田中英道のレビュー一覧

  • 芸術家列伝3 レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ

    Posted by ブクログ

    ミケランジェロと同時代を生きた著者による、貴重な生々しい記録のオンパレード。
    冗長な記述もあるけれど、ダ・ヴィンチとミケランジェロの人となりをたっぷり知りたい自分にはうってつけの本だった。

    ダ・ヴィンチの奇行の数々に笑う。こんなに変な人だったんだ...。

    ヴァザーリさん、ミケランジェロのこと好きすぎるよ〜。記述がなんとまあ細かく愛にあふれていること。作品を絶賛する情熱に語彙が追いついてないまである。

    ミケランジェロの偏屈エピソードがたっぷりでうれしい。ミケランジェロによるキレのある暴言がたくさん読めたな。

    ミケランジェロの葬式の様子まで知れるとは。棺周りの描写は、冗長だけれど資料的価値がものすごく高い。ミケランジェロを讃える彫刻と絵の数々は見てみたかったなあ。

    作品についての記述が実態と違うことがちょこちょこあって(注釈で分かる)、なんでだろうな〜と思っていたら後書き解説で納得。

    0
    2026年09月21日
  • 日本とユダヤの古代史&世界史 - 縄文・神話から続く日本建国の真実 -

    Posted by ブクログ

    日本とユダヤの古代史&世界史 田中英道X茂木誠 ワニブックス
    新説の連続
    武人埴輪と呼ばれてきたここでユダヤ人する埴輪が千葉の古墳等から大量に出土
    秦の始皇帝はユダヤ人だったのか?
    日本に渡来したユダヤ人が五度にわたって入植し日本に同化
    第一波 紀元前13世紀〜 出エジプト 縄文時代日高見国    スサノウ
    第二波 紀元前722以降 失われた10支族 日本建国
    第三波 紀元前3世紀〜 徐福と三千人 秦氏
    第4波 3世紀〜 弓月国から秦氏2万人 応仁天皇受入れ
    第五波 531年以降 エフェソス公会議 ネストリウス派    蘇我氏(天皇等を暗殺で自滅)
    元来日本の神社には宮はなく太陽信仰に始まり岩や巨木や山などにしめ縄などで結界を作ることで自然界を尊んだが
    秦氏は神社本殿や鳥居などの人工物を持ち込んだ
    紀元前12世紀から7世紀の国譲りと天孫降臨の時代(縄文後期から弥生)
    天津神イザナギ・アマテラス・タケミカヅチが住む高天原=日高見国は縄文文化の中心であった東国(茨城・千葉)にあり
    国津神スサノウ・大国主・タテミナカタが住む出雲国は太陽を目指した渡来人によって生み出された
    国譲りによってタテミナカタは諏訪に移る
    天孫降臨はニニギによる九州鹿児島降臨とニギハヤヒによる大和降臨の二度あった

    0
    2026年09月04日
  • 日本国史(下)

    Posted by ブクログ

    日本人として生まれたからには読むべき一冊です。
    日本の歴史を通史として概観し、戦後の歴史教育ではあまり触れられなかった視点を取り入れているのが印象的でした。特に、日本の文化や精神性に焦点を当てた記述は新鮮で、改めて日本という国の成り立ちを考えさせられました。
    ただ、地図や年表が少なく、歴史の流れを整理しながら読むには少し大変でした。
    とはいえ、従来の教科書とは異なる切り口で歴史を学べる点は魅力的で、日本の歴史をより深く理解したい方には興味深い一冊だと思います。
    百田尚樹氏の「日本国紀」と比べると、より日本の独自性や皇室の歴史について掘り下げている点が面白かったです。

    0
    2026年07月03日
  • 日本国史(上)

    Posted by ブクログ

    日本人として生まれたからには読むべき一冊です。
    日本の歴史を通史として概観し、戦後の歴史教育ではあまり触れられなかった視点を取り入れているのが印象的でした。特に、日本の文化や精神性に焦点を当てた記述は新鮮で、改めて日本という国の成り立ちを考えさせられました。
    ただ、地図や年表が少なく、歴史の流れを整理しながら読むには少し大変でした。
    とはいえ、従来の教科書とは異なる切り口で歴史を学べる点は魅力的で、日本の歴史をより深く理解したい方には興味深い一冊だと思います。
    百田尚樹氏の「日本国紀」と比べると、より日本の独自性や皇室の歴史について掘り下げている点が面白かったです。

    0
    2026年07月03日
  • 日本国史(上)

    Posted by ブクログ

    考古学や歴史学はよくわからないけど、色々な説がある。

    宗教的な観点も含めてもっと学びたいと思えた。
    日本史の流れが分かるだけでなく色々な研究を踏まえた視点もありおもしろかった。

    0
    2026年03月14日
  • 日本国史(下)

    Posted by ブクログ

    冷静に、声高にではなく、自虐史観を修正して、日本という国の成り立ちとその歴史的変遷を、日本の独自性を明らかにしようという意図のもとに描いた歴史書。
    多くのことをこの著者から学んだが、さしあたりふたつのことを書き留めておきたい。
    一つは「国家の最小単位として機能していた惣村」の話。自然に恵まれ、他者から略奪せずに生きていけるという生活の条件を与えられていた日本人の穏やかさ、安定感。そしてそれを可能にしていたのは、連帯と平等で成り立っていた惣村という共同体であったという。その指導者である乙名は、選挙で選ばれていた、これが日本の民主主義の原点の一つであったと。そして豊臣秀吉は「惣無事令」によってこの惣村を守ろうとしたという。秀吉については歴史上、毀誉褒貶があるが、鋭い洞察力が窺える事例。
    もう一つは、これまで明治時代から始まったとされてきた西洋化、近代化は、ことに学問、技術の領域ではすでに江戸時代から積極的に始まっていたという事実である。
    日本人は、取り入れるべきものとそうでないものを、的確に選び抜きながら、古来から諸外国と付き合ってきたのである。
    多くの創見に満ちた好著。

    0
    2025年11月13日
  • 日本国史(上)

    Posted by ブクログ

    多くの創見と深い洞察に満ちた、まったく新しい日本「国」史。
    そもそもこのタイトルが、日本史ではなく日本国史であるところから驚がされる。著者は、日本には古代から村落共同体が緩やかに結びついてつくられた国があった、という。
    縄文土器の文化レベルの高さ、縄文文様に込められた古代人の願いとその精神性の豊かさ、美術としての素晴らしさ。
    日本書紀の生活指針の中には、魚を中心にタンパク質を摂ることが記されており、肉食のヨーロッパ人が森を切り開いて牧草地を広げ、土地が乾燥して荒れてしまう結果になったことと比べ、農業を専らとする日本は緑にあふれた国土が今に続いている。祖先の知恵の賜物である。
    老人医療と介護も光明皇后から始まっており、奈良時代から国がいかに民を大切にしていたかが偲ばれる、などなど、我が国日本がどれだけ誇るべき国柄かを丁寧に説き明かす好著。

    0
    2025年10月30日
  • 世界史の中の日本 本当は何がすごいのか

    Posted by ブクログ

    日本史のみてはわからない世界史の中での日本の独自性が描かれています。特に美術史家としての芸術作品からの考察には納得させられるものがありました。元寇や大東亜戦争などの国難に関してもより事実に基づいた理解が必要とされていますが、それが簡潔に示されています。世界史の入門としてもおすすめの1冊です。

    0
    2025年10月11日
  • 左翼グローバリズムとの対決

    Posted by ブクログ

    特に、『サピエンス全史』への批判に納得した。
    田中英道さんの『日本の宗教 本当は何がすごいのか』で語られた自然道としての神道をふまえてのべられており、日本の宗教のありかたと欧米との違いがよくわかりました。
    戦後の日本の左翼化の元凶に関する事実も多くの人が知るべきものです。
    多くの人に読んでいただきたい好著でした。

    0
    2025年09月17日
  • 決定版 神武天皇の真実

    Posted by ブクログ

    ネタバレ

     饒速日は初代神武天皇であること

     これひとつとっても衝撃的ながら、説得力のある解説の数々が見事でした。田中さんは、フォルモロジーという、形から歴史や哲学を見出す感性の達人なので、これまでの型通りと違った解釈が大変に面白かったです。

     私もしては、久米は「くべ」であり、囲いを作る人たちということは、古代日本において既に、ユダヤ的な生き方をする人(おそらくは秦氏)がいたという事実も興味深かったです。囲いを作るようになってからが弥生時代というのはしばしば聞く話ながら、そうした囲いの生活が当たり前になるほどに、生活様式が違う人たちが、『同化』を終えた時代だったからなのだろうと、見方が変わりました。実際、森の恵みで生きていた縄文人が、木を切り倒し、他を耕し、水を引く弥生人の生き方にうつりかわるまで、千年近く掛かっているのが良い証拠になりそうです。

    0
    2024年08月11日
  • 日本とユダヤの古代史&世界史 - 縄文・神話から続く日本建国の真実 -

    Posted by ブクログ

    長袖・長ズボンで、長い顎髭、長いもみあげの、「人物埴輪」は、どう見ても日本人とか東アジア人には見えませんし、渡来系の人達が作った埴輪だとしか考えられません。
    大和朝廷以降の人たちは、埴輪がなんのためにあるのか、どうやって作るのかさっぱりわからなかった、調査とか研究とかもしなかったのは、自分たちとはまったく違う人達(民族)が作ったものだということがわかっていたからだという話も読んだことがあります。

    まえがき 茂木誠
    ・主に関東地方の古墳から多く出土する「武人埴輪」が、正統派ユダヤ教徒のファッションとよく似ているが、偶然かもしれない。
    ・山伏(修験者)が額につける兜巾が、ユダヤ教徒が儀式で額につける小箱テフィリンとよく似ているが、偶然かもしれない。
    ・諏訪大社でかって行われていた儀式―木に縛りづけた少年を神官が剣で刺す所作を行うという奇祭が、『旧約聖書』創世記の「イサクの燔祭」とよく似ているが、偶然かもしれない。
    ・稲荷神社などの赤い鳥居は、『旧約聖書』出エジプト記の「過越」――門柱と鴨居を羊の血で赤く塗った話とよく似ているが、偶然かもしれない。
    ・皇位継承のシンボルである「三種の神器」(鏡・剣・勾玉)が、「契約の箱」に収められたという「モーセの石板・アロンの杖・マナの壷」とよく似ているが、偶然かもしれない。
    ・エルサレム旧市街のヘロデ門に刻まれた紋章は、皇室の紋章である菊のご紋(十六弁菊花紋)とよく似ているが、偶然かもしれない。

    大陸から多くの渡来人がこの列島に渡ってきたことも明らかであり、その中には遠くオリエント方面からの来訪者が陸路で、あるいは海路で列島へたどり着き、我々の祖先である縄文人と混血したとしても不思議ではありません。

    序章①歴史とは何か?歴史を学ぶことの意義とは?

    序章②
    ユダヤ問題の基礎知識と「ユダヤ人渡来の5つの波」

    第1章
    縄文時代の日本文明とユダヤ人の出エジプト(紀元前3千年~千年頃)
    ・結ぶ国、家族の国、日本
    「古事記」に記されている日本の最初の神の3柱「造化三神」の神々のお名前には「むすぶ/むすひ」という言葉が出てきます。それはつまり家族を結ぶことが一つ、「息子」「娘」などの「ムズ」もそういった意味、つまり両親が結ばれて生まれた言葉。
    ・「国家」という言葉に「家」という漢字をつけたのも、非常にうまい日本語です。西洋の「国」を表す「ステイツ」とか「ネイション」なんて言う言葉には「契約」しかないともいえます。
    ・西洋文明がなぜ城塞都市をつくるのか?その根底にあるのは「恐怖」です。周りの敵から攻められるからつくっているわけでね。
    ・古代日本は、実は移民の国ともいえますね。
    ・鹿島神宮は太陽崇拝の神殿だった。参道の先には太陽がある。
    ・神社、お神輿、わっしょいはユダヤ起源!?
    モーゼの十戒が書かれた石版を収めた箱「契約の箱」は、四角形の長方体に棒が2本付いていて、お神輿そっくり。
    ・「十戒」も「論語」も、つまり実際のヘブライ人、中国人はその逆をやっていたということ。
    第2章
    日本建国の真実と失われた10支族~国譲りと天孫降臨の謎を解く~(紀元前660年~)
    ・内陸の長野の諏訪大社や京都の祇園祭に、なぜ海の祭や船の形があるのか。
    祇園祭の山鉾巡行は毎年7月17日に行われますが、「ノアの箱舟」がアララト山にたどり着いたのも7月17日・・・
    徳島県の剣山の宝蔵石神社の例大祭もなぜか7月17日。

    第3章
    秦の始皇帝からキリストの時代へ(紀元前300年~)
    ・始皇帝は漢人ではなかった。あきらかに別の人種。

    第4章
    巨大古墳の時代~文明の邂逅と秦氏の役割(200年~)
    ・日本全体で少なくとも16万5000基の数の古墳が作られた。
    ・大林組が1985年に仁徳天皇陵築造の試算をした。工期は15年8ヶ月、作業員数は一日あたり2000人、延べ680万7000人、総工費は資産当時の貨幣価値で約800億円というものでした。
    あの時代にあれだけの数の古墳がつくられた。
    ・西洋風の現代建築はたいてい雨漏りするのです。国立美術館を設計したのは、ル・コルビュジュですが、雨がひどいとすぐ雨漏りするわけです。
    日本の湿気が多く雨の多い風土に合わない。
    ・渡来人系にしかみえない風貌の、耳のところに束ねられた髪の「みずら」をつけた洋服のような長袖・長ズボンの人物埴輪。
    ・「古墳=石の文化」は最新テクノロジーだった。

    第5章
    蘇我氏とは、一体何者だったのか?
    ・山岳信仰の山伏や天狗の格好は、ユダヤ教の祭司の格好と瓜二つ。
    ・赤い鳥居の由来。鳥居の朱色(赤色)は、ユダヤのお祭りである「過越の祭り」に由来しているという説がある。
    神が、「イスラエル人だけを救うために「“門柱”と“鴨居”に子羊の血のついた家の前は神が“過ぎ越し”災いを免れた」という話。
    ・「イナリ」というのは「INRI」。イエス・キリストが磔刑に処せられた時、その十字架の上に掲げられた罪状書きの頭字を並べたもの。ラテン語で、意味は「ユダヤ人の奥、ナザレのイエス」からきたものだという説もあります。

    第6章
    中世以降のユダヤ人と世界史(1400年~)
    ・ユダヤ人は一枚岩ではない。
    アシュケナージ・・・西欧・東欧・ロシアのユダヤ人。ヨーロッパ各地で混血が進んだため、見た目は白人特別ができない。
    ・スファラディ・・・イベリア半島から地中海沿岸へ広がったユダヤ人。
    ・オリエントユダヤ・・・エジプトやイラク、イラン、中央アジアのユダヤ人。
    ・ファラジャ・・・東アフリカのエチオピアのユダヤ人。
    ・教会に祀られているイエス像は白人顔ですが、1世紀の時代のユダヤ人の人骨から再現された顔からして、モーセや、イエス・キリストは、黒髪で褐色の肌をした中東人らしい顔立ちといわれます。
    ・7~10世紀のトルコ系遊牧民は、純粋なモンゴロイドで、我々とよく似た顔でした。
    ・19世紀のロシア全土でヒステリックなユダヤ人襲撃が起こりました。
    「ポグロム(破壊)」で、数十万人以上が殺され、数百万人がロシアから脱出し、欧州やアメリカへ亡命しました。その被害規模はナチス・ドイツのホロコーストと同様、またはそれ以上だったともいわれます。
    バイデン政権のブリンケン国務長官、ヴィクトリア・ヌーランド国務次官は共にユダヤ人で、祖父がウクライナからアメリカに移住したという経緯があり、ロシアにものすごい怨念をもっています。

    第7章
    新しい時代のための「日本人とユダヤ人」論(1900年~)
    ・樋口季一郎の功績と日本精神
    終戦後にソ連軍が攻めってきて、19日まで戦って北海道を守った。「ユダヤ人を救って、日本人を守った」

    対談を終えて思うこと●田中英道
    付録「ユダヤの著名なる人々」
    【宗教・思想界】【新聞・メディア界】【芸術・芸能界】【探検家】【学界】【政界】【財界】【起業家】(いずれも創業者)

    0
    2024年07月17日
  • ユダヤ人埴輪があった! 日本史を変える30の新発見

    Posted by ブクログ

    フェルメールなどを例に挙げて、日本と諸外国の芸術的な、横のつながり。

    火紋土器とされていたものは水紋土器であった可能性を問う、時代の縦のつながり。

    筆者の、幅広い視野と大胆な仮説による興味深い話を楽しめる一冊です。

    「わぁ、日本に生まれてよかったかも!」

    と、きっと、そんな明るい気持ちになれます。

    0
    2024年05月28日
  • 京都はユダヤ人秦氏がつくった【電子特別版】

    Posted by ブクログ

    大学生の時、秦氏の本を読んだことがあり、それもあってこの本も読んでみた。ローマ帝国にイスラエルを追い出された、ディアスポラのユダヤ人が多く日本に来ていて、日本の政治、経済に関与し、そして同化していった。その中心にいたのが秦氏であった。いちいち納得いく話ばかりで、日本人の多くはユダヤの血を受け継いでいると考えるしかない。著者は関東が高天ヶ原で、鹿島から西に向かったという建国論を持っているようだが、ただ一つわからないのが、関東の日高見国のユダヤ人(ユダ国滅亡の紀元前〜卑弥呼時代)や、始皇帝の末裔で中央アジア弓月王の一族が、神功皇后、応神天皇、仁徳天皇時代(400年前後)に来たとなれば、そのユダヤ人の宗教はユダヤ教か原始キリスト教だと思うのだが、一貫してネストリウス派(景教)としている点。431年エフェソス公会議で異端とされたネストリウス派がディアスポラで日本にくるには早すぎると思う。もうちょっと深掘りしてみたい。

    0
    2024年05月01日
  • 日本とユダヤの古代史&世界史 - 縄文・神話から続く日本建国の真実 -

    Posted by ブクログ

     この本は勉強になった。日本の歴史とユダヤ人がどう関わっているのかということについての推論ではあるが、大陸からの渡来人という説明よりもユダヤ人のディアスポラと絡めると可能性はある。
    そして秦氏はユダヤ人であると考えると、なぜ突然大規模な古墳が全国に165,000基も出現しそれが仏教の到来とともに全く顧みられなくなったことや、古墳時代の服装、土偶のデザイン、そして何よりも日本人とユダヤ人のDNA配置の類似性などついての疑問も解ける。

    オーディブルで聴いたのだが、集中力が持続できる内容であった。

    0
    2024年01月04日
  • 世界文化遺産から読み解く世界史

    Posted by ブクログ

    399

    田中英道
    昭和17(1942)年東京生まれ。東京大学文学部仏文科、同美術史学科卒業。ストラスブール大学に留学しドクトラ(博士号)取得。文学博士。現在、東北大学名誉教授。フランス、イタリア美術史研究の第一人者として活躍するかたわら、日本美術の世界的価値に着目し、精力的な研究を展開している。また、日本独自の文化・歴史の重要性を提唱し、日本国史学会(平成24年設立)の創設に尽力、代表を務める。著書に『日本の歴史 本当は何がすごいのか』『日本の文化 本当は何がすごいのか』『世界史の中の日本 本当は何がすごいのか』 (いずれも育鵬社)ほか多数。

    田中英道さん美術史科卒業してて、美術的な視点から日本文化とか世界の美術に関する事を書いてくれてるから一番読みたかったタイプの本見つけた。美術が好きで世界の美術見に行くのが好きなんだけど、やっぱり日本の美術を超えるものは無いと思ってる。


    二〇一三年、富士山が世界文化遺産に登録されました。また、富士山に先んじてシチリアにあるエトナ山も世界自然遺産に登録されています。エトナ山は富士山と同じ活火山ですが、山の形の比較でいえば、ニュージーランドの トンガリロ国立公園 にあるナウルホエ山(標高二千二百九十一メートル)が富士山よりは低いものの、実によく似ています。また、ここには二千七百九十七メートルのルアペフ山と千九百七十八メートルのトンガリロ山という活火山があり、これらを含めたトンガリロ国立公園として世界遺産(複合遺産)に登録されています。

    エトナ山でもキリマンジャロでも山が世界遺産に登録される場合、だいたいが自然遺産です。自然の美しさが評価されているのです。ところが、トンガリロ国立公園は文化と自然の複合遺産になっています。その理由は、トンガリロ山一帯がポリネシアから渡ってきた先住民マオリ族の文化と信仰の中心地だったからです。

    トンガリロ山には、マオリ族の神官や族長も埋葬されていました。ところが、イギリスの侵略によってニュージーランドが植民地になると、入植者がトンガリロ周辺を牧場として開拓し、聖地を侵していきました。これを危惧したマオリ族の首長ツキノ四世は、一八八七年、聖地を守るためにこの地域の永久保護を条件としてイギリス政府に譲渡しました。その結果、一八九四年にニュージーランドでは初めて、世界でも二番目の国立公園に指定されたのです。このマオリの人々の聖地としての文化的な価値が認められて、トンガリロ国立公園は一九九三年に複合遺産として登録されました。

    エジプトのピラミッドは、その典型といえるでしょう。ナイル川の低地に高いピラミッドをつくることによって、人々の天を仰ぐ気持ち、天に近づきたい気持ちを体現しているのです。その創造のエネルギーの大きさは、ピラミッドの規模に如実に反映されています。  これは宗教の区別を越えたすべてのモニュメントに共通するものです。ボロブドゥールやアンコールも山をイメージしています。中央に 須弥山 に見立てた高みをつくり、そこに仏教なりヒンドゥー教なりの聖地を見ているのです。あるいは近代になっても、パリのエッフェル塔にそういう欲求が見られます。パリの人たちがエッフェル塔を眺めるのは、江戸から富士山を望むという感覚に近いように思います。

    ピラミッドはある意味で人間の文化遺産の常に原点となっています。その二等辺三角形の見事な造形が、人間は食べること、寝ること、そして生産することといった物質的なことにしか関わっていないというマルクス主義的な考え方や唯物論的な考え方を根底から否定しているという意味で、文化的創造物といっていいと思われるからです。二十世紀の歴史家たちはこれを墓とばかり考えましたが、現在ではそうではないであろうと考えられています。いったい何のためにつくられたのか、いまだにわかっていません。しかし、ピラミッドを解釈し理解することほど人間を理解する上で重要なきっかけを与えるものはないのです。

    日本が木の文化であるのに対して、ピラミッドが石の文化であるということです。すでに述べたように、日本は自然の山があるために人工の山をつくる必要はなかったのですが、エジプトの人たちは山がなかったために、高い精神的な存在としての山をつくり、人々の天に向かう気持ちを代弁させ、体現したといえます。このピラミッドの石の文化と日本の木の文化の違いを私たちは強く認識しなくてはいけません。

    日本はユネスコが始めていた世界文化遺産の運動に二十年以上も参加していませんでした。その原因の一つは、日本の木の文化をユネスコが理解できなかったからだろうと思います。木というものは壊れやすいし、記念建造物として長く持つというものではないため、文化としてあたかもチープなものであるという偏見があったような気がします。

    しかし、一九九四年に 奈良 で開かれた世界文化遺産の会議で、木の文化も立派な文化建造物であると認識されたのです。日本は九二年から参加していましたが、最初に世界文化遺産に認められたのが 法隆寺 であり、 姫路城 でした。これは両方とも木造建築物です(一部は石でつくられていますが、基本的には木でつくられているといっていいでしょう)。

    むしろ木のほうが人々にとっては近づきやすく、そして住みやすいのです。基本的に木は呼吸していますから、二酸化炭素を吸って酸素を出すという、人間と完全に逆の呼吸形態を持っています。人間にとってこれほど快いものはないわけです。住む上でもこれほど人間に調和するものはありません。

    これはパルテノンの神殿を見ればわかりますが、上の 破風 などは木でつくった破風をそのまま石で踏襲しています。ゴシック建築というのも、高い樹林の森を模倣するかのごとき建築になるのです。このように木というものは、彼らにとっても重要なモチーフだったということがわかります。これは私が日本人だから強弁しているわけではなくて、事実です。

    しかし、私たちは戦後、石でつくることが素晴らしい 堅牢 な文化で、木でつくることは貧弱な文化というふうな観念を持ってしまいました。西洋風な壁のある建築をつくり続けました。ようやくこの二十年くらいで日本人の意識が変わり、現代の日本の文化を重要視し始めましたが、それが本来の文化であり、創造物の基本であるということを私たちはもう一度見直さなければいけません。木で補修することそのものが木の文化の継続性を保証しているわけですから、木の文化とは自然と人間の調和を考える上で非常に重要なものなのです。

    このような傑作をつくる天才の存在こそが文化をつくり出す一つの大きな要素になることを忘れてはいけません。ですから、世界文化遺産を見に行ったときは、優れた才能の持ち主がいたということを考える必要があるのです。

    パルテノン神殿がつくられた前五世紀頃、アテネにはプラトンが現れました。少し後にはアリストテレスも現れます。同じ時代、インドには釈迦が現れ、中国には孔子や孟子が現れています。この顔ぶれからもわかるように、いまに続く文化の原点が、ほとんどこの時代の思想家によって表現されていたのです。

    古代の遺跡を古い時代の文化として見るかもしれません。それが現代と全く関係のない文化であるかのごとく考えるかもしれません。しかし、それは間違っています。古い時代にも素晴らしい個性がいて、私たちが理解できる文化、いや、私たちよりはるかに原理的な思想というものを持っていたのです。

     私は以前、『法隆寺とパルテノン』という本を出したことがあります。パルテノン神殿は法隆寺と似ていると思うのです。法隆寺の 五重塔 も黄金分割になっています。つまり、建築に美を求めているのです。私はフェイディアスという一人の天才の手によってパルテノン彫刻がつくられたといいましたが、法隆寺の建築にも一人の彫刻の天才が関わっています。

    私はローマに一年留学してローマ大学に通っていました。そのときの私の課題は、できる限りローマの全貌を研究するということでしたが、最終的にはミケランジェロの研究をテーマにしました。ミケランジェロが見たに違いないローマを、もう一度見てみたいという願望を持ったのです。それはヨーロッパが誕生してからのローマばかりではなく、古代ローマといわれる時代のローマの文化です。

    その背景には信仰というものの存在もあったはずです。日本では神道が確立しており、神道は自然というものを重要視していました。それは古墳の形にも表れています。古墳は山というものをつくるという自然信仰がそこに内包されています。例えば前方後円墳の円の部分には 柩 が置かれます。その部分に山をつくっているわけです。そこに自然信仰と御霊信仰の両方の典型を見ることができます。このように信仰が文化をつくり上げているのです。それはパンテオンやカステル・サンタンジェロを見ても感じる共通性です。

    このアクロポリスの役割は法隆寺のあり方とよく似ていると感じます。時代的には法隆寺のほうがあとで、もちろん仏教という全く違う宗教の建物ではありますが、法隆寺の五重塔も黄金分割になっていて、そこに美を求めていることがわかります。また、法隆寺の美しさは建築様式の違う金堂と五重塔を並列させてつくったところに由来するともいえるのですが、その全体のプロポーションはアクロポリスと同じように調和がとれています。

     最初に、インド(現ネパール)で誕生した仏教から始めましょう。仏教の開祖は、ご存じのように釈迦です。紀元前六世紀から紀元前五世紀にかけて、インドとネパールの国境沿いのカビラバストゥ地方を支配していたシャーキャ族の王妃マーヤー夫人が、白い象が胎内に入る夢を見て懐妊し、生まれてきたのが釈迦であるとされています。その釈迦生誕の町が、 ルンビニ です。一八九六年にアショカ王の石柱が出土したということで、釈迦生誕の地であることがわかったのです。  仏教の聖地でありながら、大寺院や大仏があるわけではありません。それは、仏教はインドで生まれたけれど、インドでは育たなかったということです。

    インドのマハーラーシュトラ州の断崖にある石窟に アジャンターの石窟 があります。岩窟にはたくさんの壁画が描かれていて、インド最古の壁画とされています。もちろん仏教絵画です。ここに描かれた絵を見れば、インドでの仏教が、少なくとも石窟がつくられた時代には盛んであったことがわかります。こうした作品が、後に法隆寺の金堂壁画にも影響を与えていたことでしょう。仏教絵画の最古のものといっていいものです。

    それはどういうことかというと、絵が非常に官能的に描かれているのです。インドは暑い国ですから、どうしても肉体を目に触れるところに露出することになります。そうした環境は、人間の煩悩を超えようとする、肉体性を超越しようとする仏教とは合わないのです。釈迦の唱えた教えは、人間の肉体が持っている欲望、本能といったものを超えていこうとする、克服していこうとする、そういう厳しい面を持っています。それ自体は非常に尊い教えではあっても、インドには合いません。インドの風土に合わないのです。

    ヒンドゥー教が仏教よりもインドの風土に適していることが、 エローラ石窟 を見るとわかります。

     巨大なエローラ石窟の中央に位置する第十六石窟に、 カイラーサナータ寺院 があります。八世紀から九世紀にかけてつくられたものです。ヒンドゥー教の主神ともいえるシヴァ神を祭っています。寺院そのものが一つの岩でできています。幅四十五メートル、奥行き八十五メートルの岩山を上から掘り進めて、高さ三十メートルの寺院や回廊、祠堂、楼門などが彫られているのです。その規模の大きさは、実際に見てみると驚くべきものです。そこにはインドの二代叙事詩である、ヒンドゥー教の聖典『マハーバーラタ』や、『ラーマーヤナ』の物語が描かれていて、まさにヒンドゥー教美術の宝庫になっています。

    カンボジアがいまも仏教国といえるのかというと単純ではありません。一度は共産主義化してポルポト政権ができているわけです。このように、一口に仏教国といっても、その内容は質的な違いを多分に持っているのです。ですから、私たち日本人は、東南アジアの国々の仏教と、日本の仏教の違いということを押さえておく必要があるのです。

    タージ・マハル(インド)と 宇治平等院(京都府宇治市)には、建築物としての対称性が醸し出す美しさ、妙味といった共通性があります。

    私は、この二つの建築物の中に、インドと日本の美の競演を感じるのですが、それについては、それぞれの前庭にある池の存在が見逃せません。平等院の池は浄土の象徴ですから、日本らしくできる限り自然に近い形になっています。一方、タージ・マハルの池は人工的な幾何学的な方形となっていて、そこには日本とインドの水あるいは自然に対する考え方の違いが見えます。そういう違いはありますが、水を配した白亜の殿堂と、水に浮かぶような美しい鳳凰堂の姿の宇治平等院はよく似ています。水に映ったそれぞれの姿もまた、見る者に強い印象を与えているのです。

    万里の長城 は、初めて中国を統一した秦の始皇帝が、紀元前二二一年に築いたのがその最初といわれます。それは、北方の遊牧民族、 匈奴 に対する防衛のためでした。それ以後、 燕、 趙、北魏、北斉、北周など歴代王朝が増築を重ね、これに十四世紀から十七世紀に繁栄を誇った明が、さらに大規模な増築を行って、今日のような壮大な長城となったのです。総延長距離は二万一千キロメートル以上ともいわれています。

    日本の場合、お寺にしても、大仏殿にしても、さらにはお城にしても、そうしたものをつくるときには、文化的創造の意思がその基本にあります。美をつくる、あるいは精神的なものをつくるということが先にあるのですが、万里の長城には、実用性しかありません。軍事的目的のためにつくられたという点で非常に現実的です。こうした動機が、中国人のものをつくる上での原動力となっているということは、ある意味で、中国の本質をよく表していると思います。

    一方、日本は侵略も略奪もされなかったために、欧米に日本の遺物や芸術がほとんど伝えられていませんでした。せいぜい日本から輸出された陶器の包み紙だった浮世絵が、彼らの目を引き、日本から手放された浮世絵が集められたというぐらいでした。

    また、中国は欧米から理解されやすかったということもいえるのです。それは、中国の思考パターンが基本的に実用主義でわかりやすく、政治も実力主義、権力主義で単純であるという点が欧米と共通していたということです。中国の帝政、易姓革命による歴史の変遷などは、西洋とも重なるものがあるのです。

    同じ仏教文化といっても、チベットと日本はその自然環境の違いなどによって、かなり性格の異なる文化になっているということを知っておかねばなりません。仏教の世界文化遺産をめぐってみると、そうした違いを感じることが多いでしょう。

    世界文化遺産の対象となるのは建築あるいは美術が中心ですが、その中に文学というものが入ってもいいように思います。文学がその場の雰囲気をつくるということがあるからです。ここではイタリアの ヴェローナ市 と日本の京都という二つの世界文化遺産を舞台にした東西の恋愛小説、シェイクスピアの『ロミオとジュリエット』と紫式部の『源氏物語』を比較しながら、文学が雰囲気をつくるということを考えてみたいと思います。

    『源氏物語』の微妙な心理を描く手法は、たとえば二十世紀初頭に書かれたプルーストの『失われた時を求めて』のような物語の先駆になっています。『失われた時を求めて』は二十世紀を代表する小説ですが、そこでプルーストが描こうとした世界がすでに十一世紀の日本文学にあったということは実に 稀 なる、あるいは奇跡的なことです。それは日本に宮廷文化という安定した社会があったからこそ、実現したのです。その意味で、『源氏物語』は日本文学のレベルの高さを示すとともに、日本の社会の高度さをも示しています。『ロミオとジュリエット』と比較すると、野蛮なヨーロッパと洗練された日本という対照性がそこに感じられます。

    ウマイヤ朝はシルク・ロードによって、イスラム教を中央アジアに広げていきました。例えば、ウズベキスタンの サマルカンド という町があります。ここはシルク・ロードのオアシス都市ですが、ユーラシア大陸のど真ん中に位置し、まさに文化交差路ともよぶべき町です。ここが、一二二〇年にチンギス・ハーンのモンゴルに襲われるのですが、それ以前から、イスラム教は伝わっていて、イスラム文化がつくり出されていました。

    同じく、ウズベキスタンには ブハラ という町があります。ここもサマルカンドと同じようにシルク・ロードのオアシス都市ですが、九世紀から十世紀のサーマーン王朝時代に、イスラム文化の中心地として栄華を誇ったといわれています。ここには、カリヤン・ミナレットという四十六メートルもあるイスラム風の大きな 尖塔 がつくられ、今日に残されています。

    このブハラも、サマルカンドと同じように、チンギス・ハーンに襲撃されて、一度は壊滅してしまったのですが、どちらも復活して、サマルカンドはティムール王国の首都として再生しました。  サマルカンドは、ティムールが世界各地から学者や芸術家を集めて、モスクや神学校(メドレセ)を建てたといわれます。十四世紀、十五世紀の中央アジアのイスラム文化の粋が、この地に結実したのです。

    植物模様や文字装飾が多いのは、結局、そういう人間性の欠如という面に通じるのです。これが重要なことで、イスラム文化は、科学や数学などで、先駆的なものを生み出しましたが、人間的な文学、文化が必ずしも豊かではないということに通じます。

    一方で、イスラム教は、国を超え、民族を超えて、その文化がインドネシアやフィリピンにまで広まっています。それは、イスラム世界の同一性の高さと、受け入れやすさがその要因であろうと思います。コーランの教えが人々の心に訴えやすいということもあるのでしょう。

    北アフリカのモロッコ南西部に、 マラケシュ という町があります。これは十一世紀初め、先住民であるベルベル人の興したムラービト朝が、アトラス山脈の麓に築いた町です。一〇七〇年のことでした。

    古都トレド(スペイン)も同じことがいえます。トレドは七一一年にイスラム教勢力の侵入を受け、その後およそ三百七十年間、イスラム教勢力によって治められていた時代が続きました。それが、一〇八五年にレコンキスタによってキリスト教勢力によって治められることになったのです。  そうした歴史を背景に、トレドには、イスラム教徒、キリスト教徒の建築が共存しています。十三世紀後半にはアルフォンソ十世が翻訳学校をつくり、アラビア語やヘブライ語の古典を全部ここで紹介するというようなことをしています。両文化が共存していたのです。

    さらにおもしろいのは、ここにユダヤ教も長い間共存していたということです。ユダヤ教の教会であるシナゴーグもあります。ですから、トレドには、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の三つの宗教が共存している時代があったのです。つまり、この三つの宗教は本来的には似ているのであって、対立すべきものではないということです。三つの宗教が共存できる、そういう糸口をこの時代のトレドに見ることができるのです。これはとても重要なことで、そういう時代があったことを思い出さなくてはなりません。

    イスタンブールもトレドと同じように、さまざまな文化が交流する都市だったのです。その歴史をさかのぼると、東西ローマが分裂した三九五年以降は、ビザンチン帝国の首都として栄華を極めていました。 アヤソフィア という巨大な大聖堂もその時代につくられました。これはユスティニアヌス一世によってつくられたギリシア正教会の総本山でした。そしてこれも、一四五三年のコンスタンティノープルの陥落とともに、改築されたのです。壁や天井に描かれていたモザイク画はすべて漆喰で隠されて、そのかわりに、ミナレット(イスラム風尖塔)などが増築されました。そして、一九三〇年には、トルコ共和国のアタチュルクによって博物館になりました。

    マヤ文明も、トルテカ文明も、いずれの文化もピラミッドをつくっていました。これは「山をつくる」という、人間の原初的な行為、憧れがここにも発揮されているわけです。どちらも密林の中です。これは世界中、平地に山をつくるという人間の創造の原点、建造物の原点というものがここにも表されているということです。

    自然信仰とともにつくられる山の信仰が、マヤの文明には一貫しています。例えば、ユカタン半島中央部の丘陵地帯にある 古代都市ウシュマル(メキシコ)というところは七世紀初めから十世紀頃に繁栄したと推定される場所ですが、「総督の館」と呼ばれる方形の遺構は、約二万個の切石が使われた壁面に、雨神や蛇が、非常に複雑な格子模様の中に彫られています。これも自然信仰で、雨、つまり水を必要とした人々の気持ちがよく表れています。ここには、四方の稜線が丸みを帯びるようにつくられた「魔法使いのピラミッド」 というものが残されています。いずれにしても、山と自然に対する信仰が、ユカタン半島の文化、マヤ文明には一貫しているのです。

    南米といえば、インカ帝国が有名です。ぺルーの首都 クスコ は、標高三千四百メートルの高地、山の中にあります。インカ帝国は十五世紀から十六世紀に繁栄したといわれています。南米最大の先住民国家でした。ここには、クスコ盆地に侵入したインカ人たちがその先住民を従えて、十三世紀から十四世紀頃に定住したといわれています。

    フランスには、ノルマンディー地方に、 モン・サン・ミシェル という修道院があります。小島の上に建てられた修道院で、まるで要塞のようです。

    現代では観光地の一つとして、多くの人がここを訪れていますが、もともとゴシックというのは、森や山のないところに、人工の森、山としての教会堂を建てるというイメージがその建築の中に込められているのです。  モン・サン・ミシェルはまさにその代表例で、日本の、海の中につくられた 厳島神社(広島県)と比較するとおもしろいと思います。

    厳島神社は満潮のときは島となり、干潮のときは地続きとなるような場所に建てられています。潮が引くと鳥居のそばまで歩いていくことができます。このように潮の干満によって姿が変わるという点はモン・サン・ミシェルも同様で、干潮時には島までの道が出現します。厳島神社は干潮のとき以外は海水に床柱が浸っているため、台風や高波と満潮が重なると、海水が廊下の上にまで達することもあります。海の状態によっては危険な状態にもなりうるというのは、モン・サン・ミシェルも同じでしょう。これも両者の類似性として挙げてもいいように思います。

    では、イタリアはどうかというと、まさに南欧文化にふさわしい人間性をうたい上げました。人間の美的な創造をさまざまな造形の中に持ち込みます。美術を表現形式の中心に置くのです。

    各国、各民族にはそれぞれの特性があるわけですが、イタリアの場合は造形性、特に美術に重要性を置きます。ドイツの場合は、音楽や哲学に表現の中心を置くわけですが、イタリアは造形性が重要視される。このあたりが、日本と似ていると思います。

    イタリアも、最初はイスラムの影響を受けているのです。それは ヴェネツィア を例にすればよくわかるのですが、ヴェネツィアはもともとイスラムとの交易によって豊かになった町なのです。地中海貿易によって栄えたのです。この町はいまでもカスバのように、道が入り組んでいて迷路が多いわけです。

    フィレンツェの近くに シエナ という町があります。このシエナに、シモーネ・マルティーニやドゥッチオという画家が生まれています。ここはフィレンツェとはライバル関係にあった町です。ともに金融業を中心に商業都市として栄え、競争関係にありました。そうしたことから、武力衝突も何度か起こりました。一二六〇年の戦いでは、市民たちが、シエナの町を聖母マリアに捧げて戦勝を祈願し、フィレンツェと戦って勝ったという記録も残されています。

    ウィーン(オーストリア)は、神聖ローマ帝国の中心地ですが、一六八三年にトルコ軍の攻撃をしのいだ後、十八世紀以降にバロック都市として非常に規模を大きくしていきました。市壁の外にはトルコと戦った英雄オイゲン公の離宮をつくったり、 ベルヴェデーレ宮殿 や、 シュヴァルツェンべルク宮殿 などがつくられていくわけです。一八五七年には皇帝ヨセフ一世がこの城の中の市壁を取って、環状道路にして都市を広く使用するようになりました。地区の開発を進めたのです。

    いま、ウィーンはハプスブルク家の町、バロックの町という以上に、さまざまな文化施設を持つ美しい町になっています。ウィーンはまた、特に音楽の盛んなところで、ベートーヴェンやモーツァルトもここで活躍しました。

    モーツァルトは隣の ザルツブルク で生まれました。ザルツブルクとは「塩の城」の意味で、その名の示すとおり、この町は、紀元前の時代から、岩塩の町として栄えてきました。ザルツァッハ川をはさんで左岸の旧市街には、 レジデンツ(大司教宮殿)や ホーエンザルツブルク城、 ザンクト・ペーター修道院聖堂 などが、右岸の新市街には、ミラベル宮殿などがあります。この町も非常に調和のとれた町です。毎年夏に開かれるザルツブルク音楽祭には、世界中からクラシックファン、モーツァルト愛好者が数多く訪れます。

    一方、自由を掲げたアメリカは、非常に伸びていくことになりました。それを象徴するのが、ニューヨークのマンハッタンに立つ 自由の女神 です。これは、アメリカ合衆国の独立百周年を記念して、独立戦争時に支援したフランスから贈られたものです。一八七四年にプロイセンとの戦争に敗れた直後のパリですが、国民の募金によってつくられました。製作者はバルトルビーという彫刻家で、設計を担当したのが、エッフェル塔の設計に関わったギュスターブ・エッフェルでした。十年の歳月をかけてつくられ、それがニューヨークに運ばれたのです。一八八六年に除幕式が行われ、クリーブランド大統領が出席し、女神像の誕生を祝いました。像の高さは四十六メートル、台座も四十七メートル。独立宣言を記した銘板を左手に持ち、右手には希望を意味する 松明 を掲げています。足かせには、奴隷制度と独裁政治が象徴されています。

    二十世紀になってからつくられた ブラジリア(ブラジル)のような人工都市や、 デッサウ(ドイツ) のバウハウス(美術・建築に関する総合教育を行った学校)、 シドニー(オーストラリア) のオペラハウス などの現代建築がすでに世界文化遺産となっていますが、近代建築の巨匠と呼ばれたル・コルビュジェの建築も、まだ話題になっていない丹下健三などの建築も、果たして、世界文化遺産となるかということです。それらが他の建築家の建物と比べて抜きん出ている傑作かとなると疑問です。現代は、合理性や経済性が中心的な創造性となっていますから、類似のものがいくらでも出てくるのです。ですから、こうした戦後の巨匠といわれる人たちの建築もすぐに真似され、次々と類似のものが生まれてくると、その独自性がなくなって、おそらく彼らの建築は選ばれなくなるでしょう。

    人類の歴史で重要な、時代を例証する建築様式、建築物群、技術の集積といったものも、現代のグローバリゼーションの中で、世界中同じ様式のものがつくられているかぎり、それは評価の対象にはならないでしょう。

    ここにはユダヤ人だけが押し込められたようにいわれますが、実はそうではありません。ポーランド人やローマ人など、犠牲者には二十八の民族がいたといわれます。そこにはコミュニスト(共産主義者)、反ナチスの活動家、同性愛者といった人たちも含まれていました。ただ、百五十万人ともいわれる犠牲者の三分の二ほどがユダヤ人だったために、ユダヤ人がアウシュヴィッツでの虐殺を強く糾弾しているのです。

    これに対して、もう一つの負の遺産として世界文化遺産に登録されているのが広島にある原爆ドームです。こちらも原爆によって十四万人もの命が一瞬にして失われ、放射能による後遺症によっていまなお苦しめられている人たちがいます。

    また、原爆ドームの近くにある原爆死没者慰霊碑に「過ちは繰返しませぬから」と、原爆投下を日本人自らの責任であるかのような文言を刻んでいるのも異常な現象です。ナチスのアウシュヴィッツと同様、アメリカの原爆投下を人類に対する卑劣なる犯罪として、もっと糾弾してもいいはずです。

    それができないというのは、ユダヤ人と日本人の気質の違いをよく示しています。ユダヤ人は徹底してナチスを糾弾します。また、ナチスと同罪であるとして日本の従軍慰安婦問題などについても韓国人と一緒に非難するという態度をとっています。その背景にあるのは、日本人を虐殺した原爆がオッペンハイマーのようなユダヤ人科学者の手によって完成させられたものであったという負い目があるのではないでしょうか。彼らには原爆を批判しようにもできないのです。

    それに対する批判を日本人が少しもしていないというのは、人のよさというか、日本人的な「過去を水に流す」感覚なのでしょう。

    しかし、この伊勢神宮ほど世界文化遺産にふさわしいものはないでしょう。多くの日本人は、これが日本の信仰の特殊なものであり、それをわざわざ世界文化遺産にしなくとも十分だ、と思っているかもしれません。しかし誰であれ、この神宮をひとたび歩いたならば、その伝統の古さ、深さ、そして一帯の静けさは、どう見ても、世界文化遺産の中でも一級品の価値がある、と感じることでしょう。トインビーもマルローも、この神宮に来て、その荘厳さに心を打たれ、ここに宗教の根源があると感じているのです

    0
    2024年01月02日
  • 日本の文化 本当は何がすごいのか

    Posted by ブクログ

    693

    田中英道
    昭和17(1942)年東京生まれ。東京大学文学部仏文科、同美術史学科卒業。ストラスブール大学に留学しドクトラ(博士号)取得。文学博士。現在、東北大学名誉教授。フランス、イタリア美術史研究の第一人者として活躍するかたわら、日本美術の世界的価値に着目し、精力的な研究を展開している。また、日本独自の文化・歴史の重要性を提唱し、日本国史学会(平成24年設立)の創設に尽力、代表を務める

    0
    2023年12月28日
  • 日本とユダヤの古代史&世界史 - 縄文・神話から続く日本建国の真実 -

    TS

    ネタバレ 購入済み

    歴史好き必読の書

    誰だが歴史の授業で習う 645年 大化の改新:豪族:蘇我氏の滅亡
    蘇我氏って 妙な豪族名だなぁっと思ってましたが、改めて字を確認すると
    本書で触れられている通り、『蘇』る 『我』 キリスト教の系統?ということで、
    本書でそれを教わった時、思わず背筋がゾクッとしたものです。
    このように、古代史から現代までの流れでの新説は、これまでの歴史の授業では語ってこられなかった
    事実とその背景を推定した一説から成り立っており、新しい世界に出会いたければ、
    この書を読むこと以上に重要なことはありませんと断言できます。

    #タメになる #深い

    0
    2023年07月01日
  • 世界文化遺産から読み解く世界史

    Posted by ブクログ

    高いものを仰ぐことによって非日常的なものを感じ、それが精神的な安定感や豊かさを与える。例:平地にピラミッド。山の代わり。

    0
    2021年06月09日
  • 日本国史の源流 縄文精神とやまとごころ

    Posted by ブクログ

    日本人みんなが知っておいたほうがいい、自分たちのルーツがわかり、日本の文明文化を知ることによって日本人として自信を持たせてくれる本。教科書を暗記するよりよっぽど身になる。

    0
    2021年05月05日
  • 日本人にリベラリズムは必要ない。 「リベラル」という破壊思想

    mac

    ネタバレ 購入済み

    「リベラル」を名乗る者の危険性

    一部、紹介します。

    ・「リベラル」の思想の原点は、「父親を殺さなければ母親を独占できず、自分は幸福になることはできない」というエディプスコンプレックスにある。
    それが、国家や体制、伝統や慣習など、あらゆる意味で人間を規制するものすべてに対する憎悪につながる。

    ・人間は、万能ではない。必要なこと、できることをやって生きている。「あらゆることは役割分担」という約束事が社会にはある。階級闘争史観は、この約束事を反故にし、社会の秩序を破壊する危険思想だ。

    ・日本の左派勢力が、日本国憲法の九条に固執するのは、「憲法九条は自分たち(左派勢力)のテロを潰されないようにするための実利的な条文である」ことを理解しているからである。

    ・左派勢力が「批判のための批判」に終始している理由は、「社会に対して攻撃を重ねていくことで、人々に生きていくことへの厭世観と、疎外感と絶望をあたえること」を目的としているからだ。

    0
    2022年09月30日