佐々淳行のレビュー一覧
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あらゆる点で優れた理想の上司なんてこの世には存在しない。司令官の長所、短所を早くのみこむことが幕僚の大切な心得だ。
危機管理というのはいつもこれだ。トゥ・リトル、トゥ・レイト、”いつも足りず、いつも後の祭り”なのだ。
湾岸戦争の指揮官、コーリン・パウエル元統合参謀会議議長の言葉にこういうのがある。「これはとてもどうにもならないと絶望的に見えた事も、一眠りしてから見ると、さしたる事でない事に気づく」
指揮官が何をさておいても真先にしなければならない事、それは殉職した部下の遺族への弔問だ。「上司の慶事より部下の弔事」これがゲマインシャフト・リーダーシップの源泉の一つだ。 -
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現場指揮官に求められる資質、”有事”と”平時”での振舞のモードの切り替えはどうするべきか、について警察庁元幹部である著者の経験をもとに、多くの具体例を挙げつつ解説した1冊です。
”平時”には「After you」、”有事”には「Follow me」が基本であり、普段は控えめにふるまって部下をたて、しかし、いざ事が起こったときは先頭に立って事態の収束にむけて動くべき、との事。その辺りは私も他の本でよく似た事を読んだ記憶もありますが、「なるほど!」と感じたのは本書3章の「非常事態での情報伝達の基本」について述べられた部分です。”平時”の情報伝達、情報の承認プロセスに拘り過ぎて、決定権のある指揮官に情報が伝わらない事は、特に組織としてのルールが定まっているケースではよく起こりうる事態で、非常時には中間の承認等のプロセスを経ずに、決定権のある指揮官が直接、情報を集めて指示する事も重要と述べられています。『「非常事態には冷静沈着に行動せよ」との教えを勘違いして、自ら情報を集めようとせず、情報が来るのを待つような”変に老成した”中間管理職になるな』との表現は非常に共感を覚えます。
本書は中間管理職としての現場指揮官に焦点を絞っていますが、最高司令官となっても、いざ有事には現場指揮官としての振舞いも求められる状況が多々あることから、一定レベル以上の管理職全般に求められる資質を述べておられるように感じました。
本書の元になった単行本は1995年発売で、登場する実例が若干古い印象はありますが、分かりやすく説得力もあります。著者は”有事”と”平時”の切り替えができず、”有事”でありながら”平時”の運用に拘って初動対応を誤った例として阪神淡路大震災の時の村山首相の行動を挙げておられます。あれからもう25年。福島第一原発事故や、昨今のコロナ禍でも決定権のある指揮官や、組織が”有事”と”平時”のモード切替ができていなかった例が次々と発生するのは残念です。場数や経験を踏まないと個人の危機対応能力は伸びないのかもしれないですが、そういう経験をした人からの本書のような伝承を大切にして、私自身も今後遭遇するかもしれない危機に備えるようにしたいと思わされる1冊でした。 -
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最初のほうは著者のエリート意識みたいなものがあちこちに見えてちょっと抵抗があったが、それ以外は国家の未曽有の事件に対して著者のいう「危機管理」が現場においてどれだけ大切かということがわかった。やっぱり組織は大きくなればなるほど、よっぽどうまく回していかないといろんなところでうまく機能しなくなるものなのだ。298ページ、人質の確保という一番の目的達成という場面でも、この人質が本当に本人なのか、赤軍メンバーではないのか、との思いを巡らせて確認にかかるというところは感心した。そもそもは連合赤軍側でなぜあのようなことになってしまったのかというところに興味があったわけで、本書も警察側からの視点なのでそのあたりはまだわからないのだがそれでも後半はおもしろかった。できればもう少しルポルタージュ的第三者視点でこの事件を読んでみたい。
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映画を見て赤軍の実態が知りたくて読むことに。
あさま山荘事件について詳しく書かれています。
そして、赤軍のこれまでの活動(過激なことがほとんどですが)が書かれていて何となく掴めたかなと思います。
テロだとか銀行強盗だとかが立て続けに同じ組織の手によって行われていたことは、今の日本では考えられない。
これも歴史として日本人の記憶に残しておくべき。
今の日本は平和ボケしていると思うが、世界のどこかではこれと類似したことが起こっていて、いつまたこの目に合うか分からない。
日本でも今海外で起こっているようなことが起きていたということを知っておかなければ。 -
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(ミーハーで申し訳ないが)佐々さんというとテレビで右的こわもてご意見番の印象が強い。
元警察官で「東大安田講堂事件」や「あさま山荘事件」で采配を振るわれた方とは知っているが、その後、政府機関の危機管理関係に携わったのち、危機管理関係の個人事業に独立されてTVや講演や著作活をなさっていらしたのである。(まあ、そうだったのね オイオイ)
政治をつかさどる人を「「政治家(ステーツマン)」と「政治屋(ポリティシャン)」とに分ける言い方があるらしい。
佐々さんは『権力に付随する責任を自覚している人が「政治家」権力に付随する利益や京楽を求めてしまう人は「政治屋」と呼ぶことにしている』と定義している。
そうして戦後から現代まで34回、絶え間なく代わった宰相を、近くからかかわった著者が滅多切りしている。誰が「政治屋」で誰が「政治家」か?尊敬できる人かできない人か?
最終章にその34回の歴代内閣の列挙がある。(まあ72年間くるくるとよく代わったもんだ)
わたしなどが戦後の見聞きした政治家方が登場してきて、臨場感がありわかりやすかったのかもしれない。
特に
『「第二章国益を損なう政治家たち」こういう、一部マスコミの喝采をあび俗受けするリーダーたちが首相や大臣を歴任したことは日本の不幸だったというしかない』
などは痛快だ。
小沢一郎、田中角栄、三木武夫、菅直人、加藤紘一、河野洋平、村山富市さんらのお名前が挙がっているのだ(よ。笑)
政治家の良しあしばかりではない。ご専門の「危機管理」と政治の関係も重要な要素とはこの現代において説得力がある。
ただし、ひとつ気になったことがある。
佐々さんは『明治以降、今日に至るまでの日本の政治外交経済や治安を支える上で、士族や内務省出身者がいかに、その役割を果たしてきたかということである。』
と最後に書いていらっしゃるが、その見方はお立場から(元士族のご出身)言わせているような。
わたしは少し前に松本清張『史観宰相論』を読んでいる。
明治維新以来の大久保利通から戦後の鈴木首相まで、言わば宰相の通信簿兼雑談感想。
その続きのようにこの佐々さんの本は戦後吉田首相から現在の安倍首相までの閻魔帳である。
両書とも宰相とはどのような人物が的確なのか、政治とは何かを追求している。
清張さんの雑談は文章が専門的で固い感じで、佐々さんのは平明でわかりやすい文章、もちろん両書とも右だ左だということで区別していないところもある。
佐々さんは辛口に批評していらっしゃるが政府機関に寄っているので身内的感があるし、清張さんはもちろん外部から批判していらっしゃるし立場が違う。
清張さん『史観 宰相論』の最後にある
『ーーこの「宰相論」を書いてきて想うことは、古来から結合においては部族的、政治的においては官僚政治であるという帰納である。』
違いがあるからこそなんともおもしろかったのであるが、ある一定の立場からモノを見てはいけないということもわたしは肝に銘じた読後であった。 -
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昭和44年、大学紛争が勃発する時代。全共闘の過激派学生たちは東大の安田講堂を占拠し、機動隊と衝突。当時の著者は警察官僚の中間管理職。現場の隊員と上層部に挟まれながら、催涙ガス弾の使用を発案し、マスコミ向けの対応や弁当を手配、時には個人で借金をしてまでも現場経費を作り出す。時にジョークを言い合いながら団結する機動隊の努力や苦悩は本書から痛いほど伝わってくる。
で、彼らの戦場となった学園紛争とは一体何だったのか、誰が何の目的で行い、何が残されたのか。今の時代となっては理解されにくい。著者にとっても理解されていないというわだかまりがあるのだろう。が、その敵対する相手、全共闘が何を考えていたのかがよくわからない。しかも、逮捕された学生のほとんどは東大生ではなかった。モラトリアム学生の過激で大規模な自分探しとしか思えない。
あさま山荘事件のように巨大鉄球という象徴的なアイコンがなく、死者も発生せず、首謀者名もよくわからない、東大安田講堂事件。時が経ても、理解されることのない過去の遺物として扱われるのはしょうがないのかも。 -
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事件に呼ばれる男・佐々氏による日本ハイジャック史という
ところかな。
直接、氏が携わった事件ばかりではないので概要だけのものも
ある。その時々の政府や警察の対応は分かるのだが、少々讃美
的なのが気なるのはやはり著者が警察官僚だったからか。
海外で乗っ取り事件を起こし、要求した現金と共にテロ支援国家
へ逃れた日本人が、また事件を繰り返すのだから堪らないね。
勿論、人命第一。しかし、みすみす犯人を逃してしまっては同じ
ような事件が繰り返されるだけ。「超法規的措置」っていうのも
いいんだか、悪いんだかな。
だからといって、人質がぎょうさんいるのにロシアのように強硬
突入。犯人も人質も死んじゃいましたじゃ嫌だけれど。
「よど号」事件の時、聖路加病院の日野原先生が同乗していた
ことは有名。人質に向け、長々とアジ演説をぶつ犯人。「質問
は?」と聞いたところ、ひとりの乗客が問う。
「ハイジャックってなんですか?どういう綴りですか」。答えられない
犯人。そこで日野原先生。「君も学生なら勉強しておきなさい。
ハイジャックというのは…」と説明し、スペルまで解説したそうだ。
また、後年、訪朝団として北朝鮮で「よど号」事件の犯人と面会
した政治家センセイは佐々氏に「日本に帰りたいと言っている。
事件はなかったことに出来ないか」。
海外逃亡中は時効に含まれません。当然のようにお断りしたら
憤慨されたとか。こんなのが日本の政治家なんだよな。もう実名
出しちゃえばいいのに。
上記のようなこぼれ話は面白いのだが、近年の著者の作品は
回想録の観が強い。安田講堂やあさま山荘のような臨場感に
欠けるのが残念。ミスター危機管理もお歳なのだよな。
尚、巻末には日本のハイジャック年表があるので資料として
はいかもしれない。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ1972年に連合赤軍が人質を取り立てこもった「あさま山荘」事件を解決するため、長野県警と警視庁の初の共同組織、いわゆる日本版FBIを著者が指揮した歴史を記している。
テレビ史上視聴率調査以来最大の89%を超え、高い国民の関心の中、警察のセクショナリズムや、マスコミへの対応、厳しい寒さ、犯人との度重なる銃撃戦、1名の民間人犠牲者、2名の警察官殉職者を経て、無事人質を救出するまでの過程が生々しく描かれている。
死を厭わず、家族を顧みず、薄給の中で、国家安全のため闘った、当時の警察のサムライ魂は、平和慣れした現在の日本人にとって考えさせられるものがあると思います。