國分功一郎のレビュー一覧
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利他に関する論考集。
第一章の伊藤亜紗氏は、合理的利他主義や効果的利他主義といった利他についてのトレンドを概観し、その根底には利他の効果の数値化があること、数値化により漏れてしまったり失われてしまったりすることがあると説く。利他の効果を数値化することは、自らの利他的行為が相手に与える影響を規定することに繋がり、押しつけや他者の支配に繋がる。そうではなく、予測不可能性を受け入れること。予想外の他者の反応によって、自らの方が変わること。これを「うつわ的利他」と表現しているが、相手を享けることのできる利他が、良き利他ではないかと述べている。
第二章では、中島岳志氏が、贈与論から利他を考察している。贈与は暗黙に返礼を要求しがちであり、古来より相手の支配や権力に繋がってきた。利己的でない利他をするためには、返礼を前提とせず、しかし「不確かな未来」による結果論的な間接的互酬性によって、良いことが返ってくることが望ましい。
インドで助けられたときに、ありがとうと言ったらかえって嫌がられたというのは、最近読んだ『ヘタレ人類学者、沙漠をゆく』にも繋がっていて、面白かった。
第三章以降は、民藝・中動態や意思と責任・小説史について論じられる。…が、利他という本書のテーマから見ると、寄せ集め感、取ってつけた感があるというのが正直なところ。「はじめに」で、5名の著者が共同研究しており、単なる論考集ではないと説明されるが、やや無理がある印象。
個人的には第四章の中動態の話は、その考え方のよい導入となったので興味深く読んだ。他の章も、読む価値が無いとは思わない。ただ、本書のテーマからは、やはり乖離がある内容だったとは思う。
なぜ利他が必要なのか、という点をもう一度考えてみたいというのが読後の印象。利他の必要性も、個人と、社会システムなどとでは異なるだろう。「必要」という考え方そのものが、利他とはそぐわないような気もする。
第一章で紹介された効果的利他主義は、共感を排除するという。共感ベースだと、身近な人や見えてる人以外への支援ができなくなってしまうからだという。一面では理解できると思う一方で、それは利他というより政治の領域なのでは?とも思った。政治に期待できないからそういうことになっているのかもしれないけど、でも、寄付や社会貢献的な文脈で利他を語るなら、政治や行政の働きとの区別については気になった。 -
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●意志と責任について、思考の拠り所となる言葉の側面から考え、能動態と受動態の対立からなる思考ではなく、どちらにも属さない中動態から意志と責任をめぐる諸問題を分析した本。
●非常に読み応えのある本だった。本書のキーワードは、「中動態」と呼ばれる聞きなれない言葉だ。現在の文法には、能動態と受動態があるが、かつては受動態ではなく中動態が機能しており、のちに中動態から派生して受動態や自動詞が生まれたと本書では解説している。本書では、意志という概念を否定して、中動態の世界における責任のあり方を提示した。意志とは、何某かの加害行為について帰責性を問うために、突如出現する無根拠な概念であると説明する。このようは意志なるものから生ずるものとは、「誰かのせい」にして責任(のようなもの)を負わせる立場でしかない。このようなものは「責任」と呼べないというのが本書の主張だという理解をした。 -
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『目的への抵抗』の続編。哲学講和シリーズ。本著ではカントに焦点を当てつつ、享楽や嗜好について哲学的に深堀りしていく。資本主義により飽くなき欲望が喚起されるーーそんなフェーズすらもZ世代以降は飽きて、悟りつつある。では人間生活の根幹となる仕事はどうなるのかといえば、生成AIの台頭で、ホワイトカラーを中心に人間の仕事の本義が問われている。一面的にみれば、エッセンシャルワークをはじめとして、ブルーカラー領域での仕事が需要面だけをみれば重要性を相対的に相対的に増しているように見えるが、話はそう単純でもないのだろう。そうした経済合理性から距離を置いた上で、もう少し違った位相から人間の本源的な欲求や感覚の拠り所を思索したいときに、カントの批判哲学は強力な立脚点を指し示してくれるのだと思う。
「ある人間がたんに享受するためだけに生きており、そのひとの現存が(そしてたとえ、そのひとがこの点ではどれほど熱心であろうとも)、それ自身である価値をもつことを、理性はけっして納得させられることはできないであろう。」(『判断力批判』上巻、六二頁) -
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「反原発」の本でした
「反原発」について考える本でした
というわけでレビューが消えてしまいましたw
いや笑い事ちゃうわ!
思い出して書きます
大好きな國分功一郎さんです
國分功一郎さんと言えば「哲学」というなんだかちょっと遠い存在の高尚な学問というイメージのものを、わいらのレベルにまでがっつり引き下げてくれる魔法のような分かりやすさなんですが、これはちょっと難しかったです
いつものようにちゃんと考えよう!ってことなんだと思うんです
そして「反原発」についてちゃんと考えようとする時に、「原子力の平和利用」が声だかに叫ばれた原子力時代の最初期にただ一人、その危険性について言及した哲学者ハイデッガーの考え方を検証することが助けになるよってことだと思うんですが、肝心のハイデッガーのところが分かったような分からないよなというぼややや〜んとした感じでした
そもそもわいって別に「反原発」の人じゃないんよね
積極的賛成ってわけでもないんだけど
なんかぼややや〜んとしてるんですそこは
とにかくこれを読んで即「反原発」とはならなかったかな〜
ちゃんと考えたは考えたんだけどね(怪しい)