Posted by ブクログ
2020年12月07日
ズンときた。
200名の患者を看取ってきた訪問看護師・森山のガンが発覚する。ステージⅣで余命が決して長くないという。森山の患者との過去の関わりと自らの死との向き合い方、選んだ最期の生の生き方を交互に描くことで、決して長さでは測れない「命の質」について浮かび上がらせる。
僕ら健康な者は、なぜ、未来...続きを読むは永劫続くような錯覚をするのだろう。
誰でもいつか死ぬ運命のはずだ。余命宣告されたがん患者とのちがいは、死の訪れがいつなのか予測がつかないことだけなのに。
そして、限りがあることに気づいた時、何が見えてくるのだろう。
エリザベス・キューブラー=ロスは死の受容のプロセスを5段階に分ける。
1.否認と孤立:頭では理解しようとするが、感情的にその事実を否認している段階。
2.怒り:「どうして自分がこんなことになるのか」というような怒りにとらわれる段階。
3.取り引き:神や仏にすがり、死を遅らせてほしいと願う段階。
4.抑うつ:回避ができないことを知る段階。
5.受容
この本で森山は、この5段階を経て、安らかな「命の最後」に至る。200人看取っても、否認や怒り、取引の段階がある。
だか、結末は重く苦しいものだけはでない。
森山は懸命に生ききる。そして、生ききったことへの満足がある。なぜか読後感は暗くならず、未来すら感じる。
ー 亡き人がどう生き、どういうメッセージを残したかは、残された人に影響を与える。
ー 死は遺された者へ幸福に生きるためのヒントを与える。亡くなりゆく者がこの世に置いていくのは悲嘆だけではない。幸福もまた置いていくのだ。
だからこそ、命の閉じ方は大事だと思う。
そして、死の訪れがまだいつか分からない者は、死との対比で生を考える機会を持つことが必要だと思う。
人は生きてきたようにしか死ねない。
大切に生きよう。
・がんサバイバーは、若いのにかわいそうって言われるのが一番つらい。
がんになることによって、時間の進め方や、景色の見え方が変わる。がんになっても、素敵なことや、幸せなこと、喜びもいっぱいあるのに、若いからってどうして悲劇のように言うのかと。自分の人生の何がわかるのかと。
・病を得ると、人はその困難に何かしらの意味を求めてしまう。
人は意味のないことに耐えることができない。