あらすじ
「命の閉じ方」をレッスンする。ベストセラー『エンジェルフライト』『紙つなげ!』に続く、著者のライフワーク三部作の最終章。200名の患者を看取ってきた友人の看護師が癌に罹患。「看取りのプロフェッショナル」である友人の、死への向き合い方は意外なものだった。最期の日々を共に過ごすことで見えてきた「理想の死の迎え方」とは。著者が在宅医療の取材に取り組むきっかけとなった自身の母の病気と、それを献身的に看病する父の話を交え、7年間にわたる在宅での終末医療の現場を活写する。読むものに、自身や家族の終末期のあり方を考えさせてくれるノンフィクション。
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Posted by ブクログ
読むのにパワーがいりますが、ものすごく全力でおすすめしたい。
内容も素晴らしく、考えさせられるし、今までの自分の経験と照らし合わせてそうだなぁと思ったり、ただただ泣いたり。そして、最後は死に対して期待ができる。。
佐々さんの文章は端的で洗練されていて、こんなに気持ちを持っていかれる内容なのに、それが1ミリも感じられない。プロだと思った。
そして私は終始、物語と佐々さんを重ねて涙涙でした。5年後に森山さんとどんな会話をされたのでしょうか。
人生ってあっという間ですね。
しばらくは佐々さんに思いを寄せて、本を読ませていただこうと思います。
Posted by ブクログ
在宅看護の森山さんの最期まで話
死の淵をどう迎えたいか
誰もが通るのに、知らなかった話
読んでよかった
作者の佐々さんも癌を患い、
どのような気持ちで描いていたか
以下覚え書き
院長渡辺
患者が主人公の劇でなく
一緒に舞台に上がって賑やかで楽しいお芝居をしたい
癌に対して根治を願うでもなく闘うのでなく、普段は癌を忘れ自分の人生を生きる
深刻にならずに、明るく楽しく笑っていてほしい。
母は寝たきり。胃ろうを選択したのは父。
母も介護で育ったので、迷惑かけたくなかったが、父はどんな姿でもいいから生きてほしい。互いにとって半身であり共依存
家は患者が一番良かった日々を知っている
癌と闘うとはなんだろう
死ぬことは負け?いつかは負けなければいけないの?
予後告知、受け入れるには
「あなたはどう思いますか?桜見れそうですか?がんばれそう?」
するとそうだったのかと受け入れるそう
患者の人生観を理解し、その人に応じた最後の時間を設けてくれる医者が何人いるだろう
信頼関係と、医師としてのの知識がいる
Posted by ブクログ
亡くなりゆく人がこの世に置いていくのは悲嘆だけではない。幸福もまた置いていくのだ。
幼い子どもを残して死んでいく親の姿、私も同じ立場ならこんなに強くて凛としたふるまいができるだろうか。子どもに生きざまを通してメッセージを伝えられるだろうか。
50代となり、少しずつ死を身近に感じるようになった。生き方が死に方にも繋がってる。1日1日無駄にせず、世の中の色んなものをみて経験して大切に生ききりたい。
Posted by ブクログ
まだ1/3ですが、ひとつひとつの言葉に考えさせられなかなかページが進みません。作者のご両親の介護エピソードを読んで、自宅で老老介護していた祖父母、もっとむかし認知症の曽祖母を介護していた母と祖母のことなど思い出しました。子どもや孫には見せたくないとキレイなところしか記憶にありません。今後訪れるであろう両親の介護、老いていく自分たちのことなど、考えるのを後回しにしていたことを考える良い機会です。
Posted by ブクログ
人生の終わり、終末期医療について7年間取材したノンフィクション。訪問看護師で末期がんの森山さんは死の恐怖よりも、どう生きたいのかを考えていると言う。TDLに行きたい、潮干狩りに行きたいという願いもできるだけ叶える。
※予後を気にするだけの人生は送りたくはない。ガンを忘れて僕の人生を送りたい
※最期は治療をやめ家族のなかで好きなことをして好きな場所で生きる
Posted by ブクログ
あとがきから、「ひとつだけわかったことがある。それは、誰も「死」について本当にはわからないということだ。これだけ問い続けてもわからないのだ。もしかしたら、「生きている」「死んでいる」などは、ただの概念で、人によって、場合によって、それは異なっているのかもしれない。ただひとつ確かなことは、一瞬一瞬、私たちはここに存在しているということだけだ。もし、それを言いかえるなら、一瞬一瞬、小さく死んでいることになるだろう。
気を抜いている場合ではない。貪欲にしたいことをしなければ。迷いながらでも、自分の足の向く方へと一歩を踏み出さねば。大切な人を大切に扱い、他の人の大きな声で自分の内なる声がかき消されそうな時は、立ち止まって耳を澄ませなければ。そうやって最後の瞬間まで、誠実に生きていこうとすること。それが終末期を過ごす人たちが教えてくれた理想の「生き方」だ。少なくとも私は彼らから、「生」について学んだ。」
がんで亡くなった義妹が最後の最後まで己の生きたいように日々を暮らした姿が思い浮かぶ。
Posted by ブクログ
看取る側から看取られる側に…
佐々涼子さんを知る作品でした。
死はだれにでもやってくる医療関係者や福祉関係者や芸能人だっても。
死は特別にしないようにだけど自然になるように考え方をもたないとね。
ぜひ〜
Posted by ブクログ
在宅医療、看取りをテーマにしたノンフィクション。
私自身、看護師として既に何人者方達をお見送りした経験から、大変内容もリアルに書かれていて、現場にいるようでした。
コロナ禍もあり、ここ最近では自宅での看取りもかなり増えたと思います。
私も、家族を持つ身として、もしもパートナーが余命宣告されたら、残りの時間をどのように一緒に過ごしたいか、この本を読んで一層考えさせられました。
佐々涼子さんの本、他も読んでみたい!
Posted by ブクログ
在宅医療をテーマにした本だった。
ガン患者とその家族が最期の時間をどう過ごすのか、周囲はどうサポートするのか、涙なくしては読み進められなかった。
自分も似たような仕事をしているので、関わっていた職員の大変さも共感できたとともに、親身に寄り添う姿に自分の利用者への向き合い方を考えされられた。
また自分の人生について考えさせる本でもあった。
Posted by ブクログ
佐々涼子著 エンド・オブ・ライフ
以前フェースブックで紹介されていて、作家の佐々涼子氏が今月亡くなられてこの本手に取った。
京都西加茂診療所の在宅医療で終末医療での人間の様々な人生を経て死に臨みドキュメンタリーとして幾つかの死をとりあげている。その診療所の男性看護師がすい臓がんを原発として肺転移して1年余りのガンとの付き合いなくなるまでを主軸としてドキュメントしている。死とは何かとは言い表せないが死に臨むまで誠実に生きることと書いてます。重たい本です。
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佐々涼子さんが、在宅医療を取材して書かれたノンフィクション。
タイトルの『エンド・オブ・ライフ』という言葉の重みを強く感じました。在宅医療の現実を知り、渡辺西賀茂診療所の医師や看護師、ヘルパーの方達のきめこまやかさに脱帽しました。そして、なによりも在宅医療を受けていた患者さん達の病気の受け止め方や、生き方に感銘を受けました。
「亡くなる人って遺される人に贈り物をしてくれるんですね。」という言葉が、とても印象的でした
グリーフをかかえて生きていくことと、いずれいつかは自分も経験するだろうことについて、とても参考になる本でした。
最後になりましたが、佐々涼子さんのご冥福をお祈りいたします。
Posted by ブクログ
作者が取材してきた数々の在宅医療の現実、
作者が経験した親の難病の進行と介護、
在宅医療の支援をしてきた看護師が末期癌と向き合う姿、この3部を織り交ぜた構成が珍しく、繋がりを感じるため、読者の心に響きやすい。
感情的な場面をいい距離感で冷静に捉える表現は、医療関係者が日々感じていることを適切に捉えて代弁してくれているようだった。
物語としても、在宅医療の学問的な題材としても読み込む価値のある本だと思いました。
Posted by ブクログ
すごく参考になりました(笑)
父が在宅で、かなり似たような状況で亡くなりましたので、すごくよくわかりました。
わたし自身、現在は余生で、ご褒美の時間だと思っているので、次は自分の番だと自覚しています。
母を看取り、父を看取り、大きな愛犬も膝の上で看取りましたので、変な言い方だけど、死に方がわかる…というか。
でも、この本の中で、実際に自分がこの立場になるとわからない…とあったので、その点がちょっと心配。
わたしの理想は、
「なんでもっと早く受診しなかった?
もう、治療のしようがない…」
という状況で、癌が見つかって、何も治療せずにギリギリまで普通に過ごして、
食べられなくなるか、自分でトイレに行けなくなったら、ホスピスに入って、
痛みを取り
息苦しさを取り
眠らせてもらう!
これが理想なんだけど、ダメかな?
Posted by ブクログ
在宅医療はそんな簡単ではないと思いますが、それでもその選択をしても後悔しない何かがあることを知りました。命と向き合う物語に出会えて良かったです。自分の生き方を見つめ直してみようと思います。
Posted by ブクログ
死ほどパーソナルなものはないのに、自分の死に際して思いを分かち合える相手がいる人は少ないだろう。
読み始めてすぐに、自分の身内を看取った経験を思い出した。がんと闘おうとせず、淡々と死を受け入れている身内が家族として歯がゆくて、「もっと頑張ろうよ、絶対治るから」と励まし続けたが、それは果たして正しかったのか。
本書に登場する看護師の森山さんは、何人もの最期に立ち会ってきたプロである。でも自分ががんに直面したとき、決して聖人みたいに達観しているわけではなく、気持ちがブレたり揺れたり、もがき苦しんだりする。
著者の佐々さんは、彼の友人でもあった。病と向き合った友人の最期を書く。普通ならできるだけキレイに、どれほど素晴らしい人だったかに終始してしまうと思うのだけど、森山さんのリアルな感情の揺れ、死との折り合いがなかなかつかないさまが美化されずに書かれててすごいと思った。
森山さんが看護師として関わった方々の最期の様子も描かれるが、当然ながらきれい事では済まない死もある。「生きてきたようにしか死ねない」という言葉は残酷さを含んでいる。
わたしの身内もまた、病と闘わないと決めた胸のうちの実際はどうだったのだろう、ただただ死なないでほしいと思い、伝え続けたことを許してくれるだろうか、などと思ってしまった。
Posted by ブクログ
読みながら参考になる箇所にふせんを貼っていたら30程にもなってしまいました。いつか自分が死に至る病になった時に参考にしたいと思います。
在宅医療での“命の閉じ方”を、著者の笹さんが7年の歳月取材してまとめたものです。
プロローグは、訪問看護師の森山文則さん(40代)の身体の異変に気付くところから始まります。彼は京都の西賀茂診療所で在宅医療に携わっていて、真夜中でも早朝でも電話したらいつでも患者さんのお宅にすぐに来てくれる頼もしい看護師でした。しかしCT診断の結果、すい臓がんステージⅣであることがわかります。
この 森山さんのことを主軸に、数人の方々の在宅医療での看取りまでを追いかけていきます。
時に、思わず嗚咽してしまうほど感動的な死に方の患者さんがいらっしゃったり、激しい痛みを伴いながら苦悶の死に様を迎える患者さんがいらっしゃったり、怯えてページを捲る手が止まってしまうこともありましたが、いつか自分にも、大切な人にもやってくる「死に際」を予行演習 させてくれるような内容に、しっかり胸に刻みつけておきたいと心してページを進めました。
死期が迫った人の在宅医療という重い内容であるにもかかわらず、スルスルと胸に染み入るような筆致がいいです。
特に、著者である笹さんのお母様を、献身的に介護したお父様の究極の介護の描写は、神々しいとすら感じました。
読み終わって強く思ったのは、在宅であれ、病院であれ、病状が悪化して最後を迎える時、激しい痛みに苦しみながら死を迎えるのは辛い、ということです。
「医師は助からないとわかると興味を失う」ので「苦痛を取り除くことに関心がない」という言葉が心に突き刺さります。
緩和ケアの専門医、蓮池史画先生の痛みを抑える末期医療、京都の西賀茂診療所のように患者の側に寄り添う訪問医療、これらは朗報として心に深く残りました。
※2020年 Yahoo!ニュース/本屋さん大賞 ノンフィクション大賞 受賞
Posted by ブクログ
亡き人から私に届いた
大きな贈りもの。
それは、人生が有限で
あることの教え。
限られた上映時間の中、
どんな役をどう演じる
べきなのか。
むやみやたら怒ったり
拗ねたりしている場合
じゃない。
そんな端役でいいの?
と気付かせてくれます。
Posted by ブクログ
終末期の在宅看護をめぐるノンフィクション。患者の望みを叶えるべく、医師・看護師・ヘルパーの方々のチームの献身は、正直「ここまでやるのか」のレベルで頭が下がる思い。このチームの実質的なリーダー格の看護師森山さんご自身がステージⅣの癌と診断され、著者の佐々氏の取材を手助けする側から取材される側に回り、自分の生き様(死に様?)を見せる側になる。
そんな中での彼の言葉「予後を気にして生きていたら、それだけの人生になってしまう。僕は自分自身であって、『がん患者』という名前の人間ではない。病気は僕の一部分でしかないのに、がんの治療にばかり目を向けていたら、がんのことばかりを気にする人生を送ることになってしまう。闘うのではない。根治を願うものでもない。無視するのでもない。がんに感謝しながら、普段はがんを忘れ、日常生活という、僕の『人生』を生きていたいんです」は、これが現れた冒頭61頁の段階では今一つピンと来なかったが、全編読み終えた段階では、“これが言いたかった事なのかな”と腑に落ちた。
よく言われる様に、予後を気にして病院でいくつもの管に繋がれて何も出来ないまま死を迎えるのと、たとえ痛み苦しみが増そうとも在宅でやりたい事をやって死を迎えるのとどちらが良いか。
本書を読む迄は、後者の場合は回り(家族や医療関係者など)にかかる負担から選択余地はないとの考えだったが、先述の森山氏の言葉や、いくつかの事例のうち特に森下敬子さんのもの(余命わずかな中、チームの絶大なサポートを受けて家族でディズニーランドに行って素晴らしい思い出を作った。その後暫くして亡くなるが、その臨終の場面、家族に見守られながら息を引き取り周囲が静まり返ったとき、思いがけずパチパチパチパチ…と拍手が湧き起き、みな目に涙を溜めながら、彼女の勇気あふれる姿に精一杯の賞賛を送った)から、後者もありだと考えが変わった気がする。
Posted by ブクログ
本当に上質なノンフィクションだ。終末期医療のスタッフだった方が反対に患者側になってしまうことや、筆者の両親のこと、生きることとその終わり方が丁寧にルポタージュされている。
これは泣く。
Posted by ブクログ
まとめきれなかった過去の取材が、取材中に親しくなった看護師の死をきっかけに本になった――そんな背景がプロローグで明かされ、過去の取材と看護師の病状が交互に語られていく構成に胸を打たれました
自分の一部でしかない病気のことばかり気にして生きたくない、という看護師の言葉が特に印象に残りました
死が近づいてから好きなことをして過ごす人たちの姿を読み、なんで元気なうちにできないんだろう?って考えさせられました
死が身近ではない今の時代、この本を読むと生きていることのありがたさに気づけると思います
Posted by ブクログ
ノンフィクションライターの佐々涼子が、訪問医療の診療所を取材し、終末期のあり方を考える。患者に対して真摯に寄り添う職員や、在宅での看取りを選択する患者たち。それぞれが個性的で、物語としても面白い。著者は、この重いテーマを、迷いながらも強い意志で執筆に取り組む。著者の父親が、全身全霊介護した妻が亡くなった後、元気に暮らす様子がわかり、安堵した。
Posted by ブクログ
市に向き合う。最後の時間をどう過ごすか。ノンフィクション。最後は幸せな人ほど周りの人たちが悲しい思いをする。そうであっても、本人が後悔なく過ごせる形を選べるのは家族にとっても幸せなこと。それを支える訪問介護士には頭が下がる。死について向き合う勇気をくれる。
Posted by ブクログ
ここ最近、「最期」に関係する本をよく読んでいる。
小説が多いのだけど、ずっと読みたかったこの本はノンフィクション。
「現実は小説より奇なり」の言葉通り、まさにドラマのようなエンドオブライフが描かれていた。
人それぞれの寿命は決まっているという考え、この手の本を読むようになり、最近はすっかり自分の中に浸透している。
今回新たに考えさせられたのは、「病気になった途端に、人は患者さんになってしまう」という部分。
それまで普通に自分の人生を歩んでいたのに、急に「患者」になり、身体面はもちろん精神面も制約を受ける。その人自身は変わっていないのに…。
こういう部分が苦しみの一つなのかなと思う。
自分や家族が何か病気になったとしても、その人らしさを持ち続けられるようにしたいなと思った。
Posted by ブクログ
「クオリティ・オブ・ライフ」という言葉をよく聞く。しかし、そもそも人生の質とはいったい何だろう。もし無理をして、本人も家族も後悔するとしたら、それはチャレンジするほど価値のあることだろうか。
確実なことなど何ひとつない。もう一度過去に戻って選択をし直すことなどできない。だが、人間とは「あの時ああすればよかった」と後悔する生き物だ。もしかすると取り返しがつかないかもしれないと思うと、末期がん患者が4時間ドライブして潮干狩りに行くと言う要望に対し、スタッフたちは、「ぜひ、実現させてください」と患者の背中を押すことをためらってしまうのだ。
それにもかかわらず、なんとかして患者の希望を叶えようとする。彼らはなぜこんな活動を続けているのだろうか。その時、終末医療の在宅看護をする医院の院長の渡辺は自分の役割について、こんな風に語っている。
「僕らは、患者さんが主人公の劇の観客ではなく、一緒に舞台に上がりたいんですわ。みんなでにぎやかで楽しいお芝居をするんです」
渡辺は続けた。
「佐々さんは「かまいい」という言葉をご存じですか?こちらの言葉で『おせっかい』という意味です。まぁ、我々のやっていることは、『おせっかい」なんでしょうなあ。世間は自分のやることに境界を設けたがる。『私の仕事』『あなたの仕事』「誰かの仕事』というように。
自分のすべきこと以外は、だれもが『私の仕事じゃない」と言って見て見ぬふりをする。しかし、それでは社会は回っていかんのですよ」と
もし、患者さんのために何かをして、それがやりすぎだと言われる職場ならしんどいでしょうね。「なにかあったらどうするの?』『どうしてそこまでするの?」と反発されたら、この仕事はとてもつらいと思います。でも、同僚がたくさんメールをくれて、支えてくれたのがとても嬉しかったです。もしかしたら、これも得たもののひとつだったかもしれません。
おせっかいすることには大変なことがたくさんあります。なにか行動しようと思えば、軋轢もある。でも、得られるものはそれ以上です。それを知っているから動いてしまうのかもしれません」
あるとき、著者はステージⅣの膵臓がんの宣告を受けた若い看取り看護師と話しをしていた。看護師は言う。
「予後を気にして生きていたら、それだけの人生になってしまう。僕は僕自身であって、『がん患者』という名前の人間ではない。病気は僕の一部分でしかないのに、がんの治療にばかり目を向けていたら、がんのことばかりを気にする人生を送ることになってしまう。闘うのではない。根治を願うのでもない。無視するのでもない。がんに感謝しながら、普段はがんを忘れ、日常生活という、僕の『人生』を生きていきたいんです」
移植に限らず、さまざまな葛藤もある。ALS(筋萎縮性側索硬化症)で人工呼吸器をつけてでも生きていたい本人と、それならこれ以上看護できないから離婚するという妻。年間一千万円以上かかる自身の免疫治療のために、住んでいる家を売ろうとする夫と、それに反対する妻。きれいごとではなかった。
助かるための選択肢は増えたが、それゆえに、選択をすることが過酷さを増している。私たちはあきらめが悪くなっている。どこまで西洋医学にすがったらいいのか、私たち人間にはわからない。昔なら神や天命に委ねた領域だ。誰だって奇跡が見たい。人間の欲をかきたててしまう。医療者側も受ける側も、奇跡が見たいという欲望、わずかな可能性に賭けたいという思いが絶対にある。
在宅看護師で自らも患者となった彼は言う。
こうじゃなきゃだめです、と言うんじゃなくて『どちらでもいいですよ』「やってみたらいいですよ、ダメなら変えたらいいんです』という一言がありがたかったりするんですよね。在宅の良さそういうところだという。危ないから、不便だから、そう言って行動を制限しがちです。でも、おうちなら今まで暮らしてきた知恵と経験があれば、ギリギリまで自立した生活が可能なんです。
患者がどういう暮らしをしたいのか。それを酌んでくれるのが、在宅の良さであり、それとそ最先端の医療なんだと僕は思います。その人の要求を一個、一個、聞いてくれて、私たちのサイズにあったものを仕立ててくれるテーラーメイド医療。在宅をこう評価してくれる学生さんがいてね。嬉しかったなぁ。
Posted by ブクログ
訃報に接し、まず手に取ってみた著書。
世代によって受け止め方が違うだろうなあと思います。還暦過ぎた自分にとっては、いろんなエピソードや考え方に共感する部分が多かったです。
その中でも印象的だったもの2つををフレーズに登録しておきました。
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