人のネガティブなふるまい(怠惰だとか依存や自傷行為など)にだって自分を癒すための意味がある、という肯定的な視点で解釈してくれるくらい、寛容でやさしい姿勢。もっと言うと、人間に備わっている「生きていくための根源的な仕組みやエネルギー」を正面から信用している。そういった心地よさのある語りでした。
読むというよりも、やさしい言葉で語られる内容を聴く、という行為に近いような文体です。読みやすいし、すうっと入ってくるタイプの「会話」的です。
疲れやストレスからの身体反応、心理反応はいわゆる自律神経系で説明される。これまでは、自律神経系と総称されますが交感神経と副交感神経のふたつの違いによって一般的には語られてきました。交感神経が興奮状態やてきぱきと動ける状態にあり、このモードから抜け出せないと、闘争/逃走反応と呼ばれますが、緊張したり心臓がどきどきしたり呼吸が速くなったり体が熱くなったりする。また、布団に入ってもねつけず、朝までに何度も目覚めたりもします。それで、副交感神経のモードにはいると休息できる、と言われてきました。
でも、引きこもったり凍り付いたりする疲労・ストレス性ダウナー反応については説明がつかなかった。これを、最近注目されているポリヴェーガル理論という仮説がうまく説明をつけてくれるのでした。
ポリヴェーガル理論は副交感神経の8割を占める迷走神経に背側迷走神経と腹側迷走神経という二つの種類が存在していることに着目します。背側迷走神経モードにはいっているときは、ダウナー反応がでて、腹側迷走神経モードに入っているときには安らぎを得て、休息できるとしています。
そしてここに、本書の根底にある考え方、「ゆらぎこそが生命の本質」が関係してきます。交感神経、背側迷走神経、腹側迷走神経のみっつのどこかに停滞していては無理があって、それらを行き来するゆらぎの状態こそが健全だと解説されています。そのために、どのモードのストレス反応に入っているかを自覚し、さらに「BASIC Ph」と略されるその人の考え方や感じ方、価値観の6種類ある性質のなかで自分がどの性質が強いのかを知ることで停滞の解消を試みやすいことが言われていました。
ゆらぎといえば、最後のほうに書かれている承認欲求についてのところにある、「価値への承認」と「存在への承認」のところが、是非とも世間に広まってほしいな、と思えるものでした。それはどういうとらえ方かというと、前者は有用かどうか、使える人か使えない人かなど、利害や損得で値踏みする種類の承認です。かたや、「存在の承認」は役に立つか立たないかはさておき、いてくれるだけでありがたい、うれしい、といった種類の承認です。著者は、後者の「ただそこにいてくれるだけで」という承認こそがほんとうの安心を生むもので、大切なんだ、と説きます。前者は、「金の切れ目が縁の切れ目」という価値観で、これじゃ安心は得られにくい。
では、ここからは箇条書きで、気づいたこと、学んだことなどを。
◆「すべて言葉でつまびらかにできる」「論理ひとつでどれも説明でき理解できる」「整合性のないものは欠陥品」というような態度は西洋的な態度です(いささか極端ではあるけれど)。でもこれらって、論理や言葉への「過剰適応」ではないでしょうか。相反する考え方や論理の間を行き来して動き続けるのが健全だし本質的。考え方も、自律神経系も、両者はおそらく同じように「ゆらぎ」が大切なんです。
◆自分の境界を守るために必要な感情は「怒り」。この怒りは健全な怒りと表現されていました。納得がいくことです。ただ、こういう人は多いらしいのだけど、僕も怒るのは苦手なんですよねえ。
◆他者のために頑張ることが当然、とされるのが社会だという見方があり異論はないのだけれど違和感はあるわけです。なんだか個人が各々一人きりで犠牲になるかのような見方に僕には思えたからなんです。そこに、みんなが「お互いさま」で助け合いになっている構造が感じられると理解が変わってきます。これが、国家のために頑張れ、となると、そんなのやってやれるか、とどうでもよくなるのが僕です。民衆同士がお互いのためになるから頑張っている、もちろん自分のためにもなる、というのがしっくりくるんですよ。国は富の再分配とか税金の有効な活用とかやってくれていればいいじゃないのですかねえ。
というところで、引用をすこしして、終わります。
__________
いじめやパワハラを受けている人が、誰にも本当のこと、本当の気持ちを言えないのは、「他人」に対して安全・安心の感覚を持つことができていないからです。
「自分が誰かに攻撃されている」という状態であれば、危機に対して、交感神経もしくは背側迷走神経系の防御が働き、腹側系が働きにくい状態になります。
すると、自分を攻撃する人だけではなく、すべての「他人」に対しての警戒心や不信感が増してしまう、ということにもつながっていきます。
その人にとっては、「社会が危険」という認識になり、常に気を張っていなければならなくなるのです。(p101)
__________
→また、いじめやパワハラの記憶が甦るのを無意識レベルで回避するため、語れなくなるというのもあります。あと、本書のはじめに書かれていることなんですけれども、デイリーハッスルズと呼ばれる「あの言い方がちょっと気になったなあ」だとか「あの態度に嫌な感じがした」などという小さなストレス、それは小さな意地悪や小さな暴力によるものだったりもしますが、そういった小さなストレスが積もりに積もって心身に不調をきたす、というのもあります。この対処としては、自覚が大事で、「あれは嫌だった」とノートやスマホなどに書き残すなどの行為が勧められていました。
__________
社会的交流を取っていくためには、相互に危険がないことを確認し、安心をつくっていかなければいけません。
安心を感じられない相手とは交流できないし、すべきではありません。
そのためには、相手の表情など、さまざまな高度な情報をやり取りする必要があります。(p116)
__________
→そして、安心をつくるのが腹側迷走神経であり、腹側迷走神経のモードにはいるようなあり方が大切だということになります。不安や心配の状態のままでいると、社会的な交流もあまりうまくいかないのは、みんなが経験的・感覚的にわかっていることでもあると思います。
__________
私たちは社会の中で生き延びるために、必要な知識と常識、相手の表情など、ありとあらゆる情報を読み取り、もっとも好ましいであろう「最適な自分」を演じています。
そのコミュニティの中で良しとされる常識や暗黙のルールに支配され、定型的な思考パターンにはまっているのです。(p201)
__________
→小説を書いたりなど創作をするにあたって、ここに書かれていることは大きな障壁となります。自覚し、客観的に見て対象化し、風刺にしたり批判したりできるくらいしっかり把握できないと、クリエイターとしてはやっていけないところがあると思います。ただ、それはなかなか苦しい行いになります。
本書の著者の考え方はすんなり入ってくるものでした。共感が多かったですし、学びも多くありました。よくぞ言葉にしてくれた、という今までむずかゆかったようなところを解消してくれる部分もありました。本書にあるような内容が常識のようになってくれたらいいのに、と本当に思いますし、願うところでした。