佐々涼子のレビュー一覧
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購入済み
このような本があってこそ。。。
人知れず、世の中で大事な仕事をプロフェッショナルとして遂行されている人々を、丹念に描かれていること。
素晴らしい作品だと思います。
人々が知らない世界を、経験できない事柄を人々に伝えるお仕事に敬意を表します。今後のご活躍も期待してます。
国際霊柩送還士の方々も、ご苦労は多いと思いますが、どうか縁の下の力持ちの皆様が支えて頂いていることに感謝します。ありがとうございます。。。
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Posted by ブクログ
最近筆者のエンドオブライフを読んだので流れで手に取ってみた。実はエッセイ集って読んだことがない。冬眠、世界の外側が身近に感じて好き。「世界の外側に出てしまった今なら、きっとあの日常の美しさを書くことができる。」プール帰りの風の涼しさもラジオ体操のスタンプカードも雨上がりの空の美しさも、私も今ならどれほど尊かったかわかるのになあと思った。命は形を変えてとあとがきに横浜のこどもホスピスうみそらの話題が出てきて、何ヶ月か前に丁度同ホスピスのノンフィクション作品である最後の花火を読んだところだったから、死をテーマに扱うノンフィクション作家だからここ繋がってるのか、そういえば帯に佐々涼子の名前があったなーと驚いたとともにまたじんわり切なくなった。「毎日同じことの繰り返しのようだが、二度と同じ日には戻れない。我々はみなどこからか来て、そしてどこかへ過ぎゆく途中なのだ。」これ本当にその通りだな、、、。
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Posted by ブクログ
死が豊かに教えてくれたのは、生の限りない尊さと、人間存在の愛しさだった。
映画にもなったそうなので、勝手に小説かと思って手に取ったけどノンフィクションだった。
死について丁寧に向き合おうとした筆者を感じたし、遺族への配慮も感じた。ジャーナリストってきっと遺族にとっては好ましい存在ではないよね。特に海外で紛争に巻き込まれて亡くなった方についての取材とか。今まで報道を仕事にする人に良いイメージを持ってなかったと思う。偏向報道もあるしRADWIMPSのパパラッチのイメージもあるし。でも紛争地帯で命をかけて報道する人たちにはすごいことをしてる人のイメージがある。私の中ではっきりしてない向き合ってない何かがあるんだろうと思う。特に戦争についての報道には「戦争は嫌だし平和であってほしい」と思いながらその悲惨さや理不尽さと向き合いたくなくて目を背ける自分もいると改めて実感した。戦争を目の当たりにした人たちはみんな言う、無関心こそが罪のひとつだと。今こんなに刺さるってことは、向き合うタイミングが来てるってことなのかな。
おわりに、で筆者が
(ざっくり引用)死と遠いところに居た自分にとって死とは概念でしかなかったし不安や恐怖といった感情だった。エアハースと関わって死について考えるようになってから、死のショックや悲しみという激しい感情をくぐり抜けたところ、もっと心の奥深くの静かなところにたどり着くこともある。自分の外部をどれだけ捜しても見つからなかった人が、心の奥にちゃんと「生きている」のである。それは悲嘆を通り抜けた先にある死の本当の姿のようにも思えるのだ。彼らは心の中に戻ってくる。悲しみぬいたあとの生きる力となる。もっと親しく、もっと強くそばにいてくれる。だから一度、「さよなら」を言う必要があるのだ。
我々は弔い損ねてはいないか。
ノンフィクションをちゃんと読むことってあんまりなかったけど、読んでよかったと思う。
モラエスの「日本精神」から「日本人にとって崇拝の対象は家族であり、いなくなった先祖たちを祀っている。生者は死者に供え物をし至福を得、死者は生者がこの世を渡る案内をし、苦労を和らげる。 いわば死ぬために彼らは生きるのであり、生きるために死ぬのである」「家庭はこの驚くべき宗教の中心的寺院であり、宗教の教義全体の中でもっともはっきりとしたわかりやすいあらわれである死者の祭壇のかたわらで営まれる主要儀式の実施のために選ばれた場所である」という趣旨の引用がある。
祖父の葬儀を見届けたり、周囲の死を体験して、弔いは生者のためにこそ行われることなんだと実感させられる。私の地域での仏式の葬儀は初七日、四十九日、新盆、初彼岸、一周忌、納骨、三回忌など行事があって、たいていは3親等くらいまではこの行事に参加する。祖父を看取ったあとも実感したけど、喪失を受け入れるために弔いというものは存在していて、決められた行事をこなすことで死を噛み砕いて受け入れていくんだなと。
自分は無宗教だと思って生きてきたけど、この行事の多さには馴染みもあるし救われたところがあったな。カトリックの義母や、夫が亡くなった時に私はどうなるんだろう
梅原猛の「日本人の魂」からも引用がある。「人が死に、魂がその体から去るのを見届けると、しきりに魂を呼び返そうとしたのである。それが魂呼びである。」「必死になって魂を呼び、魂を帰そうとするが、どうしてと魂は帰らず、死者が文字どおり蘇る、すなわち死の国から帰らないことがわかると、そこで初めて、諦めて死者を葬るのである。」
国際霊柩送還が行う処置はこの魂呼びと同義だと筆者は書いていて。死を受け入れるための段階として、丁寧な処置を施しているんだね
日本と海外で遺体への触れ方が違うのも興味深かった。私もそうだけど、遺体には触れたいと思う。手や足をさすって、「頑張ったね、おつかれさま、今までありがとう」と声をかけた記憶もある。アメリカの人やヨーロッパの人はあまり触りたがらないみたい。亡くなった赤ちゃんを抱かせてあげようか、て両親に声をかけても断れることもあるんだそう。神様のところへ戻してあげたいとは思うみたいだけど、遺体に日本人ほどの愛着はない。 -
Posted by ブクログ
在宅での終末期医療、看取りを描いたノンフィクション。
様々な患者とその家族、及び在宅医療チームが向き合う最期までの日々がリアルで心が痛む一方で、生き切った患者への敬意が描かれていて読後は爽やかな気持ちにもなった。
息を引きとった直後、家族から拍手が沸き起こる。そんな場面、想像した事なかった。
著者が言う、【病気は「くじ引き」のようなもの。ただの偶然で意味などない。それに意味をつけようとするのが人間。人間は意味のない不運に耐えられない】に深く同意
本書はサークルのお仲間が『いわた書店 一万円選書』で選書され、お薦めしてくれた本。Kさん、ありがとうございます。 -
Posted by ブクログ
最初の話から泣いてまう。
末期がんの女性が、家族との約束のために潮干狩りに行く話。
こういう話はズルいと思っていた。泣かせられているような感覚。
でも、著者も「死」をテーマにしていることに悩んでいた。
「私は仕事が好きだし、それなりに順調にやってきたつもりだ。しかし一片の曇りもなく自分の仕事を誇れるかといえば、正直なところそうとも言い切れない。
死をテーマに取材を続ける私は、人の不幸を書くことを生業としたことに、どこかで言いようのない違和感を覚えていた。当たり前のことだが、私も特段不幸が好きではないのだ。しかし矛盾するように、死をテーマとする執筆活動を望んでいる自分もいた。私は不幸を嫌いながら、不幸を覗き込むのをやめられない。そして、そんな自分に倦んでいた。」
人はどこかでこういう感覚があるのかも、と思った。
そして、この悩みの中書かれた本だからこそ、心に響くのかな。
一番印象的だった言葉は以下
「人は病気になってから変わるというのはなかなかありません。たいていは、生きてきたように死ぬんですよ。」
もし、余命宣告されたとしても、私は今の私のままで余命を生きて死ぬんだな、ってものすごく腑に落ちた。
以下メモ
痛みについては色々な考え方があって、医者の中にはすべての痛みをとらない方がいいと唱える人もいます。身体の痛みをとると、人間はスピリチュアルな痛みに耐えられない。
身体の症状がほぼない中で、人生の意味を突き詰めて考え、苦しんでいる。
助かるための選択肢は増えたが、それゆえに、選択することが過酷さを増している。私たちはあきらめが悪くなっている。どこまで西洋医学にすがったらいいのか。私たち人間には分からない。昔なら神や天命に委ねた領域だ。
余命を知りたいと思う反面、余命を知ることで「死ぬ人」になること。 -
Posted by ブクログ
「エンド•オブ•ライフ」に次いで2冊目の佐々作品。作家として当然ながら確たる核を持ちながらも、変に自分を飾らず取り繕わず正直な姿勢がとても好ましくファンになってしまう。昨年お亡くなりになってしまったのは「エンド•オブ•ライフ」を書き上げた作者にとっては本当に何という皮肉か、大変残念。
遡って他の著作も読みたい。
以下心に残る、残したい表現の数々。
p.20 私は死に方を知らないが、きっと体は知っている。
p.27 行けない旅はどうしてこうも美しいのだろう。
p.39 亡くなりゆく人は、怒り、否認、取引、抑うつを経験しながら、やがて諦念のあとに死の受容に至る。
p.56 (筋トレ後の)新しい体は居心地が良かった。ほかの人はこんなにすがすがしく毎日を生きていたのか、と感動した
p.75 自分の痛みすら思い出せないのに他人の痛みや苦しみをわかるはずがないではないか。
p.93 いくら自分の外側を探しても答えは見つからない。自分の内側に戻って自分なりの生き方を見つけよう。そう思えた時、世界を旅して、僧侶たちに言われた言葉の意味がようやく腑に落ちた。「今を生きなさい。自分の内側に戻りなさい」
p.142 少子高齢化により働き手としての外国人に頼らざるを得ない日本人が、いよいよ個人としての鎖国を解かなければならない日がやって来ることを、私たちは知っておく必要があるだろう。
p.204 社会は生産性のないものを「愚」と呼ぶが、仏教ではそれを「聖」と呼ぶ逆さまの世界だ。
p.255 「佐々さんは、絶対にこちらに戻ってきますよ」と、私をよく知っている担当編集者が言っていた。(略)私は世俗にまみれて生きるのが性に合っている。 -
Posted by ブクログ
初めての佐々涼子さん。読書ユーチューバーさんのおすすめで知りました。
在宅看護師の森山さんがガン(ステージ4)になり全うするまでの物語です。
森山さんが在籍してた渡辺西賀茂診療所は、在宅看護をした患者たちが最期に何をしたいかを患者の家族と患者と話し合い、素敵なカーテンコールができるようにサポート。自分もいままで親族を看取った経験もありながらも、ここまで患者の家族・患者を思う気持ちを持つ診療所には出会ったことがなかった。
患者は何を思うのだろう。例えば宗教やオーガニック食品とかに頼ればガンが消えるとか思い熱心になるとか、なんとしても生き延びたいと必死になって取り入れようとする。数々の患者さんの物語も綴られているので、患者の思いが心を傷ませる。
自分自身に迷いと焦りがある状態であって割り切れないと思うのだろうと。
それが森山さんがガンになり、最期を全うするまでにも御本人も他の患者さんと同様に苦悩に満ちた生活を送っていた中で、悟りを開いたのだろうと思う。
死が直面して前向きに考えるのか人生を今から投げ出したいのか。自分も年齢的にも死と向き合う時期がやってきている。その死が直前に迫った時、自分だったらどうするのだろう…と。患者さんと同じように生きることにすがるんだろうなとは思う。でもきっと森山さんが言った言葉のように、どこかで割り切るんだろうなと思った。
「がんに感謝しながら、普段はがんを忘れ、日常生活という僕の『人生』を生きていきたい」と。