四方田犬彦のレビュー一覧
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まさに「ソウルの春」直前までソウルの大学で日本語教師を務めていた四方田先生の自伝的小説。1979年のソウルの街がイキイキと描かれている。日帝統治時代を過ごした世代は懐かしそうに日本語で思い出話を語り、大学生は密かに日本のサブカルチャーに憧れ日本語を学ぶ。予備知識なく乗り込んだ四方田先生を困惑させるのであった。
最後の事件に向けてギリギリと緊張感が高まるところは現地に滞在していた著者ならでは。それにしても、あと半年滞在すれば「春」を体験でき、それを(日本人として)記録して後世に伝えることができたのに残念です。
東大のご学友たちの韓国に対する態度の腹立たしさよ。3.5 -
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『カリガリ博士』が日本で公開されたのは1921年5月。当時映画製作者として活動していた谷崎潤一郎は、かつて『人面疽』という映画と狂気を扱った自らの短編小説の映画化を計ったが挫折していた。『カリガリ博士』に共鳴した谷崎は絶賛と注文の混じった熱い批評を書く。1923年、溝口健二は、大泉黒石の原作をもとに『血と霊』を制作する。『カリガリ博士』に影響を受けたストーリーや衣装ではあったが、物語としてはメロドラマから脱却できなかった。1926年、嘉仁天皇が、世間の噂の中衰弱していく年に、衣笠貞之助は川端康成らと『狂った一頁』を作り上げる。その中では、精神病院の患者と医療者が、抑圧する/される関係性である
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2015.11記。
「かわいい」とはそもそもなんなのか。
古代ギリシアが「調和・均衡」を最も尊び、また西欧でも「成熟」こそ優れたものと捉えていたこととの対比において、古くは枕草子に「かわいいもの。スズメがちゅんちゅんと寄ってくるところ」とあるように、小さく、かよわい、といったものに対する愛着は日本人の感性に深く根ざしている。
しかし議論がより迫力を増すのは、「きれい、美しい」よりも実は「グロテスク」のほうがより「かわいい」に隣接した概念である、といった辺りから。グロテスクさを直視しない社会的な装置、イデオロギーとしての「かわいい」の可能性が検討される(いびつなものを「かわいい」と呼ぶなど -
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「カワイイ」、「KAWAII」が日本、世界を問わず飛び回っている。そんなかわいいに注目したのが今回の本だ。かわいいだけで1冊の新書にするとは、寝ても覚めても頭の中からかわいいが離れなかったに違いない。
メディアの中の「かわいい」では、メディアに注目して「かわいい」について述べている。メディアが説くかわいいについて著者は以下のように述べている。「幸福感であり、消費主義であり、生理的年齢に対する精神の勝利である。また手の届くところに置かれた祝祭であり、選ばれてある私を巡る秘密めいた快楽である」。かわいいも1つの消費を喚起するために装置なのかとふと思った。かわいいがこれほどもてはやされるのはどう -
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ネタバレ現代の若者の「かわいい」の感覚、今の「かわいい」に至るまでの来歴や、海外での「かわいい」の受容され方についてなどなど。
日本ではとりわけ小さなもの、幼稚なものを愛でる傾向がある。
一瞬を永遠にとどめたフィギュア。
ノスタルジア。
旅の証拠としての小さなもの、スーベニール。
かわいいとグロテスクは表裏一体。
セーラームーンは、ティーンの変身願望。戦うことよりもどう変身するか、変身シーンが一番大事。清楚なセーラー服に身を包んで戦うのは、肌を露出させたセクシーな大人の女たち。
女性は自分が「かわいく」ありたいから「かわいい」ものを傍におく。自分のためのかわいい。
男性はかわいいものを愛でたいとい