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Posted by ブクログ
これぞ私が好きな山本文緒さん!という小説だった。下手なホラーよりホラーだ。
長い坂を登った丘の上の一軒家に住むさとる。他人とうまく付き合えず、家事手伝いと称して、実家で母親、妹とともに生活している。
彼氏の鉄男は、さとると交際を続ける中で母親や妹とも関わりを深めていくうちに、その家族に潜む底知れない憎悪とさとるが纏う戦慄の背景を目の当たりにしてゆく……。
怖い。怖すぎる。家族を支配するのは、ヒステリックで冷酷な母親。さとるには、24歳にもなって22時の門限があり、それを守れなければ容赦なく打たれる。母親の意にそぐわないことをすると、幼い頃から妹のみつるとそうやって虐待され続けてきたのだ。
しかしそれを家族の愛だと信じて疑わず、反抗しようとも家を出ようともしないさとるに、鉄男は徐々に不信感を募らせていく。と同時に、冷酷な母親の不思議な魅力に取り込まれていってしまう。「えー?!?!」という展開。怖い。
章ごとに挟まれていた誰かのカウンセリングの真実が分かったあとからは転がり落ちるようなスピード感。怖い。
こういう風に育てるとこういう子になって家族はこうなってしまうんだなという見本のような恐ろしいストーリーでした。
愛に飢えるさとるが不憫で可哀想でならなかった。鉄男はチャラチャラして流されやすいところもあるけれど、優しくて情緒が安定しててさとるは彼に出会えて本当に良かったねと思う。
Posted by ブクログ
真面目って病気だ。
正論が人を強くするのか、弱い人が正論に縋るのか。
山本文緒さんの作品。わたしが初めて読んだのは、「プラナリア」だった。
2020年6月末頃のことだ。
そして、この作品のレビューをベースに、わたしはエッセイを書いて、初めて応募した。
そんな大きな一歩を踏み出させてくれた山本文緒さんが、とても若くして亡くなられた。
早い。早すぎるあまりにも。
わたしはと言えば、遅かった。あまりにも遅すぎた。彼女の作品に触れるのが。
「自転しながら公転する」
この作品を読んで、もっともっと彼女の作品を読みたいと思った。
もう、今ある作品を、魂を込めて読むことしか、今のわたしにはできない。
これではまるでゴッホじゃないか。
悔しい。寂しい。作品は作品として残るけれど、作品だって、生き物だ。わたしはそう思う。
この作品は1995年に単行本で出版されている。
1995年といえば、J-POP全盛期で、とにかく毎日違う名前の歌番組が、前日と違う放送局から流れていた時代だった気がする。子どものわたしには、歌詞はあまり入ってきてなくて、だけどとにかく曲を聴いてた。
その裏側で、この物語もひっそりと存在していた。
とても静かに。
毛布でくるまれて、部屋の片隅で、息をひそめて。
毒に侵された家族を、優しく包み込んでいたのだろうか。それとも、隠していたのだろうか。
まるで家に根が生えていて、根ごと毒に侵されているような。
主人公の様々な心身の不調。毒親は普通、これを放っておかない。なのにそれを放っておく違和感。
主人公目線の章にも関わらず、確実に語られていない何か。巧妙にまだ語られていない何か。
章の冒頭で語られるカウンセリングを受けている人物の正体。
なぜ主人公はこんなに病んでいるのか。
なぜ恋人はこんなにケアできるのか。
違和感の正体は、最後にどばっと、溢れ出る。
ここまでしないと、毒親の根は切れないのか。
みんながみんな、自分のことを罰している。
自分が誰かにしたことの罪を、ずっと抱えている。
それを利用する母親。抜け出せない主人公。抜け出したい妹。共依存。
毒親に植え付けられた罪悪感という感情は、他人から受けるどんな罰よりも思い罰なのかもしれない。
ただの「真面目な人」では済まされない程の、強すぎる正論は、人を暴走させる。
でもなぜ。
正論で言うならば、暴走して人を傷つける方が悪いに決まってる。
なのになぜ、正論が勝っているのだ。
週刊誌でプライベートを明かした方が責められていいはずなのに、プライベートを明かされた方が謝っているのはなぜなのだ。
正論は、真面目なのは、正しいけど、どこか間違っている、狂っている。
最近複雑な音楽が流行っている中、昔の曲、特に90年代の曲って今より単純で聴きやすい。だから歌詞もすんなり入ってきて、浜崎あゆみとか今聴くと、なんか、かなりくるものがある。
「人を信じることっていつか裏切られ~
はねつけられる事と同じと思っていたよ~」
リピートしてる。「A song for XX」この曲のメロディーと歌詞の威力は結構すごい。
なんだかすっかり90年代に侵されている。
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