安西徹雄のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
読みやすい新訳のシリーズがでていると聞いたので、初めてちゃんとシェイクスピアを読んでみた。
戯曲だから、登場人物の会話で進むんだけど、わかりやすくて、ユーモアもあっておもしろかった。
題名の『ヴェニスの商人』は、人徳者である商人のアントニオのことなんだけども、それよりも高利貸しのユダヤ人・シャイロックの存在感が大きい。
当時はユダヤ人である、キリスト信者ではないというだけで罵倒されるというのが常識だったようで、そのような感覚がわからないからシャイロックがちょっとかわいそうに感じてしまった。
当時の常識というものも知ってから読むとまた感想が違うのかもしれない。 -
Posted by ブクログ
舞台は中世イタリアのヴェネツィア共和国と架空の都市ベルモント。
強欲な商売で知られるユダヤ人の金貸しシャイロックに対し、公平な商取引を目指す商人アントーニオ。友人の結婚を急きょ推し進めるため、アントーニオはシャイロックから自身の肉1ポンドを担保に金を借りるが、商船が難破し財産を失い返金できなくなる。アントーニオの友人達は彼を助けるためあらゆる手段を考えるが、シャイロックの正当な証文を前に打つ手がなくなる。そしてアントーニオの命運は法廷で判決が下されることとなる。
それぞれの登場人物のキャラクターに個性があってすごく読みやすい。「ヴェニスの商人=アントーニオ」だけど、残念ながら一番印象に残らない。。それくらい他の人物が良い味出してます。
さて、極悪非道の高利貸しとして登場するシャイロック。彼はユダヤ人という立場ゆえにアントーニオを始め様々な人物から心無い言葉を浴びせられ、心から愛した娘にも裏切られ・・・と、まさに踏んだり蹴ったり。自分本位な強引さと、アントーニオを憎み非道な形で命を奪おうとする面もあるが、決して根からの悪人としては見ることが出来なかった。
喜劇として知られる作品だけれど立場を変えるとまさに悲劇。それぞれの登場人物が生き生きと描かれ、スピード感のある魅力的な作品だった。
シェイクスピア初心者にお薦めできます。 -
Posted by ブクログ
グラシアーノがネリッサに対して、僕をこんな目に合わせて全く君って人は…「僕は君の貞操を守れるかどうか分かんないよ(どやっ)」 が好き。ロールキャベツ男子なグラシアーノ。最後の美味しい所を持っていくちゃっかり男子。
グラシアーノも男だもんね!据え膳食わぬはなんとやらだもんね(笑)!
アントーニオはタイトル通りヴェニスの商人なわけですが、最初と最後以外はあまりパッとした登場シーンはない。
アントーニオは人望もあって、寛大で、親友の為なら大金も何も、地獄までお供つかまつる!なすごい人。ユダヤ人に対して冷たいなぁ、とは感じたけど時代も時代だし、アントーニオがそこまで優しいと「いやいや、そんなすごい人いないって!」とリアルさに欠ける。ここらへんのシェイクスピアの采配が今でも評価されているんだとを思う。
そんなユダヤ人のシャイロックは、もう少し「お前らキリスト教徒と俺は違うんだ!」と言うのを控えていれば、良かったろうに。アントーニオとの犬猿の仲加減は見てるこっちが清々しいくらいだ。
アントーニオの友人、バサーニオとシャイロックの娘は一貫して愛に生きた。
でも個性的な人を好きになったよねバサーニオも。賢くて、美しいポーシャは嫌いじゃないけど、終わりの指輪がどうとかの件で「めんどくせー女だな!wバサーニオ困ってるやろ!」と感じました。
どうやら私には駆け引きする恋愛は向いていないようです(笑) -
Posted by ブクログ
ネタバレこの物語も抄訳本ではあるものの、子供時代に最初に出会いました。 当時の KiKi がしていた大きな勘違いが2つあって、その1つは「ヴェニスの商人」≒「高利貸しのシャイロック」と思い込んでいたんですよね。 そしてもう1つの大きな勘違い(というよりこれはシェイクスピア自身がそういう役回りを与えているという側面もある)が、シャイロックを文字通り「冷酷無比・極悪非道人」と思い込んでいたということがあげられます。
そして大学生になってこの物語を全訳本で再読した際に初めて、最初の勘違い「ヴェニスの商人」≒「高利貸しのシャイロック」が間違いであったことに気が付きました。 タイトル・ロールはやたらと印象深いこの悪役ではなく、物語の中では自分の胸部の肉を担保に借金をしちゃったな~んていうショッキングな設定が与えられている割にはなぜか存在感の薄いアントニオだったんですよね~。
物語のプロットとしてはこのアントニオ、あんなとんでもない契約をしたばっかりに、そして事業の失敗という運の悪さ(後、それが誤った情報であることが伝えられる)も手伝ってあわや・・・・という状況に陥るわけですが、逆に言えばそれだけの存在とも言えるわけであまりにも存在感のあるシャイロックと比較すると影が薄いとしか言いようがありません。
それに対して物語全体を動かしているのはシャイロックからアントニオが借りた金を又借りした格好になっているバッサーニオとその借金の原因とも言えるポーシャのコンビ、そして悪役のシャイロックであることは明白です。 にも関わらずこの物語、どうしてタイトルが「ヴェニスの商人」なんでしょうか?? 実はコレ、KiKi の長年の疑問なんです(苦笑)
冒頭でも書いたけれど、子供時代はものすご~く素直に抄訳本に書かれた文言そのままにシャイロックのことを「冷酷無比・極悪非道の金貸し」といとも簡単に思い込んでしまって、この物語を勧善懲悪の物語と認識していた KiKi。 まあこれには復讐のために証文をたてに人肉を要求するという醜悪さも大いに影響を与えていたわけですけど・・・・・。
でも、大学生になってこの物語(全訳もの)を再読した際にはどちらかというとシャイロックの置かれている「ユダヤ人」という立場に妙に感情移入してしまいました。 「借金のかたに人肉を要求するのはさすがに行き過ぎではあるものの、アントニオだってかなり嫌なヤツじゃないか??(彼のユダヤ人迫害の様子はかなりエグイ)」 とか 「いやいやそれ以前にこのバッサーニオっていう男は何なんだ、外面を取り繕うために親友にあんな契約をさせてまでして借金するとは情けない。 そんな男に惚れるポーシャもポーシャだ!」とか感じちゃったのです。
と同時にヨーロッパ社会における根深い「ユダヤ人迫害」の実態を知り、こういう物語(というより演劇)が娯楽の少なかった時代に一般大衆に与えていた心理的なインパクトがどんなものだったのか等々あれこれと考えてしまいました。 そういう意味ではシャイロックの語るセリフ
「ユダヤ人には、目がないのか。 ユダヤ人には手がないのか。 胃も腸も、肝臓も腎臓もないというのか。 四肢五体も、感覚も、激情もないというのか。 同じ物を食い、同じ刃物で傷つき、同じ病いで苦しみ、同じ手当てで治り、夏は暑いと感じず、冬も寒さを覚えないとでもいうのか。 何もかにも、キリスト教徒とそっくり同じではないか。 針で突けば、わしらだって血が出るぞ。 くすぐられれば、笑いもする。 毒を盛られれば、死ぬではないか。 それならば、屈辱を加えられれば、どうして復讐をしないでいられる。 何であろうと、わしらがあんたらと同じであるなら、復讐することだって違いはない。 もし、ユダヤ人がキリスト教徒に辱めを加えたら、キリスト教徒は何をする? 右の頬を打たれたら、黙って左の頬を出したりするか? いいや、復讐だ。 もし、キリスト教徒がユダヤ人に辱めを与えたら、ユダヤ人は何をする? キリスト教徒の忍従の例に倣って、ただ黙って耐え忍ぶのか? いいや、復讐だ。 悪いか? だが、この悪いことを教えてくれたなぁ、ほかならぬ、あんたらじゃねえか。 わしはただ、その教えを実行するだけ。 見ておるがいい。 必ず、教えられた以上に、立派にやってのけてやるからな。」
にはキリスト教の欺瞞を暴く、ある種の真実が含まれているにも関わらず、この物語を「喜劇」と位置付けた「時代の精神」みたいなものを感じずにはいられません。
もちろんこの物語をホロコーストを経験したイマドキの感覚で読んじゃいけないと頭ではわかっている(つもり)んだけど、アントニオとその取り巻き連中の「キリスト教信者」であることをそのまま「正義」「差別する側」と位置付けているような傲慢さがどうにもこうにも気に入らないのも又事実です。 そして現代感覚丸出しの日本人の発言であることを百も承知の上で言うなら、最後の最後、あの大どんでん返しの裁判の後、「キリスト教への改宗」までもを余儀なくされちゃうというのはキリスト教の排他性の象徴としか感じられません。
それにしてもシャイロックは「身から出た錆」と片付けるにはあまりにも気の毒だなぁ・・・・と。 財産没収(社会的な抹殺)、キリスト教徒への改宗(精神的な抹殺)、さらには最愛の娘の裏切り & キリスト教徒にもっていかれる・・・・・では命だけは助けてもらったにしろこの物語のあと、どうやって「誇り」とか「アイデンティティ」を保って生きていったんでしょうか??
ま、てなことをつらつらと考えると尚更、この物語のタイトルが「ヴェニスの商人」であることがどうにもこうにも腑に落ちなくなってしまう KiKi なのです。
それにしてもシャイロックの悲劇の元凶ともいうべきあの「証文(≒ 契約書)」ですけど、これってイマドキの感覚からすると「公序良俗に反する契約内容」以外のナニモノでもないよなぁ。 こんな証文を公証人が作ることができちゃうっていうのも、恐ろしい世界だなぁ・・・・と。 そういう意味ではいい時代に生まれたことを感謝しなくちゃいけないのかもしれません。
と同時に、法律っていうやつはどこかしらに抜け道があるのが当たり前なのかもしれないなぁ・・・・と。
ま、それはさておき、何年か前に KiKi はこんなハリウッド映画を観ました。
ヴェニスの商人
ASIN: B000E5LIRK 監督:マイケル・ラドフォード 配役: アル・パチーノ、 ジェレミー・アイアンズ、 ジョセフ・ファインズ、 リン・コリンズ、 ズレイカ・ロビンソン
1596年、貿易の中枢として栄える運河の街ヴェニス。 無一文の情熱家バッサーニオ(ジョセフ・ファインズ)は愛する人ポーシャ(リン・コリンズ)に求婚するため、友人アントーニオ(ジェレミー・アイアンズ)に資金援助を頼み込む。 手持ちがない彼は宿敵の高利貸シャイロック(アル・パチーノ)から自らの身体の肉1ポンドとひきかえに借金をするが、全財産を載せた船が難破し期日までに返済ができなくなり、裁判にかけられることに。 シャイロックは借金返済の違約金代わりとして証文通りアントーニオの心臓に近い肉1ポンドを要求するのだが・・・・・ (DVDケースより転載)
この映画でもやっぱり光っていたのはアル・パチーノでした。 個人的にはジェレミー・アイアンズはか☆な☆り 好きな役者さんのはずなんだけど、ほとんど目が向かなかったなぁ・・・・・。 -
Posted by ブクログ
ネタバレこの作品、KiKi はこれが何度目の読書か、正直なところよく覚えていません。 もちろん原典も学生時代には読んだし、福田恆存の訳本(当時のスタンダード)でも読んだし、当時注目を集め始めていた小田島雄志の訳本でも読んでいます。 もっとも今回の読書でそれらを比較検討できるほどには記憶に残っているわけじゃないんですけどね(苦笑)
ただ漠然と覚えているのは「福田訳」がかなり詩的だったのに対し「小田島訳」はかなり口語調になっていたことと、それと比較しても今回の「安西訳」はそれに輪をかけて言葉としてひっかかるところがなかったこと・・・・・ぐらいでしょうか?? スンナリと目や耳に入ってくるというのはある意味では「わかりやすさ」に通じて素晴らしいことだと感じるのも事実なんですけど、逆に言えば特に読書の場合、「あれ?」と思って読み返して咀嚼するというプロセスがなくなってしまうため、その分読み飛ばしてしまうリスクがあるなぁと感じました。
シェイクスピアが書く言葉には物事を2面からとらえる言葉とか2つの事象・概念を並べて語る言葉がよく出てくるんだけど(例えば有名なところでは「きれいはきたない、きたないはきれい」というような)こういう言葉って「あれ?」と躓き、何度も読み返して咀嚼するプロセスがあるからこそ何を言わんとしているのかが伝わってくるとか記憶に残るというようなところがあると思うんですよね。 でも、少なくとも今回の読書で KiKi はこれに類するような「あれ?と思って読み返してみる」という行為をほとんどしなかったなぁ・・・・と。
これを既にストーリーを知っている物語ゆえ・・・・と捉えるべきか、読み方が雑になった・・・・・と捉えるべきか微妙なところだなぁ・・・・・と感じました。
さて、それはさておき、読後感です。 今感じている読後感が今回の読書だけによるものなのか、はたまた学生時代に感じていたものそのまんまなのかは自分でもよくわからないし、今となっては学生時代にこの物語から何を感じていたのか?はよく覚えていません(苦笑)
この物語、シェイクスピアの4大悲劇の筆頭として語られることが多いんですけど、個人的にはこちらの物語よりも「マクベス」や「オセロー」の方が好きだったりします。 それは恐らくリア王の狂気よりもマクベスやオセローの狂気(というよりは錯乱と言うべきか?)の方が KiKi には理解しやすいし、特に「マクベス」あたりはコンパクトな纏まり具合という点からしてみても、素晴らしいとしか言いようがないと感じられるからです。 リア王ってどことなく因果応報な感じもするし、途中でグロスター伯と二人の息子の話まででてきちゃって悲惨さと言えばリア王その人の悲劇よりもグロスター伯の悲劇(リアを助けようとして迫害を受け、両目をつぶされたうえで追放される)の方が悲劇的に過ぎる部分もあるように感じちゃうし・・・・・。
KiKi はね、リア王って恐らく暴君と言ってもいいほどの専制君主だったと思うんですよね。 で、権力の座にある間は彼の言葉が絶対で、臣下も娘も決して彼の言葉に異を唱えるようなことはなかったし、仮に唱えたとしてもそれをすぐに打ち消さざるを得ないような空気を漂わせた人物だったんだろうと思うんですよ。 で、恐らくそんな暴君でありつつも彼なりの方法で3人の娘たちを愛してはいたんだと思うんです。
老境に達してそろそろその「絶対性」にも疲れてきちゃっていた王様は、後世の憂いを絶つためにも彼の領土・権力を3人の娘たちに等分に分配し、「みんなで仲良く」治めて欲しいな~んていう夢みたいなことを思い描き、さらには「絶対君主としての責任は放棄(彼としては委譲)するけれど、王という称号と名誉だけは手元に残す」な~んていう都合のいいことを画策したのがあの冒頭の「愛情テスト」の場面。 まだ権力を手元に置いた状態での「愛情テスト」に上の二人の娘は耳触りの良い言葉で答え、どこか抜けたところのある末娘はそんな姉たちの上っ面に反感を抱きます。
この悲劇の根本にあるのは、リア王が絶対だと考えていたある種の「価値観」を娘たちの誰一人として共有していないことにあり、その価値観が権力と密接に結びついていたことを肝心のリア王自身が理解していなかったことにあると KiKi は思うんですよ。 ・・・・・と同時に、この物語の背景にある時代が恐らくは結構群雄割拠な時代だったんじゃないかと思うんです。 リア王に勘当されたコーディリアはフランス王に嫁ぐわけだけど、これだってその裏にあるのはどんな思惑やら・・・・・。 だいたいにおいてイギリスとフランスが仲が良かったな~んていう話はほとんど聞いたことがないし・・・・・。
恐らく本来ならフランスをはじめとする外敵と対峙するためにも王権を3分割するな~んていうのは当時の国家君主としては間違った判断だったんじゃないかと KiKi は思うんです。 でもリアはそんなことさえ考えられず自分の安逸な老後のため(& 姉妹仲良くという夢想のため)に冒頭の「愛のテスト」に臨む段階では「きれいに三等分すること」を心の中で決めていた節があるように感じられます。
コーディリアが勘当されることにより三等分だったはずのものが二等分されたことにより、少しはマシではあったかもしれないけれど、もともとあった力を半分ずつに分けられてしまったうえに、引退老人が100人からなる軍隊を言ってみれば自分の遊興のために(そして万が一の時には戦力として)手放さないという状況が2人の娘にとっては面白いはずもなく、彼女たちはリアから戦力を奪ったうえで追放します。
2人の姉妹が極悪非道・冷血人間のように見えなくもないけれど、だいたいにおいて「姉妹仲良く分割統治」な~んていうのが理想(夢物語)に過ぎないわけで、彼女たちがリアを説得しようとする言葉の中にもある種の真実が含まれているところが目を引きます。
そしてそんな父親の苦境を知ったコーディリアは善意からフランス軍を率いてドーヴァーに上陸するわけだけど、この段階での彼女はリアの娘である以上にフランス王妃なわけです。 これはブリテン側にしてみれば侵略と呼んでもいいような振る舞いでもあるわけで、ここでもコーディリアのやっていることはどこか間が抜けています。 そうであるだけにリアの長女、ゴネリルの夫であるオルバニー公は心の中ではリアに対する娘(≒自分の妻)の仕打ちを許せないと思いつつも戦に赴かないわけにはいきません。 こうしてブリテン側が勝利することによりコーディリア & リアは捕えられ、その後あれこれあって、結局みんな死んじゃった・・・・・と。
考えてみるとこの物語、絶対権力者が陥ったある種の時代錯誤・傲慢さの為せる業とも見えるわけで、そこにこそ悲劇性があるように KiKi には感じられました。 狂人となったリアが嵐の中で彷徨う姿は確かに悲劇的だけど、道化の存在やらグロスター伯に迫害された長男、エドガーとの出会い等々があり、悲劇的でありつつもどこか喜劇的なように感じられました。