あらすじ
18、19世紀のロンドンは、「世界経済のメトロポリス」であると同時に巨大なスラムが存在する「世界の吹溜り」でもあった。また、カフェやレストラン、劇場といった華やかな文化を生み出したパリの都市空間は、二月革命に代表される民衆騒乱の舞台にもなった。人はなぜ都市に集まり、どのように大都会の生活様式が生まれたのか、この根本的な問いをめぐって、イギリス近世・近代史、フランス社会運動史をそれぞれ専門とする碩学が重層的な連関のなかに考察する。ふたつのアプローチ、すなわち経済生活と民衆運動、その違いがそのまま「二都」の性格の反映となっていることもきわめて興味深い。
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Posted by ブクログ
ロンドンになぜ人が流れ込んだのか、そしてなぜスラム街が形成されたのか。それは従来考えられていた産業革命による貧富の差が原因ではない。都市に集まった多様な人々が安価に身を着飾ざれるための服飾製造のための出来高払いの賃労働に従事する女性と外国からもたらされる様々な物資の集積する港湾のポーターとなる男性がスラムの住人。つまり、スラムは工業化の産物にあらず。消費都市やその週辺、港湾などでポーターなど非熟練のてっとり早いその日限りの仕事の生まれる所で成立した。
工業化→大規模工場、機械化→労働者の搾取→貧富の差→スラムの形成という単純なステレオタイプ的な理解の再考。
一方、パリでは19世紀に形成された大通りであるプルヴァール。そこに民衆生活の中に生まれてきた生活のサイクルや行動様式が育まれ、路上でのパフォーマンス、そこを舞台に繰り広げられるカーニバルが民衆の生活のさまざまな象徴や演技行為の活力として繰り広げられた。そこは民衆の生活の場であるという、また、パフォーマンスの場であるという「路上の権利」という意識が生まれ、プルヴァールが民衆運動の起点となる。二月革命の民衆の組織化はそこで生まれ、秩序の回復を目指す権力には、路上からの民衆の排除に力を注いだ。路上での活動がが民衆の意思表示を示す起点となる行動様式がパリジャンのエートス(今も、不満・怒りがあれば多くのパリ市民はその意思表示として大規模なデモを行う)となる歴史的背景か。
Posted by ブクログ
主に18〜19世紀のロンドンとパリの状況を、それぞれ別の筆者が書いている。
一般読者向けの軽い読み物と思って読んでいたら、ロンドン編で川北稔氏、「この点については誰それが何々という本で詳述しているので、ここでは省略する」などと、一般読者を置き去りにする学術論文口調を発揮するなど、ああ、一般読者向けってどういうことなのか、よくわかっていない方なんだなあ、と思った。
近代ロンドン史は経済(マーケット)の中枢としての都市の有り様を示し、一方でパリは、権力に対する民衆の蜂起というテーマで描出される。
パリの「二月革命」については私はロクに知りもしなかったので、本書で雰囲気を観取することができて、ためになった。もっとも、それなら二月革命についての歴史書を読むべきで、このパリ編は都市論でなければならない筈であり、その企図はじゅうぶんに達成できていない結果と思ええた。
まあ、軽い感じの歴史エッセイと思って読んでおけばいいだろう。その枠組み内としては、楽しかった。
けれども、巻頭にロンドンとパリの19世紀の地図を載せて欲しかった。