茂木健一郎のレビュー一覧
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ネタバレ120924 冒頭より
脳を理解するという人類の試みは、実際絶望的と言ってもよいほどの壁にぶつかっている。脳科学の発達により、私たちの意識は脳の中の1000億個の神経細胞(ニューロン)の活動によって生み出されることがじょじょに分かってきているが、なぜ、脳の中の神経活動によって、私たちの意識が生み出されているのかが、皆目わからない。
120929 あとがきより
自分でも後あとまで心に残るものが書けた時というのは、書いている途中で、一体自分が何を書いているのかわからなくなった時であったように思う。
・・・この本を読んで思ったこと・・・茂木健一郎さんは、いったい何を書きたかったのか?そして、編集者の方は、この本に何が書かれているのか分かって出版に至ったのだろうか?また、なぜ「意識とはなにか」というタイトルがつけられたのだろうか?などの疑問であった。
第6章の|コミュニケーションから生まれるもの の『一人の人間という「個」が、他者との関係性に依存して生みだされてくる。一つのパーソナリティが貫かれていると考えるよりは、関係性に応じて異なるパーソナリティが生み出されているという現象の方が本質的なのである』という部分は、、読みごたえのある内容だが、「意識とはなにか」というタイトルや全体の流れからは脱線している感じがしないでもなかった。 -
Posted by ブクログ
茂木先生曰く「(日本は)まず国家ありきで、国家の構成員として個人がある」p46
堀江氏曰く「(日本では)嫉妬から相手を引き摺り下ろそうとする行為が、当たり前のように行われている感じがする」p144
最近こういうことをつくづく感じていたので、夢中になって読んでいたら、電車を乗り過ごした!
自分も賛同したCivil Action Japanのようなプロジェクトが、Twitter発で始まり広がっていることを、ホリエモンに伝えたいと思った(きっともう知っていると思う)。
獄中生活で堀江氏が処世術やしたたかさを身につけたとしたら、こんなにコワいものはない。 -
Posted by ブクログ
100年間、特にこの50年間に学問の領域は理系とされる分野に於いて細分化され深化した。それゆえにかつてなら科学や知の全領域を専門性を以て見通すことが可能であったが、今ではほぼ不可能になった。
しかし、現在世間一般の知のレベルはその専門性の細分化と深化では説明できないほどの低下を見せている。それはいろいろな娯楽が増えたこともあろうし、それに伴いそもそも知の顎が柔になったこともあるだろう。
それに加えて、一般大衆のうすぼんやりした人生に対する呑気さは日本人に於いて顕著であるという。確かに日本では人生や哲学等のテーマは話題に上りにくい。たまに上がったとしても、たいていは酒席でのからみであったり、反論を待たない捨て台詞の形でしかない。到底討論、対話にはならない。
生活のない哲学は無意味だが、哲学のない生活は空虚である。それは動物が本能で生きるだけの一生と変わりない。金のために働き、子を育て、飯を喰らい、たまに旅行をする。それは人間風の動物的生き方である。動物は生きているが、それは身体を生きているだけである。
五木寛之のように「生きてるだけで正しい」は人生に絶望し、自殺するひと向けには一時的なモルヒネの効用もあるだろう。だが息を吸って吐くだけの「生きる」に人としての価値はそれほど認めることは出来ない。日本は特に額に汗して働き、真面目に生活を送ることを至上の生き方と考える。だが、それは思考の怠惰を是認することであり、そのうすらぼんやりした生活が有象無象の害悪を自己にも他者にもまき散らしていることを忘れてはいけない。それは語弊を恐れずに言うならば、原発の放射能に勝るとも劣らない害悪である。
問題にしたいのは、生活が生きるだけの思考に留まっている点である。生活は重要である。生活の思考は生活それ自体以上に重要である。しかし、それは動物でもそこそこやっている。キリストは「人はパンのみに生くるに非ず」と言った。キリストは戯れ言も多いが、ごくたまにいいことも言う。パンのみに生きない日本人は、娯楽を楽しんでいるがそれはパンである。テレビ、映画、音楽、劇、絵画などこれはパンである。パンを得る労働の癒しとしての存在であるからパンである。
パンに関する集合に属さない知をそろそろ真剣に求めるべきではないか。ボランティアを単位に認定する大学があるという。もちろんそこは「大学」ではない。