川北稔のレビュー一覧
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ロンドンになぜ人が流れ込んだのか、そしてなぜスラム街が形成されたのか。それは従来考えられていた産業革命による貧富の差が原因ではない。都市に集まった多様な人々が安価に身を着飾ざれるための服飾製造のための出来高払いの賃労働に従事する女性と外国からもたらされる様々な物資の集積する港湾のポーターとなる男性がスラムの住人。つまり、スラムは工業化の産物にあらず。消費都市やその週辺、港湾などでポーターなど非熟練のてっとり早いその日限りの仕事の生まれる所で成立した。
工業化→大規模工場、機械化→労働者の搾取→貧富の差→スラムの形成という単純なステレオタイプ的な理解の再考。
一方、パリでは19世紀に形成された大通りであるプルヴァール。そこに民衆生活の中に生まれてきた生活のサイクルや行動様式が育まれ、路上でのパフォーマンス、そこを舞台に繰り広げられるカーニバルが民衆の生活のさまざまな象徴や演技行為の活力として繰り広げられた。そこは民衆の生活の場であるという、また、パフォーマンスの場であるという「路上の権利」という意識が生まれ、プルヴァールが民衆運動の起点となる。二月革命の民衆の組織化はそこで生まれ、秩序の回復を目指す権力には、路上からの民衆の排除に力を注いだ。路上での活動がが民衆の意思表示を示す起点となる行動様式がパリジャンのエートス(今も、不満・怒りがあれば多くのパリ市民はその意思表示として大規模なデモを行う)となる歴史的背景か。 -
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ちくま学芸文庫
川北稔 世界システム論講義
世界システム論の本
南北問題やヘゲモニー国家の変遷については 資本主義論と重複しているため、世界システム論の必要性が理解できなかったが
奴隷貿易や奴隷制プランテーションにより イギリス産業革命が起きたとする ウィリアムズテーゼの論証は わかりやすかった
「だれがアメリカをつくったのか」の論考に驚いた〜植民地時代にアメリカに渡ったイギリス人は、年季奉公人(期限付き白人債務奴隷)、死刑を逃れた犯罪者、失業者とのこと
「世界システム論〜近代世界を一つの巨大な生き物のように考え、近代の世界史を有機体の展開過程として捉える見方」
南北問題
*世界的な分業体制の中で、北の国が工業化して開発され、南の国が原料生産地として開発された
*中核〜世界的な分業体制から多くの余剰を吸収できる地域。西ヨーロッパ
*周辺〜食糧や原材料の生産に特化され、中核に従属させられる地域。東ヨーロッパ、ラテンアメリカ
ヘゲモニー国家の変遷が世界大戦へ
*近代世界システムが地球全域を覆い、新たな周辺を開拓する余地がなくなった
*アフリカ分割を契機に、世界が帝国主義とよばれる領土争奪戦に突入
*帝国主義とは、地球上の残された周辺化可能な地域をめぐる、中核諸国の争奪戦
世界システムは、その地域間分業の作用を通じて、西ヨーロッパ=中核では国家機構を強化しつつ、周辺国では国家を溶解させる効果をもった
ヨーロッパのシステムと中華システムの違い
*ヨーロッパのシステムは政治的統合性を欠いた経済システム〜国民国家の寄せ集めにすぎない
*ヨーロッパのシステムでは、各国は競って武器や経済の開発を進めた
*中華システムの中核は、一帯をひとまとめにして支配すふ帝国となっていた
ヘゲモニー国家
*中核地域のなかでも、圧倒的に強力の国
*17世紀のオランダ、19世紀のイギリス、第二次大戦後のアメリカ
*世界システムのヘゲモニーは、生産、商業、金融に及び、崩壊するのときも この順に崩壊する
*ヘゲモニーは長く続かない〜生活水準が上昇し、賃金が上がり、生産面での競争力が低下するため
*ヘゲモニー国家は、自由貿易を主張する
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中心地域(北米・西欧)は資本を蓄積し、その周辺地域(ラテンアメリカ)を搾取している。鉱山や鉄道は欧米資本。国境をまたいだ資本主義の体制ができている。不均等な国際分業。中心地域が周辺地域に従属を課している。ラテンアメリカで開発が進まないのは中心地域に経済的に従属しているからだ。「近代化しておらず伝統社会のままだから」ではない。アンドレ・フランク『世界資本主義と低開発』1967
豊かな国が貧しい国に商品作物を生産させている。日常の食糧でさえも商品作物として豊かな国の商売に組み込まれている。だから貧しい国は十分な食糧を自給できずに飢餓が起きてしまう。飢餓は人口過剰や異常気象だけが原因ではない。スーザン・ジョージ『なぜ世界の半分が飢えるのか』1976
複数の国家からなる資本主義システムに世界は包み込まれている。影響力の強い豊かな国々が中核にいる。工業国。その周辺にまぁまぁ影響力が強いまぁまぁ豊かな国々がいる。いちばん外側には影響力の弱い貧しい国々がいる。原材料・食料を作って中核の国々に輸出、工業製品を中核の国々から輸入。三層構造になっている。ただし時間と共に国家の地位は変動する。イマニュエル・ウォーラーステイン『史的システムとしての資本主義』1983
※ダボス会議(世界経済フォーラム)けしからん。新自由主義けしからん。もう一つの世界は可能だ。 -
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主に18〜19世紀のロンドンとパリの状況を、それぞれ別の筆者が書いている。
一般読者向けの軽い読み物と思って読んでいたら、ロンドン編で川北稔氏、「この点については誰それが何々という本で詳述しているので、ここでは省略する」などと、一般読者を置き去りにする学術論文口調を発揮するなど、ああ、一般読者向けってどういうことなのか、よくわかっていない方なんだなあ、と思った。
近代ロンドン史は経済(マーケット)の中枢としての都市の有り様を示し、一方でパリは、権力に対する民衆の蜂起というテーマで描出される。
パリの「二月革命」については私はロクに知りもしなかったので、本書で雰囲気を観取することができて、ためになった。もっとも、それなら二月革命についての歴史書を読むべきで、このパリ編は都市論でなければならない筈であり、その企図はじゅうぶんに達成できていない結果と思ええた。
まあ、軽い感じの歴史エッセイと思って読んでおけばいいだろう。その枠組み内としては、楽しかった。
けれども、巻頭にロンドンとパリの19世紀の地図を載せて欲しかった。 -
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歴史学の分野でシステム論と呼ぶからには、当然、ニクラス・ルーマンのシステム論が根底にあるのだろう。ルーマンがひたすら抽象的な理論に徹したのに対し、これなどはその考え方を中世〜近代世界史に適用した、具体的な学説の例といったところか。
しかし本書ではじゅうぶんに「システム論」的なところが感じ取れず、世界史を「社会システムの自律的動向」として把握しきることは困難だった。
ところどころに面白い知見も見られるが、どういうわけかそうした個別の知が相互につながってくることがなく、単なる「雑学」のような、ばらばらの知識のように見えてしまった。なので、読んだときにはおもしろく思っても記憶に残らず、それは全体像のゲシュタルトに結びつかないからなのである。
本書が壮大な学術を語り尽くすには小ぶりに過ぎるということもあるだろう。個々の章はばらばらであり、「システム」の統一感が出てこなかった。
世界システムの中核としてのヨーロッパ文化と、中国などアジア文化等との関係など、示唆的なところはあったのだが・・・。 -
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かつてのイギリスの繁栄は、ほんとうに植民地経営により成り立っていたのか。
クルーグマンによって国家経済における貿易の影響力の小ささが指摘されているなかで、貿易こそが世界各国の地位を規定したとする世界システム論は、自分のなかでやや説得力を失っている。
もちろんそれで奴隷貿易や砂糖プランテーションの事実が消えるわけではないし、周辺国が輸出のための産業に依存していないと言い切れるわけでもない。
だが、本書にはその影響を測る数値が出てこない。
確かにインドの低開発化とイギリスの工業化は同時に進行したし、アメリカの衰退と東南アジアの台頭は相関があるように見えるが、その因果は本書内では証明されない。
とすると、本書は歴史社会学の域を出ず、事象を学ぶことは出来るが、経済を学べるとは言い難い。納得感のある論ではあるが、その真価をどこまで斟酌できるのか。読み手の力量が試される。 -
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イギリスの歴史をおおまかに把握するために読んだ。世界システム論がやっと少しわかった気がする。イギリスにおいて「産業革命=工業化」が進行した背景を理解するには、世界システム論の考え方が有効である。ぼんやりとしたイメージはつかめた。ノーフォーク農法により、庶民の生活が改善され、人口が増加した。工業化に必要な労働力はここから出た。植民地体制はジェントリの維持に必要不可欠だった。ジェントリ=金融業者。東インド会社が綿織物業における工業化に大きく貢献した。綿織物の輸入を禁止されても、輸入し続けた。綿織物は洗濯可能、毛織物はできない。ゆえにイギリスの人々の衛生状態は向上し、綿織物の人気は高まった。次第に綿織物を輸入するのではなく、国内で生産する動きが出てくる。その頃、紡績機か発明され、まもなく特許か無効となったため、ランカシァ地方で工業化が進んだ。ただしこの工業化がイギリス全体に拡大することはなく、工業化自体も緩やかだった。
シティロンドンの金融に関する考察は『タックスヘイブン』を思い出した。イギリスの歴史をふまえて再読したい。
時間ないのでここまで。まとめきれない。テスト終わったらちゃんと読み直したい。 -
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清教徒革命や名誉革命からの、アイルランド他連合周辺国とのいざこざの流れを詳しく知りたくて読んでみたが、そんなことは一切載ってない、イギリス近代経済史講義。
調べればわかるようなジャガイモの流通経路やオランダ語の普及度合いについて『正確には知りませんが〜』や『この議論は私自身まだ煮詰まっておりませんが〜』など、調査不足と憶測が占める割り合いが少なくなく、良く言えば親切だが、悪く言えばぼんやりとしてまとまりがない。
さておき主題はなぜイギリスで産業革命が始まったのか、そしてなぜイギリスが衰退したのか。乱暴にまとめると、そもそもの発展は技術革新にあったとしても、供給に対して必要とされる需要は乱暴な植民地との取引のほか、工場労働で女子供に至るまでが購買力を持つことによる貨幣経済の拡大にあり、それが貴族の生活様式を真似る国民性とあいまって急速な勢いを持つに至った。またノブレス・オブリージュにより地方隅々までインフラ整備が届いたが、そういった貴族階級の活躍もあってフランスのように資産階級に権力が移り変わることがなく、いつまでも過去の資産に拘り続けることで他国との工業生産競争に遅れをとるようになり、世界の情勢の流れで植民地を手放したときには、残るものは海外への投資経済のみになってしまった。こうして一定の成長率と経済力は保ちつつも、大量生産時代の他国と比較して影響力を失うこととなった。
とまぁこんな感じに数値的根拠も持たないままなんとなくわかった感になってしまうのは良いのか悪いのか…。これが正答と驕らず、一意見としてとどめて他への入り口として活用できるよう努めよう。 -
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ネタバレイギリス近代史、特に産業革命以降を詳しく分析している。筆者はなぜ産業革命は起きたのか、消費や社会から説明するのが適切というゾンバルトの主張を支持している。イギリスは近代以前から核家族が普通で現在の日本と近い所がある。ロンドンにジェントルマンが集まるようになって田舎から都会という流れができたようだ。ジェントルマンというのも独特でフランスの貴族とは違ってお金があり、特定の職種なら誰でもなることができる。また利益ばかり追求せず、箔を重視するというのも変わっている。
産業革命が起きた頃からロンドンにスラムが形成される。このスラムの原因はなんなのか、色々な説があるようだがはっきりとは分かっていない。著者は港がスラムを形成したと考えている。なぜこの問題が難しいかというと当時の資料はなかなか当てにならないからだ。工場労働者は低賃金だったというが物価はどうだったのか生活パターンが変われば比較できないデータがある。女性子どもの過酷な労働も過去と比較すると一概に判断できない。「世界の工場」から「世界の銀行」への移行も良かったのか悪かったのかは人によって意見が違う。
イギリスの衰退論は第二次世界大戦後に出てきたが経済成長は続けており、衰退というのはアメリカやドイツ、日本と比べた時の相対的なものであり幻想に過ぎないという人もいる。また成長パラノイアという「常に成長しなければならない」という資本主義の強迫観念が強く影響しているようだ。 -
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イギリスの経済史を世界システム論から読み解いた歴史書だ。はじめに、教区の資料を読み解く「家族復元法」からみたイギリス社会の話がある。英国の子供は14歳頃から、階級が上の家庭にサーヴァントとして入り、そこの家族として7年〜10年働き、20代中頃までに金を貯め市民権を得て結婚し、親元には帰らなかった。17世紀にはもうこのような核家族で、見寄のない親の世代のために「救貧」が必要だった。若者はロンドンへ流入し、都会は「匿名性」があり、「見た目」で判断されるため、ファッションや社交が起こる。これは、産業革命で生産される綿織物の需要となった(以前からあった毛織物は洗濯できず、鮮やかな色もつけられなかった。綿織物は洗濯ができるところが画期的で、イギリス人は綿織物で身なりが清潔になって平均寿命がのびた)。「政治算術」の話も興味深い。ペストを避けるためにつくられた教区の「死亡表」から、人口を時系列で並べる発想が生まれ、経済発展の概念、ひいては「成長パラノイア」が形成された。殖民地はジェントルマン(地主)の次男・三男が食い詰めたときにいく安全弁であった。「産業革命」の話もおもしろい。工場はほかの仕事で金を貯めた人がパートナーシップでわりに安く建てることができ、銀行は工場などには融資しなかった。ジェントルマンは体面のために鉄道路線や道路、学校などのインフラを自分の領地に作った(決して経済合理性から出た行為ではない)。産業革命の時代の児童・女子の労働は過酷だったが、それ以前から労働環境はきびしかった。むしろ、それまで0だった収入がいくらか発生したので、子供が多い家庭ほど豊かになり、大量生産された綿織物やナイフ・陶磁器などの製品は収入を得るようになった女性が購入した。子供や女性が家長以外の監督をうけ働くようになると、権威をうばわれたオヤジが「子供や女性がかわいそうだ」と批判したらしい。「イギリス衰退論争」では、ジェントルマンが文学芸術を好み科学を軽視したから衰退したという説や、ロンドンの金融街は元気だから衰退していないという説や、衰退はしていないけど衰退感はあるという説など、混乱しており、「そもそも衰退って何?」という事態になっていること(「衰退で人が不幸せになったのか」という問題もある)。衰退論はサッチャーに利用され、新自由主義の台頭をもたらした。どれも興味深く、日本の現在を考えるにも役に立つ。ドイツ・アメリカの台頭後はイギリス国内にも保護貿易思想があった。彼らは自分たちが強いときは「自由にやろうぜ」といい、弱くなったとみると「国内経済の保護」とかいいだす。つまり、その時々で最大限有利なように事を進めているだけなのだ。