木内昇のレビュー一覧
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木内昇『櫛挽道守』集英社文庫。第8回親鸞賞 、第27回柴田錬三郎賞 、第9回中央公論文芸賞の三冠受賞作。
それほど素晴らしい小説とは思わなかったのは、エンターテイメントの要素が全く無い時代小説のためだろうか。時代に逆らいながらも自らの道を進む女性の姿を描いた小説に高田郁の『みをつくし料理帖』があるが、それに比べれば物足りなさを感じた。勿論、各種文学賞の受賞と面白さは決して比例するものではないということは承知しているのだが。
幕末の木曽山中を舞台に描かれる家族の物語。寡黙で愚直な櫛挽職人の父親、古い習慣の奴隷であり続ける母親、才能を開花させる前に急逝した弟、古い習慣から逃れることを夢見る妹…父親の背中を見詰めてきた主人公の登瀬はいつしか父親と同じ櫛挽職人の道を目指す。 -
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「新選組」という舞台装置で、弱きヒトの葛藤と苦悩をえがく人間ドラマを儚き筆致で堪能できました。
この作家の個性とも言うべき味なんでしょうが、どこかしらのハカナサみたいなものがあると思えまして。この小説の場合特に、ひたすらに男ばかりのお話を、書いているのが女性と言う異化作用も理由なのかなあ、と。
決して悪い意味ではなく、素敵な読書でした。
「茗荷谷の猫」「櫛引道守」がどちらも大変に面白かったので、引き続いて木内昇さん三昧。
木内さんには新選組を舞台に「新選組 幕末の青嵐」という小説もあります。
「青嵐」の方が、新選組有名幹部のお話だそうです。この「地虫」の方は、同じ新選組でもより泡沫隊員を主人公にしたお話。
と、いうところまでは知っていて読みました。
新選組については司馬遼太郎さんの小説などで割と知ってしまっているので、泡沫の方から読んでみようかな、と。
阿部十郎、という貧しい農民出身の新選組隊士。
イデオロギーに酔って身命を賭けるほどの学もなく、剣一筋に生きるような腕もない。
身より頼りも係累も無く、孤独と淋しさ、無力さからの虚無に苛まれる一隊士。
阿部は流されるままに隊務に就き、川下に下るように自然と派閥争いに巻き込まれていきます。
時代が変わっていきます。価値観が変わっていきます。
徳川幕府がえらい、ということが当たり前じゃなくなっていきます。
百姓からでも武士になれちゃったりします。
何より外人さんたちが日本に開国と貿易を迫ってきます。
お隣の中国が欧州列強に食われてぼろぼろだ、という噂が来ます。
外国では民主主義ってのがあるらしい。
国を変革する、という遙か彼方に思えたことを、大真面目にやるつもりになっているエリートたちがいます。
そんな中で、近藤勇や土方歳三と言った有名幹部ではない、泡沫隊士の阿部十郎。
そして、新選組の幹部ではあるけれど、あくまでサポート役である、尾形俊太郎、山崎烝。
そして、阿部十郎と友情で結ばれた浅野薫。
こういう比較的無名な、そして人としての強さ、というコトで言えば、弱い者たち。
決して英雄ではない、弱さを一杯抱え込んだ人間臭い主人公たちの目線で、新選組の「晩年」が描かれて行きます。
何と言っても、阿部と浅野の交流が切なく胸にせまりました。
(ま、心理的同性愛というべき愛情なんですが。女性作家ですから、一歩下品なるといわゆる同性愛もの…ま、それも新選組という舞台装置の味なんですが)
「汚れて崩れた阿部にとって、浅野のまっすぐな好意だけが生きるよすがだった」
といういじましくもツンと来る心理が、ほろほろと描かれて。
丁寧に淹れた一服のお茶を味わうような。
そして、阿部の心理、浅野との関わりを軸としながらも、どんどん物語は拡散して群像劇になっていきます。土方歳三の下で働く尾形俊太郎、山崎烝。伊東甲子太郎の下で働く篠原、服部。
そういう、「正史なら必ず脇役でしかない」人の気持ちと目線がハッキリしています。
そしてそういう凡人たちを取り囲む、近藤、土方、沖田と言ったおなじみのキャラクター。
会社の職場のような狭い世界での生き残りに俗物臭を放つ隊士。
まっすぐに、職人のように剣にのみ生きる隊士。
さまざまなキャラクターが、講談的な(つまり実は、司馬遼太郎さん的な)世界観や性格付から逸脱せずに。
「底辺の者=地虫」の目線から見上げた世界観の中で、ケレン味たっぷりと言っても良いくらいに輪郭豊かに活躍します。
そして、その描写がケレン臭を放たないのが、木内昇さんの文章力というべきか。
具体的には、アクションのケレンよりも、各章でするっと各々の気持ちを心理描写しているところから、飽かさず素直に読ませてくれているのだろうなあ、と思いました。
特に阿部と並んで、尾形俊太郎のキャラクターはなんだか愛着持てました。
尾形俊太郎の後日譚の入れ方も、悲惨な中に救いのある風味。
なんですが、正直に言うと、幕末という時代や新選組という位置づけについて、どうしても自分は司馬遼太郎さんのコトバによる俯瞰図と理解が前提としてあります。
それが無かった場合にこの小説がどのくらい、同じように味わい深いのかは、ちょっと予断を許さないところだとは思います。
新選組、という枠組み自体が初心者な人には、やっぱり、小説「燃えよ剣」か、三谷幸喜ドラマ「新選組!」から入る方が、とっつきやすいだろうなあ、と…。
で、次に木内昇さん…
あ、でも「新選組 幕末の青嵐」を読まないと、早計に断じるのは失礼、か。
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粗筋の備忘録。
と、言っても「新選組」の晩期の歴史が縦軸ですが。
京都で猛威を振るう、池田屋事件以降の新選組。
そこに入隊した隊士・阿部十郎。
ですが、天涯孤独で学も無く、生きる芯が無いが故、厳しい規律などに嫌気がさして、脱退。
だからと言って生きる術も目的もなく、俗物隊士・谷三十郎のツカイッパをしながら大阪で無為に生きているところからはじまります。
そこに、同じ隊士の浅野薫が友情から、戻ってこいよ、と。
まっすぐな浅野がまぶしいけど、唯一信じられる無垢な友情を見出し、阿部は戻ります。
一旦阿倍の視点を外れて、尾形俊太郎の目線から。
阿部復帰後の新選組。新たな異分子・伊東一派と土方の対立。
その背景にある、長州征伐以降の玉虫色の京都の政治状況と情報戦。
異彩を放つ新選組の職業的密偵・山崎の個性、ユニークさ。
阿倍の、生きがいの無い彷徨を交えながら、徐々に視点は伊東一派の篠原・服部に行ったり、
土方近くの尾形に戻ったり。
とにかく、近藤・土方・沖田・永倉・斎藤・伊東の6人の、ちょっと下の、地べたにいる人間の目線からひたすら描かれる。
伊東一派との冷戦が深まり、つまらない失敗から浅野薫が除隊になる。
長州と薩摩と土佐と岩倉具視と一橋慶喜が遙か上で暗躍する移り変わりの中を、悲しく滑稽に右往左往する新選組幹部たち。
そして伊東の焦りと脱退。
阿部は伊東一派に。そして浅野を救おうと。
そんな浅野が非業の死を遂げると、もう物語はアナーキーな迷走状態を描きながら、
伊東暗殺、そして近藤勇暗殺未遂と濁流を描いて終結します。 -
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この作者の『幕末の青嵐』が表の話ならこっちはまさに裏の話といった感じ。
近藤・土方・沖田など通常メインでもってこられる方々が脇役で、今回の主役は阿部十郎・篠原泰之進・尾形俊太郎の三人。
新撰組小説だとだいたいそんなにページを割いてもらえない伊東甲子太郎一派がメインという感じ。
とにかく人物の心理描写が凄くて時に読んでて辛くなる。
特に阿部さんの気持ちはわかるところが多かったので辛かった。
新撰組が好きな人にはぜひおすすめしたいですが、伊東甲子太郎が入隊~暗殺されるまでがメインのためある程度は新撰組について知ってないと理解しづらいとこもありそうなので、何冊か既に新撰組関連の本を読んでる方に特におすすめしたい。 -
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最初の100ページあたりは正直言って退屈だった。
この作者の本は、別の短編集でもスロースターターだったなあ…
途中から伝奇物の様相を呈するけれど、夢が覚めてみれば、明るい空の下であった…ような。
途中、世相を映して、西南の役の様子が語られる。
西郷の最後の言葉「もうここらでよか」
明治の時代に乗りきれなかった人の象徴なのだろう。
ここを乗り切ったからといって、決していい時代には進まないことを、後の世を生きる私たちは知っているけれど、主人公にはこの先、地に足をつけて生きて欲しいと願うのだ。
巻末に紹介されていて初めてわかったけれど、表紙の絵は、小村雪岱でした。
この絵ではないけれど、埼玉県立近代美術館で絵を見て、気に入って絵葉書を買った画家でした。 -
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ネタバレ木内昇も、作品発表のペースが落ちない作家さんだ。
つい最近読んだのは2024年の作品(『雪夢往来』)だったが、その前の『奇のくに風土記』は2025年、毎年のように500ページ前後の重厚な作品を、近年は届けてくれている。
江戸後期の時代背景のものが多いのも、昨今の特徴か。
本作、幕末の時代、福岡藩士の夫を亡くしてから出家し「望東尼」として、勤王の志士たちを支え、高杉晋作と親交を結んだ様子を描くもの。
なになに、幕末? 志士を影ながら支えた? 出家した尼僧の立場でということで、隠密的な、裏情報網筋のような諜報活動の一旦を垣間見れるのかと思ったが、さにあらず。
どちらかというと、老いてなお、ひと花咲かせる人生もある、しかも女性として、妻でも母でも祖母でもない、「自分」の居場所を見つけるお話。
還暦を迎えた著者の、人生に対する思いも込められた作品ではなかろうかと拝察する。
高杉晋作の辞世の句
「面白きこともなき世を面白く 棲みなすものは心なりけり」
の下の句は、本作の主人公、望東尼によるもの、という説を裏付けるよう、未亡人となってから、騒乱の幕末期を見つめ続け、志士たちと交流した日々を肉付けして物語を構成したというところだろうか。
が、いかんせん、上記のように、直接、倒幕活動に関与したわけではなく、志士たちの心の母として存在したという人物造形で、時代が動き出す様子を遠くから見ているだけなのが、やや歯がゆい。
彼女の庵を訪れる藩士に、
「やけん、不思議な力ですたい。わしもまた、こげんして語らいに来とる。筑前にある限り、こん草庵ば経らな、次に進めんごとさえ思うとやけん」
喜多岡は目尻を下げて告げてから、また庭へと目を遣った。
「ばってん、国事んことだけでのうて、ここでのんびりと草花の話でもしたかもんでござすなぁ」
そうつぶやいて、彼は己の在処を確かめるようにして胸のあたりを叩いた。
志士の安らぎの場所であると語らせて、幕末の京都の様子や、薩長同盟前の長州の様子を又聞きする描写が、どうにも隔靴掻痒。
当時の女性の立場からすれば当然のことではあるが、出家した尼僧という超然とした立ち位置を活かして、もっと創造の翼を羽ばたかせても面白かったと思うのだが、それは著者の作風ではないか。
しかも高杉晋作の登場が、遅い! 後半の第五章に入ってからだ。
前半は、名も知らぬ(自分が、という意味だが)、福岡藩士、脱藩志士たちとの交流ばかりで、迫力に欠けるというか、物語にドライブがなかなかかからない。幕末に向けて世の中が大きく変わっていこうとしているのに、だ。
最後に、本人にこう語らせる。
— うちの見てきた景色は、いずれも見事やったな。
そう、見てきた景色だけで、終わってしまった。少し残念。
でも、望東尼という実在の人物の存在、高杉晋作との関係などを知れたのは良かったかな。
この主人公を見つけ出し、物語に仕立てあげたのは、いつもながら著者の慧眼ではある。