四方田犬彦のレビュー一覧
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2010年刊。四方田犬彦、57歳。書名から、彼の自分史シリーズの一冊だと思っていたが、そうではなかった。
場所はノルウェー、集中講義でやってきた雪のオスロ。山小屋風の宿舎にこもるところから始まる。自著は100冊を超えた。ここで一区切り、ひとつ、あることを試みてみよう。傍らになにもないなかで(本や日記や記録に頼らずに)、思索をする。どこまでやれるかやってみよう。
全部で17章。「職業と労働」「私はなぜ旅に出るか」「憎悪と軽蔑について」「功名心について」「世代について」「言語の修得について」「死について」……最初は無謀にも見えたのに、最後まで読まされてしまう。その筆力の冴え、その思索力たるや、さすが。
四方田が「プロローグ」にもってきているのは、グレン・グールドのエピソード。22歳でバッハの「ゴルトベルク変奏曲」を演奏・録音するグールド、そして49歳で同じ曲を演奏・録音するグールド。その対比。17章を一気に読ませてしまうのには、この呼び水も効いている。
(p.s. あれっ、このスタイル、モンテーニュのエセーではないか。モンテーニュも、中年になって、自分の城の塔にこもって、あの作品(その名も、Essais、試み)を書いたのだった。) -
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2015年刊。初出は「すばる」(2013年6月号~15年1月号連載)。
犬彦だもの、書かれるべくして書かれた。全部で18章。古今東西、文学や映画や漫画のなかのイヌ、重厚なイヌ談義。
よく練られている。各章、対比的な構成もみごと。たとえば、「二人の動物物語作家(シートンvs.ロンドン)」、「孤独の友だち(ブニュエルvs.セリーヌ)」、「東西名犬対決(タンタンvs.のらくろ)」、「犬を人間にできるか(ステープルドンvs.ブルガーコフ)」、「犬は人なり(谷崎潤一郎vs.川端康成)」、「愛犬と闘犬(江藤淳vs.川上宗薫)」といった具合。
ただし、エッセーとしての難易度はマックスに近い。漫画の「東西名犬対決」の章が一見読みやすそうだが、タンタンとのらくろ、それぞれの出自、作者の生涯、そして軍隊や植民地主義の話題へと展開を見せる(もちろん、タンタンはその相棒犬ミルーのこと)。犬好き&文学好きでないと、全章を読み通すのはかなりのハードワークかも。 -
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2024年刊。『ハイスクール1968』の四方田少年もいまや古稀。これまでに付き合いのあった魅力的な女性たち、26人をめぐる回想。書名にもある通り、みな「神聖なる」女友だち。
映画つながり、韓国つながり、漫画つながり、駒場つながり、どの女性も最初の出会いからして印象的。淡い思い出も書かれている。
若桑みどり、宮田まり子、川喜多和子。岡田史子、弥永徒史子、山口淑子(李香蘭)、如月小春、矢川澄子……彼女たちへのレクイエムとしても読める。
もっとも印象的だったのは、カズコ・ホーキ(法貴和子)と寮美千子。そのパワフルな生き方。読んでいて、ため息が出る。いまも我が道を邁進中だ。 -
大泉黒石 わが故郷は世界文学
- カート
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試し読み
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黒石の『俺の自叙伝』(岩波文庫)が同時発売。これがないと本書が成り立たない。
大泉黒石(1893-1957)、ロシア人外交官を父にもつハーフ。長崎、モスクワ、パリ、ペトログラードなどで少年期を過ごした。日本に戻った後は、三高や一高に入学するも、すぐに退学。その後ジャーナリストとして活躍。『俺の自叙伝』を出版し、作家として華々しい活躍をみせるが、30代半ば以降は鳴かず飛ばず。旅のエッセイなどを書いて糊口をしのぐ。戦後は進駐軍で通訳の仕事もした。本書は、その奔放で数奇なコスモポリタンの生涯(どこか平野威馬雄を思わせる)に光をあてる。
著者四方田犬彦の師は、黒石に大きな関心を寄せ、その全集刊行に関わった由良君美。が、刊行途中で由良は急逝。本書はその師の衣鉢を継いだものとも言える。もちろん、コスモポリタン的なところのある四方田だからこそ書けた評伝。
ただ、『俺の自叙伝』には、脚色や虚構と思える部分が随所にあり、そこが気になる。たとえば、パリの寄宿舎で会ったドーデのことを書いているが、ドーデはその10年前に亡くなっているので、これはフィクション。だとすると、11歳の時にトルストイに会ったというエピソードもほんとうなのか。パリやロシアでは放蕩な生活を送ったのに、そうした帰国子女が最難関の旧制高校、一高や三高の入試に合格できるものなのか。 -
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四方田 犬彦
(よもた・いぬひこ)
1953年、西宮生まれ。東京大学で宗教学を、同大学院で比較文化を学ぶ。映画と文学を中心に、文化現象一般をめぐる批評と研究を続け、明治学院大学教授として映画史の教鞭をとる。著書は『映画史への招待』(岩波書店)『先生とわたし』(新潮社)『見ることの塩』(作品社)『書物の灰燼に抗して』(工作舎)など百冊を越える。訳書に『パゾリーニ詩集』(みすず書房)などがあり、『ゴダール・映像・歴史』(産業図書)『シリーズ日本映画』全8巻(岩波書店)を編集した。
ゴダールと女たち (講談社現代新書)
by 四方田犬彦
ゴダールは一九三〇年、富裕な銀行家の孫としてパリに生まれた。パリ大学で人類学を学び、徴兵制度から逃れるためスイス国籍を取得した。映画雑誌に短文の評を執筆したり、配給会社の宣伝部員として働きながら、一九五五年、二四歳のときに短編『コンクリート作戦』で監督としてデビュー。だが彼の名声を決定的にしたのは、新人男優ジャン゠ポール・ベルモンドを主役に据えた『勝手にしやがれ』(一九六〇) である。このフィルムは文字通り従来の映画の文法を一新させるだけの強烈な衝撃力を持っており、ゴダールの名はこのフィルムの監修者のクロード・シャブロール、脚本のフランソワ・トリュフォーらとともに、フランス映画の新しい波、つまりヌーヴェルヴァーグの旗手として世界中に鳴り響いた。一九六〇年代を通じてゴダールは映画の最前線を生き抜き、『女と男のいる舗道』や『気狂いピエロ』といったフィルムを通して世界中の映画ファンを文字通り圧倒した。まだ世界がフランス映画の一挙一動に関心を抱いていた、よき時代の出来事である。
一九七九年九月一二日、ソウルの建国大学校に滞在していたわたしは、毎日アパートに配達されてくる英字新聞の紙上で、ジーン・セバーグの突然の死を知った。彼女は八日の朝、パリの自宅付近に停車中の自動車の後部座席で、毛布に包まれた死体として発見されたのだった。新聞には死因については記載がなく、ただ享年が四〇であったことだけが記されていた。わたしには何が何だかわからなかった。ただちに頭に浮かんだのは、彼女が縞模様のTシャツを着て、シャンゼリゼの街角で「ニューヨーク・ヘラルド・トリビューン」と声を立てながら新聞を立ち売りしている姿だった。ゴダールの『勝手にしやがれ』のなかでもっとも印象的な場面のひとつだ。
やがて東京に戻ったわたしは、ジーン・セバーグの死因についていくつかの証言資料に当たり、彼女を描いたドキュメンタリー映画につきあってみた。精神錯乱による自殺だという説を聞いたこともあったし、FBIによる陰謀だという説を説く者もいた。薬物摂取が原因だと説く説さえあった。真相はいまだにわからない。銀幕の裏側では 阮玲 玉 からジュディ・ガーランドまで、数多くの名花が非業の死を遂げている。それもマリリン・モンローのように、死因さえ不明の場合が少なくない。ジーン・セバーグもまた例外ではない。彼女は政治と人種問題に深く関わり、堕ちた偶像のなかでもとりわけ悲惨な死に方をしたのだった。そして彼女の死の翌年、元の夫だったロマン・ギャリーまでが自殺してしまった。
冷たい透明感に満ちた眼差しと、過剰な苦痛に崩れる表情。自信に満ちてきびきびとした仕草と、寄る辺なさに立ち尽くす身振り。『聖女ジャンヌ』におけるセバーグを特徴づけているのは、こうした相反する身体の映像の対照である。演技の稚拙さについてはここでは言及すまい。ただセバーグの小柄な身体がもつ、一見自動人形のようなぎこちなさが、不思議な雰囲気を醸しだしていることは、やはり興味深いことだと思う。もっとも監督のプレミンジャーは女優としてのセバーグには不満を隠そうとしなかった。彼はいくたびとなく、主役をオードリー・ヘップバーンに替えるぞと怒鳴り散らした。
セシルは自分をどこまでも子供扱いしてやまないアンヌに反撥し、寝室にある人形に呪いのピンを突き立てたり、わざとサングラスをかけてお行儀悪く振舞う。あげくの果てには軽い関係の男友だちの寝室に押しかけてゆく。どうやらここで処女の喪失がなされたらしいとわかるのは、その直後、後ろめたい気持ちで別荘に戻ったセシルが微かに足を引き摺り、歩きづらそうにしているからである。彼女は慣れない手つきで煙草を吸おうとするが、手が震えて火をつけることができない。煙草が逆さまよと、アンヌが教え諭す。ちなみにこうした隠された性的なるものの暗示はプレミンジャーがときに好んだものであったが、彼からセバーグを譲り受けたゴダールにはどうしても到達できないところであった。
その癖、二言目には「フランス人って五分を一秒というのね」「フランス人って全然違っていても同じっていうのね」と、外国人特有の偏見を口にし、これまで寝た相手を尋ねられて両手で七本の指を立てたり、バイト先の上司と平然とディープキスをしたり、いかにも当時のフランス人が想像していた開放的なアメリカ娘のステレオタイプを演じてみたりもする。これがゴダールによる意図的な演出であることは間違いない。一九六〇年のフランス女性は性的解放においても社会的進出においても、アメリカよりはるかに遅れているという認識は、当時のフランスで一般的に共有されていた社会的神話であった。ゴダールはパトリシアが著名作家にインタヴューする際にこの話題に触れ、同時期のロラン・バルトに近い神話批判をそこで試みている。
だがセバーグのように白人女優が黒人解放運動に共感を示すことは、白人中心主義社会であるアメリカの禁忌の枠組みの外側にあった。それはゴシップの種以上のものとしてメディアには受け入れられることはなかった。一九七〇年であったが彼女が妊娠したとき、生まれてくる子供が黒いか白いかという口さがないゴシップがメディアを賑わしたことがあった。これは当時FBI長官であったフーヴァーが意図的に行なった情報操作であったことが、関係文書の多くがすでに公開されている現在では明らかにされている。結局セバーグは薬物中毒になったうえ自殺を図り、一八〇〇グラムの女の子を帝王切開で早産、ニナと名付けられた彼女は二日後に死亡してしまった。彼女が自分の死んだ娘の遺骸を抱きしめているところは、メディアによって写真に撮られた。当時、すでにセバーグと離婚をしていたものの、ギャリーはただちに記者会見を行い、ニナが自分の子供であることを言明するとともに、彼女が「憎しみによって殺害された」とメディアを非難した。この元夫の 俠気 にはなかなか立派なところがある。というのも私見によれば、ニナの父親はイーストウッドであったはずで、ギャリーもそれを重々承知だったからである。
一九五八年夏、アンナはヒッチハイクを重ねてパリに到着し、デンマーク人の聖職者の斡旋でともあれ小さな部屋を見つけた。中学でわずかに英語は学んだものの、フランス語はからっきし話せない。文字通り食うや食わずの状態で映画館に入り、理解できるまで繰り返し同じフィルムを観る。そうして彼女は会話を勉強したのだという(ちなみにわたしの知人であるデンマークの映画批評家は、久しぶりにアンナがコペンハーゲンに戻ったときインタヴューをしたが、長い間母国語を用いていなかったので、その言葉はほとんど聞き取れなかったとわたしに語った。結局インタヴューはフランス語で行なわれた)。
ヴェロニカは最初に登場するとき、ジュネーヴの街角で白いコート姿で市電を待ち、仔犬の玩具で遊んでいる。それを見つけたブリュノは心のなかで「彼女はジャン・ジロドゥの芝居から抜け出してきたかのようだ」と感動してしまう。唇を 窄め、娼婦のように煙草を吹かしてみせるヴェロニカのクロースアップ。「その眼はべラスケスの灰色だったのか、それともルノワールの灰色だったのか?」。自室に戻ったヴェロニカは、チェックのロングスカートにセーター姿で眉を濃く引き、ばっちり付け 睫毛 をしながら、大きな鏡の前で長い黒髪を梳いている。部屋に招き入れてもらったブリュノは、手持ちのカメラで彼女を撮影し続ける。するとヴェロニカは、自分がコペンハーゲン生まれのロシア人だと、少し舌足らずの、片言のフランス語で答える。「ヴェロニカの魅力は彼女自身だった。肩の曲線と不安げな眼差し、それに謎の微笑」。ヴェロニカはハイドンの音楽を背景に、歓喜に満ちて部屋中を飛び回り、両手を拡げて踊り出すと、最後にソファにでんぐり返る。ブリュノは手帖に△□○の記号を書き、それに髭を加えてAIMER(愛する) という言葉に直すと、彼女に見せる。「彼女はぼくを見た。ぼくの考えでは、女は二五歳をけっして越えるべきではないのだ。年をとるにつれて男は美しくなっていくが、女は違う。女が年を重ねるというのは、あってはいけないことなのだ」と、後になってブリュノは独白する。
一八世紀の中ごろ、意に沿わぬ形で修道女にさせられたシュザンヌは、厳しい肉体的苦行と修道院の権威的な体制に我慢ができず、反抗を試みる。だがその結果、彼女は悪魔 憑 きであると判断され、危うくレスビアンの餌食にされそうになる。ある神父と懇意になったシュザンヌはともに修道院から逃亡することに成功するが、その直後に彼から犯されそうになり、娼館に逃れたり、乞食の身に転落したあげくに自殺する。ディドロの筆になるこの多分にポルノグラフィー的魅力をもった反カトリック的小説を、リヴェットは一九六三年に舞台にかけ、主役をアンナに振った。まだいくぶんフランス語にアクセントが残っていたものの、彼女の演技は高く評価され、いくつかの賞を受賞した。当時、パリに留学中でボードレールとシオランを読み耽っていたフランス文学者の出口裕弘氏は、極寒のさなかにこの芝居を観る機会があり、深い感動に包まれたと、かつてわたしに話してくれたことがあった。
このインタヴューの二日後、わたしは彼女のリサイタルに出かけた。アンナ・カリーナは黒一色のシンプルな衣装で次々とシャンソンを披露し、最後に『気狂いピエロ』に登場する名ナンバー「私の運命線」を歌った。彼女は昔のような舌足らずの歌い方をやめ、堂々と間を取りながら大年増のコケットリーを振り撒いていた。わたしは心のなかで、人知れず懐かしさに浸っていた。ところがリサイタルが終り、カーテンコールとなった瞬間、突然に大勢の少女たちが舞台の下に駆けつけ、いっせいに「アンナ! アンナ!」と連呼を開始したのだった。これはわたしにも、そしてアンナ・カリーナ本人にも予想のつかない事態だった。我も我もとサインをねだるファンたちを前に彼女は最初驚いた表情を見せたが、やがて座り込んで一人ひとりに対応しだした。騒ぎが収まったのはリサイタルが終了してなんと三〇分後のことだった。
『中国女』はゴダールのあまたの作品のなかでもとりわけ物議を醸したフィルムである。ある夏休み、四人の大学生と一人のメイドが、ヴァカンスで不在のさるブルジョワのアパルトマンを借り受け、毛沢東思想学習のため合宿を行なう。彼らは朝起きるとヴェランダで毛沢東体操をし、小さな赤い書物である毛沢東語録を交互に朗読しながら、革命について討議を重ねる。ヴェロニク(アンヌ) は青い人民服にキャスケットを被り、右手に語録を掲げて革命闘争を誓う。ギョーム(ジャン゠ピエール・レオ) は次々と色眼鏡を取り替えたり、顔に巻きつけた包帯をまた外したりして、寓話的なパフォーマンスを見せる。キリーロフはテロリズムを礼賛して自殺し、アンリは修正主義者だと非難されてアパルトマンを去る。彼らはプロレタリアートの解放を合言葉にしているが、誰一人としてメイドのイヴォンヌ(ジュリエット・ベルト) が討論の最中にもせっせと靴磨きをしていたり、田舎から上京して一時、売春をしていたといった過去に気を払わない。やがて夏休みが終り、一行は毛沢東思想など忘れてしまったかのように合宿を終える。
西ドイツの二つのブルジョワ家族が親しい関係にある。双方の父親は財閥の頭目であり、息子ユリアンと娘イーダが婚約をしたことにご満悦で、それをもって将来のさらなる発展の徴候だと考えている。もっともイーダ(アンヌ・ヴィアゼムスキー) は新左翼の反政府デモを話題にしてユリアンを挑発するが、ユリアン(ジャン゠ピエール・レオ) は現世に冷笑的で、イーダに対しても一向に異性としての関心を示さない。イーダがユリアンに別れを告げに来るときのアンヌは帽子を被り、青いワンピースにチェックのスカーフを身につけている。これはおそらく彼女のすべての出演作のなかでもっとも凛々しく可愛らしい感じのショットだろう。やがて敵対しあう大財閥どうしが企業合併し、ナチスと協力した過去の 隠蔽 を目論むとき、突然にユリアンの死が報告される。彼は生まれつき豚にしか性欲を感じない青年であった。そして豚小屋に潜り込んでいたところで、腹を空かせた豚たちに食べられてしまったのである。『豚小屋』は、中世から現在にいたるまでヨーロッパにおいてユダヤ人が「豚」の蔑称のもとに差別されてきた事情を知らないかぎり、単なるグロテスクな見世物劇としてしか理解されないかもしれない。だがパゾリーニはここに、現下のヨーロッパを覆いつつあるポスト・ファシズム状況への警戒の意味を込めており、それは遺作『サロ』(邦題は『ソドムの市』) へと主題的に連結することになる。『豚小屋』においてレオとアンヌは『中国女』以来の再会を果たし、二人が対話する出演場面はフランス語でなされた後、イタリア語によって吹替えられた。
『愛の讃歌』(一九九六) は、彼女にとって五作目にあたる小説である。両親の思い出を契機に執筆されたこの作品は、作者と思しき語り手が母親の死後にその遺品のなかから、二八年前に父親が残した遺言を発見するところから語り起こされている。そこにはジュネーヴに住むある女性に向けて、自分の腕時計やカフスボタン、旅行用のショルダーバッグ、髪の毛の一束とともに、エディット・ピアフのレコード「愛の讃歌」を送るようにという指示が記されてある。父親が死の直前、母親と離婚をする予定でいたことが、ここで思い出されてくる。この女性こそ父親の愛人であり、母親は遺言を履行しなかったと判断した語り手は、ある決意のもとにその女性に手紙を出す。折り返し返事が来て、語り手はジュネーヴを訪れることにする。もっとも指定された父親の遺品は今では散逸してしまっており、携えることができるのはピアフの傷んだレコードだけである。ところがあに図らんや、問題の女性は「愛の讃歌」という曲にまったく無関心であった……こうして一家のレコード棚に置かれた一枚のシャンソンのレコードが回転軸となって、語り手の家族の物語が甘美に、そしてときに苦く悲痛に解き明かされることになる。慈愛に満ちた祖父。その前で神の存在を否定し、彼を悲しませる孫娘。愛人の交通事故死に衝撃を受ける母親。だがあらゆる喜怒哀楽を超えて、「愛の讃歌」は高らかに鳴り渡る。それはいつしか人生そのものの隠喩と化してしまったのだ。
だがミエヴィルはいかなる応答も見せず、フェミニストからのイデオロギー的な誘惑をどこまでも拒絶した。フェミ系の批評家たちは空手形を渡されて引き下がるしかなかった。ミエヴィルには、そのような流行に惑わされることなく、自分が自分の根拠地にあって探求しているという自信があったからである。 -
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面白かった。特に大学生のアンケート結果が興味深かった。女子と男子とではもちろん違うだろうと予想はしていたが、斜め上の発想や個性的な回答が多くて楽しかったし、そこはかとない時代感を感じた。記載されていた女子の回答の、イラスト付の回答がノスタルジック。
「かわいい」ものが好きでかわいいものを見たり聞いたり身の回りに存在を感じたりするのが好きだ。でもどことなく危うさも感じていた。しかしその感覚に取っ付かず流してきたが、この本を読んで改めて「かわいい」とそれを作り上げたり求めたり、享受する人間の心理的な面白さ、みたいなものを感じた。
深く一つを追求するのでなく、広くそこそこ深く「かわいい」を論じている取っ付きやすさが好きだった。
ぼんやりと、今は「かわいい」じゃなくてより広範囲の意味になる「いいね」なんじゃないかと思ったりした。 -
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四方田犬彦のエッセイ
この本と出会うまで、四方田と言う方を存じ上げなかったと思う。
読んでいくうちに当然だが著者にも興味を持ち、web検索したのだけど、テレビでお見かけしたかも…。恐れながらそのような程度でありました。
歳を重ねる大変さは痛感しているが、なんとか明るく前向きになれるヒントを得たい。それがこの類の書を読む理由だ。
著者が生きてきた中で、特に印象に残ったことや、著者自身が老年を生きるヒントとしてきたものを語るエッセイであった。
飼っている犬については人間らしさを記され実直な描写が心に残る。
こちらは意外だったが、親鸞聖人についての部分もあり大変勉強になりました。親鸞については興味を持ち始めたばかりでこれから触れていきたいと思っていたので、より興味深く読みました。
最後に一番の読みどころを。
秘密について、こちらは自身の親族の秘密にも触れ、改めて誰もが持つ秘密の取り扱いと墓場に入った後のことも考えさせられるものだった。
死についての捉え方考え方は、著者の言葉で生命が尽きることではないと実感し、カッサンドラが不憫でならなかった。
モロッコについても大変素敵な表現で気持ちだけ旅をした感覚になりました。
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日本の大学を辞し、パリで日本映画の解説などをして過ごしていた「私」は、レバノン出身の映画監督ジョスリーン・サアブと親しくなる。日本赤軍の重信房子とその娘メイを題材にした新作を撮りたいというジョスリーンのため、日本とのパイプ役を務める「私」。だがジョスリーンの体は癌に侵され、死が間近に迫っていた。ある女性の人生を賭したドキュメンタリー映画が作られる工程を描いたノンフィクション小説。
四方田犬彦の新作ということで読みはじめたが、サアブ監督だけでなく重信房子にがっつりフォーカスした内容だとは知らずに驚いた。私は赤軍については指名手配のポスターくらいしかまともな記憶がない世代で、四方田と重信房子の短歌を通じた交流も本書を読むまで知らなかった。赤軍の一部がパレスチナ解放闘争に関わっていたことも、重信メイさんのことも。
無知を恥じるべきなのだと思う。日本には国全体で考えないようにしている重大事が多くあり、国内に留まっていると〈考えないようにしていること〉自体の異様さがなかなか見えてこない。勿論、あらゆる国に内と外の問題意識の差は生じているのであって、ジョスリーンもジョスリーンの視点で終始世界を見つめ続けた。その強さと寂しさが、エピローグに置かれた「私」とメイのやりとりから透けて見えてくる。
ドキュメンタリー映画の企画が構想から具体化していく過程を四方田の筆で読むことができたのが私には興味深かった。この小説も含め、ドキュメンタリーやノンフィクションは〈現実をありのまま映しとったもの〉なんかでは有り得ず、監督とは意図的に一つの視点を持ち込んで現実を切り取り、編集する覚悟を持つ人のことをそう呼ぶのだ。
病に侵されながらも人生を諦めず、映画の完成を目指して行動し続けたジョスリーンに対する四方田の視線は痛ましく、文章は友情にあふれていて美しい。わかりあえたこと、わかりあえないことを記していく筆は慈愛に満ちている。ジョスリーンをモデルにした幻想小説もぜひ読みたいけれど、本人不在になってしまった今、未出版の手記からアイデアを採るのは剽窃と区別がつかなくなってしまうのも確かだろう。
父を愛しながら父の生きる世界とは決別し、母に愛されなかったことに生涯苦しみながら、記憶をなくした母を赦したジョスリーン。「アラブ語は上手じゃなかった」ジョスリーンは流浪する魂を最期の映像のなかに平らげたのだろうか。 -
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「レバノンの名家に生まれ、パリで客死したある女性映画作家の生涯 脅威と感動のノンフィクション」と帯にある。中東の歴史や文化にまったく明るくなくて、主人公のジョスリーンという映画作家も、著者の四方田さんのことも存じ上げなかったのだけど、多和田葉子さんと斎藤真理子さんが帯に言葉を寄せているのが気になって、これはおもしろいはずだと本屋で手に取った。くまざわ書店の書評コーナー、ありがとう。
裏表紙の帯には「元日本赤軍幹部・重信房子と娘メイの、母娘の絆の物語」とあった。学生の時に連合赤軍のあさま山荘事件を扱った映画や中東にいる日本赤軍の映像や、重信房子とその子供たちのエピソードを聞いた記憶があって、なんとなくその風景が浮かんだ。漠然とした印象なのだけど、あさま山荘事件に見た、革命戦士→男性性の協調→女性性の否定、という論理に違和感があった。日本赤軍は連合赤軍とは別団体なのは承知の上で、「母娘の絆の物語」という表現に引っかかった。凛とした表情で映る重信にもプライベートがあるはずで、でもそこに思いをはせたことはなかった。講義室でみた映像に色がさした気がした。
母と娘の関係は、あたたかいものもあれば、冷たいものもある。愛されているとわかっていても傷つくことも多い。自分の価値観を娘に投影しようとしたり、自分の失敗を娘の責任にしようとしたり。ジョスリーンは母親との関係に苦しんでいた。メイは母・房子との関係を尋ねられたとき傷つけられたことがないか執拗に探られた、といった旨のことを著者に話している。自分の作った母娘のネガティブなストーリーに押し込めようとしていた、と。どんなに才能や実績がある女性でも、死ぬまで母親の影を抱え続けるのかと、苦しくなった。
語り手である著者の分析も正確、かつやさしさに満ちていて、ジョスリーンへのジェントルな姿勢がいい。あと、パリってこんなに素敵なところなのね。いいな。と、憧れを募らせてしまった。私の中のパリは1920年代にヘミングウェイやフィッツジェラルドが集って、新しい文化が花開くような、そういう美しい交流の場所だった(映画『ミッドナイト・イン・パリ』のような印象!)けど、それも映画の中だけの話じゃなくて、本当にそういう文化の場所なんだ。そしてアフリカや中東に近い。フランスって私にとってはとても異文化で、知らないことがたくさんありすぎる。 -
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「わたしの部屋は…中略…さながら李小龍(ブルース・リー)グッズの展覧会といった様相を呈している」という著者の思い入れたっぷりのブルース・リー評伝。
リーの子役時代の映画から「ドラゴン」シリーズまで、ほぼ全ての出演映画の解説ぶりは舌を巻くほどのマニアックぶり(と言うか、オタク度)全開。「ドラゴン」シリーズでのリーの身体つきや身体の動きをつぶさに観察して「マゾヒズムとナルシシズムが絶頂の寸前で鍔(つば)迫り合いを果たし、出血し毀損してゆく身体が稀有のものとして見せるエロティシズムが開示されている」なんて書いてしまうのだから、もうとまらない、たまらない。
冷静に客観的に書かれた評伝もいいけれど、情熱と思い入れがたっぷりつまった評伝も実に楽しい。
この一冊でブルース・リー熱が再燃したので、今月末に河出書房から刊行される『ブルース・リー 生誕80年』を買わない理由がなくなってしまった。 -
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四方田犬彦という名前が本名であるとすれば、そのように名づけた親とは一体どんな人だったのかと常々考えてきたのだが、ひょんな誤植から生まれた筆名だったということを最近知った。
高校生になりたてのころ、浅田彰の『構造と力』が話題になり、わかりもしないくせに現代思想の本を読んでいたころのことだ。『GS』という現代思想の論客たちによる論文集を買って一生懸命読んだ覚えがある。この論文集の編集を手がけたメンバーの一人が四方田犬彦だったはず。浅田彰や伊藤俊治といった他のメンバーの華々しさとは一味違い、四方田犬彦の書籍を本屋で見ることも少なく、論文集の鼎談の隅に小さくピンボケで映っている肖像写真は、分厚そうな眼鏡がその奥にあるであろうまなこをすらあいまいにしていて、ただただ度外れた若きインテリという印象を僕は持っていた。(YMOにたとえれば坂本龍一のような露出度の高い秀才というよりは、むしろ商業路線からは身を引いた本物の天才細野晴臣、というたとえは正しいだろうか)それから約20年がたって、そのブランクの中で彼の顔も柔らかく変貌していた。
四方田犬彦が「かわいい」を論じる。読むものは彼ほどの博学が現代社会の現象をどのように把捉し処理するか、その手さばきに興味があるのである。彼がグロテスクを論じ、小さく幼げなものを論じ、ノスタルジアを論じ、それらと「かわいい」の関係を分析するその手際のよさに感服するのだ。「『かわいい』とはものに宿る本質などではなく、『かわいい』と名づけ、指さす行為」なのだと主張するその小気味よさ。「『萌え』はさしずめ、大衆消費社会のヴァーチャルリアリティにおけるピグマリオン・コムプレックスの発現である」という独自の定義。思考の柔軟性と対象を概念的に把握しようとする志向性がなければ、これほど軽やかな論じ方は出来まい。この本に意義があるかないかなんてことはもうどうだっていいのだ。 -
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世にジャン=リュック・ゴダールの信奉者かずかずあれど、つまり、たしかに私も著者の四方田犬彦も、そのうちのひとりのはずですが、以前からこころに思ってはいましたが、恐れ多くて、けっして口には出せないし、出してはいけない、出せば世間のひんしゅくを買うこと間違いないと思われること、そう、
ゴダールは、女に逃げられるという天才的才能の持ち主だ
という視点から、この本は書かれていて、私などは内心ひそかに喝采を叫びながら、ドキドキして、頁をめくっていきました。
ジーン・セバーグ
アンナ・カリーナ
アンヌ・ヴィアゼムスキー
ジェーン・フォンダ
アンヌ=マリ・ミエヴィル
少なからぬ期間、ともに暮らし主演女優の座を与えられ、やがて別離をむかえた5人の女性にからめて語られるゴダールと映画の物語は、すべて以前から知っていることのようで、まったく新しいことのようにも感じられます。
ただし、遅々として読み進まないのには理由があります。
それは、数頁よむごとに、そこに言及されている映画のDVDを、持ち出してきては見るということをしているためです。
しかもそれは、オットー・プレミンジャーの『聖女ジャンヌ』と『悲しみよこんにちは』、ゴダールの『勝手にしやがれ』の中のジーン・セバーグに再会したことから火がついて、この本に関連する映画だけにとどまらず、中学・高校のときに見たフランス映画やイタリア映画まで見るという懐古趣味に陥ってしまったのです。
ああ、早くもっと先まで読みたいけれど、のらりくらりとして、かつて心うばわれた映画にも邂逅したいし、とても優柔不断を弄んでいます。 -
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大学の小論文の課題文で出会った文章でずっと探していた本だった。まさか、犬に関するエッセイ本とはつゆ知らず古今東西の小説から犬にまつわる文章を抜き出して考察していた。
犬に名前を与えるという行為は、犬を人間の側に近づけ、人間化を施すことである。ペットとして飼われるようになったとき、犬は純粋な動物であることをやめ、動物と人間との混合物へと姿を変える。という2文は自分が哲学における構造主義を知ったきっかけの文章でありどこか嬉しい気持ちになった。
また、二葉亭四迷の小説において犬と人間の関係を表そうと試みる文章があるが、あの何とも表現しがたい犬との関係こそが犬のもつ深み(友人、ペット、家族)であると思った。
四方田さんの言葉の言い回しも個人的に好きだった。