山田太一のレビュー一覧
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110422byNHK review
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六波羅蜜寺 空也上人目が光る 63 ←行こ
『異人たちとの夏』 158
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・・・悪いと思ったら、まだ生きているお年寄りにやさしくすればいい・・・ 77
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山田太一の19年ぶりの書き下ろし力作小説。特養ホームで老婆を死なせてしまった27歳のヘルパー草介は、女性ケアマネの重光さんの紹介で、81歳の老人の在宅介護を引き受ける。介護する側の疲労、介護される側のいたわり。ヘルパーと老人とケアマネの風変わりな恋がはじまる。彼らはどこまで歩いていくのか。そして、心の痛みを抱える人々と一緒に歩いてくれる空也上人とは?重くて爽やかな衝撃作。
ヘルパーと老人とケアマネと、介護の現場で風変わりな恋がはじまる。ぬぐいきれない痛みを抱える人々と一緒に歩く空也上人とは?都会の隅で起きた、重くて爽やかな出来事。 -
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ネタバレ山田太一の描く大人の御伽話。誰もが心に持つ「抜けずにいる小さな針先」のような罪と赦し、高齢化社会における尊厳死のあり方、介護の現場の厳しさ、40半ばの女性と20代の若者との恋愛。こんな都合のいい筋書きは現実にはないだろうと思いつつ、最後に救いのある話だった。
人は幾つになっても恋をするし、恋をするとその人の幸せを願うものなんだな。
「サバサバしていて色っぽいのはせいぜい十代の終わりくらいまでで、四十代のサバサバは、ただしらじらとしているだけと思うけど、八十代から見ると、自分の齢の半分くらいなのだから随分若く感じるのかもしれなかった。」イタい言葉だ。
来年は、京都に行ったら、六波羅蜜寺の空也上人の光る眼を見たい。 -
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ネタバレ岸田奈美さんのラジオで聴いて、しかも恋愛の相談のアンサーがこの本だった。わたしはちょうどそのラジオを聴いている頃、恋愛をしたい気持ちマックスだったし、何より、絶対よき伴侶をみつけている!となぜか断言できる奈美さんのおすすめだったので即購入。
前置きが長くなったが、奈美さんがたしか、この登場人物たちはお互いに弱いところをシェアし合えている、その弱さを見せ合えているからこそ、みたいなことを確か仰っていて(奈美さんも旦那様と早々に弱みをシェアし合ったという話も含め)、なるほど、その視点か、と思った。そう思いながら読めたから、ただの物語として終わらずに済んだ気がする。奈美さんありがとう。
わたしが最も好きなシーンは、草介(主人公の20代介護士)が空也上人を見に行ってからの、吉崎さん(介護を受けている老人)の、許される、救われると思ってみせたいと思ったんじゃない、という一連のシーン。
人は皆、傷を負ってそれでも生きているし、もう生きなくてもいいのかなと思ったりもしているし、
そういう感情をシェアできたりできなかったり。
ただ、この物語の3人(20代男性介護士、80代老人男性、40代女性介護士)が、お互いの弱い部分だけでも知っていることこそが、この3人も知らないうちに赦しにもなっているような気がして、いいなあ、と思った。
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ネタバレ空也上人がいた
老人介護を仕事としている若者と何かと彼の世話をやく中年のケアマネージャ、そして風変わりなケアーされる老人。その三人の関係性の中で、老い、恋、死が語られます。
空也上人は、無常な世の中を生きていく上での救いのイメージとして描かれています。
介護人をすぐ首にしてしまいながらも、何故を全く話さない老人。そんな老人のケアーを特殊老人ホームの仕事に切れてやめてしまった青年が担当することになります。次々に繰り出される老人の奇妙な頼みに当惑し、怒りつつもケアマネージャの助言によってなんとかケアーを続けるのですが、その三人の関係性が年の離れた恋に起因していることがだんだん明らかになっていきます。うすうす感じていた気持ちに気づかされていく二人とそれを楽しみながら導く老人。そして、老人のあっけない死。
この小説はある意味山田氏の遺書なのかもしれないなあなどと感じながら、人とはなんとやっかいなものだろうと思いつつ、まあ、それが人だろうなんて生意気なことを思ったりもした竹蔵でした。
ちょっとしんどくて辛気くさい物語ではありますが、そろそろとすり足で近づいてくる老いを考えさせられる本でもありました。
竹蔵 -
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1988年第1回山本周五郎賞
「あれは、どうかしていたんだと思います。」
主人公の脚本家は、そう言う
だけど どうかしていたなどと思っていなかったのではないでしょうか
男は強がっていたけれど
離婚、息子との折り合いの悪さ
住んでいた家は元妻のものに
ひとり都会の夏の夜に 心に隙間ができてしまったんですね
そこに優しく入り込んで異界の者
この小説は新刊で出た時、 確か化粧箱に入っていたような記憶があるんです
映画化され、秋吉久美子が印象的だった
2023年イギリスの「異人たち」の原作もこちららしい
なぜこの表紙になってしまったんだろう?
再びのカップ論争 -
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書店店頭でこの本を見た時にはちょっと呆然としてしまった。シナリオ集なんて出版されているんだ。中身をあまり確認せず直ぐにレジへ直行した。「終りに見た街」については、ここには詳細に書かれていない中井貴一主演作品(第2作)で超弩級のインパクトを受けた記憶が生々と残っている。映画監督でシナリオの作者でもある山田太一はSF作家ではないのかと、その当時は思った。しかし現在、この話はSFの名を借りたノンフィクションではなかろうか。
その理由を述べる前にテレビドラマについて少々触れておく。「終りに見た街」はこれまで3つの作品が放映されている。第1作(1982年:昭和版)は山田太一脚本・細川俊之主演・なべおさみ助演、第2作(2005年:平成版)は山田太一脚本・中井貴一主演・柳沢慎吾助演、第3作(2024年:令和版)は宮藤官九郎脚本・大泉洋主演・堤真一助演となる。全てオンタイムで見ているが、何といっても第2作の中井貴一の演技に感銘した記憶が今でも残っている。またコメディアンの柳沢慎吾が抑制のきいた演技をしていたことにも意外性を感じた。爆弾が落ちてからエンディングまでの描写も秀逸だった。この第2作に比べて、第1作は細川俊之が二枚目過ぎてストーリーに合わない、すなわちキャスティングミス。今回の第3作は、脚本をあまりにも前作・前々作をなぞり過ぎたためこれらを越えることができなかった。原作からちょっとは逸脱した部分があっても良かったのではないか。大泉洋・堤真一のいずれも演技がやや硬かった。當真あみちゃんをもう少し目立たせなかっただろうか。2家族の他の登場人物がほんのちょい役でしか出ていないのも凄く勿体ない。これは演出のせいなのか、それとも配役が決まってから台詞・出演時間の配分を変えられなかったのか。全体的に見るとスタッフの力不足が目に付いた第3作だったと結論付けられる。第1作、第2作はDVDでも出ていない限りもう自由に見ることはできないが、第2作は大丈夫、頭の中にしっかり残っている。
さて、いずれもエンディングは東京に核兵器が撃ち込まれ、主人公がその惨状を見ながら息絶えるのだが、瓦礫の山で最後を迎えるまでの状況、実はこの景色、ここ数年間でテレビから頻繁に流れてくる映像に良く似ている。テレビに出てくる人は怪我はしているものの命に別状はないが、テレビには映っていない爆心地で生死の境をさまよっている人達こそ細川俊之・中井貴一・大泉洋なのだ。現在では、核兵器など使わなくても大量の通常兵器で波状攻撃するだけでもこのエンディング映像は再現できる。また、小さいエリアでもミサイル攻撃を受ければ核兵器で攻撃された様な幻も見えることだろう。そんなことを考えながらこの本を読んだ。再度繰り返したい。この話はSFの名を借りたノンフィクションではなかろうか。
イスラエルは昨日はレバノン南部を攻撃した。来年になったら壁好きガイキチ・テトリストランプの支援を受けて更に周辺に攻撃する可能性が高まる。一体、何人死ぬか予想がつかない。こんなことなら、ナチスにはあと数年、いや一年でも良いから頑張って延命して欲しかった。そうすればもっとバランスの良い平和な世界が到来していたかもしれない。今となっては戦争のコントロールなど無理な話ではあるが。