川北稔のレビュー一覧
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中心地域(北米・西欧)は資本を蓄積し、その周辺地域(ラテンアメリカ)を搾取している。鉱山や鉄道は欧米資本。国境をまたいだ資本主義の体制ができている。不均等な国際分業。中心地域が周辺地域に従属を課している。ラテンアメリカで開発が進まないのは中心地域に経済的に従属しているからだ。「近代化しておらず伝統社会のままだから」ではない。アンドレ・フランク『世界資本主義と低開発』1967
豊かな国が貧しい国に商品作物を生産させている。日常の食糧でさえも商品作物として豊かな国の商売に組み込まれている。だから貧しい国は十分な食糧を自給できずに飢餓が起きてしまう。飢餓は人口過剰や異常気象だけが原因ではない。スー -
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主に18〜19世紀のロンドンとパリの状況を、それぞれ別の筆者が書いている。
一般読者向けの軽い読み物と思って読んでいたら、ロンドン編で川北稔氏、「この点については誰それが何々という本で詳述しているので、ここでは省略する」などと、一般読者を置き去りにする学術論文口調を発揮するなど、ああ、一般読者向けってどういうことなのか、よくわかっていない方なんだなあ、と思った。
近代ロンドン史は経済(マーケット)の中枢としての都市の有り様を示し、一方でパリは、権力に対する民衆の蜂起というテーマで描出される。
パリの「二月革命」については私はロクに知りもしなかったので、本書で雰囲気を観取することができて -
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歴史学の分野でシステム論と呼ぶからには、当然、ニクラス・ルーマンのシステム論が根底にあるのだろう。ルーマンがひたすら抽象的な理論に徹したのに対し、これなどはその考え方を中世〜近代世界史に適用した、具体的な学説の例といったところか。
しかし本書ではじゅうぶんに「システム論」的なところが感じ取れず、世界史を「社会システムの自律的動向」として把握しきることは困難だった。
ところどころに面白い知見も見られるが、どういうわけかそうした個別の知が相互につながってくることがなく、単なる「雑学」のような、ばらばらの知識のように見えてしまった。なので、読んだときにはおもしろく思っても記憶に残らず、それは全体像の -
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かつてのイギリスの繁栄は、ほんとうに植民地経営により成り立っていたのか。
クルーグマンによって国家経済における貿易の影響力の小ささが指摘されているなかで、貿易こそが世界各国の地位を規定したとする世界システム論は、自分のなかでやや説得力を失っている。
もちろんそれで奴隷貿易や砂糖プランテーションの事実が消えるわけではないし、周辺国が輸出のための産業に依存していないと言い切れるわけでもない。
だが、本書にはその影響を測る数値が出てこない。
確かにインドの低開発化とイギリスの工業化は同時に進行したし、アメリカの衰退と東南アジアの台頭は相関があるように見えるが、その因果は本書内では証明されない。 -
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イギリスの歴史をおおまかに把握するために読んだ。世界システム論がやっと少しわかった気がする。イギリスにおいて「産業革命=工業化」が進行した背景を理解するには、世界システム論の考え方が有効である。ぼんやりとしたイメージはつかめた。ノーフォーク農法により、庶民の生活が改善され、人口が増加した。工業化に必要な労働力はここから出た。植民地体制はジェントリの維持に必要不可欠だった。ジェントリ=金融業者。東インド会社が綿織物業における工業化に大きく貢献した。綿織物の輸入を禁止されても、輸入し続けた。綿織物は洗濯可能、毛織物はできない。ゆえにイギリスの人々の衛生状態は向上し、綿織物の人気は高まった。次第に綿
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清教徒革命や名誉革命からの、アイルランド他連合周辺国とのいざこざの流れを詳しく知りたくて読んでみたが、そんなことは一切載ってない、イギリス近代経済史講義。
調べればわかるようなジャガイモの流通経路やオランダ語の普及度合いについて『正確には知りませんが〜』や『この議論は私自身まだ煮詰まっておりませんが〜』など、調査不足と憶測が占める割り合いが少なくなく、良く言えば親切だが、悪く言えばぼんやりとしてまとまりがない。
さておき主題はなぜイギリスで産業革命が始まったのか、そしてなぜイギリスが衰退したのか。乱暴にまとめると、そもそもの発展は技術革新にあったとしても、供給に対して必要とされる需要は乱暴な植 -
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ネタバレイギリス近代史、特に産業革命以降を詳しく分析している。筆者はなぜ産業革命は起きたのか、消費や社会から説明するのが適切というゾンバルトの主張を支持している。イギリスは近代以前から核家族が普通で現在の日本と近い所がある。ロンドンにジェントルマンが集まるようになって田舎から都会という流れができたようだ。ジェントルマンというのも独特でフランスの貴族とは違ってお金があり、特定の職種なら誰でもなることができる。また利益ばかり追求せず、箔を重視するというのも変わっている。
産業革命が起きた頃からロンドンにスラムが形成される。このスラムの原因はなんなのか、色々な説があるようだがはっきりとは分かっていない。著 -
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イギリスの経済史を世界システム論から読み解いた歴史書だ。はじめに、教区の資料を読み解く「家族復元法」からみたイギリス社会の話がある。英国の子供は14歳頃から、階級が上の家庭にサーヴァントとして入り、そこの家族として7年〜10年働き、20代中頃までに金を貯め市民権を得て結婚し、親元には帰らなかった。17世紀にはもうこのような核家族で、見寄のない親の世代のために「救貧」が必要だった。若者はロンドンへ流入し、都会は「匿名性」があり、「見た目」で判断されるため、ファッションや社交が起こる。これは、産業革命で生産される綿織物の需要となった(以前からあった毛織物は洗濯できず、鮮やかな色もつけられなかった。