松平千秋のレビュー一覧
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ネタバレ長い。
読書苦手なので読むのが大変でした。
ヘクトールの亡きがらをアキレウスが引き摺ったという話の真偽を確かめたく、原典に近そうということでこちらを読みました。
結果的には自陣にヘクトールの亡きがらを運ぶために引き摺ったのみならず、毎朝の日課のように、何日か、何回か、引き摺っていたので、答えは得られました。ただ、アキレウスが引き摺った心境も理由もちゃんと書かれていますので、腑には落ちます。
アレキサンダー大王がファンになるのも納得です、読めてよかったです。見方を変えれば、領土拡大思想に取り憑かれる権力者が好きな話なのかもしれません。
現代人も抱えている名前を残さないで死ぬ恐怖。何ものかにならないと生きる意味がないのか。
他人を害してまで名声は必要なのか。
近しい人と過ごす何もない安らぎの日々では足りないのか。
自尊心の高いアキレウス。
戦争のさなかの名声を求める心と、アガメムノンへの憤り、もういっそ故郷へ帰ってしまおうか、と考えたり。嫌なことされたら母に言いつけたり。
アキレウスは両極に引きちぎられるように自らの激しい気性に振り回されます。
武勇と妻子を愛したヘクトールの最期の揺らぎ、
メネラオスの戦禍での悲痛な叫び。
アキレウスの復讐。
12人、殺すために選ぶシーンがあるのですが、
あの時は捕虜にしたのはパトロクロスが言ったから、けれどもう…というような部分。半神アキレウスの人間らしさを繋ぎ止めていた楔、
「アキレウスはパトロクロスにおいてだけ辛うじて人間性につながっており」p164 『イーリアス』ギリシア英雄叙事詩の世界 (岩波セミナーブックス)
父に愛され、神に愛され、友に恵まれ、美しい。そんな人が戦争の中で育ち、父にも会えなくなり、友も殺されて、一つ一つ剥奪されていき、嫌いな言葉ですが「無敵の人」になっていく様だと思っています。
プラトンの饗宴p46「パトロクロスのあとを追い、自分も一緒に死のうとしたのです」とあるのですが、この解釈だとアキレウスの戦争を使って殺されるまで殺すタイプの自殺に巻き込まれたトロイアの人々はたまったものではないですね。
メネラオスのように戦争をはじめた側が、長々と続く殺し合いに嘆き、それでももうどちらも終われない、怒りは甘く。死すべき人間は脆く。臓腑の河で血に濡れる人界と、ネクタルをあおるオリュンポスの神々。叙事詩の環。トロイの木馬はまだ出ません。
イリアスの登場人物は、原始的な素直さ、と訳者か誰かが称していましたが、人類史における戦争の繰り返しで、人間が共通理念として獲得した表層的な理性がイリアス内では未発達です。
人や人以外の動物は人間のエゴで殺してはいけなくて、他人のものは奪ってはいけなくて、死体蹴りはしてはいけない。
すべてが守られてはいません。
いえ、未発達…なのではなく、原始的な素直さ、つまり、これが人間の本来の姿なのかもしれないなとも思いました。ただ、現代の書物では、それらが、非倫理的という前提条件で書かれているのに、イリアスではこれが正当なこととして何ら疑問も無く書かれている節があり、それが本当に不安な気持ちにさせるのです。
昔、ドキュメンタリー番組でどこかの原住民の子供たちが猿の死体で遊んでいるのをみた時に感じた時のあの気持ち。現代人も教育を受け共通の理性の白粉を塗っただけで、本当の姿はこっち。原始的な生き物でしか無いのだろう。今後とも人間は何度も戦争をして、世界が統一されるまで戦争し続けて、一つになったとしても隣人を殺し、不審は増して少なく産んで、緩やかに滅びるのでは。と。
小規模戦争の形跡がトロイアから出てるらしく、トロイア戦争の実際は航路の拡大戦争とかの説もあるらしいです。ギリシャとトルコの戦争をギリシャ側がこんな神話にしたとしたらこんなグロテスクなことはないなと思います。
女奴隷たちが空気なのにまともに考え始めると境遇が地獄すぎる点が気分的にマイナス100億点、比喩が多すぎて話が進まない、盾の説明が超絶長いなどひっくるめて星4つでお願いいたします。
よみおわって2年くらいなのですがやはり未だに考えてしまう。そういう作品です。
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Posted by ブクログ
ホメロスの『オデュッセイア』は壮大な冒険譚だ。
そんな前口上を聞いていた私は、オデュッセウスに次はどんな危難が襲ってくるんだろう?とドキドキしながら、上巻の最終ページを静かに閉じた。
そして下巻に突入。
ところが下巻は、オデュッセウスがイタケ国に帰還するところからスタートした。すでに冒険は終わりで、今からは美しき妻に近づく求婚者たちへの復讐劇へと進むのであった。
こうしてみると、壮大な冒険譚というよりは、オデュッセイアは冒険と復讐の物語と言ったほうが良いかもしれない。
とはいえ、後半の復讐劇も冒険部分に劣らず面白い。
オデュッセウスが身汚い老人に身をやつし、徐々に自らがオデュッセウスであることを明かしながら、求婚者たちをドカーン!とやっつける様は、きびきびとした文体で緊迫感に満ちた展開となっている。息もつかせぬ展開とはまさにこのことだ。悪辣極まる求婚者たちを木っ端微塵に倒す様は、さすが、知略縦横たる神のごときオデュッセウス。
彼は、全編を通じて、知略縦横で豪快かつ素晴らしいキャラクターとして描かれる反面、とても人間臭い人物としても描かれている。イタケに帰ってきて、身をやつしているときに、相手によっては「実は俺はオデュッセウスだ」とはっきり言えばいいものを、「もしも、オデュッセウスが帰ってきたらどうする?」とか焦らすし、カリュプソのもとで囚われているときは故郷を思ってメソメソ泣いているし。それでいて案外、自分勝手に振る舞うところもあるし。一方では神々しく強い姿を描きながら、他方で描かれるこうした彼の人間臭い魅力がおよそ2800年を経てもなお愛読される理由のひとつかもしれない。
ところで、「オデュッセイア」という言葉は、いまや「オデッセイ」などとも書かれ、自動車の名前にもなったりして、冒険をイメージする言葉となっているようである。確かにどこかカッコいい響きはある。しかし、この『オデュッセイア』本文によれば、「オデュッセウス」あるいは「オデュッセイア」は、憎まれ者(オデュッサメノス)を意味するらしいのだ(第19歌参照)。街に走る車が「愛される者」ならばまだしも「憎まれ者」と名付けられているのは、皮肉だとも思ったのである。 -
Posted by ブクログ
幼い頃、私は親に、お前はオデュッセウスを知ってるか?ギリシャ神話の英雄で、20年もの間冒険の旅を続け、故国に帰ってきたんだ。人生は冒険だ。冒険をしなさい、みたいなことを言われたことがある。当時はよく意味がわからなかったが、「オデュッセウス」という名前だけが脳裏に残っていて、ずっと気になっていた。
そんな『オデュッセイア』を、このたびようやく読むことができた。
なにせ、古代ギリシャ時代の作品だし、上下巻あるし、なかなか読みにくい本なのだろうなと思って読み始めたのだが、あっさりと予想を裏切られた。訳が新しいこともあってか、とても読みやすく、ぐいぐいと引き込まれた。
冒頭は、オデュッセウスの息子テレマコスの話が中心で、彼がお父ちゃんを探しにゆく姿が描かれるが、途中から場面が切り替わって、オデュッセウスが登場して冒険譚を語ったり(これがまた、よく喋るのだ)、また夫を待つペネロペイアと彼女に詰め寄る求婚者たちの姿が描かれたりしながら、3地点の物語が同時並行で進んでゆく。まるでトランジションで切り替わる動画を見ているようで面白い。そして、下巻にいたって、その3点がオデュッセウス邸という一点に集約されてくる描き方は、古代ギリシャ時代の作品において、よくできたものだと感嘆した。
パラス・アテネの献身的な応援を受けつつも、ゼウスやポセイダオン、カリュプソ、キルケなど神々の、嫉妬や怒りや愛情に翻弄されながら続ける冒険部分は痛快だ。中でもキュクロプスやスキュレなど異形の怪物たちが行く手を阻む描写は、ゲームのようで時代を経てなお古びていない。
こんな面白い作品だけれど、とかく登場人物が多く、途中で誰が誰だかわからなくなったので、神々たちと人間たちとそれぞれ、家系図みたいな関係図を書きながら読んだ。そうしたら、恐ろしく近親相姦な図がかけてしまって、知っていたとはいえ、我ながら驚いた。
ところで、これは全編を通してのことではあるが、名詞に特定の修辞的な言葉が付く形が多用されているのは面白いと思った。例えば、パラス・アテネには「眼光輝く女神アテネ」、オデュッセウスには「知略縦横たるオデュッセウス」、言葉という単語には「翼ある言葉」や「言葉の翼をもがれてしまう」などなどである。夜が明けて朝日が昇る様は「朝のまだきに生れ指ばら色の曙の女神が姿を現す」と書かれている。おそらく琵琶法師よろしく、物語を耳で聴く際には、こうした手法が表現をよりダイナミックにし、迫力あるものにしたのだろう。一度耳で聴いてもみたいものである。 -
Posted by ブクログ
下巻。上巻では貴種流離譚が描かれたが、後半は一転して凄惨な復讐劇とそれに続く大団円が描かれる。
艱難辛苦の流浪の末、20年ぶりに故郷イタケにたどり着いたオデュッセウス。息子テレマコスと共に、妻に言い寄り家の財産を食い物にする者たちを周到な準備のもと誅殺する。そして、ついに妻と再会し、オデュッセウスの旅は終わる。
全編戦いだらけの「イリアス」よりも話に起伏があって面白い。とくに、最後のクライマックス、オデュッセウスと求婚者たちとの戦いから、それに続く妻ペーネロペーとの再会までは、臨場感あふれる描写で一気に読ませる。こんなものが2000年以上前に書かれたのだから、文化の厚みというのはすごい。 -
Posted by ブクログ
まずは上巻。登場人物(&神)が多すぎて、誰が神で誰が人か、誰が親で誰が子か、誰がアカイア側で誰がトロイエ側か、どんどん混乱してくんだけど、それでもやたら面白い。
話としては、ひたすらアカイアとトロイエの戦いなんだが、とにかく主要人物のキャラが立ちまくってる。戦争の原因をつくったパリスなんて顔だけの役立たずだし、アカイアの総大将アガメムノンは強欲のかたまりだし、俊足のアキレウスはアガメムノンへの恨みでいつまでもうじうじしてるし。数少ない知的な人物として描かれるネストルも若い日の武勇伝を延々語って、どこにでもいるジジイとしての側面が描かれる。
とはいえ、人間のダメっぷりなどゼウスとヘラに比べたら可愛いもので、最高位の神のくせになんなんだその行き当たりばったり出たとこ勝負感は。人間だっても少しもの考えて行動するだろうにと。
そんなわけで、キャラクタ小説としてとても楽しめる。魅力的なキャラがいれば物語は勝手に駆動していくんだなと。