松平千秋のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
ネタバレ文句なしに面白かった。読み継がれるだけの魅力がそれはあるよなあ笑。
読み終えて、ヘクトルは引き続き好きだったのと、あとアキレウスもやはり?好きになった。BLすぎるな!
ああ、争いなど神からも人の世からもなくなれば良いに、それにまた怒りも。怒りというものは、分別ある人をも煽って猛り狂わせ、また咽喉にとろけ込む蜜よりも遥かに甘く、人の胸内に煙の如く湧き立ってくる。…(p.200)
アキレウスのこの心情の吐露は、3000年近くも人間が一ミリも進歩していないことを伝えてくれる。
「クサントスよ、どうしてわたしの死を予言したりする。要らざることだ。わたしが父母から離れたこの地で果てる運命にあることは、自分でもよく承知している。とはいえ、トロイエ勢に嫌というほど戦いの苦渋を味わせるまでは、わたしはやめぬぞ。」(p.246-7) アキレウス
そして助命を懇願されたアキレウスがぷんぷんで言うには…
「愚か者め、身代金のことなど持ち出したり、べちゃべちゃしゃべるのはやめろ。パトロクロスが運命の日を迎えるまでは、トロイエ勢の命を何とか助けてやることも、好ましい気がして、生捕って他国へ売り払ったことも随分あった。だが今は違う、イリオス城下で神がわたしの手に委ねられたものは、一人といえども死を免れることはできぬ。…なぜそのように悲しむ、おぬしより数等優れた男であったパトロクロスも死んだのだぞ。…」(p.281)
ここ正直論理がめちゃくちゃで笑ってしまったw wおぬしより優れたパトロクロスが死んでるのに、価値が劣るおぬしが死ぬことなんて当たり前でしょ、って強火理論すぎるし、向こうからしたら知らんw w(死にそうなので笑い事じゃないですが)としかならないでしょ。平家物語もそうだけど、主従の絆より強いものはないのだなあ
「…いよいよわたしの最期の時が来た。せめては為すところなく果てる見苦しい死に様ではなく、華々しく後の世の語り草ともなる働きをして死のうぞ」(p.321)ヘクトル最期
「…屋敷には女どもが仕立てた、織り目の細かい美しいお召物が置いてありますのにー。でもそれはみな火にかけて焼いてしまいましょう、どうせあなたの亡骸にお着せできぬのなら、何の役にも立たぬのですから。でもそれがせめてトロイエの男女からあなたへ寄せる尊敬の想いのしるしとなるように」(p.331) アンドロマケの嘆き
「…そしてあなた自身にも、神にも似たアキレウスよ、富裕なトロイエ人の城壁の下で果てねばならぬ運命があるのだ。もし聴いてくださるのなら、もう一ついいたいこと、お頼みしたいことがある。どうかアキレウスよ、わたしの骨をあなたの骨から離さずに、一緒の場所に納めてもらいたい…」
「大切な友よ、ここへ現れて、それらのことを細々と頼むのはどうしたわけだ。もとよりそれらのことはみな果し、そなたの言う通りにしよう。さあもっと近くへ来てくれ。暫しの間でも抱き合って、心ゆくばかり悲運を嘆き合おうではないか。」(p.338-9) 亡霊となってアキレウスの枕元に立つパトロクロス
「ああお若い方、神々に然るべきお供えをするのも善いことなのですな、わたしの倅ー(すべてが夢のように思われる今)あれが本当にわたしの息子であったのなら、あの倅はわたしの屋敷でオリュンポスに住まいます神々を、片時も忘れることはなかったのですからな…」(p.399) プリアモス王の嘆きと喜び。ここで泣いてしまった、、
番外編:神様も可愛い
こういうと眼光輝く女神アテネは、彼(メネラオス)がよろずの神々の中で第一番に自分に祈ってくれたことを嬉しく思い、その方と膝に力をつけ、その胸には蚊の如きいっかな退かぬ強かさを吹き込んでやったー(p.183)
番外編:ゼウスに色仕掛けするヘラもあれだが、褒め言葉酷すぎん?(第十四歌)
誰々よりも(しかも自分の子供を産んだ誰々)、これほど心動かされたことないから、ベッド行こ!?ってのを長々と読み上げるわけですが、それされてる時点で、ピキピキピキとなりそう -
Posted by ブクログ
没頭してしまった。結末はもちろんわかっているのだが、判官びいきというか、トロイエ方を応援したくなる。ヘクトルがアルゴス方の防壁を破った瞬間は『このままアガメムノンを討て!』と思ってしまった。それ故、アキレウスの本格的な参戦を望みつつ、彼がいなければ或いは、とか妄想したり。理屈はともかく没入感があった。
比喩表現も素晴らしい。本巻の終盤、拮抗する両勢力を『日銭稼ぎの実直な女(糸を紡いで稼ぐ貧しい女)が、子らのため僅かばかりの手間賃を得るために、秤を手にして、両の皿に錘りと羊毛を載せ、持ち上げながら釣合いをとろうとする』などと表現する。羊毛の皿(トロイエ方)が少しでも重くあって欲しいと願うゼウスの影を見るのは、ただの深読み(勘違い)だろうか笑
興味深いのは、戦局や各々の命運が神々の意向によって大きく左右されているという点である。一般的には、強固な意思をもった人間が、運命に抗い立ち向う物語が好まれるものだが、この叙事詩では如何に神々を味方につけるかがキーポイントであるかのような語り口が見られる。高貴さ・勇敢さ・合理性を兼ね備えていながら、霊的なものも信じている古代ギリシャの戦士たちの心理描写や台詞は、本当に魅力的である。
下巻も引き続き楽しみたい。 -
Posted by ブクログ
英雄の帰還、そして復讐。劇的に描かれる、悪漢勢の醜態と家族や家臣との絆は、数千年の古さを感じさせない。
主に冒険譚だった上巻から一転、主要人物が故郷イタケに集結し、本作の悪役となっている求婚者たちと対決するお話になっていく。ほとんどの舞台がオデュッセウスの自宅である屋敷となり、本来の主人自らが正体を隠して悪人成敗の計略をめぐらせる、というのが面白さの軸。エンターテイメントとしてシンプルな構成ながらも、人間味あふれるキャラクターと勢いのある筋書きは、紀元前の作品ということを忘れるほど、現代の我々にも魅力的なものであるといえる。「イリアス」上・下巻から順に読んできて本巻が一番面白かったので、途中で挫折せずによかったと思った。
終盤で見えてくる、アガメムノンの妻(またはヘレネ)とオデュッセウスの妻という対比は、そのまま「イリアス」と「オデュッセイア」との対比ともいえるかもしれない。裏切りと憤怒、そして貞節と高潔さといったところか。しかし20年ぶりでも超絶美女なオデュッセウスの妻の魅力とは……。 -
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「イリアス」とともにニ大叙事詩と仰がれるギリシア最古の英雄物語。トロイア戦争終結後のオデュッセウスの冒険。
「アキレウスの怒り」がテーマの戦記ものであった前作から一転、オデュッセウスを中心とした冒険ファンタジーとなっている。父の消息を求めてテレマコスが旅立つ冒頭からワクワクがとまらない。神々が介入してくるのはイリアスとも共通するが、本作ではさらに王宮や冥府、魔女や巨人、漂流や裏切りなど、波瀾万丈の要素が盛りだくさん。紋切り型といわれればまさにその通りで、それは長い時を通してこの偉大な古典が愛されてきたことの証明でもある。無双すぎてモテすぎるオデュッセウス、やってることは今のラノベも変わらんではないか?(笑)。
上巻はこれまでの経緯がすべて語られ、さぁこれからどうなる!?というところで終わる。ここで訳者の解説が入るが、《上巻巻末の解説で下巻のネタバレをする》のはやめてほしい。有名なタイトルとはいえこれから触れる人もいるのだから……。これから読む初見の人は注意してほしいと思う。 -
Posted by ブクログ
トロイア戦争の最後までは描かれず、アキレウスの物語として幕を閉じる。トロイの木馬が出てこないのは残念。
ゼウスの厳命により神々が人間の戦争に手を出せなくなるなか、ヘレの謀略とポセイダオンの暗躍が目を引く。女神テティスとの約束を守るべく、ゼウスが戦争のシナリオを緻密に組み立てているのには笑った。すべては彼の手のひらの上といわんばかり。
アキレウスが失意から立ち上がり、神ヘパイストスが新たに鍛えた最強武具を装備して戦いに赴くシーンは、ファンタジーとしても戦記ドラマとしても盛り上がるところ。やがて傍観していた神々も戦闘への参加を許され、人神入り交じった戦争のスペクタクルのあと、本作最大の見どころ、アキレウスVSヘクトル戦へ突入。このあたりは映像的でアツイ。
パトロクロスに対する人気、その慕われっぷりには苦笑してしまうが、最終的にはアキレウスが恋愛よりも友情を重視していることが、この物語を薫り高いものにしていると思う。もともと女の取り合いから始まっているだけに(戦争もそうだが、彼個人としても)、人物の成長が見てとれるのだ。
終盤の葬送競技は8種目?ほどあっただろうか。現代の日本にはない習慣であり、葬式でいきなり陸上競技みたいなのが始まって面食らったが、興味深いところではある。
人名多さ故の読みづらさはあるものの、多様な人間の感情が盛り込まれたドラマの結晶は普遍的な魅力を放っており、数千年を隔ててなお失われないその輝きに感動するほかはない。 -
Posted by ブクログ
紀元前8世紀ごろ口頭詩として制作されたとされる長編叙事詩。ギリシャ神話を題材とした、トロイア戦争を描く。
概要は有名な話であるし、2004年の映画『トロイ』も観ていたので、大ざっぱな筋書きは知っているつもりで、原典となる本作に挑戦してみた。すでに戦争が10年経過しているところから始まり、冒頭からアキレウスとアガメムノンのケンカが始まるので、多少の予備知識がないとやや面食らうかも。パリスがヘレネを連れ去ったという戦争の原因についても、知っている前提として話が進む。
映画と決定的に違うのは「神々の介入」。オリュンポスの神々が、それぞれのひいきの軍の動向を見守り、敵軍を支援する神を相手に言い争いをしたり、場合によっては肉体を持って自ら戦場におもむき掩護したりする。さらには、ゼウスがイデの山上から戦場を眺めながら、トロイエの勝利のためにあれこれ画策をしたり、お気に入りのヘクトルを守ったり。まるでお茶の間で巨人ファンの父親と阪神ファンの長男が推しの選手をネタに言い争っているかのごとく、またはシム系のシミュレーションゲーム(ストラテジーゲーム)をプレイして各ユニットやキャラクターに干渉するかのごとくである。これによって聞く側(読者)は、人間たちのドラマとそれを俯瞰する神々、両方の間に視点を持つことになり、物語に独特な味わいを生んでいる。こういった要素を現代の基準で映像化するのは難しいだろう。舞台上の演劇ならともかく、映画やTVドラマのような映像作品でこれをやってしまうとコメディになりかねない。先述の映画『トロイ』では、神々の要素をざっくりカットして、純粋に人間どうしの戦記ものとして描いており、これには賛否あるようだが、原典に触れてみた今、これは英断だったと思わざるをえない。
もうひとつ気になったのは、ギリシャ神話をモチーフにした作品ではよくあることかもしれないが、人物名の多さに辟易したこと。クリュセスにクリュセイス、プリアモスにブリセイスなど、語感が似た名前も混乱する。とはいえ、主要な人物さえ把握してしまえば、人名の80%くらいはどうでもいいやつだと後で気づいた。なのでこれから読む際にはご留意いただきたい。