小谷野敦のレビュー一覧
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「入門」なんて書いてありますが、あんまり実用的な役には立ちません。つーか、小谷野敦ですから。まともに「どうやったら評論家になれますか」なんてこと書いてあると期待するほうが間違いでしょ。『もてない男』のあふれるルサンチマンがここでもちゃんと炸裂してるので、あの鬱屈芸が楽しめる人にとっては買い。
評論家というのは、どうにもあんまりおいしい仕事じゃないらしい、ってことはわかります。「清貧でもいいからもの書きになりたい人に」とか「儲からなくても、論争で神経が参っても、『書いて生きていきたい』人へ!」とか、本書の帯にもエクスキューズがいっぱいです。それは小谷野さん、あなたのことですね、とズバリ指摘しても、その通りですと開き直られてしまうのでやめましょう。言い訳多い人生を、楽しむための「ひねくれ方」を学ぶべきです。
ファンにとっては、気持ちの良い一冊です。 -
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恋愛にまつわるさまざまな言葉の歴史をたどることで、性と愛に関する人びとの意識の変遷を浮き彫りにする試みです。というと、言説史のような手法を連想するかもしれませんが、著者の立場は構築主義的というよりはむしろ実証主義的と言っていいように思います。とくに、第5節「愛の告白」は、著者の抑制的なスタンスに、ちょっと歯がゆさを感じてしまいました。もっとも、こうした地道な研究こそが大切だということはわかるのですが。
主として、日本の近現代の大衆文学、ときにはマンガもとりあげて、人びとの平均的な性愛観を追及しています。博覧強記というか、ここまでくわしく調べあげる執念に驚きました。 -
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評論家になるためのマニュアル本というスタイルで、著者の評論理解が語られています。
歴史的実証的なアカデミズムの手法によるところが8割、そこからはみ出したひらめきによる部分が2割というバランスが、評論のあるべき姿だと著者は考えています。つまり、学術論文としては実証性や厳密性に欠けるところがあるけれども、著者の洞察によって論理的に展開される書き方がなされており、学問的・実証的に明らかに間違っているような議論を排除していればよいとのことです。
そのほか、有名評論家の本の採点をおこなったり、柄谷行人の代表作である『日本近代文学の起源』の評論としての出来映えを著者自身の基準によって検証したり、また評論家として一人立ちするまでの著者の苦労が語られていたりと、おもしろく読める内容になっています。 -
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『もてない男』(ちくま新書)の続編。前著は、文学作品の中から題材を引っ張ってきて議論を組み立てるという方法で書かれていましたが、今度はより直截に著者自身の考えが語られています。同時に、前著に対して寄せられた批判への応答もなされています。
そのほか、かつてテレクラに電話を掛けたエピソードを告白したり、出会い系サイトや結婚紹介所に出かけたりといった、おもしろいエピソードもあります。前著のような文学談義を求める読者には、不必要なエピソードで水増ししただけに思えるかもしれませんが、個人的には、著者の「完全に分かった上でやってる」のに、あえて呆けて見せるスタイルが楽しめました。 -
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西欧文学や近代日本文学に関する薀蓄を傾けながら、モテない男の立場から、恋愛するのが当たり前のような風潮の現代を生きる苦しさを論じた本です。
各章の末尾に詳しいブックガイドが付されていますが、基本的にはエッセイであり、著者自身が述べているように「義憤」ではなく「私怨」で書かれた本です。「そりゃ、大学教師で本を出してればそれなりに「ファン」はいる。しかし、そういう付加価値がなくて一番切実に異性に飢えていた学生時代にはほんとうにもてなかったのである。その怨恨だけは忘れられないし、これからだってどうなるかわかりはしない」なんて、何だか分かりませんがカッコいいセリフのような気がしてしまいます。
本書の大ヒット以降、多くの類書が出回ることになったという事情もあって、今読むといま一つインパクトが弱いようにも感じました。「恋愛」が近代の産物だという議論から、より自由な男女の関係を称揚する一部のフェミニストに実証的な見地から反論しながら、それに代わる(モテない男のための)具体案を提出できないでいるところに、何となく歯切れの悪さを感じてしまったからかもしれません。 -
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たいがいこうして、「自分はバカだから」として語る人って狙ったようにトーダイなのがもううんざりなのだが、この人もごたぶんに漏れず、である。はいはい。日本の最高学府出身者はどうしてこう、いやらしい卑屈さを持っているのかぶつぶつ。なんて文句を言いつつもこの人の文章、割と面白いという噂なので仕方ない。しぶしぶ読むわけである。
ところどころバカを忘れるのはもうすでに、ご愛嬌を通り越してしまっている。編集者の人ともども途中で、「バカ」を忘れたないしは放棄したのではないかと思ってしまう。
あるいは忘れた筆者をさておいて、タイトルいいね!と、編集がこれをラッキー!と進めてしまったのか・・
だって、しょはなからこうだもの。
『今はともかく、ちょっと前まで、デリダやフーコーは、米国のアカデミズムでは非常に人気があった。では、仮に米国の大学院生が、フーコーやデリダのような論文の書き方をして認められるかと言うと、ちょっと疑問である。(中略)しかし、クリステヴァを引用したり援用することは、別に問題ではない』
本当のバカは「フーコーのような」文章がなんたるか、それと「クリステヴァ」のなんたるかさえわからないんだって~~もちろんあたしも!
その点むしろ、私のほうが「バカ」度の観点ではこの本を書く資格があるということか・・なんてくだらないことを考えつつ。
まぁ仕方ない、テーマが哲学で、ほんとうにバカを装っていたら話が進まないものね。
すでに20ページ強で化けの皮ならぬ「バカの皮(あれば)」のはがれたところで、とどめに25ページ、
『もしあなたが、ヘーゲルやフロイトに、あるいはラカンに興味がある、ドゥルーズにも関心がある、というのなら、読めばいい。ただ、ドゥルーズやアドルノを読んでもなんだかわからないけど、読まなければいけないような気がする、と思っているなら、読まないことをお勧めする。そういう人は、ほかにもっと読むべきものがあるからで、読んでもわからないものをむりやり読むのは、時間の無駄である。』
ええええええええ~~~~!!!!
すいません、この読者、バカなんですよ?
じゃ、この本を読めない時点でアウトじゃん。
その、「ほかにもっと読むべきもの」を、教えて欲しいな~
しかもこの章で最後の締めが、
『話を戻す。まず、「事実」に就くこと。「バカ」はそこから始めるべきだし、頭が悪くても知識があれば、頭のいい相手を論破することもできるのだ』
・・・そうか。
この人の言うバカとは、頭のいい相手を論破するために知識を仕入れようとしているバカ、すなわち、頭のいい人のソサエティに踊りこみ、居場所を確保したい=頭がよくないなりになんとか頭のいい人とわたり合いたい、野望とガッツがあって向上心のある人のことね。これだったのかこの人の言う「バカ」は。ははは。あたしの思うバカとは、遠いわ。
そうしてさらに読み進めると、バカをもうすっかり放棄してしまったのかこの人は、もはややりたい放題である。イスパニア語の知識を披露し、返す刀で「かたはらいたい」は「傍ら痛い」であって「片腹痛い」ではないとか作家を揶揄し、「サリカ法典」を知っていた自分を褒める・・といった、知識のお披露目会になっている。
まんなかへんで「バカは読んではいけない」本に、あたしの大好きな「黒死館殺人事件」「ドグラ・マグラ」「虚無への供物」をそれぞれ、『西洋コンプレックスに囚われた日本人が感心しているだけ』『この程度のことを言うのに、長すぎる』『だからなんなんだ』と言い切られてすっかりむくれたので、後半はほとんど読まなくていいと言う結論に達した。
・・・さっそく「事実に就いて」、先の3冊を読まなくていい理由をちゃんと説明してほしい。あれは娯楽作品であって別に、ここで紹介している文学作品でも哲学でもないじゃん。
影響力があるくせにない振りして、まったく違うエリアの作品を理由なく攻撃しなくたっていいだろうに。あれがインテリ必読の書だなんて、それこそ、どこに論拠があってのことなのさ。 -
Posted by ブクログ
国際ニュースを理解する上でも、旅行や仕事で現地に行った場合でも、その国の歴史を知らないというのは、恥ずかしいことだなあと痛感しています。
なので「世界史」に関する書籍も定期的に読むようにしています。
この本は、日本人向けに、世界史をわかりやすく紹介した入門書。
「皇帝とは?王とは?」から始まり、「中世」「ルネッサンス」「フランス革命」「日本の台頭と二度の大戦」「現代」と、歴史の流れにそって、日本人として知っておくべき世界史のポイントを紹介しています。
視点を絞って歴史の流れを整理するというよりは、その時代のトピックスを紹介する、という形になっています。
自分の中では、中世以降のヨーロッパの歴史を中心に、理解できていない部分が多々あるので、今後も継続して、世界史に関する書籍を読んでいきたいと思います。