あらすじ
ジーン・セバーグ、アンナ・カリーナ、アンヌ=マリ・ミエヴィルたち女神との物語から描く著者始めての書き下ろしゴダール論。女に逃げられるという天才的才能を持ち映画の革命的異端児として生きたゴダールの足跡を辿る。
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四方田 犬彦
(よもた・いぬひこ)
1953年、西宮生まれ。東京大学で宗教学を、同大学院で比較文化を学ぶ。映画と文学を中心に、文化現象一般をめぐる批評と研究を続け、明治学院大学教授として映画史の教鞭をとる。著書は『映画史への招待』(岩波書店)『先生とわたし』(新潮社)『見ることの塩』(作品社)『書物の灰燼に抗して』(工作舎)など百冊を越える。訳書に『パゾリーニ詩集』(みすず書房)などがあり、『ゴダール・映像・歴史』(産業図書)『シリーズ日本映画』全8巻(岩波書店)を編集した。
ゴダールと女たち (講談社現代新書)
by 四方田犬彦
ゴダールは一九三〇年、富裕な銀行家の孫としてパリに生まれた。パリ大学で人類学を学び、徴兵制度から逃れるためスイス国籍を取得した。映画雑誌に短文の評を執筆したり、配給会社の宣伝部員として働きながら、一九五五年、二四歳のときに短編『コンクリート作戦』で監督としてデビュー。だが彼の名声を決定的にしたのは、新人男優ジャン゠ポール・ベルモンドを主役に据えた『勝手にしやがれ』(一九六〇) である。このフィルムは文字通り従来の映画の文法を一新させるだけの強烈な衝撃力を持っており、ゴダールの名はこのフィルムの監修者のクロード・シャブロール、脚本のフランソワ・トリュフォーらとともに、フランス映画の新しい波、つまりヌーヴェルヴァーグの旗手として世界中に鳴り響いた。一九六〇年代を通じてゴダールは映画の最前線を生き抜き、『女と男のいる舗道』や『気狂いピエロ』といったフィルムを通して世界中の映画ファンを文字通り圧倒した。まだ世界がフランス映画の一挙一動に関心を抱いていた、よき時代の出来事である。
一九七九年九月一二日、ソウルの建国大学校に滞在していたわたしは、毎日アパートに配達されてくる英字新聞の紙上で、ジーン・セバーグの突然の死を知った。彼女は八日の朝、パリの自宅付近に停車中の自動車の後部座席で、毛布に包まれた死体として発見されたのだった。新聞には死因については記載がなく、ただ享年が四〇であったことだけが記されていた。わたしには何が何だかわからなかった。ただちに頭に浮かんだのは、彼女が縞模様のTシャツを着て、シャンゼリゼの街角で「ニューヨーク・ヘラルド・トリビューン」と声を立てながら新聞を立ち売りしている姿だった。ゴダールの『勝手にしやがれ』のなかでもっとも印象的な場面のひとつだ。
やがて東京に戻ったわたしは、ジーン・セバーグの死因についていくつかの証言資料に当たり、彼女を描いたドキュメンタリー映画につきあってみた。精神錯乱による自殺だという説を聞いたこともあったし、FBIによる陰謀だという説を説く者もいた。薬物摂取が原因だと説く説さえあった。真相はいまだにわからない。銀幕の裏側では 阮玲 玉 からジュディ・ガーランドまで、数多くの名花が非業の死を遂げている。それもマリリン・モンローのように、死因さえ不明の場合が少なくない。ジーン・セバーグもまた例外ではない。彼女は政治と人種問題に深く関わり、堕ちた偶像のなかでもとりわけ悲惨な死に方をしたのだった。そして彼女の死の翌年、元の夫だったロマン・ギャリーまでが自殺してしまった。
冷たい透明感に満ちた眼差しと、過剰な苦痛に崩れる表情。自信に満ちてきびきびとした仕草と、寄る辺なさに立ち尽くす身振り。『聖女ジャンヌ』におけるセバーグを特徴づけているのは、こうした相反する身体の映像の対照である。演技の稚拙さについてはここでは言及すまい。ただセバーグの小柄な身体がもつ、一見自動人形のようなぎこちなさが、不思議な雰囲気を醸しだしていることは、やはり興味深いことだと思う。もっとも監督のプレミンジャーは女優としてのセバーグには不満を隠そうとしなかった。彼はいくたびとなく、主役をオードリー・ヘップバーンに替えるぞと怒鳴り散らした。
セシルは自分をどこまでも子供扱いしてやまないアンヌに反撥し、寝室にある人形に呪いのピンを突き立てたり、わざとサングラスをかけてお行儀悪く振舞う。あげくの果てには軽い関係の男友だちの寝室に押しかけてゆく。どうやらここで処女の喪失がなされたらしいとわかるのは、その直後、後ろめたい気持ちで別荘に戻ったセシルが微かに足を引き摺り、歩きづらそうにしているからである。彼女は慣れない手つきで煙草を吸おうとするが、手が震えて火をつけることができない。煙草が逆さまよと、アンヌが教え諭す。ちなみにこうした隠された性的なるものの暗示はプレミンジャーがときに好んだものであったが、彼からセバーグを譲り受けたゴダールにはどうしても到達できないところであった。
その癖、二言目には「フランス人って五分を一秒というのね」「フランス人って全然違っていても同じっていうのね」と、外国人特有の偏見を口にし、これまで寝た相手を尋ねられて両手で七本の指を立てたり、バイト先の上司と平然とディープキスをしたり、いかにも当時のフランス人が想像していた開放的なアメリカ娘のステレオタイプを演じてみたりもする。これがゴダールによる意図的な演出であることは間違いない。一九六〇年のフランス女性は性的解放においても社会的進出においても、アメリカよりはるかに遅れているという認識は、当時のフランスで一般的に共有されていた社会的神話であった。ゴダールはパトリシアが著名作家にインタヴューする際にこの話題に触れ、同時期のロラン・バルトに近い神話批判をそこで試みている。
だがセバーグのように白人女優が黒人解放運動に共感を示すことは、白人中心主義社会であるアメリカの禁忌の枠組みの外側にあった。それはゴシップの種以上のものとしてメディアには受け入れられることはなかった。一九七〇年であったが彼女が妊娠したとき、生まれてくる子供が黒いか白いかという口さがないゴシップがメディアを賑わしたことがあった。これは当時FBI長官であったフーヴァーが意図的に行なった情報操作であったことが、関係文書の多くがすでに公開されている現在では明らかにされている。結局セバーグは薬物中毒になったうえ自殺を図り、一八〇〇グラムの女の子を帝王切開で早産、ニナと名付けられた彼女は二日後に死亡してしまった。彼女が自分の死んだ娘の遺骸を抱きしめているところは、メディアによって写真に撮られた。当時、すでにセバーグと離婚をしていたものの、ギャリーはただちに記者会見を行い、ニナが自分の子供であることを言明するとともに、彼女が「憎しみによって殺害された」とメディアを非難した。この元夫の 俠気 にはなかなか立派なところがある。というのも私見によれば、ニナの父親はイーストウッドであったはずで、ギャリーもそれを重々承知だったからである。
一九五八年夏、アンナはヒッチハイクを重ねてパリに到着し、デンマーク人の聖職者の斡旋でともあれ小さな部屋を見つけた。中学でわずかに英語は学んだものの、フランス語はからっきし話せない。文字通り食うや食わずの状態で映画館に入り、理解できるまで繰り返し同じフィルムを観る。そうして彼女は会話を勉強したのだという(ちなみにわたしの知人であるデンマークの映画批評家は、久しぶりにアンナがコペンハーゲンに戻ったときインタヴューをしたが、長い間母国語を用いていなかったので、その言葉はほとんど聞き取れなかったとわたしに語った。結局インタヴューはフランス語で行なわれた)。
ヴェロニカは最初に登場するとき、ジュネーヴの街角で白いコート姿で市電を待ち、仔犬の玩具で遊んでいる。それを見つけたブリュノは心のなかで「彼女はジャン・ジロドゥの芝居から抜け出してきたかのようだ」と感動してしまう。唇を 窄め、娼婦のように煙草を吹かしてみせるヴェロニカのクロースアップ。「その眼はべラスケスの灰色だったのか、それともルノワールの灰色だったのか?」。自室に戻ったヴェロニカは、チェックのロングスカートにセーター姿で眉を濃く引き、ばっちり付け 睫毛 をしながら、大きな鏡の前で長い黒髪を梳いている。部屋に招き入れてもらったブリュノは、手持ちのカメラで彼女を撮影し続ける。するとヴェロニカは、自分がコペンハーゲン生まれのロシア人だと、少し舌足らずの、片言のフランス語で答える。「ヴェロニカの魅力は彼女自身だった。肩の曲線と不安げな眼差し、それに謎の微笑」。ヴェロニカはハイドンの音楽を背景に、歓喜に満ちて部屋中を飛び回り、両手を拡げて踊り出すと、最後にソファにでんぐり返る。ブリュノは手帖に△□○の記号を書き、それに髭を加えてAIMER(愛する) という言葉に直すと、彼女に見せる。「彼女はぼくを見た。ぼくの考えでは、女は二五歳をけっして越えるべきではないのだ。年をとるにつれて男は美しくなっていくが、女は違う。女が年を重ねるというのは、あってはいけないことなのだ」と、後になってブリュノは独白する。
一八世紀の中ごろ、意に沿わぬ形で修道女にさせられたシュザンヌは、厳しい肉体的苦行と修道院の権威的な体制に我慢ができず、反抗を試みる。だがその結果、彼女は悪魔 憑 きであると判断され、危うくレスビアンの餌食にされそうになる。ある神父と懇意になったシュザンヌはともに修道院から逃亡することに成功するが、その直後に彼から犯されそうになり、娼館に逃れたり、乞食の身に転落したあげくに自殺する。ディドロの筆になるこの多分にポルノグラフィー的魅力をもった反カトリック的小説を、リヴェットは一九六三年に舞台にかけ、主役をアンナに振った。まだいくぶんフランス語にアクセントが残っていたものの、彼女の演技は高く評価され、いくつかの賞を受賞した。当時、パリに留学中でボードレールとシオランを読み耽っていたフランス文学者の出口裕弘氏は、極寒のさなかにこの芝居を観る機会があり、深い感動に包まれたと、かつてわたしに話してくれたことがあった。
このインタヴューの二日後、わたしは彼女のリサイタルに出かけた。アンナ・カリーナは黒一色のシンプルな衣装で次々とシャンソンを披露し、最後に『気狂いピエロ』に登場する名ナンバー「私の運命線」を歌った。彼女は昔のような舌足らずの歌い方をやめ、堂々と間を取りながら大年増のコケットリーを振り撒いていた。わたしは心のなかで、人知れず懐かしさに浸っていた。ところがリサイタルが終り、カーテンコールとなった瞬間、突然に大勢の少女たちが舞台の下に駆けつけ、いっせいに「アンナ! アンナ!」と連呼を開始したのだった。これはわたしにも、そしてアンナ・カリーナ本人にも予想のつかない事態だった。我も我もとサインをねだるファンたちを前に彼女は最初驚いた表情を見せたが、やがて座り込んで一人ひとりに対応しだした。騒ぎが収まったのはリサイタルが終了してなんと三〇分後のことだった。
『中国女』はゴダールのあまたの作品のなかでもとりわけ物議を醸したフィルムである。ある夏休み、四人の大学生と一人のメイドが、ヴァカンスで不在のさるブルジョワのアパルトマンを借り受け、毛沢東思想学習のため合宿を行なう。彼らは朝起きるとヴェランダで毛沢東体操をし、小さな赤い書物である毛沢東語録を交互に朗読しながら、革命について討議を重ねる。ヴェロニク(アンヌ) は青い人民服にキャスケットを被り、右手に語録を掲げて革命闘争を誓う。ギョーム(ジャン゠ピエール・レオ) は次々と色眼鏡を取り替えたり、顔に巻きつけた包帯をまた外したりして、寓話的なパフォーマンスを見せる。キリーロフはテロリズムを礼賛して自殺し、アンリは修正主義者だと非難されてアパルトマンを去る。彼らはプロレタリアートの解放を合言葉にしているが、誰一人としてメイドのイヴォンヌ(ジュリエット・ベルト) が討論の最中にもせっせと靴磨きをしていたり、田舎から上京して一時、売春をしていたといった過去に気を払わない。やがて夏休みが終り、一行は毛沢東思想など忘れてしまったかのように合宿を終える。
西ドイツの二つのブルジョワ家族が親しい関係にある。双方の父親は財閥の頭目であり、息子ユリアンと娘イーダが婚約をしたことにご満悦で、それをもって将来のさらなる発展の徴候だと考えている。もっともイーダ(アンヌ・ヴィアゼムスキー) は新左翼の反政府デモを話題にしてユリアンを挑発するが、ユリアン(ジャン゠ピエール・レオ) は現世に冷笑的で、イーダに対しても一向に異性としての関心を示さない。イーダがユリアンに別れを告げに来るときのアンヌは帽子を被り、青いワンピースにチェックのスカーフを身につけている。これはおそらく彼女のすべての出演作のなかでもっとも凛々しく可愛らしい感じのショットだろう。やがて敵対しあう大財閥どうしが企業合併し、ナチスと協力した過去の 隠蔽 を目論むとき、突然にユリアンの死が報告される。彼は生まれつき豚にしか性欲を感じない青年であった。そして豚小屋に潜り込んでいたところで、腹を空かせた豚たちに食べられてしまったのである。『豚小屋』は、中世から現在にいたるまでヨーロッパにおいてユダヤ人が「豚」の蔑称のもとに差別されてきた事情を知らないかぎり、単なるグロテスクな見世物劇としてしか理解されないかもしれない。だがパゾリーニはここに、現下のヨーロッパを覆いつつあるポスト・ファシズム状況への警戒の意味を込めており、それは遺作『サロ』(邦題は『ソドムの市』) へと主題的に連結することになる。『豚小屋』においてレオとアンヌは『中国女』以来の再会を果たし、二人が対話する出演場面はフランス語でなされた後、イタリア語によって吹替えられた。
『愛の讃歌』(一九九六) は、彼女にとって五作目にあたる小説である。両親の思い出を契機に執筆されたこの作品は、作者と思しき語り手が母親の死後にその遺品のなかから、二八年前に父親が残した遺言を発見するところから語り起こされている。そこにはジュネーヴに住むある女性に向けて、自分の腕時計やカフスボタン、旅行用のショルダーバッグ、髪の毛の一束とともに、エディット・ピアフのレコード「愛の讃歌」を送るようにという指示が記されてある。父親が死の直前、母親と離婚をする予定でいたことが、ここで思い出されてくる。この女性こそ父親の愛人であり、母親は遺言を履行しなかったと判断した語り手は、ある決意のもとにその女性に手紙を出す。折り返し返事が来て、語り手はジュネーヴを訪れることにする。もっとも指定された父親の遺品は今では散逸してしまっており、携えることができるのはピアフの傷んだレコードだけである。ところがあに図らんや、問題の女性は「愛の讃歌」という曲にまったく無関心であった……こうして一家のレコード棚に置かれた一枚のシャンソンのレコードが回転軸となって、語り手の家族の物語が甘美に、そしてときに苦く悲痛に解き明かされることになる。慈愛に満ちた祖父。その前で神の存在を否定し、彼を悲しませる孫娘。愛人の交通事故死に衝撃を受ける母親。だがあらゆる喜怒哀楽を超えて、「愛の讃歌」は高らかに鳴り渡る。それはいつしか人生そのものの隠喩と化してしまったのだ。
だがミエヴィルはいかなる応答も見せず、フェミニストからのイデオロギー的な誘惑をどこまでも拒絶した。フェミ系の批評家たちは空手形を渡されて引き下がるしかなかった。ミエヴィルには、そのような流行に惑わされることなく、自分が自分の根拠地にあって探求しているという自信があったからである。
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世にジャン=リュック・ゴダールの信奉者かずかずあれど、つまり、たしかに私も著者の四方田犬彦も、そのうちのひとりのはずですが、以前からこころに思ってはいましたが、恐れ多くて、けっして口には出せないし、出してはいけない、出せば世間のひんしゅくを買うこと間違いないと思われること、そう、
ゴダールは、女に逃げられるという天才的才能の持ち主だ
という視点から、この本は書かれていて、私などは内心ひそかに喝采を叫びながら、ドキドキして、頁をめくっていきました。
ジーン・セバーグ
アンナ・カリーナ
アンヌ・ヴィアゼムスキー
ジェーン・フォンダ
アンヌ=マリ・ミエヴィル
少なからぬ期間、ともに暮らし主演女優の座を与えられ、やがて別離をむかえた5人の女性にからめて語られるゴダールと映画の物語は、すべて以前から知っていることのようで、まったく新しいことのようにも感じられます。
ただし、遅々として読み進まないのには理由があります。
それは、数頁よむごとに、そこに言及されている映画のDVDを、持ち出してきては見るということをしているためです。
しかもそれは、オットー・プレミンジャーの『聖女ジャンヌ』と『悲しみよこんにちは』、ゴダールの『勝手にしやがれ』の中のジーン・セバーグに再会したことから火がついて、この本に関連する映画だけにとどまらず、中学・高校のときに見たフランス映画やイタリア映画まで見るという懐古趣味に陥ってしまったのです。
ああ、早くもっと先まで読みたいけれど、のらりくらりとして、かつて心うばわれた映画にも邂逅したいし、とても優柔不断を弄んでいます。
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ゴダールと、彼を取り巻く女性たちから作品を語る書。
女性から霊感を得て、(彼女たちに逃げられながらも)常に進化し続ける。そんな切り口がおもしろかった。
読みやすく作品を概観するのにちょうど良い。
ゴダールは好きだけど信奉者のベタ褒めや小難しい批評はちょっと、、という方におすすめ。
Posted by ブクログ
ゴダールを巡るミューズ達の肖像を描くのだが、実は現在のパートナーであるアンヌ・マリ・ミエヴィルの存在の重要性に正当にスポットライトをあてた初めての書物かもしれない。ミエヴィル以降のゴダール作品のぶっ飛び加減は、確かに60年代の作品の比じゃないもんな。ただまあ、目を覚ましていられらたら、なんだけど。
Posted by ブクログ
ゴダールをめぐるミューズたちを中心に展開されるゴダール論。
ジーン・セバーグとアンナ・カリーナの章の冒頭に、岡崎京子のイラストが使われている。
あとがきに、岡崎京子への献辞が、述べられているのが切ない。
正直な話、ゴダールの映画は、ほぼ半分くらい寝て観ているので、ストーリーのダイジェストを読むと、「あぁ、あれはそういう映画だったのかと」理解できるのはありがたい。『アルファビル』とか『女と男のいる舗道』とか。
著者は、近年のゴダールの作品に高い評価を与えているが、必ずしも映画に政治性や批評性を求めていない、自分のような怠惰な映画ファンには、なぜ敷居が高いのかも理解できた。映画に「セックスと政治」、「家事と労働」、「子供と高齢者」のような主題について、深い洞察や啓発は求めてないので。
Posted by ブクログ
病院の待合室などで読みました。ことさらゴダールファン!!というわけではないのだけれでも楽しめました。
『女は女である』をもう一回みーようっと。
Posted by ブクログ
気難しいゴダール論が多い中で、さらっと読めるゴダール論の新書。
大島渚が
「(自己変革が)到底不可能な女に、自己変革しろと迫るのがゴダールの趣味なのかもしれない。どうもゴダールにはそういう不可能へ寄せる情熱のようなものがある。そして美女たちは結局逃げ、ゴダール自身はそのことによって必然的に自己変革を迫られるという、ゴダール自身にとってはある意味でなかなか都合のよいシステムが出来上がっていて、だから私は、女房に逃げられるという一種の才能もこの世にあると感嘆したのである」
と言っていたらしい。この文章を出発点として、ゴダールの奥さん又は周辺の女優について解説した本。彼女たちの詳しい経歴・人生とゴダールとの関係が主な題材。特に今の奥さんであるアンヌ・マリー・ミエヴェルについて初めて聞く情報が多く、興味深かった。名前こそよく聞くけれど、彼女の素性についてはほとんど聞いたことがない。彼女がゴダール映画において多大な貢献をしているとは聞いていたけど、彼女がどのういった経歴で何に興味を持っている人なのか、そこからゴダールが何を感じたのかについて、これまたさらっとでも詳しく書かれていて勉強になった。
ところでジーン・セバーグはゴダールを捨てたわけではないのでは?
Posted by ブクログ
ゴダール「映画史」を見るために読んだ本。
しかしあまりに素人過ぎて読んだことが映画鑑賞に全く活かされず。
ただ、これくらい気軽に読めるゴダール本はもっと増えてほしいです。