山本文緒のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
1992年作。
もと少女小説を書いていた山本文緒さんが一般向けに路線変更した、最初の1冊。
今年何冊か親しんできた山本文緒さんの小説、これもやはり同様のニュアンスを持っており、平凡な若い女性の、それでも細やかな生活上の波乱を丁寧に描き、ある種の日常性を浮き彫りにしている。愛すべき凡庸さのようなものが感じられて、好ましく思っている。
この作家の作品は、恐らく感性の似た女性の読者たちに好んで読まれてきたのだろう。男性で読んでいる人はあまりいなそうだ。
本作では、穏やかな冒頭部分から、後半は非常なピンチの状態となり、読んでいて共感のあまり辛くなってくる。が、最後はなんとか収まって、一応はめでたしである。
本作の中で、女性主人公の遠距離恋愛の恋人が、出張先の札幌すすきののソープに行ったことが発覚し、彼女はとても傷つき怒る場面がある。男としては、そんなに怒るかなという気持ちもあるが、それを許せないと感じる女性も多いのだろう。確かに「ちゃんとした」恋人がいるのなら、ソープには行かないような気もするが、そのへんも人によるかもしれない。
それはさておき、ちょっと暗めで人に対して割とクールっぽい女性の個性を起点に、地味だけれどしっかりとした「日常」が描かれていて、好ましい長編作品だった。 -
Posted by ブクログ
ストレスを抱え、体調を崩す女性たちの10作の短編集。
1話1話は短いけれど、どれも話がうまい、、、
私自身、人を性別で判断するのは好きではない。女として生きてきて、男だったら良かったと思うことも何度もあった。それでも、「男女平等」が大切だと言われても、やっぱり男女は身体の作りが違う。
男に生理痛はないし、男の方が筋肉と力があるからこそ、女にはできないことができたりもする。
そして女も都合よく「女」を武器にするし、「女だから」と壁を作ったりする。性別に差があることは事実だ。
周りの人に相談できず、溜め込んでしまう女性たちの姿はかなりリアルで、ただのフィクションには思えない、この社会のどこにでもいる女性たちの話だった。
体調を崩すまでストレスを溜め込まないように気をつけなきゃな、、、 -
Posted by ブクログ
今の自分を「みじめだな」と心のどこかで思っていることが問題だったのか。と納得した。
少数派として生きるのは難しい。
ある年齢になると大多数は結婚して、子供を産んで、家を建てて…そんな生活が想定されている。
そこから逸脱すること(少数派でいること)は、すごく難しいのだ。
私は結婚しているけど子供が欲しいと思えない。
著者は結婚したけど離婚し、再婚した。子供は最期まで授からなかった。彼女の場合は欲しかったけれど、タイミングによるものだった。
この本の中ではまだ再婚していなかったので離婚後の独身を貫くことについて述べているが、"本来であれば結婚し、子供を育てる期間だったであろう時間を、どのように使ったらよいのか"、"仕事や趣味があればいいが、どちらもそこまで熱意はない。やりたいことがないのに1人で生き続けなくてはいけない"。そんな絶望感に思わず共感してしまった。
まさしく今の私(たち夫婦)が直面している絶望である。
私自身"子供を産みたいと思えない自分"をみじめに思ってしまっているのだと思った。自分の心が今の自分の在り方を許してないのだと思う。大多数でありたかったのに、少数派の生き方を選ぶ自分を自分で認められていない。
あまりに共感が強いので、文章がまとまらない。
また読み直して、感想を書き直します。 -
Posted by ブクログ
文庫だと「私のうつ闘病日記」とサブタイトル?がついている。単行本を出したときには、まだ「鬱」という病気に対して吹っ切れていない部分があったそう。まだ距離を取りきれない、引き戻されてしまう怖れを感じていた、ということかもしれない。
ややもすれば深刻になりそうなところを、読み手への気遣いなのか、作家としての気概なのか、ユーモラスにも感じられるような緩やかな筆致。
「王子」目線で読んでいたかもしれない。言語化された鬱屈に、そういうことだったかと、ため息をつきつつ。そしていつかはそれを宥めることができるようになる、こともある、という希望が少し。
書けなくなった日々をはさみつつ、書きたいという意志が彼女を引き上げたのだろうか。私の娘を引き上げるものが、娘のうちからも湧くことを願う。
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Posted by ブクログ
様々な事に振り回されながらも生きる人達のお話
メインの視点は、平凡な自分というものと生き方に迷っている女性と、芸人を諦めた男がちゃんとしたところで働けるようにする話
故郷とは違う、海沿いの見知らぬ街で暮らす同郷の夫婦の冬乃と佐々井
そんな中、ここ数年連絡のなかった妹の菫が、住んでいるところがボヤ騒ぎを起こして転がり込んでくる。
菫はすぐに街に馴染み、元スナックを居抜きでカフェをやると言い出し、冬乃も巻き込まれていく。
一方、元お笑い芸人の川崎は、同窓会をきっかけに付き合い始めた彼女のために芸人をやめて働きだし、現在は佐々井の部下。
仕事は暇で佐々井が仕事をサボって釣りをするのに付き合い、冬乃が作る二人分のお弁当を食べるような伸び切った生活。
しかし、仕事が激減する事になった得意先の秋月の許しがあった事から、仕事が激増してブラック会社としての被害を受けていく事になる。
主な登場人物
冬乃、妹の菫、夫の佐々井くん
所さん(仮称)
佐々井の部下の川崎
川崎の彼女の百花、芸人時代に繋がりのあった杏子
得意先でいいように扱き使ってくる秋月
秋月に紹介されたナオミ
そして、飽きる事を繰り返すモリ
これは夫婦の物語なのか?
家族の物語なのか?
人の自立の物語なのか?
主眼がよくわからない
それにしても読み進めるのが辛い物語であった
夫婦のすれ違いもそうだし
途中で事情が明らかになる家族の不和というか両親の依存だったり
川崎のブラック環境だったり、佐々井のメンタルだったり
著者の山本文緒さんもうつ病で苦しんだという話を聞いたので、ご自身の体験が反映されているのだろうなぁと思う
物語を通じてその苦しさやどうしようもなさが読者まで伝わってくるというのも、流石の文章力と言えるかもしれない
冬乃と佐々井の夫婦の絆の一つとして料理がある気がする
毎日お弁当を作って渡す冬乃
「食事の用意をすることでしか私は夫と繋がれないような気がしていた」とも感じていたけど
佐々井が会社を辞めて、自分の食事を用意する事に気を遣わなくて良いと言ったところが関係が断ち切られたように思ったきっかけかなと思う
そして、冬乃が帰ってきたときに佐々井が挽き肉と豆のカレーを作っていたところが再び繋がろうとしたきっかけかな
あと、二人でカフェをするという提案も、料理を通じて二人で同じ方向を向くという構図になっている気がする
菫もなぁ
最初は胡散臭い存在に思えてたけど
菫なりに冬乃の事を考えていたわけだし
ボヤの原因に関しても口を割らなかったというのは、やはりそんな想いがあったという事でしょう
そして、引っ越し先を両親に伝えていたというのも、冬乃ほど割り切れていないという家族の情を感じる
モリに感化されていそうで、最後までは踏み切れてないんだよなー
特定の家を持たずに友人知人の家を渡り歩き、いつでも身の回りのものを捨てられるようにしてフィービジネスで生きているモリ
何かを始めてもいつか「飽きる」事を考えている
このモリという存在がメインの主人公達以上にやたらと目立つ
様々な面で他の人達の対局の存在で、どうも読者の感情をざわつかせる役割
なのに、とある言葉には人生の秘訣の一つが含まれている気がする
「同じ悩みにそろそろ飽きろ。人生の登場人物を変えるんだ」
言われてみれば、人生の悩みは人に付随する事が多い
問題のある人との関わりを絶てば自然と悩みはなくなるのかもしれない
まぁ、だからといって実践する気はないけどね
そんなモリも最後には
「おれは、お前のようには絶対ならない」
と否定される
でも、本人にはまったく響いてないんだろうなぁ -
Posted by ブクログ
ネタバレ帯は、
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”家族”をめぐる
三つの物語。
こういう作品を作りたいのだと、
読むたびに思う。
新海 誠
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中学三年のタマコが、老人ホームに入れられそうになる祖父と駆け落ちする「アカペラ」
田舎を飛び出した春一は、父の死をきっかけに20年ぶりに帰郷する。そこで再会を果たしたのは…「ソリチュード」
病弱な弟を献身的に支える志保子。仕事、恋愛、未来の転換期を迎えた時、二人きりの姉弟はどんな選択をするのか「ネロリ」
三篇が収められていますが、
読んだ最初に抱いた感想は、
タイトルの意味でした。
この物語に対してタイトルは、
どういう意味を込めてるんだろう、と。
それを意識しながら読んでいると、
アカペラは、祖父とタマコは仲良しで鼻歌のように歌を歌うからそこかな?と思ったんですが。
でも読み切った後に思ったのは、誰にも伴奏(伴走)してもらえないまま一人で歌い上げるタマコを想像しました。
両親もアテにならない。
祖父は大好きだけど、自分が守らなければいけない。
先生だって、自分の人生を最後まで助けてくれるわけじゃなく。
15歳の少女が、ひとりで決断していかなければいけない。
だけど、タマコが自暴自棄にもならず、本当に最後までタマコらしくて、それがさらに。
もっと周囲のせいにしていいし、周りに甘えれば良いし、我がままになったって良いのに、と。
「ソリチュード」については、結局顔が良い人はなんだかんだと得するんだな、というのが感想でした。(だいぶ荒んでますね、私。苦笑)
どんなにダメ男でも、放っておけない女がいて。
この主人公の春一こそ、周囲のせいにして、こじらせてると思いましたが。苦笑
タマコ見習いなさいよ!と。笑
春一の過去の環境も環境なんですけどね。
だけど、もっと考えて行動してよ!怒)と思ってしまった。笑
登場人物の大体が春一の前だと、ちょっと女になる感じがね。苦笑
「ネロリ」は最初、親子だと思ったら姉弟でした。
日出男は身体が弱くて、ストレスを溜めないで生きていくだけで精いっぱい。
そんな弟を献身的に支える姉。
偏愛というか、まわりが不思議に思うような嫉妬するような距離感。
そんな日常に突如割り込んでくる仕事や恋愛。
家族ではなく、ひとりの男性、女性として。
どれも本当に狭い世界と人間関係のなかで起こる出来事なんだけれど、少し気味が悪かったり、理解できなかったり、それは愛ゆえの歪さでもあって。
そして、見えないところで知らないところで本当に起こっていてもおかしくない物語たち。
アカペラを読む前と後では、表紙に描かれている少女のイメージが大きく変わりました。
多分忘れられない。
すごい絵です。 -
Posted by ブクログ
2003年から2007年にかけて書かれ、月ごとに雑誌に連載された日記スタイルのエッセイ。単行本化は2007(平成19)年、文庫化は2009(平成21)年。
筆者山本文緒さんの当初のつもりでは、最初の離婚から数年、直木賞などを獲得し再婚を果たしたところで、この2番目の結婚生活の模様を描いてゆく予定だったらしい。
が、次第に「うつ」の状態がひどくなっていき、すっかり「うつ日記」になってしまったようだ。
前半ではうつ症状の一つとして胸に激甚な痛みを覚えて救急車を呼んだりもし、やがて入院することになるという展開。もっとも、入院してもノートパソコンを持ち込んで少し仕事などもやっているようで、察するところ、「うつ」としてもさほどの重態ではないようだ。
苦しみながらも入院生活を日記として書いて、そこにはかなりの頻度でユーモアも紛れ込むので、読んでいて楽しい。
が、この前半部(2004年2月まで)の後、後半が始まる2006年6月までのあいだに、2年以上も沈黙の期間がある。実はこの空白の時期が、もっとも重態の「うつ」であったようだ。
巻末に収められた、文庫化に際して著者が追加した文章「改めてふり返ってみました 2004年3月〜2006年5月の出来事」にその部分が回想されて書かれている。もはや家事どころか執筆の仕事も全くできなくなり、実に行動不能の暗澹たる状態。もう寝てばかりいるほかない、この状態は、ピアニストのスヴャトスラフ・リヒテルの「うつ期」の様子に似ている。
山本さんは何度も転院を繰り返し、もんどり打ちながらも、やっと理想的な病院に入院。ここでやっと快方に向かい、その後の自宅療養でも何とか持ち直していって、やっと治癒の状況までこぎ付くのである。
前半部分で登場する2番目の夫「あだ名:王子」は、当初別居婚というやつで、週に一度か二度会う程度だったのだが、どうやらこの「空白期間」の症状悪化の時期に(妻の面倒をみるために)同居を始めたようだ。さらに最悪の時期には、自分の会社を休職し、何とかして妻を支えるため、必死な様子で傍に座っている。素晴らしく優しい旦那さんではないか。
最悪の頃は、温厚なはずの山本文緒さんが家の中で物を投げ飛ばして暴れたりもするのだが、そんな危機の状況にあっても、「王子」さんはよく堪えている。
文緒さんの方はもはやどうにもならないようなこの時期、ついに希死(自殺)念慮にも囚われ、いよいよ夫の方も心配そうだ。この辺の二人の人間関係の激しさは、並みの小説よりも濃く、重い。
本書を読んでいると山本文緒さんは、ちょっと風邪を引いたときなども、自分について考えこんでしまう内省的な面がとても強い。なんにも反省しない人ならラクだろうけれどいろんな失敗をやらかしそうだ。かといって、ここまで内省的だと、確かにしんどいストレスがたまっていき、うつが昂進すればいよいよ真っ暗な閉所に閉じこもってしまうかのような態勢にならざるを得ない。
ひどい状態のときは、この閉鎖的な自己意識との泥沼の格闘状態で、自分と身近な他者との関係についてなら考えられるし、その他者にとっての世界ということまではなかなか思い至らないし、ヒトゴトのように見えるだけで終わってしまう。たとえば夫にとってどうしてあげたらよいのか、全く考えられないわけでもないがそうした行動に至ることはできない。自己の泥沼の吸引力が酷すぎてそこに留まることしか出来ず、自己を「超えて」他者の方へと「跳躍」することが不可能なのである。
だが、徐々に快方へ向かい、ついには医者からも「完治宣言」が出され、山本さんもやっと、「夫のために」行動することが出来るようになり、ようやく「幸せ」までこぎ付いたのだ。
自己を振り捨てて他者のために行動すること。そこに見える幸福が、すなわちback numberの「瞬き」の「幸せとは・・・」に該当するのだろう。「うつ」の最悪の状態ではもはや脳内の化学物質の状態が異常な割合になっているために、本人にはどうにもならないのだが。
最後にほぼ全快の状態に至る本書は、私には生半可な小説よりもずっと感動的だった。やはりこの作家の心は、私には強く共感できる感じがする。
40代でこの深甚な「うつ」体験を経た彼女は、優しい夫とともに、幸せに暮らしたのだろうか? 2021年、58歳で癌で亡くなるとき、彼女は何を感じていたのだろうか?