宮下志朗のレビュー一覧
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エッセイという言葉の語源となった「エセー」という本を書いた、モンテーニュについて語った本ですね。「エセー」には興味がありましたが、超大作でもあり、かつ翻訳も値段が高いので、なかなか読むにはハードルが高い本ではあります。その中で、作者のモンテーニュ自身について書いた新書があると知って読んでみました。
「エセー」がどのように書かれたのかという事が、時代背景も含めてよく理解できますし、随所に「エセー」に書かれた金言もたくさん載っており、手軽に「エセー」のエッセンスに触れることができるので、とても良い本だと感じました。
「エセー」本編も、いずれきちんと向き合いたいなと思います。 -
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『エセー』の最終巻。晩年のモンテーニュが、肉体的にも精神的にも、意気盛んであったことがよく分かる。国は宗教戦争のさなかにあり、自身もそれにかかわりながら、『エセー』を書いている時は、いつものモンテーニュであり、それは最後まで変わらない。自らの慣習に忠実に、食べ、飲んで、眠っている。抑制することもなければ、過激になることもない。悟りすましたりもしない。人間歳をとり、死が近づいてくると、何かに頼りたくなるものだが、モンテーニュは自身の経験をしか頼らない。しかも、頑迷ではなく、融通無碍に晩年に対処している。見習いたいものだが、なかなかこうは生きられない。達人の域である。長めの章立てが、ぱらぱらと読む
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16世紀に書かれたモンテーニュの随筆。根が暗いのでこれを読んで以来「人生に、ふんわりとした平静さ」をもたらす為に夜な夜な死について考えてる。
第19章「哲学することは、死に方を学ぶこと」
死に方を学んだ人間は、奴隷の心を忘れることができた人間なのだ。
人生を大いに謳歌したというなら、もうたらふくいただいたのだから、満足して立ち去るがいい。
人生は、それ自体は善でもなければ、悪でもない。お前のやり方次第で、それが善の場ともなれば、悪の場ともなるのだ。
人生の有用性とは、その長さにではなく、使い方にある。
死んで不幸になった人間を、見たことがあるか? -
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第二十五章 衒学について
(a)われわれは他人の意見や知識をしまっておく。そしてそれでおしまいである。だがそれをわれわれ自身のものにしなければならぬ。われわれは、火が必要になって、隣にもらいゆき、そこに火がたっぷり赤々と燃えているのを見ると、腰を据えて温まり、自分の家へ火を持って帰るのを忘れてしまう人によく似ている。(中略)ルクルスは戦争の経験がないのに、書物を読むだけであれほどの偉大な将軍になったが、はたしてわれわれのようなやり方で書物の知識を身につけたのだろうか。
読書を習慣とするものは、みな多少なりともこの文章にドキリとするのではないだろうか。読書は他人の頭脳を借りる行為である -
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だいぶ前の事だが、翻訳という技術が全く情けないものになったと誰かが嘆いていたが、最近の翻訳者たちはすごいのではないか?宮下訳のエセーも従来にない読みやすさがある。第1巻でも全部読めたのは訳者のおかげである。
「死など恐ろしくはない」といいながらいつも死について考えているモンテーニュがなんとなくおかしいなどど思いながら読んだ。
英才教育を受けフランス語よりラテン語を得意としたモンテーニュという人となりも考えさせられるものがあったし、若くしてさっさと隠居し、塔にこもって出てこない館主のわがままを支えた人たちの事も想像してみたくなる。
現代では、隠居しても、こんなわがままはとても通らないのは言 -
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「ゴリオ爺さん」以来のバルザック。
四篇の中では、面白かった順に、「マダム・フィルミアーニ」、「グランド・ブルテーシュ奇譚」、「ファチーノ・カーネ」、「ことづて」
「マダム〜」は、ここまで絶賛される女性が実在するならば見てみたい。マダムに感化されて、オクターヴ・ド・カンが高潔な精神を発揮し、一旦は一文無しになるものの、ハッピーエンドを迎えるのは、気持ちよく読めた。
それに対して表題作の「グランド〜」は、恐ろしい、のひとこと。神に誓うことの重要性は、一神教徒でない自分にはなかなかピンと来ないが、妻の情事に気が付いた夫の意趣返しの醜悪さたるや。
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19世紀フランスの作家バルザック(1799-1850)の短編4編と評論1編。大都市パリの喧噪と汚濁に塗れながら、もはや「回帰すべき田園」も無ければそこで幻想されていた「人間の本来性」なるものも喪失してしまっていることを痛切に認識し、近代社会という暴力的に運動する機構のなかで落魄した群衆の匿名的な情念と生理の有象無象それ自体のうちに何か美的なものを見出す新たな美意識を、ボードレール(1821-1867)に先駆けて描いている。この現代的な美意識にあっては、ギリシア以来古典的な「真-善-美」の三位一体が解体されている。
「英雄や発明家、街の物知りや、ごろつき、悪人、有徳の士や背徳者。だれもが貧困に -
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多数の作品から成る『人間喜劇』より厳選された
短編4編+評論「書籍業の現状について」を収録。
「早過ぎた埋葬」(!)系の表題作が猟奇的だが、
それにしても、この時代(19世紀前半)のヨーロッパでは
上流階級の人々が配偶者に隠れて若い恋人とあれやこれや……は
普通のことだったんだろうかと首を傾げる。
きっと珍しくはなかったんだろうな――と思っていたら、
巻末の年譜にバルザック自身の「あれやこれや」が記されていて
笑ってしまった。
未亡人を口説いている最中に
家事を引き受けてくれたメイドさんのような女性と「できちゃって」
いただとか、やりたい放題。
人生の経験値が高ければ、それだけ
様々な人物造形