人間とはまったく厄介な生き物だ。本書を読んでつくづくそう思った。
「一号機が爆発した。セシウムを大量に含んだ白煙が、巨象に似た塊になって、ゆっくりと地を這った」
本書の書き出しであるが、読み終えた後、あらためてここを読んでみると、著者の物語を紡ぐ巧みさにあらためて気づかされる。
2011年、
...続きを読む起こるべくして起こった原発の爆発は、原爆のときのような即死者こそ出さなかったものの、人々の日常を大きく変えていった。本書は、爆発によって産み出されたもやもやとしたものによって、いつしか人生を変えられていく人々の様子を、高いところで浮いている権力者でなく、地面の上で生きている普通の人々に焦点を当てて描いた小説である。故郷を奪われた人、降って湧いた補償金で高額な買い物をする人、それを嫉妬する人、身近な人の死と引き換えに金を受け取ったという罪悪感に苛まれる人、不幸な人災を商売の好機としか見ない人、そして、自分の信ずるものを変えまいとする者は、どのような道を選んだか。かろうじて平穏に保たれていた日常が破壊された結果、見えないところに仕舞われていた人の様々な本性が露わになっていく様子を、著者は淡々と描いている。
釣りをする場面がある。釣ったヤマメを捌き、はらわたを川に投げると、藻屑蟹がそれをハサミで掴む。その蟹も人にとっては、旬が来れば食されるべき存在である、或いは、あった。再び、印象的な文を引用する。
「釣り場の近くに、夥しい量の、蕗の薹や土筆が、生えていた。汚染され、誰にも見向きもされず、生えていた」
本書執筆当時、作者の住所は「路上」であり、書く場所は漫画喫茶だったと、あとがきにある。本書は(私の嫌いな)「感涙必至」という言葉で形容される物語では全くない。文学部は要らないなど公然と言い放つ者には、本書は向かないだろうが、私は本書を強く薦める。