星野博美のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
タイトルは日本の国歌「君が代」の歌詞のもじりから。
返還前後の香港で暮らした30代前半の日本人女性の、瑞々しいレポート。こんな文章書けたらいいのになぁと思う。
何が良いかって、彼女自身がしっかりと媒介になっている点がブレずに徹底している。人と人との生々しいコミュニケーションの軌跡、街の喧噪やごみの臭いがこちらに届きそうな描写、身を切るような筆者自身の自省を含め、すべてがストンと腑に落ちるように読めるのは、彼女の等身大レンズを通した街や人が丁寧に描かれているからだと思う。それも、留学を機に築かれた10年ものの関係を温め、そして新たな人々の出会いを追いながら、丹念に人の姿を追っていくやり方で。
根底には、時に憤ったりしながらも失われない、人々への温かい目線。おかげで今まで漠然と捉えていた香港と本土の違いも、いま香港が向き合う課題の背景も、今後は具体的な形を伴って目の前に立ち現れて来るように感じられる。 -
Posted by ブクログ
もう20年も前の中国旅行記。
あたしが出会ったのは誰もが夢を見ることができなくなった中国。
そうなんだよなー買えなかったものが誰でも買えるようになったんだ。
今の中国はもう少しで誰もが外国に行ける国になるだろう。
でもきっと著者が出会った中国と変わらないとこもある。
あたしも生きていくリアリティーをこの国を訪れることで初めて感じたのかもしれない。
海南島にいるときの自分は東京にいる自分とは違う。
東京にいる自分が今のあたしの生きていくリアルなんだと思っていたけど、もしかしたらそれは違うのかもしれない。
手紙での交流がなんだか羨ましかった。あたしも手紙を書いてみようか。
「国とは、人である。私はやはり、人を見続けていこう。それしかできないし、またそれしか、したくない。」
me too.
「転がる香港に苔は生えない」を再読したくなった。 -
Posted by ブクログ
[ 内容 ]
交換留学生として香港に渡った著者は、一九八七年、アメリカの友人、マイケルと中国旅行に出る。
中国社会が大きな転換期を迎えたこの時期に、何を感じ、何を見たのか。
「大国」の本質を鋭くとらえた貴重な記録。
[ 目次 ]
第1章 香港
第2章 広州
第3章 西安から蘭州へ
第4章 嘉峪関まで
第5章 シルクロード
第6章 ウイグル
第7章 旅の終わり
第8章 それから
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ] -
Posted by ブクログ
米原万里の『打ちのめされるようなすごい本』を通じて邂逅。わたしは普段から紀行文、旅行記のたぐいをよく読む。金と時間のかかる旅(とくに社会人になって以降は、後者がネック)を、確かな観察眼と柔軟な思考力を持つ文筆家に代行してもらえるからだ。本当は自分で旅に出かけたいけど。
しかし中国の旅行記はこれが初めて。旅先で出会う、好奇心が旺盛で抜け目のなくて、商売上手な(つまり、人格的に脂ぎった)市井の中国人たちがこちらにぐいぐい迫ってきて、ちょっと気疲れする読書だった。でも読後は清々しく、生きる勇気がわいてくる。「生きるために食べる、寝る、商売をする。当たり前だろ?」と中国人たちにまくしたてらているみたいだ。「生きるってなんだろう」「働くってなんだろう」とおよそ生産性のない生半可な自問自答で「哲学」している気になっている2010年代末期の日本に暮らすわたしは、背筋を伸ばして立ち上がり、襟を正さざるを得ない。
内容に先立ってまず、処女作にして、筆者のこの細部のリアリティの再現力がすごい。かといって写実主義の一本調子ではなく、中国人たちとの交流を通じて筆者が感じたこと、その内面も豊かに、衒いのない筆致で描き出されていて、その文章力に目を見張る。
27歳の筆者が旅をするのは、90年代前半の華南。ベトナムの国境から北は上海まで、海岸沿いに北上していく(といっても旅は2回に分かれて行われたようだが)。
各々の街で筆者が直面するのは、鄧小平の「改革開放政策」の下に、瀑布のごとく資本主義が流入し、人心は猛々しくなり、ゴミによって街や山河は荒廃していく大国の姿。筆者が訪れるのは、「『地球の歩き方』にも載っていない」という無名のちいさな街や島だが、そこにも変化の余波は平等に襲ってくる。象徴的なのは、島の経済格差が広がり、年長者への敬意よりも、経済力で人間関係を決定づけられていく中で、力なく笑う老李(らおりー)だ。50を過ぎたこの貧しい元漁師は、若年の成功者からの侮辱に耐えながら、夜中にひとり懐中電灯を持って海岸に出かけ、真っ黒な海に潜る。筆者は、「いま、中国全土にどれだけの老李がいるだろう」と、いまこの大陸を襲う激動と、それに乗り遅れたものたちに思いを馳せる。
「国とは人である。わたしは人を見続けていこう」。文庫版あとがきを筆者はこう締めくくる。ひるがえって現代、日中摩擦が激化する中で、かの大陸でほんとうのところ何が起こっているのか、私たちは恐ろしいほど無知だ。新聞を読んでもテレビを見ても、そこには「人」がいない。いるのは巨大化したクラゲみたいにぶよぶよと抽象化された、顔のない怪物だ。
星野博美のような知性と度胸と語学力を兼ね備えた旅行家/文筆家はとても得難い存在だ。続編を強く強く、期待する。 -
Posted by ブクログ
中国の不便さはこんなもんだろうと私が予想している模様がかいてあったけれど、どうやらそれはずいぶんと昔のこと(天安門事件前)でいまのことではないらしい。しかし、10年ぐらい前に中国旅行をした友達からも、切符売り場での割り込みはすさまじいと聞いたので、切符が普通に買えるようになったのはいったいいつからなのだろう。ものすごい勢いで成長する中国。抑圧されていた権力への志向が爆発するのもわからなくはないかもと思った。ちょうど年末の新幹線の切符を入手するために行列に並びながら読んでいたので、並ぶことにいらだつ自分と作者が重ねあわされた。というか、私が並んだのは自分が自動販売機で切符を買い間違えて変更するためという間抜けな理由でもあったので、人民の気持ちなど永久にわからないに違いない。いまの中国と比較するにはもってこいの一冊なのかもしれない。
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一路平安 −どうぞよい旅を−
1986〜87年の中国を旅したはなし。
その旅は、著者星野さんが交換留学生で香港の大学にいたとき、
同じく留学生のアメリカ人のボーイフレンドと出掛けた時のもの。
ほんの20年前の話なのに、驚かされる。
いや、今の中国という国の急激な変化を思えば、20年前とは、
優に半世紀以上前の感覚なのかもしれない。
列車の切符を手に入れるために、とれるかどうかもわからないまま
無為に長蛇の列に並び、やっと辿り着いた窓口の「鉄の女」に切符の有無をきくと、
「没有(ない)」の一言で終わる。
脱力。
2005年での旅では、「電話予約してオフィスに切符を届けてもらった」
という女子大生と列車に同乗する。
当時の話をしたら「信じられない、一体いつの話?」と驚かれる。
あははは。私もそう思います。
オビにあった「ドストエフスキー、ばか!」なんだろうと思ったら、
旅の友マイケルが、思うにままならぬ旅よりも「白痴」へと逃げ込んでしまい、
ふたりの旅の意味が見えなくなってしまったことに対する星野さんの叫び。
この時代、同世代の自分は何をしていたんだろう。
中国、絶対に行きたくないのに、なんでこんなに惹かれるのか、
不思議でたまらない。
一路平安。。。なんとも、いい言葉だなぁ