佐々涼子のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
よく知らないお医者さんに最期を委ねる。日本人は標準医療に任せるだけで、それ以外の選択肢を持っていない。印象に残った内容ですが、前者は祖母が亡くなったときのことを思い出してしまうし、後者は確かにそうだよなと思う。最近、一緒に暮らしていない家族や猫のことを思って、無性に怖くなるときがある。何が起きるかわからないから、できるだけ一緒にいる時間を作らなきゃと思う。当たり前に存在していると思っていたものが、本当はそうではないと、離れたことで強く感じてしまったからなのか。死が恐ろしいと無意識に感じているのかもしれない。
いつか突然来るかもしれないし、にじりにじりと近寄ってくるのかもしれない。とても怖いけれど、悪いことだけじゃない。全て縁かもしれないけれど、とにかく今を、毎日を一生懸命生きなければ、大事にしなければと思う。
忘れられない作品になりました。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ「エンド・オブ・ライフ」を書かれた佐々さんの最後の本。ずっと終末医療について書かれていたと思っていたが、その前におこなっていた仕事のルポルタージュ(現地報告。 社会問題などを綿密に取材して事実を客観的に叙述する)だった。
佐々さんは、日本語教師をされていた。幼いころは母がたくさん絵本を読んでくれた。そういう過去から、「エンド・オブ・ライフ」にもつながったのだなと思う。
やはり流石の文章力で、宗教を学ぶための世界放浪では、宗教の意味について深い考察と表現があった。
「いくら自分の外側を探しても答えは見つからない。自分の内側に戻って自分なりの生き方を見つけよう。そう思えた時、世界を旅して、僧侶たちに言われた言葉の意味がようやく腑に落ちた。 「今を生きなさい。自分の内側に戻りなさい」」
最後は自身の病について少しだけ触れられている。希少がんの「希」に希望を見る。「私たちは、その瞬間を生き、輝き、全力で愉しむのだ。そして満足をして帰っていく」。「ああ、楽しかった」と。 -
Posted by ブクログ
数年前の読みたいリストの一冊、やっと読めた!
なんとも素晴らしい作品
最後の解説にあった、ノンフィクションとは『世の中に埋もれた人間にとって大切なことを掘り起こし、読者に提示すること』 まさにこの作品が担っている。
そして数年後にドラマ化され広く知れ渡ったのではないか。素晴らしい。
国際霊柩送還士、エンジェルフライト、と呼ばれる仕事がある。まずはそこから。
東日本大震災や、実母を亡くしたことで死に近かった時期に執筆されたそう。数々の遺体を眼にして精神状態を崩したりしながらも続けた取材。命を削って作り上げたと言っても過言ではない。
そうさせたのはこの社長の利惠さん他、メンバーの方々の振る舞いを見て作者も向き合い方を考えたそうだ
海外で亡くなった方をどう輸送するのか、現地でのエンバーミングがどのように、どの程度行われるのか、受け取った後どのように対応するのか…24時間体制で向き合い、全身全霊で作業するエアハース社を取材してまとめたもの。
アルフォンス・デーケン博士は、『死とどう向き合うか』の中で、家族を亡くした遺族の悲嘆のプロセスを12段階に分けて説明している。
①精神的打撃と麻痺状態 ②否認 ③パニック ④怒りと不当感 ⑤敵意とルサンチマン(恨み)⑥罪意識 ⑦空想形成、幻想 ⑧孤独感と抑うつ ⑨精神的混乱とアパシー (無関心) ⑩あきらめー受容 ⑪新しい希望ーユーモアと笑いの再発見 ⑫立ち直りの段階- 新しいアイデンティティーの誕生
逆さ水、は通常湯をぬるくするには湯に水を足すが、葬儀のときに使うことぬるま湯は、水に油を足して作るのである。
親を失うと過去を失う。
配偶者を失うと現在を失う。
子を失うと未来を失う。
エアハースは永遠に遺体を保存しようとしているわけではない。ただ家族との最後のお別れのひとときのためだけに亡き人を元気な時の姿へと戻してあげようとしている。
アメリカではエンバーマーは、神父や牧師の次に尊敬される職業であると聞く。
「私の顔を見ると悲しかった時のことを思い出しちゃうじゃん。だから忘れてもらったほうがいいんだよ」
エンバーミングの歴史の始まりはアメリカ南北戦争
亡くなった人でも救うことはできる。私たちが悲しみぬいて、きちんと生きぬくことができるから。それを手助けしてくれるのが彼らの仕事
遺体を納められた「ひつぎ」を柩、納められていないものを棺、と表記 -
Posted by ブクログ
患者さんと家族のために
私に出来ることは何でもしたい
って気持ちは今でもあるけど
本当に実践できてるかと問われたら
即答できる自信はない。
業務をこなすことで精一杯な日もあるし
目を背けて逃げたくなる日もある。
自分の常識やプライドは置いて
患者さんと家族に向き合うとは?
生活の一部分でも支えるとは?
生死と向き合うことについてなど
医療と向き合うひとりとして
大切なことを幾つも教えられたし
自分の今までを反省するきっかけにもなった。
“患者と家族”ではなくて
一人の人として人生の先輩として敬い
尊敬を持って生活を支えられる看護師でいたい。 -
Posted by ブクログ
祖母が癌で死にそうで、映画『ルノワール』を見て終末医療に興味が湧いたこともあり、これを読んでみた。
潮干狩りにディズニーランド、ハープコンサートなどのエピソードは感情が昂って泣いてしまった。
苦しむ描写しかない患者や、佐々涼子さん自身の母親の介護に関するエピソードも強烈だ。
著者からは死について書くことに苦しむ様子がひしひしと伝わり、本にする意義を見出せないことに悩んでおられたが、終末医療の世界を知るという非常に価値の高い体験を得られた。
死が迫るときに私や愛する人がどうなってしまうのか分からない。避けられない死と対面したときに少しでも心の平穏を保てるよう、こうした作品に触れておくことは重要だ。
本書に登場する亡くなった全ての方々と佐々涼子さんにご冥福をお祈りします。素晴らしい作品をありがとう。 -
Posted by ブクログ
昨年亡くなられた佐々涼子さんの渾身の一冊。
大学の同窓生だった児玉晃一弁護士から入管収容の実態を聴いた佐々さんは、自らも難民への取材を始めた。その記録が前半に載せてある。
「入管はなぜ難民を追い返そうとするのか」
迫害の危険性や紛争、暴力など、状況が悪化し移動せざるを得なかった人々だ。難民認定もされず入管にとどめ置かれ、強制送還されないかと恐れ慄く。
映画「ヒューマン・フロー(大地漂流)」で、ゴムボートに乗る大勢の人々を写した場面が思い出された。
難民となる人々の数は毎年増加の一途を辿っている。受け入れ国の中で、日本の難民認定率の低さを知り唖然とした。
(2021年 日本は74人で0.7%)
後半は移民のなかの「外国人技能実習生」を取り上げる。ここ数年のうちに中国や韓国から来る実習生は減少し、ベトナム人が増加している。
現地の「送り出し機関」について初めて知った。日本語教師を経てライターになった佐々さんは、国内外の日本語学校を訪れている。日常会話でなく職場で上手く立ち回るための「言葉」を教えられた実習生は、やって来た日本で使い勝手のいい労働力として自由を奪われ"管理"される。
コロナで入国を制限されたり円安のために日本で働く意味が無くなりつつある。「働きたいのに働けない難民がいる一方で、働いてほしいのに日本から逃げていく外国人労働者がいる」ことをわかっていない政治家たち。日本の行く末を懸念するのは当然だと思う。
入管から仮放免された難民を支援する
「アルペなんみんセンター」が鎌倉に出来た。
近隣住民やイエズス会から反対の声は上がらなかったという。ボーダーを越えた人と人との関わりに、取材を決して諦めなかった佐々さんの思いを見た気がした。
心よりご冥福をお祈りいたします。
-
Posted by ブクログ
人を魅了するノンフィクション作品の難しさ(話を盛ったりすることは、既にノンフィクションではない)について、考えさせられました。
また、一つ一つが短いエッセイであるため、隙間時間に少しずつ読んでいくことができました。
著者は、仏教にも関心があり、実践や体験を通じて、僧侶との交流もあったようですが、いわゆる高名な僧侶についても、ありのままの視点で、痛烈な皮肉と感じる表現をされている部分があります。とても親近感が湧きました。
また、日本語学校の教師というキャリアからも、その体験や思いをつらつらと著されていますが、その現実や今後の展望についても解りやすく示されていました。
ご興味が少しでもある方は、是非読んでいただきたいです。 -
Posted by ブクログ
ネタバレP202
『働きたいのに働けない難民がいるのに、働いて欲しい日本から逃げていく外国人労働者がいる。どこまで探っても日本の政策は、他人に対する敬意がなく、ただちぐはぐなだけだった。』
なんてつらい話だろう。日本に働きに行き稼いで故郷で錦を…なんて過去の話。もう日本に行きたい人なんていない。そして過去、外国人労働者に頼っていた業種は人手不足。
入管の環境、人権無視の扱いなど、読んでる限りはひどすぎる。けど、何事も両方の言い分をきかないことには判断できない、と思ったり。
移民、難民、技能実習制度、全てが繋がっている。
この先、佐々涼子さんの著書は読めないことが悲しい。ご冥福をお祈りします。
-
Posted by ブクログ
前半がエッセイ、後半がルポルタージュで構成された作品集。
死生観にまつわる数々のノンフィクションを手掛けられた著者の作品集だけに、自分の知らなかった世界を垣間見ることができたし、取材先での出来事を通じて、大変な苦労や葛藤されたことが窺い知れた。
著者の死生観に寄り添うことで、掴みどころのない死に対する答えが見えてくるのか、と前のめりになって読んでみた。結局のところ、生きている限りそれは誰にも分からなくて、いくら自分の外側を探しても答えは見つからないという。自分の内側に戻ること、自分なりの生き方を見つけることが大事だと。なんだか宗教的な感覚だけど、少し腑に落ちる感じもした。
いつか迎えるであろうその日に向けて、心構えや生き方を見つめ直すきっかけになった。
また本書では『言葉』の重要性について、印象的なエピソードが幾つかあった。
外国人労働者の子どもたちが抱えるダブルリミテッド問題。この現状を打破するべく、日々戦っている日本人がいること。こんな現実があるなんて、と考えさせられた。
タイトルの『夜明けを待つ』。
理不尽なことや不条理な出来事が往々にしてある世の中だけど、日々前を向いて生きている全ての人たちにとって、夜が明けたあとに明るい未来が待っていればいいな、と思った。
あとがきの著者のメッセージ、しっかり胸に刻んで生きていこう。 -
Posted by ブクログ
『エンドオブライフ』つながりで読んでみた。
氏の作品は、『エンジェルフライト』『紙つなげ』『エンドオブライフ』に次いで4冊目。これを書いた佐々さんはもういらっしゃらないんだなと、そんな思いを反芻しながら読み終えた。
以前、お仕事をご一緒したさる版元の編集者が、初期の頃に佐々さんとお仕事をされたそうで、『エンジェルフライト』が開高健賞を受賞したときに喜びの投稿をしていたのを読んだ。ふだんSNSをやらない彼だったが、そのうれしさがつたわってきて、編集者としてうれしい気持ちになった。
p16
「人は死に方を知っているし、家族も送り方を知っている」と在宅で看取りをする医師が言っていた。
*在宅の看取りでは無理な治療や延命を施さないので、人はスイッチが切れるようにではなく、潮が満ち、やがて引いていくように亡くなっていく。そして、残される家族も、引き裂かれるような悲しみを感じたとしても、見送り方を知っている。死別に耐えうるようにできているから人類は滅びない。この大きな悲嘆をいつか乗り越えられるように生まれついているのだ。
↓
父が亡くなった時、悲嘆の中で、なぜ人類はいろいろな面で発達してきているのに、この悲しみはなくならないんだろう、と考えた。それでも私は生きている。思い出すと悲しいし、さまざまな感情が湧きおこるけれど、でも生きている。すなわち耐えられた。だから人類は滅びない。本当にそうだと思う。
p45
著者は小さいころから背が高く、男子からそれをよくからかわれた。内心「これ以上背が伸びませんように」と祈っていたほど。大きいと異性に振り向いてもらえないかもと不安になった。それでうつむき気味の背の高い女性に育ってしまった。
*
いったい誰の視線を気にして私たちは縮こまっていたのか。ばかばかしい。昔は体型でからかうことなどありふれたことだった。だが、それは、ひとりの女の子の背骨の形を決めてしまうほどのできごとなのだ。
~
背が高かろうが低かろうが、重かろうが軽かろうが、身体がのびのびといられる世の中でありますように。
↓
著者をお見かけしたことはないが、背が高かったそうだ。私も同様。背が高くてからかわれたり、揶揄されたり、男のようと言われたり(これは別のファクターもありそうだが)、そして著者と同様、姿勢の悪い背の高い人になった。背の高さを気にせずにいいと悟ってから、20代で3センチ伸びたほど。
人の外見をいろいろ言うのはこれほどの罪だということをみんな知るべきだし、自分も無意識でそうしていないか注意が必要。
p48
*私は父の娘でよかったと思うことがある。私は自分の文章を書く時にひとつだけ決めていることがある。それは誰かをかわいそうな人と決めつけて、そう書かないこと。それはとても表層的な見方だからだ。
p59
*悲しみは依然としてそこにある。だが、人はどんなに悲しくても、お喋りはするし、おなかもすく。声を立てて大笑いできる。どんなに大切な人を失っても一緒に死んだりしないように作られているのだ。だから人類は絶滅せずに生き延びてきた。
↓
繰り返し語られるこの部分。胸に刻みたい。
p68
東日本大震災の取材に入った時、たくさんの人に話を聞く中で、誰にも話さなかった、話せなかったことを聞かせてくれる人がいた。
*なぜ、私に話してくれるのだろうと、不思議でしかたがなかった。マザーテレサみたいに手を握って話を聞くわけでもないし、何か気の利いたことを言うわけでもない。終末医療の取材では、亡くなりゆく人が、私にだけ胸の内を明かすこともあった。今ならわかる気がする。近くにいる人にいえばその人にも苦しみを背負わせてしまう。
p74
30代で椎間板ヘルニアになって横浜の病院に入院した時のこと。寝ているだけで背骨が折れてしまうという高齢のご婦人と相部屋になった。
*春の夜、お吸い物に桜の形の麩が浮かんでいた。すると彼女は病室の人たちに向かって、「みんなで想像のお花見をしましょう」と呼びかける。「あら、いいわね」と別の人。私たちは、みなで想像上のお花見をした。「お花がきれいね」「そうね」と患者たち。その日の夜、どこかで散る桜を想像しながら眠りについた。あの夜のお花見は、どんな年より記憶に残っている。
p75
*退院の日、病室の皆が「もう、帰ってこないようにね」と笑顔で送ってくれた。
私は他人を描く仕事をしている。調子に乗っている時が危ない。「さもわかった風に書くなよ、佐々」と、今もあの日の私が私を戒める
p109
晴れ女、晴れ男発言について。佐々氏は自分を「晴れ女」だと思っていた。仕事で同行したカメラマンに言われたことがきっかけだという。それに対して担当編集者がこう言う。
*「僕の先輩の有名な編集者がこんなことを言っていました。『仕事は、自分は運がいいと思っている人と一緒にしろ』と。佐々さんが晴れ女だというたびにその言葉を思い出します」。晴れ女とはつまり、自称「運のいい女」なのだと言いたかったのだろう。
↓
かつていわれなき「雨女」認定をされたことがある。そこに参加するのは私だけではないはずなのに「あなたが来ると雨になる」と。そして彼女は胸を張って「私はどしゃぶりの予報が出ていたのに傘をささずにすんだことが頻繁にある」と言うのだ。自分を晴れ女、雨女と思ったことも、人のことをそう思ったこともなかった私にとって、その非難(?)は認めがたく理不尽なものだった。だけど甘んじて受け入れなくてよかったと思う。ネタとして笑えはしても、「運」という観点で見れば雨女なんて思う必要はない。お天気のことだよ、私の努力でどうなるものでもなし。
そう言っていた彼女、仕事はやめたと聞いた。自分の運の強さと共に次の場所で邁進されていることでしょう。知らんけど。
p111
*運がいいか悪いかは、無数の事実からある事象を抜き取って解釈することで熟成される。誰の上にも空は広がっている。その中から晴れの日のエピソードを記憶していれば晴れ女に、雨の日を強く印象に持てば雨女になる。
p216
隻手の音声(せきしゅのおんじょう) 白隠
両手を打ち合わせると音がする。では、片手ではどんな音がするか。
本を閉じた時、また同じ思いがわきあがった。
この本を書いた佐々さんはいない。 -
Posted by ブクログ
やっと読んだ佐々氏の本。
エンジェルフライトを数年前読みたい、と思ったままの自分に、日々大切に生きろ!と言われた気がする…
友人で弁護士になり入管重要問題を扱っている、と言う人の話や、柿を送ってくれる東北で頑張る本屋の話、ベトナムなどアジアからの就労で来た外国人実習生へのインタビューなどは涙が出てくる。
日本語は生きるための言葉を教えないと意味がない!と。
佐々氏の本を通して仏教をみる人がいるようだ。国際霊柩送還士、東日本大震災など死生観に関わるようなノンフィクションを描くのはきっと身を削るようなところがあるのだろうか、ある日文章がかけなくなり、旅に出て各地の宗教、瞑想を求め旅をするが、ふと「旅は終わり」と感じる時が来るようだ。その感覚とても大切な気がする。
前半日経新聞に載せていたエッセイ集、後半も雑誌などに載せた話がまとめてある。エッセイの短い分からいくつも心に響く言葉があった
もう新刊を読めないことがとても残念だが、まずは書かれたものを全て読みたい。
私は新しい命を前にして、なぜか濃厚に死を意識した。… ムンクはこう記している。
「我々は誕生の時に、すでに死を体験している。これから我々を待ち受けているのは、人生で最も奇妙な体験、すなわち死と呼ばれる、真の誕生である。- 一体、何に生まれるというのか?」 p. 33
ある寓話に、落とした針は落としてしまった場所で探すべきなのに、人は探しやすい場所ですばかり探していると言う話がある。人は幸福を見当違いの場所で探しがちだ。 p. 54
美容師など、家族でもなく、友人でもない、仕事相手でもない、利害関係の発声しない距離感。そう言うところにいるひとは年々大事になってくるような気がする。…通り過ぎる他人なら、言葉を託しても気が楽だ多分彼らは私を通して、なにか別のもっと大きなものと対話をしているのではないか。 p. 69
本当になくすまでは、そばにいる人がいなくなるなんて思いもしない。ありふれた言葉ですが、何気ない日々の暮らしが一番貴重です。どうか、目の前にいる人を大切にしてほしい p. 90
死についての未経験者だ。他の人の死を見て、あれこれ想像している。でもどれだけの賢者でもやはり生きている限り死などわからないと思ったら生きるのが楽になった。いくら自分の外側を探しても答えは見つからない。自分の内側に戻って自分なりの生き方を見つけよう。「今を生きなさい。自分の内側に戻りなさい」
p. 93
JITCO国際研修協力機構のHPより、外国人技能実習制度がある、1960年より始め、大企業に呼べる外国人を見て中小企業らが商工会議所や商工会が受け入れ窓口をつくったもの。
静岡県浜松市、日系南米人子弟のための学校、ムンド・デ・アレグリア
ダブルリミテッドとは、日本語も母語も年齢相応の言語力に達していないことを言う
帰国子女や移民問題の一つ