鈴木裕介のレビュー一覧
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購入済み
子供の頃に家庭が安全と感じられず生きづらさを感じて生きてきたので、作者の方が言っている内容が心にスッと入ってきました。
この方の本は2冊目になりますが、どちらも読んで良かったです。
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購入済み
納得出来ました
子供の頃から、どうしてこうも生きづらいのかと思って生きてきましたが、この本を読んで自分に当てはまりまくりで、これは生きづらいと納得出来ました。
ポップな文章で重いテーマも軽い気持ちで読めました。購入して良かった。
何度も読んで、これからは少しでも楽に生きれる様になりたいです。 -
Posted by ブクログ
文字通りの行間がなかなか空いてるのでするする読める
面白かったのは、DWD(だから私はダメなんだ)病の章を、「あー、こういう考えになる人いるよね、、、生きるの大変そう」と読んでたのにしばらく読むのが空いて忘れてるなと同じ章を遡って読み返してる時に「そうなるに決まってるだろ、実際だから自分はダメなんだから」とキレ気味で読んでおり、メンタルの余裕がもろに出る読み物なんだな、と
読み返してたときはちょうど風邪を引いており、今年何回目なんだよ?!と精神暴風雨のときでした
以下は読書メモ転載
あなたが何らかのネガティブな感情を抱いたと言う事実は、あなたの領域の中では絶対的に正しいことであり、他の誰にも侵されない真実です
こんな感情を感じるべきではないんじゃないかなどと思わずに、自然に湧き上がってきた感情のほうを採用し、なぜそう感じたかを考えてみましょう
人と会うためには気力が必要です
心は、通常の8倍くらい傷つきやすく敏感になっています、そのような人にとって気力は貴重な資源でありいたずらに消費するわけにはいきません。
つまり誰と会うかが重要で、世の中には会うと疲れる人の方が多い
ジャッジしない、強い言葉/感情を使わない、要求をしない、3割程度の闇がある
↑こういう人に会っていくと立て直しはかなり早まる
特に若いうちは会社に求められるままに頑張って応えるをやりがちだが、会社の要求に応えられることをアイデンティティにしてしまうと、人生のどこかで後悔することになりかねません
我慢は美徳というかに価値観がインストールされていると、人はたいていラクしてお金をもらうことに罪悪感を抱きがちになります。
彼らはたいてい、自分を辛い環境に押し込めようとし、少しでも時間があくとすかさず仕事を入れようとします、大変だったことに慣れ、余裕が生まれると、そこに新たな大変なことを入れてしまいます。
お金は苦労や我慢の代償として支払われるものであるという思考がベースにあるのでしょう
こんなにラクにお金をもらっていいのかな?→自分はそれだけの価値を生み出したのだと考え直す
時には我慢も必要だが、
自分に得られるものがあるか、その得られるものが自分の欲しいものか、得られるものがコストと見合っているか
我慢の期間が決まっているかどうか
を吟味する
罪悪感とは実は自己中心的な感情である
・自分が嫌われないための防衛的な気遣い
・純粋に相手にとってのプラスを考えた気遣い
世の中には圧倒的に前者が多い
罪悪感は自分勝手で関係改善に役に立ちにくい感情であると知っておく
断る、はやっていくと慣れる
逆に断るを避け続けると断ることが怖くなる
自分の望みを優先させて、守ることができれば自分自身を信頼できる
そこそこにポンコツな人生は、結構ラクだ
勝ち組というみんなが目指すコースはなんとなく安心ですが、関係している人があまりにも多く、踏みとどまるためにはあらゆる人の期待に応え続けなければならない、勝ち組の維持コストはものすごく高い
そこから少し横道にそれるだけですごくラクな世界が広がっていたりする
スプラトゥーンのために仕事する時間を減らしている、そのほうが自分は総体として幸せに近づくと思ったから。
自分のルールを見つけることは難しい
まずは、自分に合わないもの、やりたくないことを見つけ、NOを言うことから始める
人は他人から評価されやすいもの、褒められやすいものに自分を合わせてしまうという習性がある
一日中寝てたい、ゲームしてたい、ぼーっとするなどはやりたいこととして認めづらい
→やりたいことがない、と思ってしまう
自分の正直な気持ちを認めることこそがその第一歩なのです
負け続けても競争を楽しめる、そういうタイプでなければ、競争は人生のスパイス程度に捉え、競争や評価とは無縁な人や世界とのつながりを大事にすること
頼まれごとを反射的に引き受けているな、と思ったら「ちょっと考えます」「予定を確認します」と答えてタイムラグを作ることを習慣化する、断る場合に不快感を与えない言い訳を考えるため
頼まれたこと、誘いに応じた自分をイメージして、自分が楽しそうか、そうでなければ断った方が良い
そして受けないと決めたらなるべく早く断る。ハードルを上げないようにするため
だから私はダメなんだ病(DWD)を克服するためには、欠点を否定するための努力ではなく、ダメなところを含め自分の愛すべき一部だと感じ、そう思ってくれる人と過ごすこと
自己肯定感とは「何はなくとも、自分は自分であって大丈夫」という感覚
欠点だらけでも誇れるものがなくてもそんな自分を丸ごと受け入れて愛することができること
努力して成果を認められて褒められて上がるのは「私は〜ができる」という自己効力感、自己評価であり、自己肯定感ではない
自己効力は看板であり、実は自分自身が求めているものではない(親や世間の物差し)ので、得られても「なんか違う」がつきまとう
そして看板は比較もしやすい、上には上がいるので心から満足することはできない
受験を頑張って慶應に行っても
「慶應に行けた!」
ではなく
「たまたま慶應に潜り込めたが、自分以外の人は優秀で劣等感に苛まれ、むしろ入らなければ良かった」
と捉えることすらできる、そういう人はハーバードでもスタンフォードでも同じように思う -
Posted by ブクログ
ネタバレストレスって色んなタイプがあることがわかった。自分はイライラしたり注意力過剰になるアッパータイプが多いけれど、現代社会では塞ぎこもうとしてしまう氷タイプもある事がわかった。
炎のモードから抜け出す方法として
* ゆっくりした呼吸をする
* ラベンダーなどの鎮静系のアロマを利用する
* ハーブティーや漢方薬などを利用する
* 心を落ち着かせるような、静かな曲を聴く
* 温かい湯船につかる
とかがいいらしい。
他にもストレスの発散方法にはbasic phという6つのチャンネルがあることも分かった
自分のストレスって気付けないがち(自分ではストレス感じてないのに生理不順になったり)だからもう少し自分に向き合ってあげたい -
Posted by ブクログ
人のネガティブなふるまい(怠惰だとか依存や自傷行為など)にだって自分を癒すための意味がある、という肯定的な視点で解釈してくれるくらい、寛容でやさしい姿勢。もっと言うと、人間に備わっている「生きていくための根源的な仕組みやエネルギー」を正面から信用している。そういった心地よさのある語りでした。
読むというよりも、やさしい言葉で語られる内容を聴く、という行為に近いような文体です。読みやすいし、すうっと入ってくるタイプの「会話」的です。
疲れやストレスからの身体反応、心理反応はいわゆる自律神経系で説明される。これまでは、自律神経系と総称されますが交感神経と副交感神経のふたつの違いによって一般的には語られてきました。交感神経が興奮状態やてきぱきと動ける状態にあり、このモードから抜け出せないと、闘争/逃走反応と呼ばれますが、緊張したり心臓がどきどきしたり呼吸が速くなったり体が熱くなったりする。また、布団に入ってもねつけず、朝までに何度も目覚めたりもします。それで、副交感神経のモードにはいると休息できる、と言われてきました。
でも、引きこもったり凍り付いたりする疲労・ストレス性ダウナー反応については説明がつかなかった。これを、最近注目されているポリヴェーガル理論という仮説がうまく説明をつけてくれるのでした。
ポリヴェーガル理論は副交感神経の8割を占める迷走神経に背側迷走神経と腹側迷走神経という二つの種類が存在していることに着目します。背側迷走神経モードにはいっているときは、ダウナー反応がでて、腹側迷走神経モードに入っているときには安らぎを得て、休息できるとしています。
そしてここに、本書の根底にある考え方、「ゆらぎこそが生命の本質」が関係してきます。交感神経、背側迷走神経、腹側迷走神経のみっつのどこかに停滞していては無理があって、それらを行き来するゆらぎの状態こそが健全だと解説されています。そのために、どのモードのストレス反応に入っているかを自覚し、さらに「BASIC Ph」と略されるその人の考え方や感じ方、価値観の6種類ある性質のなかで自分がどの性質が強いのかを知ることで停滞の解消を試みやすいことが言われていました。
ゆらぎといえば、最後のほうに書かれている承認欲求についてのところにある、「価値への承認」と「存在への承認」のところが、是非とも世間に広まってほしいな、と思えるものでした。それはどういうとらえ方かというと、前者は有用かどうか、使える人か使えない人かなど、利害や損得で値踏みする種類の承認です。かたや、「存在の承認」は役に立つか立たないかはさておき、いてくれるだけでありがたい、うれしい、といった種類の承認です。著者は、後者の「ただそこにいてくれるだけで」という承認こそがほんとうの安心を生むもので、大切なんだ、と説きます。前者は、「金の切れ目が縁の切れ目」という価値観で、これじゃ安心は得られにくい。
では、ここからは箇条書きで、気づいたこと、学んだことなどを。
◆「すべて言葉でつまびらかにできる」「論理ひとつでどれも説明でき理解できる」「整合性のないものは欠陥品」というような態度は西洋的な態度です(いささか極端ではあるけれど)。でもこれらって、論理や言葉への「過剰適応」ではないでしょうか。相反する考え方や論理の間を行き来して動き続けるのが健全だし本質的。考え方も、自律神経系も、両者はおそらく同じように「ゆらぎ」が大切なんです。
◆自分の境界を守るために必要な感情は「怒り」。この怒りは健全な怒りと表現されていました。納得がいくことです。ただ、こういう人は多いらしいのだけど、僕も怒るのは苦手なんですよねえ。
◆他者のために頑張ることが当然、とされるのが社会だという見方があり異論はないのだけれど違和感はあるわけです。なんだか個人が各々一人きりで犠牲になるかのような見方に僕には思えたからなんです。そこに、みんなが「お互いさま」で助け合いになっている構造が感じられると理解が変わってきます。これが、国家のために頑張れ、となると、そんなのやってやれるか、とどうでもよくなるのが僕です。民衆同士がお互いのためになるから頑張っている、もちろん自分のためにもなる、というのがしっくりくるんですよ。国は富の再分配とか税金の有効な活用とかやってくれていればいいじゃないのですかねえ。
というところで、引用をすこしして、終わります。
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いじめやパワハラを受けている人が、誰にも本当のこと、本当の気持ちを言えないのは、「他人」に対して安全・安心の感覚を持つことができていないからです。
「自分が誰かに攻撃されている」という状態であれば、危機に対して、交感神経もしくは背側迷走神経系の防御が働き、腹側系が働きにくい状態になります。
すると、自分を攻撃する人だけではなく、すべての「他人」に対しての警戒心や不信感が増してしまう、ということにもつながっていきます。
その人にとっては、「社会が危険」という認識になり、常に気を張っていなければならなくなるのです。(p101)
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→また、いじめやパワハラの記憶が甦るのを無意識レベルで回避するため、語れなくなるというのもあります。あと、本書のはじめに書かれていることなんですけれども、デイリーハッスルズと呼ばれる「あの言い方がちょっと気になったなあ」だとか「あの態度に嫌な感じがした」などという小さなストレス、それは小さな意地悪や小さな暴力によるものだったりもしますが、そういった小さなストレスが積もりに積もって心身に不調をきたす、というのもあります。この対処としては、自覚が大事で、「あれは嫌だった」とノートやスマホなどに書き残すなどの行為が勧められていました。
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社会的交流を取っていくためには、相互に危険がないことを確認し、安心をつくっていかなければいけません。
安心を感じられない相手とは交流できないし、すべきではありません。
そのためには、相手の表情など、さまざまな高度な情報をやり取りする必要があります。(p116)
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→そして、安心をつくるのが腹側迷走神経であり、腹側迷走神経のモードにはいるようなあり方が大切だということになります。不安や心配の状態のままでいると、社会的な交流もあまりうまくいかないのは、みんなが経験的・感覚的にわかっていることでもあると思います。
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私たちは社会の中で生き延びるために、必要な知識と常識、相手の表情など、ありとあらゆる情報を読み取り、もっとも好ましいであろう「最適な自分」を演じています。
そのコミュニティの中で良しとされる常識や暗黙のルールに支配され、定型的な思考パターンにはまっているのです。(p201)
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→小説を書いたりなど創作をするにあたって、ここに書かれていることは大きな障壁となります。自覚し、客観的に見て対象化し、風刺にしたり批判したりできるくらいしっかり把握できないと、クリエイターとしてはやっていけないところがあると思います。ただ、それはなかなか苦しい行いになります。
本書の著者の考え方はすんなり入ってくるものでした。共感が多かったですし、学びも多くありました。よくぞ言葉にしてくれた、という今までむずかゆかったようなところを解消してくれる部分もありました。本書にあるような内容が常識のようになってくれたらいいのに、と本当に思いますし、願うところでした。