小林泰三のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
少し前に因業探偵の話を読んだけど、同じ短編集でもそれより楽しく読めた。
ちょっとだけ、有栖川有栖氏の探偵・濱地健三郎を思い出した。
探偵先生が味のあるキャラクターで魅力的。面白い(変わった)依頼に興味津々、依頼者の話に笑いを堪えられずに誤魔化すあたり、愛らしい。
ピザの話が衝撃的で笑ってしまう!
食材を持ち込むと何でも料理してくれる店も恐い想像をしてしまいドキドキするし。
最後の1話のタイトルはモリアーティ。
これは、みんなの怪盗ルパンというオマージュ作品で著者が触れていた仮説と同じもの。
そして、最後の最後まで探偵はキャラを崩さなかったのが素敵。
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Posted by ブクログ
世界的に免疫力の低下により発症されるゾンビウイルス(正確にはタンパク質で構成された感染症の病原体である、と作中で説明されている)が蔓延した物語の舞台で発生した密室殺人事件を八つ頭瑠璃という女性の探偵が解決の為尽力するミステリー小説。
非現実的な存在に妥当な根拠を与え続けるので説明が冗長になっているのですが、そのくどくどしさが世界観に整合性を見出しており、現実で起こり得るかもしれないという怯懦が作品の魅力を倍増させてくれます。しかしそれ故に登場人物達が合理的で詳細に話を展開していくので情緒というものがあまり感じられませんでした。
説定フェティシズムの方には是非読んでいただきたい作品です。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ突如訪れた「大忘却」によって人類は新たな情報の記憶能力を失った。 覚えてられるのはごく最近の出来事である短期記憶と体に染み付いた手続き記憶だけ・・・。 遠くない未来、人間の記憶は体に埋め込む機械型のメモリーに委ねられた。 ここに一つのメモリーがある。 体は事故で失ってもう無い。 生きた人間にこのメモリーを挿し込めれば。 これは未来の犯罪の物語。
小林泰三氏の「記憶」をテーマにしたSF作品。
第一部にて人類が記憶能力を失った様子をパニック小説のように描いている。あくまで失ったのは「大忘却」以降の記憶能力で機械の操作などの手続き記憶やそれまでの人生での記憶は保持されていた。実際過去の記憶を完全に失っても言葉は話せるんだから本当に不思議である。ほとんどの人類が行動しては忘れてを繰り返す中、少しづつであるがこの驚異に立ち向かうものがいた。やがて人類は外部に取り付けたメモリーに記憶を蓄積することによって従来の生活を取り戻していく。
第二部から物語が始まったと言って良い。メモリーという擬似的記憶装置にて新たな復活を遂げた人類とそれに併発する未来の犯罪の物語だ。今まで肉体に付従してきた記憶という概念が完全に肉体から切り離されたのである。しかしメモリー=命といって良いのになぜそんなに剥き出しで取外し可能なのだろう?普通誰にも見せなくないでしょ。
小林氏らしいブラックなオチの付くSF、気に入ったら記憶破断者もおすすめだ。 -
Posted by ブクログ
ネタバレいわゆる「メルヘン殺し」シリーズ第4弾。アリス、クララ、ドロシィと続き、今回はティンカーベル。相変わらず、地球とが存在する世界で物語が展開される。
アーヴァタールが死亡すると地球上で対応する人物が死亡するが、地球上で死亡してもそれは「夢」という形で残り、アーヴァタールが死亡するわけではない。共通する登場人物は、地球上では大学院生の井森建であり、そのアーヴァタールは「不思議の国の喋る蜥蜴」ビル。基本設定はそのままで、様々な世界で犯罪が起こる。
今回はピーターパンの世界が舞台。井森は雪山の旅館で開かれる同窓会に参加している。ピーターパンに対応する人物は日田半太郎。同窓会の参加者や旅館の従業員にも、ピーターパンの世界に対応するアバターを持つ者がいる。ピーターパンは無差別に殺人を繰り返し、その度に同窓会の参加者や旅館の従業員が犠牲になる。
シリーズのお約束として、地球上のAという登場人物のアバターがBに見せかけて実はCだった、という展開が今回も登場する。今回は、同窓会に参加している教師・富久が「フック船長」に見せかけて、実は「ウェンディ」だったことがポイントだ。しかし、富久≠フック船長は明白で、富久=ウェンディも予想内であり、意外性には欠ける。
さらに今回は、富久が地球上で死亡し、夢という形で過去に遡る特性を利用している点が新しい。物語の大きな特徴として、双子が1組しか存在しないと見せかけ、実は2組の双子が登場。そのうちの1人が犯人だった、という叙述トリックが使われている。ティンカーベルを殺害する場面では「ピーター」という名前が登場し、ピーターパンが犯人だと誤解されるよう描かれているが、実際にはピーター・ダーリングという人物が真犯人だった。この点は意外性があるが、伏線が露骨で驚きは薄い。
謎解きを行うのは地球上では樽井友子、ピーターパンの世界ではウェンディ。樽井友子=ウェンディと思わせる記述もあるが、細かな点を考えると、樽井友子は実はマブ女王であると明かされる。
また、双子がウェンディを殺害しようとした動機も重要なポイント。双子がウェンディ=富久を殺害しようとした動機は、地球上で富久が教師として生徒に性的な悪戯を行い、そのせいで双子の将来が台無しになったため、富久=ウェンディを殺害しようとしたのだ。この動機はアーヴァタールと地球上の関係を踏まえたものであり、物語の核心をなす。
この作品はシリーズ全作を読んでいることを前提としており、新規読者への配慮は少ない。アーヴァタールの特性を登場人物が利用し、それが動機や展開に深く関わる点は進化を感じさせるが、複雑さゆえにマニアックになりすぎている面もある。著者の小林泰三が亡くなったことでシリーズは幕を閉じたが、これ以上複雑化しなかったことは結果的に良かったのかもしれない。
叙述トリックの巧妙さやアーヴァタールの特性の活用など、全体の完成度は高い。しかし、純粋な驚きは薄く、上手い作品だと感じるものの、突き抜けた要素には欠ける。評価はギリギリの★4。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ色不異空、空不異色、色即是空、空即是色。本物と幻を区別する方法がないのなら、本物と幻は同じものだと考えるしかない…そんなめちゃくちゃな!(でも「阿・吽」で般若三蔵も「目に見えるものも記憶も全ては虚妄」って仰ってた…)
人とは記憶なのか、魂とは記憶なのか。ある人の記憶を他者に入れたら、その人を定義するのは肉体に依るのか記憶に依るのか…これはだいたい記憶が勝っていました。記憶が永遠に失われないとしたら、人が死ぬことは無くなるのか。
いやぁもの凄いですね…人類の記憶が10分しか保たなくなるパニックSFかと思いきや、人とは何かをじわじわ考えさせられ始める。数多の人々の記憶を取り込んで輪廻転生に近いものになった、とか。
地球に浄土が爆誕してしまうラスト、そして「間違ったら何度でもやり直したらいい」の創世記。面白かったです。
解説の終盤に深く頷きました。今の風潮では「(今すぐ)役に立つか立たないか」で役に立つ知識が尊ばれるけど、大事なのは今は役に立つかわからんけどいつかは役に立つかもしれない知識でも入れとく事だろうと思います。役に立つか立たないかなんてこの瞬間にも変化してるかもしれないのに。
そう思い、今日も役に立たなそうな知識を蓄えながら生きていく訳です。一劫の長さとか今のところあの世でしか必要ない。 -
Posted by ブクログ
ネタバレゾンビウイルスがまん延した世界。
描写がグロテスクで飛ばし読みしてしまったところもありましたが、遺体活性化現象、活性化遺体とゾンビという言葉を用いず、これ以上うまい表現があるだろうかと変なところに感心してしまいました。
ゾンビウイルスが世界に与えた影響、経済や特に食料問題などのことも細かく設定としてしっかり描かれており、実際に同じようなことが起こったらこうなるんだろうなあと思いながら読んでいました。
瑠璃のキャラクターも魅力的でした。
瑠璃と沙羅の2人が話す内容から、瑠璃は沙羅のもう一つの人格なのではないかと思っていたのですが、彼を家に招いたシーンで彼の肘が瑠璃の顔に触れた的な描写があり、手術の跡があるから服を脱ぎたくないと沙羅が言うシーンがあったりしたものの、どういうことかわからず、ラストで理由がわかった時はそういうことかー!と思う気持ちと、それはわかんないよーと思う気持ちが交錯しました笑 -
Posted by ブクログ
初出1998(平成10)年から2014(平成26)年辺りの作品を収めた短編集。
この作家の本は3冊目だったろうか。グロ趣味が何となく面白いと思っている。
今回は、「インターネット時代の文学」という感じが凄くした。もはや言葉の芸としての文学は、この文学には存在しない。言葉なき文学、とも言える。言葉があるのではなく、幾らかの記号が漂っており、吾々がインターネットを漂うのと同じように、この小説ストリーム上を辿る主体は、言葉ではなくむき出しの記号を求めて漂っている。このとき自己自身はむき出しの<欲望>でしかなくなっている。この作家の場合は「グロテスクなもの」への倒錯的な欲望だけが、存在者を存在させている唯一のものである。その欲望は何やらロジックを発生させることで、そのロジックによってようやく時間を動きき出させる。
人物も光景もほとんど描写されず、人物同士の会話だけでひたすら進む。そしてやっとグロテスクな場面が登場すると、急にそこだけ描写的になる。
このようなむき出しの欲望の主体と、記号だけが散在しそれらのあいだを「何となく」移動してゆくような、ほの暗い世界の底での体験。この在り方は、「ヱヴァンゲリヲン」の世界とも共通しているように感じる。ここは、日本文化が衰退し根源化して到達した、サブカルチャーのなかでしか実現しなかった作品世界なのであろう。
「ヱヴァンゲリヲン」と同様に、このような主体の存在は、私にはひたすら「気持ち悪い」。だが、もはや単なる欲望でしかあり得なくなった哀れな人間の行く末は、気にはなる。
本書を読みながら、そんなギリギリの境地を見るような思いに浸った。