星野博美のレビュー一覧
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購入済み
謝謝チャイニーズに続き
こちらも拝読読み応え充分で
非常におもしろいかったです
タイトルの通り転がり続ければ
苔は生えないと妙に納得したのですが
本書は香港だけのことを述べている訳でなく
日本のことも危惧されています
出版当時はまだそんなことなかった
多様性が叫ばれるこの時代への著者の
先見性に驚きました
次は銭湯の神様拝読致します。 -
Posted by ブクログ
予想以上の面白さで文句なしに★5つ。長崎旅行で世界遺産の潜伏キリシタン遺産を見学していて知った本。文庫本が品切れだったのを遠出してなんとか新品を購入。出版社はもっと刷れよ。歴史好きならきっと好きになる。キリシタンの歴史は知っているつもりでいたが全然解ってなかった。著者のおばさんに感謝。気になることを掘り下げていくパワーとセンスがすばらしい。それ以外に今回学んだことは、
・カトリック側は一枚岩ではなかった。ポルトガル/マカオから来て南蛮貿易に関与しつつ大名への上からの布教を目指したイエズス会と、スペイン/マニラから来て裸足で庶民に布教する清貧な托鉢修道会(フランシスコ会、ドミニコ会、アウグスチノ会)は対立していた。
・列聖、列福の制度。2016年に高山右近が列福され、外国人を含め聖人42名、福者394名を生み出した。「殉教するかもしれないが行く、ではなく、殉教する可能性があるからこそ行く(p269)」「『あなたの存在を忘れない』というすさまじいほどの執念(p281)」
・聖遺物として殉教者の遺体の奪いあい。「キリシタンは初めから跪いていたが、殉教者の死んだのを見ると聖なる灰を祟って、役人にかまわず火の中にとび込んで行って、火傷をも恐れずに遺体を引き出した(p252)」
・自力でエルサレムやローマに行ったペトロ岐部カスイ。 -
世界は五反田から始まった
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Posted by ブクログ
長らく積ん読になっていたのは600頁超という量におののいていたのと、1997年と四半世紀近くも前の返還前後のことをいまさら読むのもどうかなと思っていたから。ところが、読み始めると面白くて、どんどん読み進めていけた。四半世紀前の普通の(中の下くらい?)の生活感が何となく味わえる感じがする。騒がしくてバイタリティがあり、大陸人の生きにくさがあり、香港人の生きにくさがあり、隣の人の生活や人生を見聞きしているような近さを感じながら読んだ。
そして、返還前後の香港の空気感を確認できたのもよかった。中国に返還されることによる楽観論も悲観論も右往左往していたあの頃。25年くらいがたって、いまの香港のことを思えば悲観論が勝ってしまったような気がする。ただ、それでもきょうも香港は生きて転がり続けているはず。
この本に出てきた著者の友人・知人の人たち、いまはどうしているんだろう。特に子俊とか肖連といった若い人たちのその後を知りたい。 -
世界は五反田から始まった
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世界は五反田から始まった
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世界は五反田から始まった
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世界は五反田から始まった
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Posted by ブクログ
「んなこたぁない」から始まり、「いや、あるかもしれない」、そして最後は「そうに違いない」、読書中の私に思考をそのまま文字にするとこうなる。
「世界は五反田から始まった」、いやに挑発的なタイトルと言っていい。私は現職のオフィスが五反田であり、JR山手線を通勤で利用しているが、駅の階段に本書の広告が大きく掲示されていて、見るたびに「んなこたぁない」と思っていたのだが、読後の今はこう思っている。「世界は確かに五反田から始まった」と。
本書は五反田で町工場を営む家系に生まれ育った著者が、亡くなった祖父が残した日記を元に、ファミリーヒストリーを語るという構成になっている。しかしながら、本書が作品として素晴らしいのは、そのファミリーヒストリーがさながら日本の太平洋戦争をどう一つの家庭が生き抜いたか、という類い稀な戦争史になっているからである。
そういう点で、本書は著者の一人称で描かれてはいるのもの、実質的な主人公は千葉から一人この地に移り住んで工場を創業して家族を作った祖父と言える。祖父が創業した町工場の事業が少しずつ拡大し、戦争中には軍需品の部品づくりをしながら妻や子供たちを埼玉に疎開させ、終戦末期の大空襲で全てが焼け落ちる・・・、その歴史を現代の五反田の姿と対比させながら、物語っていく。
一見、極めて個人的な話のように見えて、そこには確実に一種の普遍性につながるリンクがある。そのリンクをこうまでにクリアに作品の中に表現するこの手腕に強く感動し、本書のタイトルに強く賛同するのであった。 -
世界は五反田から始まった
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Posted by ブクログ
渋谷に育った私(産まれて数年は父の故郷九州に居たので若干ロンダリング)にとって、大五反田は近いけれどほとんど縁がなかった地域。それが高校生の頃、実家が引越して通学や通勤の乗換駅である中延や五反田が生活圏の一部になったから本書に出てくる路線や地名の雰囲気はよくわかる。関東大震災の前年に麹町で(文字通り乳母日傘で)生まれ育った母が「語り部」気質だったのか、戦前と戦後では価値観をガラリと変えなければならなかったこと。人間、死ぬ気になったらなんでもできること。ふつうの人は戦争したら損するだけ。だから戦争だけはしちゃいけないと何度も何度も繰り返し聞かされた。著者とはほぼ同世代だが高度成長期の子どもだった私にとって戦争の話は昔話しに思えて、話半分で聞き流していたことを今になって悔やんでいる。
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世界は五反田から始まった
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世界は五反田から始まった
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Posted by ブクログ
読書で声出して笑ったの何年振り?
開始4ページ目でもう声を上げて笑った。
作者は絶望の運気を自らの力で変えようと一念発起、40代半ばにしてはるばる東京から長崎五島列島にある合宿制自動車学校へ入校する。
学校選びの段階から笑わされたけど、わからないことをあけすけに何でも質問する作者の様子と、五島弁で温かな先生たち、馬、他の合宿生とのやりとりが面白いしほのぼのする。
登場する人、動物、五島の自然、何もかもを愛おしく感じた。
運転下手な私が読むと、共感の嵐で笑わずにいられない。
でも、運転が上手い人や自動車学校の先生が読んだら、
イライラしちゃうかもしれない。自己責任でぜひ読んでほしい!笑
向田邦子やさくらももこという偉大で大好きなエッセイストの新作がもう読めない寂しさを、この本が埋めてくれた。星野博美さんありがとう! -
世界は五反田から始まった
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世界は五反田から始まった
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Posted by ブクログ
『一般論ではない。これは私が所属する世界の話である。しかし一方では、こうも思っている。五反田から見える日本の姿がきっとあるはずだ』―『はじめに』
2007年に出版された「迷子の自由」で嵌まって以来ぽつりぽつりと読み継ぐ作家、星野博美。ルポルタージュを主とする文筆家であるにも拘らず、この人の視野は決して広くは感じない。見えているのは手の届く範囲、常に足元ばかり見ていると言っても過言ではない。けれど、一端その視野に入って来たものがあれば、それがどこから来たのかという問題提起を皮切りに、軽快なフットワークで自身の立ち位置を移動し(取材範囲を広げ)、結果として身近な世間が想像だにしなかった世界と繋がっていることを詳[つまび]らかにする。そして、よって立つ地面の確かさを確かめるつもりでいた筈なのに、それが案外と脆い基盤の上に立つものであったことに気づくという経験を、繰り返しこの作家は文章にする。それは取りも直さず、自分自身の感じているこの印象は確かなものなのかという冷静な思考の表れだと思うのだけれど、駆け出すに際してどちらかといえば激情に駆られてという雰囲気を星野博美は醸し出す。その食い違いが実は癖になる
本書は、文中でも度々言及される「コンニャク屋漂流記」のいわば続編というような位置付けになる本。祖父の故郷である千葉の御宿岩和田における実家の屋号「コンニャク屋」から端を発して、江戸時代に漁を生活の糧とする祖先が紀州から移住してきたこと突き止めるまでを、極めて私的なルポルタージュという印象を残す一冊にまとめた前著から時代の流れを引き継ぎ、作家の呼ぶ所である「大五反田」へ上京して町工場を起こした祖父の残した足跡を辿る、というのが大まかな流れではある。けれど「コンニャク屋漂流記」の中でも、江戸時代初期に御宿沖で遭難したスペイン船を地元の人々が救助したという話を切っ掛けに、自身のルーツを遡る旅は脱線を繰り返し、日本におけるキリシタンの歴史を探る旅へと広がっていった(それが「みんな彗星を見ていた 私的キリシタン探訪記」へと繋がっていったり、リュートを習い始め「旅ごころはリュートに乗って 歌がみちびく中世巡礼」へ繋がってゆく)ように、本書の中での祖父の歩みを辿る旅も、祖父の歴史を通して必然的に大五反田における戦前戦後の出来事への深堀へと繋がってゆく。そんなふうにして辿る探訪の行く先には、工業地帯としての五反田の発展・衰亡があり、急成長した工場で過酷な労働条件で働かされる無産者のプロレタリア活動の痕跡があり、町工場の軍需産業への組み入れの歴史があり、そして幾度かの空襲の記憶、国から不要不急の産業と決めつけられ転職を迫られた商店街の人々からなる満蒙開拓団の歴史があり、と幅広い。
その脱線の過程は好奇心のなせる業というよりも、当たり前と思い深く考えもしなかったことに対する本質的な気づきともいうべき思考過程なのだが、この作家には再定義を迫る事実の声なき声が嫌でも聞こえてしまうのだ。やや軽薄な好奇心の裏側に潜む偏見。それを多くの人は全く気づかないか、見て見ぬ振りをしてやり過ごす。しかし星野博美はそれを掘り返して見ずにはいられないのだ。
そして祖父の起こした町工場を受け継いだ父親が新型コロナ感染症が猛威を振るう中で廃業するという出来事をもって、この本の元となった連載は幕を閉じる。「コンニャク屋漂流記」から始まった多岐にわたる旅はこれで一段落着いたということになるのだろう。思えば「コンニャク」という屋号の不思議さから始まった旅は随分遠くまで旅路は伸びたのに、いつの間にか現時点の足元に戻って来たことになる。それは、この作家の思考過程そのもののようであると言ってもいいのだろうと思う。