茂木健一郎のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
『クオリア』という問題を考える上での 茂木氏の心構えというか
クオリアへの闘争宣言 序論 というべきものなのだろう。
コンペイトウのような ゴツゴツした ツノが生えていて
そのツノのぶつかっている 部分が おもしろい。
ツノのぶつかっているのは・・
知というものの軽薄化。
科学者の制約とルールの枠を飛び越えない旧態依然さ。
学問に突き進むべき情熱の希薄さ。
世界を引き受ける 勇気を持たない輩たち。
クオリア問題の 『天下統一』を 成し遂げていくための
受難(passion)と情熱(passion)がほとばしり・・・・
モギ的言葉の じゅうたん爆撃みたいで・・・心地よい。
『言葉』の 縦横無尽さが まるで義経の八艘とびのようである。
モギ本をいくつか読んでいると
おなじような 『モギ話』がでてくる・・・・
モーツアルトの明るさとは?
夏目漱石の批評性とは?
湯川秀樹の教養とは?
その 『モギ話』を うまく活用して 展開する。
茂木氏の 編集能力が うまいというべきなのだろう
茂木氏は言う
『昨今の人々は分かりやすいものばかりを求めるようになった。
難解な本を読んだり、
真剣に粘り強く本質的なことを考えたりしなくなった。
「インテリ」という言葉が死語になった。
日本におけるそんな「知のデフレ」現象に私は怒りを覚え、
不特定多数の人々が集う公の場ではともかく、
親しい知人や仲間たちの間では
「ふざけんじゃねえ」と噴火を繰り返してきた』
知識層なるものが 特権ではなくなってきている。
インターネットの急速な進展による
知識を取り入れる方法が簡便になったことによって
『知のデフレ』が起こっている。
クオリアというような問題も
ブログやこのような『新書』で
入り口までは入れるようになったことはありがたいことである。
茂木氏は言う
『大切なのは、「何が正しいか」ということではなく、
「何がしたいか」という情熱のほうなのではないか
と思うようになった。
難しいことに取り組む「インテリ」になること自体が
重要なのではない。
問題は、それがどのような情熱によって
支えられているかということである。』
『まえがき』の 1ページの中に 十分に
知へいざなう 地雷の仕掛けができている。
茂木氏は言う
『子どものように問いかける気持ちが学問から失われている』
なぜ その問題に取り組むのか?
なぜ そのことを考えるのか?
そのような素朴な質問が 専門性や科学性 のなかで
拒絶され 窒息させられている 現実を 素直に見つめる。
それを突き破るには・・・
『学問への情熱』に他ならない。
茂木氏は言う
『情熱は、結局は生きるということに由来する。
生きるとは 行き交うことである。
出会うことである。
幅広く眺めることである。
そして、ときには ルールを無視することである。』
情熱の源泉が ニンゲンが生きることである・・・
うれしいこと、たのしいこと、あいすること、不条理なこと
それをすべて 引き受けながら 生きていくこと。
『わからないこと』に どう 自分の補助線を引くのか?
ニンゲンだけの 楽しみである。 -
Posted by ブクログ
俳句というのは 季語 がとても大切なものだということが
今回読みながら 痛感した。
手紙を書いたりする時に 以前は時候の挨拶を書いていたが
いまは、メールがほとんどなので 季節の言葉など
あまり考えることもなくなったが・・・
季語という 季節の移ろいを 17音の中に
取り入れていくという 俳句の 厳しい規則と
その言葉が 自然の破壊のなかで
少しづつ消えていこうとしている ということが
ひたひたと・・・感じられる本だった。
その季語が ある意味では 1000年近くの連綿とした
歌詠みの世界が存在していて・・・
その言葉が たくさんの歌人 そして俳人によって
読み込まれることで よりくっきりと 風景が呼び覚まされる。
『遣らずの雨』という言葉の持つ
ヒトに対する 深い思いやりが ずっとしみるようになった。
芭蕉の 『古池や蛙飛び込む水の音』は・・・
『古池に蛙飛び込む水の音』ではない指摘が
俳句の 切り立った表現が よく見える。
『古池に蛙飛び込む水の音』
一連の 蛙の 動作を スローモーションのように
その風景を 思い浮かべさせる。
『古池や蛙飛び込む水の音』
は 古池という シーンと 蛙が飛び込むシーンが
二つに場面が分かれている ということが すごいと思った。
ミメロギアの練習によって 言葉の持つ クオリア
ということが 私の中でずいぶん理解されてきたが・・・
俳句についても 手習いを はじめたい とおもった。
俳句、短歌、そして 詩 を 詠むことは
言葉の クオリティを高めるためにも 必要な作業と
痛感した・・・・。 -
Posted by ブクログ
仕事に関する本をこれまでに、おそらく10冊ほど読んだ。引っかかるフレーズや前書きがある本は端から端まで読んだ。
社会人になって三年。仕事面や人間関係でほぼ毎日、打ちひしがれていた。これまで人間関係で殆ど悩んだことがなかったので、世の中にはありえないほど折り合いの合わない人がいると知った時は、衝撃的だった。
私の考える人生には、仕事しかなかった。よって、仕事がうまくいく、それが私が幸せになる術である、としか頭になかった。とにかく私は、現状を打開したくてしかたなかった。その無理は、体調にも響いていた。
しかし、4年目を間近にした頃にふと気づく。ストレスは自分が、これは酷いストレスだ、と認識するから溜まるのではないか。そしてそれは、毎日、認識していくことで蓄積されていく。
ということは、自分の意識を変えれば良いのではないだろうか。仕事は仕事、人間関係で何かあるのは誰もが同じだ。同じ事象を前に、華麗にスルーするか、それをストレスに感じてしまうか。後者は、時間と労力の大いなる無駄である。
仕事が軌道に乗り始めたとき、この著書に出会った。
常に頑張らなくてはならない、前進しなくてはならない、物事をストイックにしか考えられない私には、良書だ。
これからは、自分の人生の視野を広げて、もっと真摯に、大事に見つめていきたい。常識や他人の価値観では測れない自分だけの人生を力強く生きていきたい。
茂木さん、ありがとうございました! -
Posted by ブクログ
ネタバレクオリアとは「赤いトマトを見るかんじ」などそのような感覚のことである。
あなたや私はつねにいろいろな景色を見るが、その「見ている」ことや「何かを飲む」ことは神経や脳内伝達物質の作用に他ならないのであるが、私たちは心の話だの心理学テストだのあたかも「心」があるかのような話をする。ただ、「心」なんていうものは体のどこを探してもどこにもないのだ。
その後著者はだまし絵や絵画を用いて「脳の思い込み」を再現しようとする。顔を認識する脳、あるはずもない図形を幻視したり、脳の働きを垣間見ることができる。また感情を司る「ミラーニューロン」も把握することができる。難しいが、平易な表現も多い。 -
Posted by ブクログ
日本の教育のあり方、新卒一括採用、停滞している日本経済等、これらを「脳」に注目して論じているのはとても面白いと思います。
決してそんなに単純な話ではない事だと承知していますが、「脳」の仕組みを理解してからこのような問題に取り組むと意外に最短で解決していけるのではないかと素人的には思ってしまいます。
本書の12章「アンチからオルタナティヴへ」の最後の文は心に響きます。
「自分の意思でどうにでもなると思いがちな人生さえ、革命を起こすことがいかに難しいか。社会という思い石が動き始めるのは、一人の生き方に革命が起こり、具体的な「オルタナティヴ」が示されてから、ずっと後のことなのだ。」
一人一人の生き方に革命を起こせば、社会が動くのなら、こんな面白い事はないですね。 -
Posted by ブクログ
「セレンディピティの時代」4
著者 茂木健一郎
出版 講談社
p134より引用
“勘違いしてふらついているより、「ここ」と決めた場所に根を
下ろしてみよう。”
脳科学者である著者による、偶然の幸運に出会いそれを活かす
方法について記された一冊。
セレンディピティとは何かについてからそれを活かす行動や注
意点についてまで、味のあるイラストと共に記されています。
上記の引用は、自由と不自由について書かれた章のまとめの一
文。多少不自由であったとしても、少し我慢して続けているうち
に自由に出来るようになることもあるように思います。
根がしっかりする前にあちこち動かすと、苗も枯れてしまうので
はないでしょうか。
非常に希望が持てて気分が良くなるようなことが書かれている
ので、気分が落ち込んでしまう前に読むといいかも知れません。
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Posted by ブクログ
読みやすくて、おもしろかった!
気になったことをメモメモ。
・中国の美意識・・・一極集中だという。なるほど。
・海外に流出する中国人。リスク分散のハシュ(←携帯で漢字が出なかった)本能で、どこかがやばくなったら、そうではない親族のもとに逃げるという考え。
・「自分たちは先祖と同じ民族」
・日本は江戸基準 中国は清朝基準
・歴史的な経緯で染み付く、身体感覚・・・トラウマみたいなものか。過去こういうことがあったから、それを避けようとする。今読んでいる『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』(加藤陽子)にもそういうことが書いてあったなぁ。感情と感覚。・・・あれ?感覚と感情?
・日本化する=日本化できないものは入ってこない・・・なるほど。カタカナ英語とか、いろいろな概念はやはり「日本の身体」を通して得られるのか。その枠組みを広くできたらいいけれど、いずれにせよ、その長所と短所があるんだろう。
・鶏鳴狗盗・・・日本は均質性の押し付け合いであるが、中国は異質のものもそのまま受け容れる、というのは目からウロコだった。違って当たり前であるから、多種な民族を抱える大国なのだという。なるほどなー。日本だったら、同じか違うかでグループが変わるもんな。そこで階層も生まれる場合がある(身体的な優劣、クラスのイケてるヤツ、イケてないヤツなど)。それは自分にもがっちり当てはまっていて、弱いものに対して守らなきゃとか可哀想とか思うのは、けっこう日本的なところなのだと思った。道徳ではないとは言わないけれど(言えない)、それは平等に扱っていないという意も含んでいる。
・デフォルトは漢民族
・オープンエンド=終わりが分からない・・・西洋はオープンエンドであるがゆえに、自分たちのパラダイムを変えて、未知のものを求める。
・中国文化の美意識・・・陰陽五行的な、初めに枠組みありき
・ブリコラージュ=「手持ちの道具で何とか対応してしまう生命固有の能力をいいます。」 こんなところにレヴィ=ストロース!
・痩せ我慢の美学(日本)・・・騙されてもいい、踏まれても蹴っ飛ばされても、美しい嘘を信じたい。←これに笑った。ははは、でもわかる。
・「西洋では、社会のそのときの「常識」に反する個人の行為が「天才」と讃えられる。一方、東洋では何よりも「調和」が求められる。」
・対人関係にものすごく依存している思考形態
・摩擦抵抗が大きい東洋、小さい西洋・・・結果、そこにエネルギーを費やしてしまう。なるほど。
・今の脳科学では、個人というのは社会的に構築されるものだ、ということが普遍的
・自分の中に異質なものが混ざり合うような動きがない人は、結局リヴァイアサンとしてのエネルギーも出てこない←これは大事な気がする。せめぎ合いの造るエネルギーは、それが負だろうと正だろうと大きい。ちなみに文学の意義のひとつは、このせめぎ合いをいかに、どう、みせるかなんじゃないかな。
・直接本書とは関係ないが、違う本を読んでいたのに重なる部分があると気付くと楽しい。今回(というか今のところ)、先述した歴史的トラウマと、もうひとつ、『ガリヴァー旅行記』。これ、『シンデレラの時計』(角山栄)でも紹介されていたな。よし読もう。