宮下志朗のレビュー一覧

  • モンテーニュ 人生を旅するための7章

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    このダイジェスト本でお腹いっぱいになった。オリジナルのエセーを読むパワーはない、今のところ。著者はこれを翻訳したのだからとんでもないと思う。16世紀も今も大して変わらないなと言うのが感想。人類はたかが数百年では成長しない。結局のところ、それぞれが良心や誠実さをエセーや他の哲学書や宗教などから心に刻み込むしかない。こういった本が人生の羅針盤になるということかと。モンテーニュ本人のお人柄が垣間見えて、より興味深くなった。この本からソクラテスが凄く気になったのは収穫。エセーは戒律的でなく、本当にちょうど良い塩梅なんだろうな。一般ピーポーの視点なのが良い。

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    2026年09月24日
  • ガルガンチュア ガルガンチュアとパンタグリュエル1

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    ◯◯◯◯とか×××とか、下品な言葉がどんどん出てくる作品。
    それでも古今東西の学識の興味を惹きつけ、数多の研究書、解説書が刊行されている不思議な作品です。
    源氏物語に「須磨返り」という言葉があるとおり長編小説を読み通すのは困難なことも多いようで、この作品も三作品目の『第三の書』でやめてしまう読者も多いそうです。
    確かに、パニュルジュが人から借りることの素晴らしさをあれこれ述べる章はだれてしまいますが、そこさえ乗り越えればまた面白い世界が広がるので、ぜひとも諦めずに頑張ってほしいところです。
    ラブレーの深遠な教養に裏打ちされた破天荒な世界をお楽しみください。

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    2026年03月15日
  • ガルガンチュア ガルガンチュアとパンタグリュエル1

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    フランス文学の根底でふざけてる感じあるなと思ってたけど、ラブレーのガルガンチュア物語なんてその際たるものだな。リチャードホールの下衆ヤバ夫より下品だった。これが世界史に残る古典になるの凄いな。サドとかもフランス人だし、性的倒錯ジャンルの文学ってやっぱりフランスが凄いと思う。

    フランソワ・ラブレー(フランス語: François Rabelais フランス語: [fʁɑ̃swa ʁablɛ]、 1483年? - 1553年4月9日[1])は、フランス・ルネサンスを代表する人文主義者、作家、医師。ヒポクラテスの医書を研究したことで著名となり、次いで中世の巨人伝説に題材を取った騎士道物語のパロディー『ガルガンチュワ物語』と『パンタグリュエル物語』(『ガルガンチュワとパンタグリュエル』)で知られる。これらは糞尿譚から古典の膨大な知識までを散りばめ、ソルボンヌや教会など既成の権威を風刺した内容を含んでいたため禁書とされた。

    「ガルガンチュワが三歳から五歳になるまでは、その父親の命令通りに、あらゆる適当な規律に従って養育されたが、この時期は、その国の幼い子供たちと同じようにして送られた。つまり、飲んだり・食べたり・眠ったり、食べたり・眠ったり・飲んだり、眠ったり・飲んだり・食べたりしていたことになる。  毎日のように、泥水のなかを転げまわったり、鼻面を真っ黒けにしたり、顔を汚したり、靴の踵を潰したり、蝿を相手に欠伸を連発したり、欣んで蝶々を追いかけたりしていたが、蝶々と言えば、父君グラングゥジエは蝶々国を支配していたのである。ガルガンチュワは、自分の靴におしっこをひっかけたり、肌着のなかへうんこをしたり、袖で鼻をかんだり、肉汁のなかへ洟を垂らしたり、ところかまわずに泥んこになって転げまわったり、上靴で酒を飲んでみたり、いつも籠の胴腹へ体を擦りつけたりしていた。木靴で歯を磨いたり、羮で手を洗ってみたり、盃で頭髪を梳ってみたり、二つの腰掛の間の地面へ尻餅をついたり、匿れるつもりでびしょぬれの袋を被ったり、肉汁を飲みながら酒を飲んだり、麺麭がないとて麺麭菓子を食べたり、げたげた笑いながらむしゃむしゃ食べたり、むしゃむしゃ食べながらげたげた笑ったり、何度も皿のなかへ唾をしたり、脂肉をぶるんぶるん言わせたり、お天道様めがけておしっこをしたり、雨を避けに水へ潜ったり、冷たい鉄を鍛えてみたり、よしなしごとを夢見たり、良い子ちゃんぶってみたり、げろを吐いたり、お猿の読経とばかりにむにゃむにゃ言ったり、しかけた羊の話に戻ってみたり、牝豚に秣を喰わせようとしたり、獅子王の前で鬱さ晴らしに犬を殴ったり、牛の鼻先へ荷車を繋いだり、痒くもないところを掻いたり、鼻から秘めごと虫を引っ張り出したり、骨折り損のくたびれ儲けをしたり、後は野となれ山となれと白麺麭を食べたり、蝉に蹄鉄を打ってみたり、自分で擽って笑ってみたり、台所へ勇気凜々突撃したり、神々へ麦穂の代りに麦藁を奉ったり、朝の勤行に夕の祈りを唱わせて至極結構と思ったり、甘藍を食べたのに唐菜のうんこをしたり、得意になって白い牛乳のなかの黒い蝿を見わけたり、ぼやんと蝿の脚をむしったり、紙をがりがり引っ掻いたり、羊皮紙を墨だらけにしたり、ぽこたんぽこたんと逃げ出したり、仔山羊の革袋からぐびぐび飲んだり、宿の亭主のくる前に胸算用をしてみたり、雛鳥を捕えもせずに草叢を叩きまわったり、雲は青銅の鍋釜で膀胱は提灯だと思いこんだり、一袋で二袋分の挽き賃を儲けたり、糠屑を喰わせられる驢馬みたいになったり、拳を握って木槌にしたり、ひと跳びで鶴を掴まえたり、鏈環を一つ一つつないで鎖帷子を作ったり、もらった馬の口を覗いてみたり、鶏から驢馬へと話をすっとばしてみたり、熟れた果物にありつこうと青いのを二つ噛ったり、掘り返した土で掘割を作ったり、狼に吠えられるお月様を庇ったり、雲が墜ちたら雲雀を捉えようと待ち受けたり、無理を道理にしてみたり、もらった麺麭で麺麭切れを作ったり、ざんぎり頭でもつるつる坊主でもごっちゃにしたり、毎朝毎朝げろを吐いたりしていたのである。」


    「しかし結論といたしましては、産毛のもやもやした鵞鳥の子にまさる尻拭きはないと判断し且つ主張する者であります。もっとも、その首を股倉に挟んでやるのが肝腎です。これは、僕の名誉にかけてお信じ下さりませ。と申すのも、鵞鳥の雛の産毛の柔らかさと言い、そのほどよい加減の暖かさと言い、お尻の穴に、得も言われぬ心地良さをお感じになりましょうし、鳥の体の暖かさが、忽ち直腸やその他の臓腑にも伝わり、遂には心臓や脳味噌のあるところにまで達するからでございます。従って、天の楽園に居られる英雄たちや半ば神様になった方々の福楽は、この近所界隈の婆様方の言われるように、天国に生えるしゃぐま百合〔『オデュッセイア』に出る〕や神膏や神酒やらのお蔭だとは思召されぬようにお願いいたします。この福楽は、(僕の説によりますと)これらのお方々が、鵞鳥の子で尻を拭かれることに由来いたしますし、これまたスコットランドのジャン先生〔スコラ哲学の泰斗スコトゥスのこと〕の御高説でもあるのでございますよ。」

    —『第一之書 ガルガンチュア物語 ガルガンチュアとパンタグリュエル物語』フランソワ・ラブレー著

    「これに次いで、ジョブラン・ブリデ先生〔ジョブランとは阿呆あるいは阿呆を装う者の意。ブリデとは「逃れられぬように縛られた」の意〕と名づけるもう一人別な、咳はこんこんの老人が召抱えられたが、この先生は、フゴティオ編『羅典単語集』〔以下すべて中世に流行した教科書類〕や、エヴラール編『希臘語法』や、『幼学綱要』や、『文章八品詞論』や、『問答集』や、『補遺集』や、マルモトレや、『聖書童児解』や、『食卓作法心得』や、セネカ作『主要美徳四部集』や、註釈付きのパッサヴァンティの著書や、御祭礼用の『安眠説教集』や、その他同じような麦粉で捏ねあげられた書物を読んで聞かせた。こういう書物を学んだガルガンチュワは、なかなかの物識りとなって、これほど大した捏粉小僧を浮世の麺麭窯に入れたためしは、その後も絶えてなかったほどである。」

    —『第一之書 ガルガンチュア物語 ガルガンチュアとパンタグリュエル物語』フランソワ・ラブレー著

    「第二十二章  ガルガンチュワの遊戯  それからガルガンチュワは、感謝の祈祷を一くさり、いとも重々しくむにゃむにゃと誦えながら、爽やかな葡萄酒を手を洗うほどになみなみと盃に満たし、豚の脚に囓りついて歯を磨き、そして皆の者と楽しく四方山の話をした。そして、緑色の毛氈が敷かれると、加留多骨牌がうんとこさ、骰子がうんとこさ、それに将棋碁盤の類が山と持ち出された。そこで、彼は、次のような遊びをした。  同色揃え、四枚合わせ、諸手取り、奪い合い、大勝利、ラ・ピカルディー、百点稼ぎ、合戦、乞食、盗賊、十点越し、三十一、揃いと続き、三百点、素寒貧、宣言、札めくり、貧乏暇なし、ランスクネ、無一物、話し合い、続き札、結婚、一揃い、拷問、変り親、色集め、イスパニア加留多、イタリア加留多、大馬鹿三太郎、当てはずれ、責め苦、父子代々、幸運、絵札揃え。〔以上トランプ遊び〕  指当て、西洋将棋、狐と牝鶏、十字将棋、白牛黒牛、白駒、点取り骰子、三つ骰子、戦争将棋、よいとこどっこい、ひっかけ、女王、スバラリノ、進めや進め、四隅積み、打ち倒し、神も仏もあるものかい、相対死、西洋碁、ぶうぶう、一番二番。〔以上将棋・碁の類〕  短刀当て、鍵投げ、命中ごっこ、丁か半か、裏か表か、小石遊び、おはじき、球打ち、靴探し、ふくろうごっこ、兎狩り、百足あそび、小豚追い、鵲跳び、角あそび、飾り牛ごっこ、鳥啼きあそび、にらめっこ、くすぐりっこ、蹄鉄替え、はいしい・はいしい、走れよ小馬、俺は坐った、黄金髭あそび、うらなりごっこ、串抜き、市あそび、袋借り、山羊だま打ち、球当て、マルセイユ無花果、蝿追い、盗賊退治、狐の皮はぎ、橇あそび、脚相撲、燕麦売り、火吹きあそび、かくれんぼ、急ぎ裁判は死に裁判、火箸抜き、にせ百姓、鴇あそび、せむしごっこ、みつかった上人、つまみごっこ、逆立ち、尻蹴り、トリオリ踊り、輪飛び、穴入れ、ぎっこんばったん腹合わせ、桝あそび、棒乗せ、石蹴り、受け取りごっこ、火消しごっこ、九柱戯、棒倒し、曲り球、矢送り、ローマ送り、アンジュナール、球なげ、羽子突き、鬼の居ない間に、壷破り、腕前しだい、棒飛ばし、杖あそび、棒引き、棒投げ、行方不明、棒送り、針占い、鼬ごっこ、追い球、城攻め、列破り、笑窪入れ、独楽まわし、喇叭独楽、坊主独楽、雷あそび、びっくり仰天、木の球取り、梭あそび、尻ぺたたたき、箒あそび、コーム上人拝みまする、鳶色油虫、つかまえるぞ、あばよ四旬節、逆木あそび、馬乗り、狼行列、組み打ち転げ、槍取り、枝ぶらんこ、十三番目、白樺あそび、蝿叩き、牛はもうもう、伝令ごっこ、蜂が刺した、気違い、橋くぐり、目かくし鬼、烏の石蹴り、球飛ばし、鬼ごっこ、里あて、間者ごっこ、蟇あそび、球ころがし、押しくら饅頭、けん玉、王様女王様、商売当て、左か右か、種あそび、お陀仏、鼻叩き、奥様の帽子洗い、篩ふり、麦蒔き、大喰い、風車、ずいずいずころがし、ぐるぐるめぐり、狸釣り、農夫ごっこ、木兎あそび、間抜けぼけ助、逆様おんぶ、梯子のぼり、死んだ仔豚、おけつの塩漬、鳩が飛んだ、三番目、焚火飛び、草叢飛び、挟み鬼、もういいかい、財布はぶらぶら、宝探し、うしうし、べっかんこう  ぼ・ぼ・ば・ば・ば、辛子つぶし、あんよに注意、またがっくり、弓矢撃ち、木馬あそび、烏あそび、凧あげ、ちんちんもがもが、首斬り、鼻つまみ、雲雀鳴き、鼻弾き。〔以上屋内遊戯、戸外遊戯〕」

    —『第一之書 ガルガンチュア物語 ガルガンチュアとパンタグリュエル物語』フランソワ・ラブレー著

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    2025年08月05日
  • 第五の書 ガルガンチュアとパンタグリュエル5

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    これは凄いとしか言いようのない,荒唐無稽かつ超博識な文章である。カタログが延々と続くところなど,テキストの驚異の入り乱れがまたとれる。

    また,ルネサンス文学の研究において,だいぶ前の翻訳者の渡辺一夫から,現代の宮下志朗へと継がれていったことも良いことだと思う。

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    2023年12月25日
  • 第四の書 ガルガンチュアとパンタグリュエル4

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    これは凄いとしか言いようのない,荒唐無稽かつ超博識な文章である。カタログが延々と続くところなど,テキストの驚異の入り乱れがまたとれる。

    また,ルネサンス文学の研究において,だいぶ前の翻訳者の渡辺一夫から,現代の宮下志朗へと継がれていったことも良いことだと思う。

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    2023年12月25日
  • 第三の書 ガルガンチュアとパンタグリュエル3

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    これは凄いとしか言いようのない,荒唐無稽かつ超博識な文章である。カタログが延々と続くところなど,テキストの驚異の入り乱れがまたとれる。

    また,ルネサンス文学の研究において,だいぶ前の翻訳者の渡辺一夫から,現代の宮下志朗へと継がれていったことも良いことだと思う。

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    2023年12月25日
  • パンタグリュエル ガルガンチュアとパンタグリュエル2

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    これは凄いとしか言いようのない,荒唐無稽かつ超博識な文章である。カタログが延々と続くところなど,テキストの驚異の入り乱れがまたとれる。

    また,ルネサンス文学の研究において,だいぶ前の翻訳者の渡辺一夫から,現代の宮下志朗へと継がれていったことも良いことだと思う。

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    2023年12月25日
  • ガルガンチュア ガルガンチュアとパンタグリュエル1

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    これは凄いとしか言いようのない,荒唐無稽かつ超博識な文章である。カタログが延々と続くところなど,テキストの驚異の入り乱れがまたとれる。

    また,ルネサンス文学の研究において,だいぶ前の翻訳者の渡辺一夫から,現代の宮下志朗へと継がれていったことも良いことだと思う。

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    2023年12月25日
  • エセー1

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    うーん
    ちょっとしか読まなかった。
    これを読むのは、もっとじじいになってからでいいかな。
    今はまだいいや。

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    2019年04月09日
  • 第四の書 ガルガンチュアとパンタグリュエル4

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    うーんこうんこが延々。
     フランソワ大先生の作中での設定と、史実の間の齟齬があるらしい。へー。
     渡辺一夫訳の、「ヒベルニアのサフラン=Bren(うんこ)の駄洒落の可能性」説が無い。
     怪物に関する解説が圧巻。
     最後、うんこの呼称の羅列のところで、夥しく出る人間のやつの、excrementやdejection とか、Merde以外によく集めたなと言ふのの他に、翻訳家はそこらへんも考慮して訳さないといけないので、渡辺訳ではソレの一々へどこかの方言を引っ張り出してたが、えー。
     ルクプルの対義語である独身者の呼称、 Les cul pere(ケツがつるつる)といふ、へくそくっだらないをっさんギャグが頭をぐるぐるする

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    2018年09月22日
  • エセー6

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    『エセー』全訳のうち第6巻にあたる本巻には、第3巻第1章~第8章までが収録されている。題名が示しているように、各章ともタイトルからイメージされる内容が厳密に論理的に展開されるのではなく、古典古代の著作やユグノー戦争当時のフランスについての知見を散りばめつつ、「自分」について語る、というスタイルが取られる。もちろん、「自分」について語るとは言いつつも、第6章における新世界での征服活動に対する批判のように、鋭い社会批判も展開される。色々な意味で飽きを感じさせない著作である。

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    2015年03月15日
  • グランド・ブルテーシュ奇譚

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    ネタバレ

    バルザックはやっぱり面白い!
    谷間の百合、ゴリオ爺さんの次に読んだこの短編集。
    表題作の浮気する妻への夫の復讐の話と、お金の話、ファチーノ・カーネが好き。
    素直に読み終わって違和感を覚えたマダム・フィルミアーニはフィルミアーニ夫人は死亡確認書や遺言など、必ず手に入ると信じていたからこその行動なんじゃないかと邪推。それに見事に騙される男達、と見たら面白いんですが…。
    是非人間喜劇全てを文庫化してほしい。

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    2013年04月20日
  • グランド・ブルテーシュ奇譚

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    「人間喜劇」から4編を選んで編まれた短編集。訳はラブレーの宮下さん。
    とにかく表題作が良いんだけど、どれを読んでもバルザックはやっぱりいいなとしみじみと感じていた。バルザックの皮肉はよい。

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    2012年10月16日
  • エセー1

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    仕事の休憩時間の愛読本。びっくりする内容が淡々と平易な文章で語られていて、何とも面白い。勿論モラリストとしての随想もあり、時代を選ばずに読み継がれているのも納得の古典。だからフランス文学はやめられない。

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    2012年07月01日
  • エセー1

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    かの有名なShu Uemura(植村秀)が二十台前半で肺結核を患った際、病床で読んでその後の人生に大きな影響を与えたというので感化されてみた。別名『随想録』

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    2009年10月04日
  • モンテーニュ 旅日記(下)

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    凡ゆる場面、まるで現代旅行者のようにモンテーニュ殿は気儘な旅をしている。(下)はローマから仏ボルドーまで、半年かけて帰ったその記録だ。

    モンテーニュ殿(以下「殿」と呼称する)が秘書の手を借りずに自ら書き記した旅日記を時系列に載せて、私の感想を←として残す。便宜上、秘書に任せず殿自ら日記を書き始めた上巻224pから。

    (1581年)2月16日、教会への参詣から戻ろうとすると、小さな礼拝堂で、法衣を身にまとった司祭が、「悪魔に憑かれた男」を治そうとして奮闘しているのを見かけた。それは憂鬱そうで、まるで死んだような男だった。祭壇の前でひざまずいて、なにやら布を首に巻いていたが、そうやって男をつかまえているのだ。司祭は男の前で、悪魔祓いのことばをむにゃむにゃ唱えて、悪魔に「この身体より出でよ」と命じながら、聖務日課書の析禱文を読み上げていた。
    ←以下延々と非常に貴重な16世紀末の「エクソシスト儀式」の一部始終を記録していた。殿は、この悪魔祓いを信じているのか否かを明らかにしない。客観描写に徹していた。好奇心旺盛な知識人。

    2月17日。ローマは、フランスに比べると魚が少ない。カワカマスなども全然ありがたがられず、庶民の食べ物になっている。シタビラメやマスは珍重され、バーベル(似鯉)はとても美味で、ボルドーあたりのものよりもずっと大きいけれど、値段も高い。(略)一年を通じて、新鮮なブドウが食べられるし、今でも、とても美味しそうなのが棚にぶらさがっていたりする。ヒツジの肉は価値なしで、ほとんど評価されない。
    ←この文章だけ見ていると、現代の旅日記と言われても信じる人が多数なのではないか。翻訳のせいだけではない。視線と考察が現代的なのである。

    4月21日。テルニ。町の下の方には、谷間に肥沃な平地が広がり、その向こうには、しっかりと耕作された丘の斜面が続き、人家も多い。とりわけオリーヴの木がたくさんあるから、これ以上はない美しさである。しかも、こうした丘陵のあいだに、ときおりかなり高い山があったりして、そこがまた山頂まで耕されて、あらゆる種類の果実がたわわになっているのだ。
    ←一般的な観光としての「景勝地」ではないが、殿はこのようにして「景色を愛で」ていた。思うに、実に近代的な考え。しかも、その眼は日本の様な田舎の美しさを最も評価していた。

    4月25日。ロレート。「小さな家」(聖母マリアの家、つまりキリスト生誕の家、聖地。移築されて此処に来た。煉瓦造りの細長いみすぼらしい小屋だが、その周りを頑丈で美しい建物で覆っている)について、長々と述べる。殿は家族を描いた奉納画を納めた。記録はあるが、現在は紛失しているらしい。
    ←旅の目的のひとつだったろう。

    5月5日。ルッカ。自由都市。城壁内の守りの構造などを詳しく描写している。例えば「土手の樹木は日陰だけでなく、有事の際には防衛用の粗朶に使われる」「300人の外国人部隊が守りを固めている」「都市部以外にも12万人の臣民を擁する」等々。
    ←スパイ防止法姦しい昨今から見れば、なんとも開けっぴろげと思ってしまう。ルッカはいっときフレンツェの支配下に入ったりしたが、基本的には共和国として長く自治を守ったらしい。

    5月7日。デッラ・ヴィッラ温泉。殿が2度に渡り、延べ75日も滞留した温泉地である。この頃は前半の12名という大隊を伴っての旅ではなく、おそらく従者とロバ引と3-4名の旅だったろうと訳者は言う。この地での殿の日記記述は詳細を極め、特に温泉治療の詳細は人の助言を気にしながら独自のものを編み出して、慎重に砂や小石を出して腎臓結石治療に勤しんでいる。
    ←村の説明は、ほとんど現代旅雑誌のライターの文章が如し。「宿屋の主人はパウリーニ隊長という」(おそらく村の民兵組織隊長だろうと訳者)とまで書いている。

    ・温泉滞在中、一度生涯の友にして故人、ラ・ボエシーのことを思い出して「大変辛かった」と書く。訳者は「エセー」から彼のことを綴った部分を訳注に表記する。即ち以下。
    「ラ・ボエシーが死去したのは1563年8月18日であった。なお、「旅日記」に莫逆の友ラ・ボエシーのことが出てくるのは、この個所のみ。ct「だが、こうした人生でもあえて全生涯をといわせてもらうけれどー、それを、あの人との甘美なる交わりや付き合いを享受すべく与えられた、あの四年間と比較するならば、それはもう、はかない煙にすぎず、暗くて、やりきれない夜でしかないのだ。彼を失った日から後は、(中略)わたしは、力もなくわが身を引きずっているにすぎない。わたしに差し出される楽しみにしても、わたしを慰めるどころか、彼を失った未練を倍加させるだけなのだ。われわれは、すべてを半々に分けていたのだから、今は、なんだか彼の分け前を奪っているような気がする」(『エセー』1・27/28「友情について」)
    ←「すべてを半々に分けていた」という言葉は、その後あらゆるBL文学で援用されていたかもしれないが、おそらくこれがその初出のような気がする。しかし殿は結婚もし、子供も何人ももうけているのだから、ボエシーと肉体関係があったとは思えないのである。

    ・温泉滞在中、日記は「純粋なトスカーナ語地域にいるのに、その言葉を記さないのはおかしい」と言ってイタリア語表記になる。殿は仏語伊語ラテン語のバイリンガルなのである。村のダンス大会に参加して一緒に踊ったり、観兵式に招待されたりしている(この後ダンス大会を主催したりまでしている)。肉をたくさん食べる習慣がなく、子ウサギを格安で売ってくれ料理している。
    ←最初の滞在は44日であったにも関わらず、昔からいた有力者の如く振る舞えているのは、元々そういうお国柄なのだろう。他の日曜日では、ボローニャの貴族が別のダンス大会を開いたと日記に書く。村の女たちは、そうやって娯楽と景品を手にするのだろう。自治都市として民兵までいるのに、この自由さは、日本の戦国時代と比べると雲泥の差という気がする。いや、戦国時代農民が一向宗門徒として100年間治めたという「越前加賀」ならば、このようなことが日常的に行われていてもおかしくはない。しかし、そういう文章はない。例えば、戦国時代が盆踊りの起源だと言われているけど、他所からきた貴族や武士が、そこに参加して楽しんだ、という記述が、何処にも無いというのは何故なのか。

    7月3日。有名なピサに行き、斜塔も見てはいるが、心は全然動かず、隣の建物のことを詳述していたりする。26日までピサに留まる。健康か優れなかった。朝ひとつ小さな石、黒く濁った尿、もうひとつ小さな石が出て痛みが治まる。
    ←殿の結石は、なかなか厳しいもののようだ。

    下巻には「解説」がある。かなり詳しかった。
    訳者の宮下さんは、殿の旅日記について、少し突っ込んだことを書いている。前半は秘書が殿から聞き書きして日記を書いていたことは既に述べた。いやそうじゃない。殿の指示ではなくて「秘書が勝手に書いていたとしたら、どうだろう」。殿は秘書と別れた後にそれを初めて読み、刺激されて続きを書き始めたとしたら‥‥。と、宮下さんは書いてみる。確かに殿はひとつのことにかなり拘って長文を書いているし、数日何も書かなかったこともある。秘書の書き方は とはかなり違う。途中で日記の「スタイル」を変えたのは、おかしいと私も思う。ただ、本当のところは不明である。

    宮下さんも旅の目的に、「温泉治療」のほかに、「旅を楽しむ」「憧れのローマを訪ねる」ことがあったろうと書く。日本中世神官が伊勢に行くようなものか。でも日本に旅日記はない。他にはやはりというか、仏国内ではアンリ3世から「秘密の使命」を帯びていたのでは?という憶測があるらしい(殿のスパイ説)。宮下さんは憶測の域を出ないと述べている。小説にするにはいい材料。

    自由精神による旅レポートの起源はモンテーニュなのだろうか。思うに、日本の本格的な「自由な旅レポート」は、18世紀末の菅江真澄まで待たなくてはならないと思う。実は、西欧では14世紀に有名なダンテのイタリア旅レポートがある。果たしてどうなのか、いつか紐解きたい。

    この本によって、西欧と日本の中世史について少し詳しくなり、そして旅日記について考察することが出来た。読書の悦びの一端を体験出来た。以上、長々と読んでくださりありがとう御座いました♪

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    2026年05月26日
  • モンテーニュ 旅日記(上)

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    1580年から1581年にかけての、世界最初のエッセイスト?モンテーニュの旅日記である。上巻のほとんどは随行した秘書がモンテーニュ殿の言葉をそのまま掬い上げ、おそらく自分の事実補正も入れながら旅レポートとして仕上げたものである。下巻からは何故か秘書が居なくなり、本人が書いたものになるらしい。

    フランスからスイス、ドイツ、オーストラリアを経由して、イタリアのヴェネツィア、フィレンツェ、そして念願のローマへ行くまでが上巻である。その間9月から11月30日にローマに到着し、3月末までの滞在が記された。

    時は16世紀末。カトリック教徒と新教徒派のいわゆる宗教戦争の影響は、深く全ヨーロッパに及んでいて、フランス貴族のモンテーニュは各地にビザもなく訪れてはいるが、必ず地域の村長や公主を表敬訪問し、同時に彼らと何やら交流している。必ず、「この町はカトリックが◯割」とか記している。

    一方、訪れた街や村や温泉場の宿の様子、食事、その他諸々を事細かに記録していて、見る者が見れば貴重な歴史資料になっていると思われるが、私にはさっぱり。

    文庫表紙の木版画はフランス東部の名湯プロンビエール温泉である。画を見て分かるように、混浴である。ということに先ず驚いた。
    「浴場はたくさんあるけれど、大きな本浴場は古い造りで、楕円形をしていて、長さが三五ピエ〔約10メートル]、幅が一五ピエ〔5メートル弱]ある。熱水が温泉の底のあちこちからぶくぶく湧いているが、入浴客は、自分の好みで上から水を流して湯加減を調節できるようになっている。わが国の厩舎さながらに、両側を横木で仕切った入浴場所もあって、日差しや雨をさけるために、上には木の板が立てかけてある。浴槽の周囲には、劇場のように三、四段の石段がぐるりとめぐらせてあり、入浴客が座ったり、寄りかかったりしている。慎み深さというマナーがしっかり守られている。男性は股引以外ははだかで入らないと礼を逸するし、女性も肌着以外はだめなのである。」(30p)
    モンテーニュは、温泉に着くと治療目的で真面目に何度も入るし、温泉水をこまめに飲む。彼は腎臓結石という、比較的重い持病を抱えていて、この温泉でも、11日間逗留し、膀胱内にあった小さな石を2個排出、その後時々砂を出したという。その後も温泉があると必ず寄って飲料している。私は「そんなに温泉水が効くんだ」という事に先ず驚く。16世紀にして原因と治療法を確立している事、次に驚く。

    一方、眼を転ずれば、東方日本国では、信長・秀吉の天下統一事業の真っ最中。京都のどんな貴族も、商人も、僧侶も、モンテーニュのような風土記は記そうともしていない。アウクスブルクやヴェネツィアやフレンツェやローマの街の風景木版画を観ると、まるで明治の日本を見るが如し。文明も精神も、日本はかなり遅れていたのではないか?と思わざるを得なかった。

    せっかく読むんだから、もう少しよく分かる解説本を探してみようと思う。

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    2026年04月27日
  • モンテーニュ 人生を旅するための7章

    Posted by ブクログ

    旅と日記が好きなので岩波文庫「モンテーニュ旅日記(上)」を購った。詳細な訳注はあるものの、(上)には解説はなかった。モンテーニュの人生と旅の目的とその他幾つかが、謎のままでは流石に読み難く、同書翻訳者宮下志郎氏の著した岩波新書があると知り紐解いた。

    当てが外れた。
    旅は旅でも「人生を旅するための」モンテーニュ著書「エセー」解説本であった。まぁ、それでも少しは旅の解説はしていたのだが。

    16世紀末、日本では豊臣兄弟が鳥取城や高松城を攻めていた頃、モンテーニュは南仏モンテーニュ村の有力者の城主であり、ちょうど人生最大の旅に出ている時だった(1580-81年)。「エセー」初版刊行直後である。旅のおわりに、彼はボルドー市長に推挙され、四年目に一応退いている。あとはひたすら読書とエセー執筆の日々。

    結局は堀田善衛ではないけど『城館の人』(集英社文庫)だったのだ。類まれな古典への教養、そして13年勤めた高等法院判事の経験など買われ、仏王からも頼りにされるけど、本人は隠居したつもりである。ざっくり言えば、「エセー」はエッセイというジャンルの元祖。近代哲学の父、パスカル(「人間は考える葦である」)や仏革命を準備した思想家、ルソー(「社会契約論」)にも影響を与えたらしい。

    宮下さん自ら訳した「エセー」抜書きは多々紹介されている。
    例えばこんな。

    判断力は、どのような主題にでも通用する道具であって、どこにでも入りこんでいく。したがって、今している、この判断力の試みにおいても、わたしは、あらゆる種類の機会を用いるようにしている。自分に少しもわからない主題ならば、まさにそれに対して判断力を試してみて、その浅瀬に遠くから探りを入れて、それから、どうも自分の背丈には深すぎるようだと思えば、川岸にとどまるのだ。・・・・・他人の足跡の上を歩くことしかできず、なにも独自のものなど見いだせないような主題の方に判断力を引っぱりだすこともある。すると判断力は、自分に最良と思われる道を選び出すような働きをおこなって、数多くの道のなかから、これが、いやこれが、いちばんよいから選んだなどといってくれる。
    (1・50「デモクリトスとヘラクレイトスについて」)

    「エセー」の定義として、もっとも有名な個所である。さまざまな対象と接する機会をみずからに与えて、そこで「判断力」を実践するという「試み(エセー)」が、『エセー』という作品の企てなのですと説明してくれている(らしい)。

    外国の「随筆」が、この様に始まっているのならば、文学のようなルソーの『孤独な散歩者の夢想』や、サルトルの『嘔吐』が、哲学書として読まれているのも宜なるかなと思ってしまう。尤も私はこれを含めて、モンテーニュさんのエセーは、ほんとに単なる高等遊民の戯言としか思えなかった。

    ⸺こんなことぐらいしかわからなかった。
    仕方ない。
    「旅日記」を読もう。

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    2026年04月26日
  • なにも見ていない ――名画をめぐる六つの冒険

    Posted by ブクログ

     これは面白い!
     本書は、美術史家の著者が、名画の「細部」にこだわりにこだわり、その意味するところは何なのかを自在に論じたエッセイ風の論考である。

     具体的には、ティントレット《ウルカヌスに見つかったマルスとウェヌス》、フランチェスコ・デル・コッサ《受胎告知》、ブリューゲル《東方三賢王の礼拝》、ティツィアーノ《ウルビーノのヴィーナス》、ベラスケス《ラス・メニーナス》の五作品と、あわせてマグダラのマリアの髪はなぜ長いかを論じた一編の計6編の論考が収録されている。

     例えば《受胎告知》では、絵の縁をカタツムリがツノを出して歩いているのが紹介され、このような神聖な場面でなぜカタツムリが登場しているのか、それは何を含意しているのかが考察され、《東方三賢王の礼拝》では、バルタザールやメルキオールがややコミカルに描かれているのに対し、黒人のガスパールは堂々と威厳をもって佇まいで画面右端に立ち、強い眼差しで何かを見ているのだが、その描き方は何を意味しているのかが順々と検討されていく。また《ウルビーノのヴィーナス》では、マネの《オランピア》と対比させながら、その画面構成の革新性を鮮やかに解き明かしていく。

     これまで自分が、名画と言われるものを、素通りに近い形で絵を見てたきたのかをまざまざと思い知らされてしまった。

     本文は、書簡体、対話調、独白形式と様々だが、全体に軽いタッチで論じられていて、訳文もかなりくだけているので、とても読みやすい。ただ、最後の《ラス・メニーナス(女官たち)》は、フーコーの議論も取り上げられているのだが、論旨が良く分からなかったのが残念。

     

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    2026年01月15日
  • エセー7

    Posted by ブクログ

    ネタバレ

    最近『金持ち父さん 貧乏父さん』を読んだばかりなので、なんともタイミングの良いモンテーニュの一言と出会ったことになる。
    ”最悪の場合には、つねに支出を切りつめることで、貧乏の先手を打て。”

    ところがキケロの言葉の方が刺さったな。
    ”裕福さの程度というのは、収入の多寡ではなしに、食事や暮らしぶりによって計られる。”
    これは贅沢をしろということではなく、足ることを知る心の裕福さということ。

    ”恩義という負債は、返済されることはあるかもしれないけれど、完済はありえないのである。”
    これは心に刻んでおくべき名言ですな。
    軽々しく「借りは返したぞ!」なんて言ってはいけないですね。
    困っているときに助けてくれた、ということをもっと重くとらえなければ。

    ”若者たちは、世間も、自分も、両方を満足させることができる。ところが、われわれ老人は、自分のことをどうにかするだけで手一杯だ。自然が与えてくれた楽しみは、老いとともに、だんだんとなくなっていくのだから、人為的な楽しみで、自分を支えていこうではないか。”
    体の衰えはいかんともしがたくても、なるべく楽しみを見つけて、精神的にしぼんでしまわないようにしようと思っています。
    が、難しいよね、ほんと。

    ”(わが国の若い世代の宮廷人たち)は、自分たちの同類としか仲良くならず、われわれのことを、まるで別世界の人間のように、軽蔑と憐れみの目で見るのだ。”
    確かにそうだよね、と思う部分はあるけれど、振り返れば自分たちだって若かった時にはそうだったのでは、とも思う。ジェネレーション・ギャップはしょうがないにしても、なるべく懸け橋になれたらな、と精神的に大人になり切れないおばばは思ってます。
    うざい?

    ”自分にふさわしい名誉以上のものにがつがつしないことを学ぼうではないか。(中略)彼らは、自分の行動を、それにかかった価格をつけて提示したいのである。”
    こういう人、いるわ~。
    「すごいですね~」と言ってあげたら気分良くなるのはわかってるんだけど、心にもないことは言えない性分なので嫌われてる。笑

    ”自分を自分の力で支えている人こそが、もっとも強いのだ。”
    これについては、まったくそのとおりと思うけど、さらに弱い人に手を差し伸べられる人がいいなと思う。
    甘やかすのではなく、見捨てるのでもなく。

    セネカの言葉
    ”死が訪れるのは、いま君が病気だからではなく、いま君が生きているからだ。そのような運命は、病気が快復したあとにも待ち受けている。全快したとき、きみは死ではなく身体の不調を脱したのだ。”
    誠にごもっとも。
    ただ今快復に向けて治療中ですが、なんか肩の力が抜けました。よし。

    400年も前の、フランスの人の文章ですが、「私もずっとそう思っていたの!」と思うようなことが多くて、友だちになれそうな気がしてきました。
    まあ、わたしはカトリックではないので、向こうから「話しにならん」と断られますが。

    ギリシアやローマの歴史以上に、モンテーニュの生きた時代の宗教戦争についてをよく知らないので、正直読んでいて苦痛な部分も多かったですが、モンテーニュの意見を現代に置き換えて、自分にひきよせて読むとなかなか面白かったです。
    毎回読み始めは気合いが必要でしたが、全巻通読することができてよかった。
    とくに老後の生き方について考えるところは、身につまされました。

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    2023年05月31日