今すぐ多くの人が読むべき本
個人的には一年ぶりくらいに最高の本に出会った
リクルートという会社の成り立ち、江副という創業者の凄まじさ、日本の国際的なプレゼンスの低下など、様々な要素が詰まっている本で、今すぐにでも多くの人に読んで欲しい本。
改めて、人を大切にしなければいけないのだと感じさせられた
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〈日本は、建前は資本主義だが、実質はマルクスが理想とした、人々の均質な生活を良しとする統制経済の国となった。いまも日本は、建前は社会主義、実態は市場経済という中国やロシアとは、逆のパターンになっている〉(『かもめ』)
→日本をこのように捉えているのは、個人的には非常に...続きを読む 納得がいく。
下田がその会社に注目したのは、初任給が高かったからだ。当時、一流の企業の初任給は2万円。もっとも高いと言われた武田薬品工業でも2万2000円だったが、聞いたこともないその会社の初任給は2万7500円だった。
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結局、採用されたのは12人。社員28人の会社だったから、ずいぶんと大胆な採用である。
→良い人材に大きなお金を払う。優秀な人を新卒で現社員の半分近く採用するのは、一見恐怖だが、それがリクルートという会社を作っていったのだと感じさせられる。
議論を重ねた末に「経営の三原則」が決まった。1.社会への貢献2.個人の尊重3.商業的合理性の追求2の「個人の尊重」は松下幸之助の影響を受けている。取材で幸之助に会った時、江副は最後に「経営の神様」に経営の要諦を尋ねた。すると幸之助はこう答えた。
「人は誰でも得手なことと不得手なことがありまんがな。誰に、どの仕事を、どこまで要望するかが大事やなぁ」これを江副流に翻訳すると「お互い得手、不得手があることを積極的に認め、各人が得意なことを組織に提供して大きな成果を上げていく」となる。3の「商業的合理性の追求」も幸之助の教えである。幸之助の語録には「利益を上げ、税を納めるのが国家への貢献」というくだりがある。これを江副は「仕事の生産性を上げ、仕事のスピードを高め、高収益会社にして税金を納めることがリクルートの誇り」とした。後にリクルートの精神的支柱となる社訓を決めたのもこのときである。「自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ」
→経営の神様と呼ばれる松下幸之助に話を聞きに行き、そこで有名な「自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ」という言葉が生まれたのだと思うと、経営の本質的な部分は時代によって大きく変わるものではないと気付かされた
高卒、女子社員といったマイノリティーの活用は、今風に言えばダイバーシティー(多様性)。そしてリクルートの成長を支えたもうひとつのマイノリティーが在日コリアンだ。
→当時は女性はお茶汲みしかできなかった時代にも関わらず、女性や在日コリアンを積極的に採用していたというのは衝撃的
「心理学」を経営に生かそうと試みていた江副や大沢武志は、カリスマの「リーダーシップ」に置き代われるものを見出す。それは、社員の「モチベーション」だった。
→あれだけの企業を作っているのにカリスマではなかったというのが驚き。経営者がカリスマではなかったからこそ、リクルートは現在も成長し続けているのではないかと思った。
江副は自分を含めた社員に対して「こうしろ」とは言わない。社員が常々、不満を持っている事業や、自分が「やってみたい」とか「変えなければいけない」と思っている事柄について「君はどうしたいの?」と問いかけるのだ。
→リクルートの話で「お前はどうしたいの?」という言葉をよく聞くが、このようなカルチャーが背景にあったのだと思うと驚き
待つことが大嫌いな江副は、いつも頭をフル回転させて、ひとつのアクションで二つ、三つの目的を達成することに喜びを覚えた。思惑どおりに段取りが進み、いくつかの目的がパタパタとドミノ倒しのように達成されていくとき、江副はえも言われぬ快感を覚えるのだ。
→ホリエモンの記事でも読んだが、一つを行うことでいくつも実行することは改めて重要だと気付かされた
志布志プロジェクトのいちばんの目的は「資金調達のための含み資産づくり」だったが、それが江副の手に掛かるとこんなもっともらしい話になる。
→上記に関連して、土地を買うことで担保ができ、そこが自衛隊の保有地になる可能性があることで値上がりする可能性にかけ、社員がのびのびと過ごせる場所を作るという複数の目的があることは衝撃的
江副の「君はどうしたいの?」の思想は、1974年、会社制度に落とし込まれる。日本リクルートセンターの組織活性化で大きな役割を果たした「PC(プロフィットセンター)制度」である。
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リクルートというひとつの会社の中に独立採算の小集団が1600社ある、ということは全社員が採算責任者だ。つまり1600人の社長がいて、期末に発表される?自社?の業績に責任を持つことを意味する。これを江副は「社員皆経営者主義」と呼んだ。
→組織に文化を根付かせるために制度設計をしたことが感じられる。これが「あれ俺」という人がたくさんできるようなモチベーションが高い会社になった要因なのだと思う。
麻布、青山、表参道。江副は週末を使って都内の物件を探すのだが、なかなかこれといった家が見つからない。「閑静な住宅街」と聞いて足を運んだ物件が、日当たりの悪い土地だったり、道路の付いていない奥まった土地だったりした。無駄足を踏まされるたびにうんざりした。駅から何分とか、角地とか、日当たり良好とか、きちんと情報を整理して事前に客に伝えるべきだろう。そこまで考えて、ハッと気づいた。求人情報と同じではないか。問題は売り手と買い手の間にある「情報の非対称性」だ。どこにどんな物件があるのか、その地域の相場はどのくらいなのか、知っているのは不動産屋であり、買い手は情報をほとんど持っていない。気に入った物件が見つかったとしても、提示された値段が高いのか安いのか、判断がつかない。
→江副さんの事業の作り方について知れた。いつもお世話になっているSUUMOの原型を感じる
日本リクルートセンターの創業期のメンバーは江副を筆頭に、大学を出てすぐ事業を始めているので「大人の営業」を知らない。その点、間宮はプロだった。大事な接待がある日には夕方に担当のチームリーダーを呼びつける。「今日のお客様にお出しするビールの銘柄は?」「住友グループなので『アサヒ』です」「ウイスキーは?」「シーバスリーガルがお好きだと聞いております」「二次会は?」「はい、銀座の店を押さえてあります」「バンドは?」「はい?」「バカ!今日のお客様は歌がお好きなんだよ。今からバンドを探してこい!」チームリーダーは銀座、新橋界隈を駆けずり回り、その晩、なんとか流しのギター弾きをつかまえた。二次会が終わり、お客をタクシーに乗せると「反省会」で飲み直しだ。「お前な、二次会の店に行くとき、ワンブロック先でタクシーを止めただろ」「はあ、店の前に別のタクシーが止まっていたものですから」「バカ!お前はお客様を15メートルも歩かせたんだぞ。もっとタイミングよく止めなきゃダメじゃないか!」
→大人の営業という言葉は始めて聞いた。僕はきちんとした営業をしたことはないので、新鮮であった
日本リクルートセンターの営業マンは小型のワンボックス・カーに『住宅情報』を満載し、首都圏の書店を?絨毯爆撃?した。丸儲けと分かると書店は棚を開けてくれたが、それでも新参者の『住宅情報』は隅っこにしか置いてもらえない。そこで登場したのが「JJのCL(住宅情報のコミュニティレディ)」。書店の近所に住む主婦をアルバイトで雇った。JJレディは客の少ない昼間に書店に顔を出し、店主と世間話をする。近所づき合いがあるから、店主も邪険にはできない。JJレディは頃合いを見計らって、書店のドアに『住宅情報』のポスターを貼る。「おいおい、そこはダメだよ」と言われても、JJレディは「あらいいじゃない」と知らぬ顔。中には店主の目を盗んで『住宅情報』をこっそり棚の「いい場所」に移すツワモノもいた。「おいおい、そんなことしちゃダメだってば」と咎められても「売れればオタクが儲かるのよ」と涼しい顔だ。棚が狭い書店には、日本リクルートセンターの営業が「邪魔にならない場所に置いてください」と手作りのマガジンラックを持参した。
→営業が強い会社であることを思い知らされるエピソード。普通の主婦がこれだけモチベーション高く仕事する組織を作れてるのが本当にすごい
このとき、リクルートの人事部は、採用にあたって江副からこんなキーワードを与えられていた。
「地方、貧乏、野望」
→自分はまさに地方、貧乏、野望という人間なので、このキーワードでの採用は重要なのではないかと感じた
1984年のAT&T分割がなければ、今も米国のIT産業はAT&TとIBMという東海岸の巨大企業が支配していたかもしれない。だが米政府は「独占は悪」という信念を貫き、AT&Tを解体し、その跡地にGAFAが誕生した。
→アメリカでGAFAが生まれている理由は他にもあるかもしれないが、これは大きな理由の一つだと思う。もっと日本も改革しなくてはいけないのだと思わされた。携帯電話料金の値下げはそのきっかけになる可能性があると感じた
サービス開始から4年、1987年にリクルートはJONのサービスを停止した。江副の構想にインフラがついてこられなかった。
→現在では当たり前のことだが、1987年には厳しかったというのが驚きだった
稲盛は常々、『資治通鑑』(11世紀、中国・北宋の司馬光が編纂した歴史書)の言葉を引用し、聖人(徳も才もある者)、君子(徳が才に勝る者)、小人(才が徳に勝る者)、愚人(徳も才もない者)の中で「組織を危うくするのは小人だ」と説いていた。正直で愚鈍なタイプを好み、目から鼻に抜けるタイプを遠ざける傾向があった。
→「才が徳に勝るもの」がクーデターを起こすのだと感じる
「江副さん、今回は助かった。ありがとう。それにしても安くない買い物だと思うが、大丈夫かね」
急成長中とはいえ、巨大企業のNTTから見れば、リクルートなどまだまだベンチャー。真藤はリクルートの懐具合を心配していた。江副はいたずらっぽく笑った。
「ご心配には及びません。今年はコンピューターに0億ほど使いましたが、ウチがその費用を何の経費として処理したと思われますか?」
「設備投資じゃないのかい」
「いいえ、採用経費です」
「採用?」
「はい。最高の情報サービス会社を目指している我が社は、理系の優秀な人材が喉から手が出るほど欲しい。クレイのスーパーコンピューターを2台も持っている会社はそうそうありませんから、これでコンピューター好きの学生が採用できます。それを考えれば安いものです」
→採用のために、最高の設備をいれる思想は人材を何よりも大切にしてるからこそできること。この人が現役で仕事をし続けていたら、日本はもっと強い地位にいたのかもしれない
江副は知り合った政治家や官僚によく贈り物をした。社長室の担当者がお中元に高級洋 酒を贈ろうとすると、江副は「君たちはまるで分かっていない」と諭した。
「そんなものは僕の家にも届くんだよ。このレベルの人たちのところには、もっと高い 洋酒が届くが、誰からもらったかなんて覚えちゃいない」
江副の贈り物は安比高原で採れたトウモロコシだった。そしてトウモロコシが届 く2週間前に丁寧な手紙を送った。
〈安比の菜園で育てておりますトウモロコシが、今年もよく実りました。ご賞味いただ きたく、勝手ながら何本かお贈りさせていただきます。お手数をおかけしますが冷蔵庫を空けておいていただけますでしょうか。もとより私の趣味でお贈りさせていただくものですから、礼状などはご不要に願います〉?
秋には同じく安比のサツマイモを贈った。バブルの絶頂期、飽食の日々を送るエスタブリッシュメントに、この贈り物はウケた。戦前、戦中にひもじい思いをした世代には懐かしく、しかも丹精を込めて育てたトウモロコシとサツマイモはべらぼうに美味かった。
→人間らしさはあまりないと思っていたが、戦略としての人たらしがあり本当にすごい
セルゲイ・ブリンとラリー・ペイジは「Don't be evil」をグーグルの「社訓」に掲げ、自らを戒めた。
われわれが検索をするときに開くグーグルのポータル(玄関)サイトには、毎日、世界中から約的億人の人々が訪れる。1億人の目に触れるサイトの広告価値は天文学的だが、グーグルはそこに絶対に広告を載せない。自分たちの検索エンジンが弾き出す検索結果が、特定のスポンサーに影響されていないことを示すための「やせ我慢」だ。
→グーグルのトップページに広告がないというのは言われてみればそうであり、その美学が本当に素晴らしいと感じた
インサイダー取引が日本で社会的な問題になったのは1987年9月の「タテホショック」が最初である。
特殊なマグネシウムなどを生産する化学メーカーのタテホ化学工業が債券先物取引の失敗で巨額の損失を計上する直前、同社の幹部や取引銀行がタテホ株を売却し、損失を免れていた。この事件をきっかけに証券取引法の条文が改正されたのは1988年のことで ある(施行は9年4月。証取法は、 年に金融商品取引法に改名して改正される)。
→ルールというのは、一般的に見て悪いことが行われた時に起きるものだと感じさせられた
リクルートがただの弱小企業だったなら、「空売り」も「底地買い」も「学生名簿の売却」も「未公開株の譲渡」も、世間は若気の至りと見逃してくれたかもしれない。しかし リクルートは日本の求人情報の大半を一手に握るプラットフォーマーであり、高次元のモラルが求められる立場だった。そこに考えが及ばなかった江副は知らず知らずのうちにダークサイドへと堕ちていく。
→社会の公器であるとはなんなのかを考えさせられる
1976年、岡山大学の経済学部を卒業した竹原が入社したときのリクルートは、 700人ほどの会社だった。体育会卓球部のキャプテンで都銀や大手電機メーカーから内定をもらっていた竹原は、「交通費実費支給」と赤い文字で書かれた就職案内のハガキに釣られ、大阪見物のつもりでリクルートの面接を受けた。
「リクルートはこれからどんどん成長するよ。だって俺たちが新ビジネスを作っていくから」
面接官があまりに堂々と「経営方針」を語るので、竹原が「先輩は入社何年目ですかと聞くと、男はしれっと言った。
「ん、俺まだ入って半年だけど」
(何だ、いっこ上か。どうして新入社員がこんなに偉そうなんだ?)?
次に会った「JJ準備室」の部長も「これからは、俺たちがリクルートを支える」と言い切った。会う人、会う人が皆「俺が、俺が」とまるで社長のようだ。入社するつもり などなかった竹原は、出てくる社員たちの勢いに押されて役員面接まで進んでしまった。
初めて会った江副は竹原に得意の口説き文句を使ってこう言った。 「竹原くん、2歳までは歴史を学ぶ立場だけど、2歳からは歴史を作る立場になるんだよ。うちに来たら、自分の仕事は自分で作りなさい」
入社半年の新入社員と部長と社長が、同じことを言っている。「会社に言われたことを一生懸命やる」のが仕事だと思っていた竹原は、ガツンと頭を殴られたような衝撃を受け た。竹原は両親の反対を押し切り、都銀や電機大手の内定を蹴飛ばしてリクルートに入社した。
江副が言った「自分の仕事は自分で作れ」の精神は、リクルート用語にすると「圧倒的な当事者意識」または「社員皆経営者主義」となる。
→社員全員が、経営方針を語れる会社は相当洗練されてないとできない。そんなことを入社半年で実現しているリクルートが勝つのは納得だと感じた
(自分たちで仮説を立てて、そこに都合のいいエビデンスをはめ込んで裁判官にプレゼンする。俺たちの企画書とよく似ている)
企画を通すときにも「ストーリー」は重要だ。仮説を立て、エビデンスを探し、ストーリーを組み立てる。仮説が面白くエビデンスがしっかりした企画書はクライアントを納得させる。リクルートとの違いは、特捜部ではエビデンスの重要性が低いところだ。
→Tipsとして、ストーリーを大切にしたい
ドコモの失敗で、iモード対応の携帯電話を海外で売ろうと意気込んでいた電電ファミリーも総崩れになる。2007年にアップルの「iPhone」が出た後も、電電ファミリーはドコモに義理立てして「ガラケー(旧式の携帯電話)」に固執したため、ス マホへの対応が遅れた。これが致命傷となり、日本メーカーの携帯電話は世界市場で完敗やることになる。
?→スマホを開くと、使っているアプリがほとんどアメリカのアプリであることの理由がここにあるのではないかと感じさせられた
「土地を持っていれば得だ、という『土地神話』が地価高騰の要因になっている」 この番組を家で観ていた江副は賀来のコメントに小さく「チッ」と舌打ちした。「土地は必ず値上がりする」ことは、江副の会社経営の大前提だった。景気や金利は上がったり下がったりするが、絶対量が限られた日本の土地は必ず値上がりする。だから江副は稼いだカネを自社ビルに注いだ。
→江副さんでもミスを犯すのだと知り、驚いた
ダイエーが経営不振に陥り、リクルートが株を買い戻した2000年までの8年間、 中内は「お預かりする」の約束を守り、リクルートの経営には一切口を挟まなかった。江副が作り上げたリクルートという「いかがわしい」会社は、革命家・中内によって「いかがわしさ」を残したまま生き延びた。
→こういう信頼できる第三者がいるのが、今のリクルートを作っているのだと感じた
バブルの時代に狂ったように貸し出し競争を繰り広げ、天文学的な規模の不良債権を抱えた金融機関を救済するため政府は2度にわたって銀行に公的資金を注入した。1度目は大手銀行と地方銀行、計1行に総額約1兆8000億円。奇しくもリクルートが背負った借金と同額だ。 2度目は99年3月、大手銀行と地銀の計15行に総額約7兆5000億円を注入した。経済学者の野口悠紀雄は著書『戦後日本経済史』の中で〈破綻金融機関の処理で確定した国民負担の総額は、2003年3月末まで10兆4300億円に上った〉と推定している。
→このようなお金の使い方が日本の未来を潰しているのではないかと思った