あらすじ
1580年,地元ボルドーで『エセー』初版を出したモンテーニュは,末弟らとともに長旅に出た.スイス,ドイツ,オーストリアを経由して,ヴェネツィア,フィレンツェ,そして念願のローマへ.温泉での湯治,宿屋や食事の様子,名所の風景,土地の風俗など,持ち前の観察眼で綴られた稀有の旅行記.(全二冊)
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Posted by ブクログ
1580年から1581年にかけての、世界最初のエッセイスト?モンテーニュの旅日記である。上巻のほとんどは随行した秘書がモンテーニュ殿の言葉をそのまま掬い上げ、おそらく自分の事実補正も入れながら旅レポートとして仕上げたものである。下巻からは何故か秘書が居なくなり、本人が書いたものになるらしい。
フランスからスイス、ドイツ、オーストラリアを経由して、イタリアのヴェネツィア、フィレンツェ、そして念願のローマへ行くまでが上巻である。その間9月から11月30日にローマに到着し、3月末までの滞在が記された。
時は16世紀末。カトリック教徒と新教徒派のいわゆる宗教戦争の影響は、深く全ヨーロッパに及んでいて、フランス貴族のモンテーニュは各地にビザもなく訪れてはいるが、必ず地域の村長や公主を表敬訪問し、同時に彼らと何やら交流している。必ず、「この町はカトリックが◯割」とか記している。
一方、訪れた街や村や温泉場の宿の様子、食事、その他諸々を事細かに記録していて、見る者が見れば貴重な歴史資料になっていると思われるが、私にはさっぱり。
文庫表紙の木版画はフランス東部の名湯プロンビエール温泉である。画を見て分かるように、混浴である。ということに先ず驚いた。
「浴場はたくさんあるけれど、大きな本浴場は古い造りで、楕円形をしていて、長さが三五ピエ〔約10メートル]、幅が一五ピエ〔5メートル弱]ある。熱水が温泉の底のあちこちからぶくぶく湧いているが、入浴客は、自分の好みで上から水を流して湯加減を調節できるようになっている。わが国の厩舎さながらに、両側を横木で仕切った入浴場所もあって、日差しや雨をさけるために、上には木の板が立てかけてある。浴槽の周囲には、劇場のように三、四段の石段がぐるりとめぐらせてあり、入浴客が座ったり、寄りかかったりしている。慎み深さというマナーがしっかり守られている。男性は股引以外ははだかで入らないと礼を逸するし、女性も肌着以外はだめなのである。」(30p)
モンテーニュは、温泉に着くと治療目的で真面目に何度も入るし、温泉水をこまめに飲む。彼は腎臓結石という、比較的重い持病を抱えていて、この温泉でも、11日間逗留し、膀胱内にあった小さな石を2個排出、その後時々砂を出したという。その後も温泉があると必ず寄って飲料している。私は「そんなに温泉水が効くんだ」という事に先ず驚く。16世紀にして原因と治療法を確立している事、次に驚く。
一方、眼を転ずれば、東方日本国では、信長・秀吉の天下統一事業の真っ最中。京都のどんな貴族も、商人も、僧侶も、モンテーニュのような風土記は記そうともしていない。アウクスブルクやヴェネツィアやフレンツェやローマの街の風景木版画を観ると、まるで明治の日本を見るが如し。文明も精神も、日本はかなり遅れていたのではないか?と思わざるを得なかった。
せっかく読むんだから、もう少しよく分かる解説本を探してみようと思う。