資料として残っていない歴史は、論理やその他の証拠、あるいは合理的な空想で埋めるしかない。また、資料として残っていたとしてもその資料が客観的な事実なのか、記録者の主観や空想なのかも確かめようがない。そうした「記録」を繋ぎ直して、‟最も説得力のある仮説“を採用する事で「歴史」として認識する。だから、国によって‟歴史認識“が異なったり、最も説得力のある仮説ランキングが塗り替えられたり、その時々で歴史は変わるのだ。
それだから、本書の歴史認識が正しいのかは分からない。だが、人類史に匹敵する、日本人のルーツを紐解くようなとてもスリリングな内容だ。確かめようがないものもあるだろうが、それを繋ぎ直し、空白を埋め、論理を形作る仕事に感激し、そのドラマを非常に面白く読んだ。こういう説もある。正しいか否かは置いておき、一つの措定として。
その象徴的な文章を先ず抜粋したい。
― 「あま」という言葉は、「天」と表すだけでなく、「海」とも表します。そこから推測すると、高天原は「海の向こうの国」ではないでしょうか。海の向こうの国から、おそらく大船団で日本列島にやってきた。それがアマテラスの一派で、今の皇室につながる天孫族と呼ばれるグループです。これに対して、彼らが渡ってくる前から日本列島を治めていたのが、オオクニヌシです。オオクニヌシは「大きな国の主」ですから、縄文末期の王のような人物なのでしょう。ただし、王といっても中華皇帝のような専制君主ではありません。狩猟民をゆるやかに束ねる象徴的なリーダー、たとえばアメリカ先住民の部族長のような存在だったと想像できます。おそらく三内丸山遺跡の指導者も、そのような存在だったのでしょう。
― 「鬼」とは誰のことなのか。おそらく地方の王のことだったのでしょう。鬼退治伝説は、ヤマト政権が地方政権を屈服させていった物語なのです。ヤマトの人々から見て、奇妙な格好をしていた地方の王を「鬼」と呼んだのかもしれません。桃太郎伝説は、誰もが知っていますね。桃から生まれた桃太郎というヒーローがイヌ・サル・キジを従え、鬼ヶ島に渡って「悪い鬼」を退治する話です。でも考えてみれば、鬼には鬼の幸せな暮らしがあったはずで、その鬼ヶ島に桃太郎が攻め込んで、鬼たちを一方的にやっつけてしまうのです・・・ヤマトに激しく抵抗した国の一つが、吉備国でした。そして、この国を平定するために、ヤマト政権から大軍が送り込まれました。これを率いた吉備津彦という将軍がいて、「日本書紀」では七代孝霊天皇の皇子となっています。実はこの人が、桃太郎のモデルなのです。この吉備津彦を祀る吉備津神社の社伝(言い伝え)に、「吉備津彦が鬼の城に住む温羅(ウラ)という鬼を討った」と書かれています。こうしてヤマト政権に屈服した地方の王は、新たに地方長官に任命されましたと言うと聞こえがいいのですが、実質は王から地方長官への格下げです。彼らを「国造(くにのみやつこ)」と呼びます。
― 敗北者ナガスネヒコの子孫は、実は日本各地に散っています。神武天皇との戦いに敗れた後、東北地方に逃げ込んだのが、ナガスネヒコの弟ともいわれるアビヒコ(安日彦)です。彼の末裔は東北で勢力を伸ばし、平安時代まで岩手県を中心に半ば独立国家を築いた安倍氏として知られています。平安後期に朝廷に逆らい、朝廷からの大軍に滅ぼされました(前九年の役)。この時に捕えられた安倍宗任という武将が京都まで連行され、九州に追放されました。その後、山口県に移った彼の子孫が、安倍晋三元首相の一族です。ですから、安倍一族の祖先はナガスネヒコということになります。二千年の時を超えて、政権を取り戻したわけです。
― 白村江の戦いのあと30年間、唐と国交を断絶したヤマトは「日本」=「日の昇る国」という国号を採用し、中央集権国家の実現を急ピッチで進めていきます。「唐に対抗するには、唐に学べ!」を合言葉に、官僚統制国家である唐の律令制に基づいた法体系や制度を取り入れた国づくりがスタートしました。それまで「大王」と呼ばれていた君主の称号も、中華皇帝を意識して「天皇」と改められました。公地公民制を導入し、豪族の支配下にあった土地を天皇の所有としました。人民の数を把握したうえで土地を人民に分配し、徴税する仕組みをつくったのです。
引用し過ぎなのでこの辺にしておくが、天皇の起源からスタートし、江戸時代の思想を経て、最終的に本書は現自民党政権まで辿り着く。一部論説の誤りが気になったがそれを上回る面白さだった。