをおすすめしたい!! -
Posted by ブクログ
ある本を読んで、自分の好きな本の傾向を言い表せるきっかけとなった。
「男性の恋に真っ直ぐすぎるがゆえに、日常が崩れていく」
そんな小説が、どうやら自分は好きらしい。
品を無くして言わせてもらえれば、主人公に童貞臭が漂えば漂うほど、魅力的に感じる。
ヘッセの『ナルチスとゴルトムント』、東野圭吾の『夜明けの街で』、太宰治作品全般が好きである理由が、ここではっきりと明確になった。
あくまで童貞である必要はない。
ゴルトムントは作中で何人もの女性を抱くイケメンだし、『夜明けの街で』の渡部は妻子がありながら社内不倫をする。
どちらも一見、童貞の敵のようであるが、読み進めていけば、必ず彼らの童貞臭が漂ってくるはずだ。
この気づきを得て、「登場人物を全員童貞だと思いながら名作を楽しむ会」という謎の団体を立ち上げてみようかとすら思った。
では、何をもって童貞臭とするのか。
それは、今回この気づきを与えてくれたゲーテの『若きウェルテルの悩み』を読めば、自然と分かるだろう。
この作品の名前はもちろん知っていたが、読んだことはなかった。
正直、「ウェルテルって、何に悩んでるの?」という状態。
読み進めていくと、ウェルテルが婚約者のいる女性に恋をし、どんどんメンヘラ化していく話だということが分かる。
悩みは最終的に、非常に身勝手な形で解決される。
その影響で若者の自死が模倣され、社会問題にまで発展したことから、「ウェルテル効果」という言葉が生まれたらしい。
ただ、それも納得できるほど、ウェルテル――もといゲーテの文章には、哲学が詰まりすぎている。
「そもそも、既婚者相手に恋愛なんかするなよ」という読者のもっともな疑問に対し、ウェルテルはこう返してくる。
恋愛をするなら相手を選べ。
仕事と恋愛の時間を分けろ。
財産も計算し、贈り物も誕生日の時に絞るなど節度を持て。
そんな忠告に従えば、有能な青年は出来上がるだろう。
しかし、それでは恋愛は終わりだし、芸術もなくなってしまう――と。
偶然、好きな人と指と指が触れ合えば、火に触れたように引っ込める。
それでも神秘的な力に押され、前へ進んでしまう。
朝目が覚めれば「今日は会える」という希望にすべてを飲み込まれ、
「明日こそは行かない」と誓っても、気づけばその人のそばにいる。
1700年代から、男の恋愛の柔らかいチャームは何ひとつ変わっていないのだと、ある種歴史を超えて童貞臭を抱きしめてくれる。
この本は、ただのメンヘラ恋愛哲学ではない。
人生、自死、嫌悪感――さまざまなテーマが絡み合った哲学書でもある。
素敵な一冊に出会ってしまった。
間違いなく、自分の中のTOP10に入る作品だった。 -
Posted by ブクログ
ロッテは純粋で無垢だと思っていたけれど、今回読み返してみて、もしかしたら無意識にヴェルテルを弄んでいたのかも?と思った。彼女自身も、誰かに愛されることで安心していたのかもしれない。悪気はないけれど、彼女の“優しさ”は残酷でもある。
後半に行くにつれて不安定になるウェルテルは読んでいて辛かった…。
彼の愛はものすごく重いけど、ロッテを理想化しすぎてるんじゃないかと思う部分もあった。
あと、チェーホフの『ワーニャ伯父さん』、ドストエフスキーの『白夜』を思い出した。
『ワーニャ伯父さん』は、愛してはいけない人への想いを抱えながらも、どうしようもなく惹かれてしまう登場人物の苦しみが描かれていて、『白夜』は相手を理想化した故の激しい恋の物語で、ウェルテルが刺さった人にはオススメ。