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Posted by ブクログ
星野博美の『謝々!チャイニーズ』は1993-94年の華南、『転がる香港に苔は生えない』は1996-98年の香港だった。本書はそれ以前、1986-87年の香港と中国。この時、星野は香港に交換留学した。
まずは留学先の大学でグレるところから始まる。それも香港風のパンキッシュなグレ方! そして終わりは、友人(男性)と1カ月にわたるシルクロードまでの過酷な列車旅。
中国の観光地や名所旧跡はほとんど出てこない。出てくるのは、もっぱら駅の切符売り場、そして車中の模様。中国の慣習やシステムの不条理と不合理に直面することで、目から鱗が落ちてゆく。そうか、そういうことだったのか。愚か者が愚かでなくなってゆくそのプロセスに引き込まれる。でも、旅の終わりはちょっとほろ苦い。
旅のお供はドストエフスキーやサルトルの本。これがタイトルに生かされるとは!
Posted by ブクログ
「しかし列車を降りる時間が近づくと、私は決まって感傷的になった。それは車内で出会った人たちとの別れを惜しむ気持ちと、もう一つは現実的な感情だった。それは、列車という密閉空間にいる時だけは少なくとも未来を考えずに済むからだった。」
星野博美は交渉の人だ。そして、交渉というのが、必ずしも自分の主張が自分の本当に求めているものなのかどうか、自分自身でも定かではない、ということも、よく心得た人でもある。交渉とは、相手と戦っているようでいて、本当のところは自分との戦いであることが彼女の旅の記憶から再確認されてくる。ずしりと重たいものが胃の辺りに襲ってくるのが判る。
交渉を止める時、選択肢は二つしかない。決裂するか否か、である。決裂する場合、その結果のインパクトの大きさに比べて、解放感というか、案外と自分の気持ちはさばさばとしている。逆に決裂に至らずに止める場合、つまりは括弧つきの「合意」が形成された場合、主張が通った場合もそうでなかった場合も、ずしりと胃が重たくなる。そんな星野博美の気持ちの動きに、自分はいとも簡単に同調する。最近、交渉が主な仕事になってきているので尚更だ。
そんな我田引水的な同調だけではなく、以前の読書でも感じたように、自分は星野博美の価値観に無意識のうちにいつも頷いている。例えば、星野博美はいつも在ったかも知れない出会いにこだわる。しかし一方で、その偶然が存在しなかったことにこそ自分らしさが表れているとも達観している。その潔いのかよくないのか判然としない彼女の態度に、実はとても惹かれるのだ。現実の自分を持て余しながら、それを同時に俯瞰で捉えてもいる、というアンビバレンツな自我。その彼女自身の描き方に恐らく共鳴するのだと思う。
だから何も交渉していない時の彼女は余りにも無防備だと感じるし、それを可愛らしいとも思えてしまう。じたばたしないと自分自身を俯瞰できないかのような星野博美が可愛いのである。引用した文章は、そんな彼女自身を彼女自身が時間を越えることによってようやく的確に捉え直したものだと思う。自分も、列車を読書に置き換えると、全く同じ気持ちになるのだが、そのことを自分がいつ客観的に認められるのかは、今のところ判らない。
話は違うが、滅多に「ほのめかし」のようなことをしない星野博美が、本書の最後で実に個人的なことをほのめかしている、と思うのは深読みし過ぎだろうか。描かれなかった1987年の台湾での六月。「君にはもうついていけない」の意味するところ。そして最後の一葉の写真に添えられた献辞。それまでのジャーナリスティックな星野博美の魅力とは全く異なる趣きが、そこにはある。それは驚くことに、まるで恋愛小説を読み終えたような味わいなのだった。
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