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中国に関する報道や批評などを目にした時に外部の人間がイメージする中国という国と、人民の実生活には大きな隔たりがある、というのが、20年近く、なんとなく中国と関わり続けてきた私の実感だ。(「はじめに」より) 交換留学生として香港に渡った著者は、1987年、アメリカの友人、マイケルと中国旅行に出る。中国社会が大きな転換期を迎えたこの時期に、何を感じ、何を見たのか。「大国」の本質を鋭くとらえた貴重な記録。
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Posted by ブクログ
星野博美の『謝々!チャイニーズ』は1993-94年の華南、『転がる香港に苔は生えない』は1996-98年の香港だった。本書はそれ以前、1986-87年の香港と中国。この時、星野は香港に交換留学した。 まずは留学先の大学でグレるところから始まる。それも香港風のパンキッシュなグレ方! そして終わりは、友...続きを読む人(男性)と1カ月にわたるシルクロードまでの過酷な列車旅。 中国の観光地や名所旧跡はほとんど出てこない。出てくるのは、もっぱら駅の切符売り場、そして車中の模様。中国の慣習やシステムの不条理と不合理に直面することで、目から鱗が落ちてゆく。そうか、そういうことだったのか。愚か者が愚かでなくなってゆくそのプロセスに引き込まれる。でも、旅の終わりはちょっとほろ苦い。 旅のお供はドストエフスキーやサルトルの本。これがタイトルに生かされるとは!
1987年の中国旅行記である。35年ほど前である。中国の列車のフィールドワークとして読んでみてもとても面白い。これだけの中国の列車の旅について書かれた本はないであろう。ニュースでは帰省の混雑のみ報道されているがそれが一面でしかないということがわかる本である。
素晴らしい旅の記録である。時間をおいて、その後の中国の変化から、さらに気がついた事を掘り下げているのが素晴らしい。また、異文化コミュニケーションについて深く考えさせられる。
二年ほど 積読状態でした。 天気が良かったけれど つい 億劫になって ひょい と 手にして読み始めたら これが 抜群に面白い 歩く速さで考える というのは 星野さんのような方のことを言うのだ 人に対しても その国(中国)に対しても ほど良い距離で ちゃんと 見て ちゃんと 考える その ものす...続きを読むごく難しい課題を 難なくこなしておられる のが 素晴らしい
文章が上手で感性豊かな着眼。とても気持ちよく読めました。そして共感すること、驚きも多し。お薦めの一冊。
「しかし列車を降りる時間が近づくと、私は決まって感傷的になった。それは車内で出会った人たちとの別れを惜しむ気持ちと、もう一つは現実的な感情だった。それは、列車という密閉空間にいる時だけは少なくとも未来を考えずに済むからだった。」 星野博美は交渉の人だ。そして、交渉というのが、必ずしも自分の主張が自...続きを読む分の本当に求めているものなのかどうか、自分自身でも定かではない、ということも、よく心得た人でもある。交渉とは、相手と戦っているようでいて、本当のところは自分との戦いであることが彼女の旅の記憶から再確認されてくる。ずしりと重たいものが胃の辺りに襲ってくるのが判る。 交渉を止める時、選択肢は二つしかない。決裂するか否か、である。決裂する場合、その結果のインパクトの大きさに比べて、解放感というか、案外と自分の気持ちはさばさばとしている。逆に決裂に至らずに止める場合、つまりは括弧つきの「合意」が形成された場合、主張が通った場合もそうでなかった場合も、ずしりと胃が重たくなる。そんな星野博美の気持ちの動きに、自分はいとも簡単に同調する。最近、交渉が主な仕事になってきているので尚更だ。 そんな我田引水的な同調だけではなく、以前の読書でも感じたように、自分は星野博美の価値観に無意識のうちにいつも頷いている。例えば、星野博美はいつも在ったかも知れない出会いにこだわる。しかし一方で、その偶然が存在しなかったことにこそ自分らしさが表れているとも達観している。その潔いのかよくないのか判然としない彼女の態度に、実はとても惹かれるのだ。現実の自分を持て余しながら、それを同時に俯瞰で捉えてもいる、というアンビバレンツな自我。その彼女自身の描き方に恐らく共鳴するのだと思う。 だから何も交渉していない時の彼女は余りにも無防備だと感じるし、それを可愛らしいとも思えてしまう。じたばたしないと自分自身を俯瞰できないかのような星野博美が可愛いのである。引用した文章は、そんな彼女自身を彼女自身が時間を越えることによってようやく的確に捉え直したものだと思う。自分も、列車を読書に置き換えると、全く同じ気持ちになるのだが、そのことを自分がいつ客観的に認められるのかは、今のところ判らない。 話は違うが、滅多に「ほのめかし」のようなことをしない星野博美が、本書の最後で実に個人的なことをほのめかしている、と思うのは深読みし過ぎだろうか。描かれなかった1987年の台湾での六月。「君にはもうついていけない」の意味するところ。そして最後の一葉の写真に添えられた献辞。それまでのジャーナリスティックな星野博美の魅力とは全く異なる趣きが、そこにはある。それは驚くことに、まるで恋愛小説を読み終えたような味わいなのだった。
星野さんの、ふと目にした光景や出来事を、そういうものなのだと納得するだけでなく、なぜそうなるのか理解しようとする姿勢が大好き。 中国や中国文化を愛する心、また鋭い観察力と共感力に溢れていて、星野さんが出会う全ての人々が愛おしく、時に憎らしく感じる。 まるで自分がその場にいて、その空間で同じ時間を過...続きを読むごしている…星野さんの文章を読むと,いつもそう感じます。 そして何より、星野博美さんの書く『別れ』のシーンが大好きだ。人だけでなく、街、記憶、時間、光景、そういったあらゆる概念との 別れ を、星野さんは本当に繊細に表現する力がある。
この人の書いたものは、そこに出てくる人々の言葉が活字ではなく生の言葉として感じることが出来る。 いきなりだけど、著者はマイケルのことが好きだったのね。 今では所謂ホテルや高速鉄道が中国でも当たり前で、当時のような外国人ならではの旅行スタイルもなくなり、一つの歴史を読むような感じ。他の著者でも読んだ...続きを読むことあるが、硬座での旅はハンパなくキツイらしい。更に、無座というのもあったらしい。
1980年代、21歳でホンコンからウルムチまで列車旅行をした記録。切符を手に入れるために必死になったり、パートナーと険悪になったり、席に座るために心を鬼にしたり。なんでこんなに大変なの!?という疑問をほっとかず、その時々で発見を続ける筆者。大変そうと思いながらも、旅に出たくなりました。
10年くらい前の本ですけれども、割と楽しめましたね…著者の文章がイイからか、中国の情景まで浮かんでくるよう…けれども、今の中国はもっと都会化しているでしょうねぇ…10年前に出版された本の上、1980年代に旅行したことをここには書いているんですから…社畜死ね!! ヽ(・ω・)/ズコー 中国人…主...続きを読む張の激しい人たち、というイメージですけれども、現代だとそれほど? 熱い人達ではなくなっているんでしょうか…なんか著者が中国の、現代の若者についてそのような感想を漏らしていたので…。 今の日本はスマホ中毒の、それこそゾンビみたいに無反応な人間が増えているきらいがありますが(!)、中国はまだ人が会話を交わし、よくわからぬ熱気とやらに包まれているようで、できれば一度くらい訪れたいものですね! さようなら…。 ヽ(・ω・)/ズコー
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