あらすじ
病、家族、看取り、移民、宗教……。小さき声に寄り添うことで、大きなものが浮かび上がってくる。『エンジェルフライト 国際霊柩送還士』『紙つなげ! 彼らが本の紙を造っている』『エンド・オブ・ライフ』『ボーダー 移民と難民』……。生と死の境を見つめ続け、読む者の心を揺さぶる数々のノンフィクション作品の原点は、佐々涼子の人生そのものにあった。ここ10年間に書き溜めてきたエッセイとルポルタージュから厳選した著者初の作品集。
...続きを読む感情タグBEST3
Posted by ブクログ
佐々木さんの本は2冊目です。
まさか不治の病にかかられて
亡くなっていたとは知りません
でした。
家族、病、看取り、移民、宗教
小さな声に寄り添う事で大きな
ものが見えてくる。
エッセイ、ルポルタージュを
読みながら文章にする事に
きっと自身の中にも心理的葛藤
があり、関わった事への軋轢も
あったのだろうと思いました。
56歳という若さでこの世を去る
命を削って作品を書き続けた人
寿命の長い短い、そこに至る病気
も様々だが、神様には人間にわかる
はずもない順番があるのだろう。
亡くなられた事がとても残念です
合掌)
Posted by ブクログ
「エンド・オブ・ライフ」を書かれた佐々さんの最後の本。ずっと終末医療について書かれていたと思っていたが、その前におこなっていた仕事のルポルタージュ(現地報告。 社会問題などを綿密に取材して事実を客観的に叙述する)だった。
佐々さんは、日本語教師をされていた。幼いころは母がたくさん絵本を読んでくれた。そういう過去から、「エンド・オブ・ライフ」にもつながったのだなと思う。
やはり流石の文章力で、宗教を学ぶための世界放浪では、宗教の意味について深い考察と表現があった。
「いくら自分の外側を探しても答えは見つからない。自分の内側に戻って自分なりの生き方を見つけよう。そう思えた時、世界を旅して、僧侶たちに言われた言葉の意味がようやく腑に落ちた。 「今を生きなさい。自分の内側に戻りなさい」」
最後は自身の病について少しだけ触れられている。希少がんの「希」に希望を見る。「私たちは、その瞬間を生き、輝き、全力で愉しむのだ。そして満足をして帰っていく」。「ああ、楽しかった」と。
Posted by ブクログ
人を魅了するノンフィクション作品の難しさ(話を盛ったりすることは、既にノンフィクションではない)について、考えさせられました。
また、一つ一つが短いエッセイであるため、隙間時間に少しずつ読んでいくことができました。
著者は、仏教にも関心があり、実践や体験を通じて、僧侶との交流もあったようですが、いわゆる高名な僧侶についても、ありのままの視点で、痛烈な皮肉と感じる表現をされている部分があります。とても親近感が湧きました。
また、日本語学校の教師というキャリアからも、その体験や思いをつらつらと著されていますが、その現実や今後の展望についても解りやすく示されていました。
ご興味が少しでもある方は、是非読んでいただきたいです。
Posted by ブクログ
前半がエッセイ、後半がルポルタージュで構成された作品集。
死生観にまつわる数々のノンフィクションを手掛けられた著者の作品集だけに、自分の知らなかった世界を垣間見ることができたし、取材先での出来事を通じて、大変な苦労や葛藤されたことが窺い知れた。
著者の死生観に寄り添うことで、掴みどころのない死に対する答えが見えてくるのか、と前のめりになって読んでみた。結局のところ、生きている限りそれは誰にも分からなくて、いくら自分の外側を探しても答えは見つからないという。自分の内側に戻ること、自分なりの生き方を見つけることが大事だと。なんだか宗教的な感覚だけど、少し腑に落ちる感じもした。
いつか迎えるであろうその日に向けて、心構えや生き方を見つめ直すきっかけになった。
また本書では『言葉』の重要性について、印象的なエピソードが幾つかあった。
外国人労働者の子どもたちが抱えるダブルリミテッド問題。この現状を打破するべく、日々戦っている日本人がいること。こんな現実があるなんて、と考えさせられた。
タイトルの『夜明けを待つ』。
理不尽なことや不条理な出来事が往々にしてある世の中だけど、日々前を向いて生きている全ての人たちにとって、夜が明けたあとに明るい未来が待っていればいいな、と思った。
あとがきの著者のメッセージ、しっかり胸に刻んで生きていこう。
Posted by ブクログ
『エンドオブライフ』つながりで読んでみた。
氏の作品は、『エンジェルフライト』『紙つなげ』『エンドオブライフ』に次いで4冊目。これを書いた佐々さんはもういらっしゃらないんだなと、そんな思いを反芻しながら読み終えた。
以前、お仕事をご一緒したさる版元の編集者が、初期の頃に佐々さんとお仕事をされたそうで、『エンジェルフライト』が開高健賞を受賞したときに喜びの投稿をしていたのを読んだ。ふだんSNSをやらない彼だったが、そのうれしさがつたわってきて、編集者としてうれしい気持ちになった。
p16
「人は死に方を知っているし、家族も送り方を知っている」と在宅で看取りをする医師が言っていた。
*在宅の看取りでは無理な治療や延命を施さないので、人はスイッチが切れるようにではなく、潮が満ち、やがて引いていくように亡くなっていく。そして、残される家族も、引き裂かれるような悲しみを感じたとしても、見送り方を知っている。死別に耐えうるようにできているから人類は滅びない。この大きな悲嘆をいつか乗り越えられるように生まれついているのだ。
↓
父が亡くなった時、悲嘆の中で、なぜ人類はいろいろな面で発達してきているのに、この悲しみはなくならないんだろう、と考えた。それでも私は生きている。思い出すと悲しいし、さまざまな感情が湧きおこるけれど、でも生きている。すなわち耐えられた。だから人類は滅びない。本当にそうだと思う。
p45
著者は小さいころから背が高く、男子からそれをよくからかわれた。内心「これ以上背が伸びませんように」と祈っていたほど。大きいと異性に振り向いてもらえないかもと不安になった。それでうつむき気味の背の高い女性に育ってしまった。
*
いったい誰の視線を気にして私たちは縮こまっていたのか。ばかばかしい。昔は体型でからかうことなどありふれたことだった。だが、それは、ひとりの女の子の背骨の形を決めてしまうほどのできごとなのだ。
~
背が高かろうが低かろうが、重かろうが軽かろうが、身体がのびのびといられる世の中でありますように。
↓
著者をお見かけしたことはないが、背が高かったそうだ。私も同様。背が高くてからかわれたり、揶揄されたり、男のようと言われたり(これは別のファクターもありそうだが)、そして著者と同様、姿勢の悪い背の高い人になった。背の高さを気にせずにいいと悟ってから、20代で3センチ伸びたほど。
人の外見をいろいろ言うのはこれほどの罪だということをみんな知るべきだし、自分も無意識でそうしていないか注意が必要。
p48
*私は父の娘でよかったと思うことがある。私は自分の文章を書く時にひとつだけ決めていることがある。それは誰かをかわいそうな人と決めつけて、そう書かないこと。それはとても表層的な見方だからだ。
p59
*悲しみは依然としてそこにある。だが、人はどんなに悲しくても、お喋りはするし、おなかもすく。声を立てて大笑いできる。どんなに大切な人を失っても一緒に死んだりしないように作られているのだ。だから人類は絶滅せずに生き延びてきた。
↓
繰り返し語られるこの部分。胸に刻みたい。
p68
東日本大震災の取材に入った時、たくさんの人に話を聞く中で、誰にも話さなかった、話せなかったことを聞かせてくれる人がいた。
*なぜ、私に話してくれるのだろうと、不思議でしかたがなかった。マザーテレサみたいに手を握って話を聞くわけでもないし、何か気の利いたことを言うわけでもない。終末医療の取材では、亡くなりゆく人が、私にだけ胸の内を明かすこともあった。今ならわかる気がする。近くにいる人にいえばその人にも苦しみを背負わせてしまう。
p74
30代で椎間板ヘルニアになって横浜の病院に入院した時のこと。寝ているだけで背骨が折れてしまうという高齢のご婦人と相部屋になった。
*春の夜、お吸い物に桜の形の麩が浮かんでいた。すると彼女は病室の人たちに向かって、「みんなで想像のお花見をしましょう」と呼びかける。「あら、いいわね」と別の人。私たちは、みなで想像上のお花見をした。「お花がきれいね」「そうね」と患者たち。その日の夜、どこかで散る桜を想像しながら眠りについた。あの夜のお花見は、どんな年より記憶に残っている。
p75
*退院の日、病室の皆が「もう、帰ってこないようにね」と笑顔で送ってくれた。
私は他人を描く仕事をしている。調子に乗っている時が危ない。「さもわかった風に書くなよ、佐々」と、今もあの日の私が私を戒める
p109
晴れ女、晴れ男発言について。佐々氏は自分を「晴れ女」だと思っていた。仕事で同行したカメラマンに言われたことがきっかけだという。それに対して担当編集者がこう言う。
*「僕の先輩の有名な編集者がこんなことを言っていました。『仕事は、自分は運がいいと思っている人と一緒にしろ』と。佐々さんが晴れ女だというたびにその言葉を思い出します」。晴れ女とはつまり、自称「運のいい女」なのだと言いたかったのだろう。
↓
かつていわれなき「雨女」認定をされたことがある。そこに参加するのは私だけではないはずなのに「あなたが来ると雨になる」と。そして彼女は胸を張って「私はどしゃぶりの予報が出ていたのに傘をささずにすんだことが頻繁にある」と言うのだ。自分を晴れ女、雨女と思ったことも、人のことをそう思ったこともなかった私にとって、その非難(?)は認めがたく理不尽なものだった。だけど甘んじて受け入れなくてよかったと思う。ネタとして笑えはしても、「運」という観点で見れば雨女なんて思う必要はない。お天気のことだよ、私の努力でどうなるものでもなし。
そう言っていた彼女、仕事はやめたと聞いた。自分の運の強さと共に次の場所で邁進されていることでしょう。知らんけど。
p111
*運がいいか悪いかは、無数の事実からある事象を抜き取って解釈することで熟成される。誰の上にも空は広がっている。その中から晴れの日のエピソードを記憶していれば晴れ女に、雨の日を強く印象に持てば雨女になる。
p216
隻手の音声(せきしゅのおんじょう) 白隠
両手を打ち合わせると音がする。では、片手ではどんな音がするか。
本を閉じた時、また同じ思いがわきあがった。
この本を書いた佐々さんはいない。
Posted by ブクログ
佐々涼子さんの最期の書籍だったのですね。あとがきには2023年9月になってましたね。この一年後旅立たれたのですね。ルポルタージュの章の禅を書かれた章と中国残留孤児の話が印象に残りました。実は僕の両親は満州の引き揚げで青春を満州で過ごした人です。母は多少中国語が話せたので1990年代中国残留孤児の帰国のボランティアをしてました。二年程ボランティア活動したのですが、母は突然辞めました。生き別れた親子の再会をみるのが辛かったようです。
佐々涼子さんは希少ガンで発症して亡くなられて死生観というものをいろいろ考えられたのでしょうね。
Posted by ブクログ
やっと読んだ佐々氏の本。
エンジェルフライトを数年前読みたい、と思ったままの自分に、日々大切に生きろ!と言われた気がする…
友人で弁護士になり入管重要問題を扱っている、と言う人の話や、柿を送ってくれる東北で頑張る本屋の話、ベトナムなどアジアからの就労で来た外国人実習生へのインタビューなどは涙が出てくる。
日本語は生きるための言葉を教えないと意味がない!と。
佐々氏の本を通して仏教をみる人がいるようだ。国際霊柩送還士、東日本大震災など死生観に関わるようなノンフィクションを描くのはきっと身を削るようなところがあるのだろうか、ある日文章がかけなくなり、旅に出て各地の宗教、瞑想を求め旅をするが、ふと「旅は終わり」と感じる時が来るようだ。その感覚とても大切な気がする。
前半日経新聞に載せていたエッセイ集、後半も雑誌などに載せた話がまとめてある。エッセイの短い分からいくつも心に響く言葉があった
もう新刊を読めないことがとても残念だが、まずは書かれたものを全て読みたい。
私は新しい命を前にして、なぜか濃厚に死を意識した。… ムンクはこう記している。
「我々は誕生の時に、すでに死を体験している。これから我々を待ち受けているのは、人生で最も奇妙な体験、すなわち死と呼ばれる、真の誕生である。- 一体、何に生まれるというのか?」 p. 33
ある寓話に、落とした針は落としてしまった場所で探すべきなのに、人は探しやすい場所ですばかり探していると言う話がある。人は幸福を見当違いの場所で探しがちだ。 p. 54
美容師など、家族でもなく、友人でもない、仕事相手でもない、利害関係の発声しない距離感。そう言うところにいるひとは年々大事になってくるような気がする。…通り過ぎる他人なら、言葉を託しても気が楽だ多分彼らは私を通して、なにか別のもっと大きなものと対話をしているのではないか。 p. 69
本当になくすまでは、そばにいる人がいなくなるなんて思いもしない。ありふれた言葉ですが、何気ない日々の暮らしが一番貴重です。どうか、目の前にいる人を大切にしてほしい p. 90
死についての未経験者だ。他の人の死を見て、あれこれ想像している。でもどれだけの賢者でもやはり生きている限り死などわからないと思ったら生きるのが楽になった。いくら自分の外側を探しても答えは見つからない。自分の内側に戻って自分なりの生き方を見つけよう。「今を生きなさい。自分の内側に戻りなさい」
p. 93
JITCO国際研修協力機構のHPより、外国人技能実習制度がある、1960年より始め、大企業に呼べる外国人を見て中小企業らが商工会議所や商工会が受け入れ窓口をつくったもの。
静岡県浜松市、日系南米人子弟のための学校、ムンド・デ・アレグリア
ダブルリミテッドとは、日本語も母語も年齢相応の言語力に達していないことを言う
帰国子女や移民問題の一つ
Posted by ブクログ
気になるところに付箋を貼りつつ読んでいたら付箋だらけになってしまった。
佐々さんの文章がとても染みる。以前読んだ「エンジェルフライト」や「紙つなげ!〜」がとても良かったので本作も早く手に取りたかったけれど出会えたのは亡くなられてからになってしまった。
病を得て余命が僅かであることを知ってから綴られた文とその以前からの文との陰影を感じながら読み進めた。
最初の章のエッセイはまだ余命を知る前に書かれたものなのかなと思った。
でも状況や物事の捉え方がやはり深くてとても命を意識した表現に自然となっていると思った。
p58「弔いの効用」の中の枕経のシーンで、とても悲しい場面なのにどうしてもおかしい状況が出てきてしまい堪えきれずにみんなで大爆笑してしまう場面が出てきた。そこで佐々さんは人は「どんなに大切な人を失っても一緒に死んだりはしないように作られている」大発見について書いている。
自分にも似たような経験がある。どんなに悲しくても辛くても人は笑うことができるという発見は、確実に生きる力になると私も知っている。
当たり前のようなことだけれどとても大切なことだと思うしこれを知っていると知らないでは悲しみや困難の乗り越え方が変わるだろうと思う。
他のどの章も胸が痛くなりながら読んだ。p84「ひろちゃん」は、精神科に入院している母のことを友人に話して傷つけられて以来、自分の友達たちには二度と母のことは話さないと決めた事を思い出した。
第2章からのルポ「ダブルリミテッド」にも考えさせられた。書かれた日にちを見ると10年以上前の話だけれども、今のほうがむしろ事態としてはより深刻になっているのではないかと思う。
日本語と他言語が母語であるのにどちらも話せない状況を「ダブルリミテッド」と呼ぶということを初めて知ったけれど、その状況にいる子どもは郊外に住んでいる自分も今やよく目にする。
特別支援などを受けて対応しているところもあるが学校現場は多忙すぎて手が回らず実質放置されてる子供もいるように感じることもある。教師をしている友人はそのことに一層の危機感を持っていて、早急に対応しないと今もどんどん外国人が生活の場へ入ってきているのでこのままそういう人がさらに増えていくと日本の社会が回らなくなっていくだろうと言っている。
佐々さんが10年も前に言っていたことが今現在良くなるどころかもっと深刻になっていることに憂う。
その後からの章では宗教や死生観に絡む話が続く。火葬場の灰の上に寝るシーンは、佐々さんが死に呼ばれている感じがしてきて怖くなった。読み進めると何だか呼ばれすぎていると感じる箇所が他にもあってざわざわした。その後の作品を手掛けてきたきっかけがこういう体験の数々だったのかなとも思うけれど、形にするまでは本当に心がしんどいことだったろうと想像される。
p245「人は死を目の前にするとスピリチュアルにならざるを得ない」確かに。
先日読んだ「人は死なない」もそれと同じことだろうと思った。何かを信じる信じないは別として、命のことを考えたら宗教的にものに惹かれてしまうのは性や本能のようなものなのかなと思う。
あとがきがまた染みた。2023年現在記となっているが、悪性脳腫瘍の一つグリオーマは10万人に1人の発病率で平均余命は14カ月だという。自分の親は14年前に同じ病で亡くなったがその頃とほぼ発病率も平均余命も変わってないことにショックを受ける。
佐々さんは覚悟している。あとがきから感じられる。でももっと書きたかったし生きたかったろう。自分ももっと佐々さんの書く本が読みたかった。
良い本だと思うにつけ残念だと思う気持ちが増してしまう。切ない。
読後本の装丁の空の写真がまた染みた。
Posted by ブクログ
ダブルリミテッドの話は、西川美和「スクリーンが待っている」でも同じような話が出てきたのでとても興味深かった。
本当に使える生きた日本語は「どけ」とか「やめろ」とか、命令形であってですます調の丁寧な日本語ではない。
「会えない旅」がとても印象に残った。アポも取らず、会えるともわからないけど会いに来る。こういう行動力があって、多くのノンフィクション作品を生み出したんだろうなとうかがえるエピソードだった。
ご冥福をお祈りします。
Posted by ブクログ
佐々涼子さんの訃報に残念でなりません。ご病気のお話を知っていたので回復することを願っていたのですが…
全ての作品からたくさんの刺激をもらい素敵な仕事をしていただいたことに感謝です。
いままで魅力ある言葉を紡いでもらいありがとうございました!
佐々涼子さんの著作を大切に…宝物として私の心に活かしていきますね。
みなさん…
ぜひ〜
Posted by ブクログ
佐々涼子さんの生死感が描かれているエッセイで、あとがきはまるで彼女の遺書のようで心が痛い。「この世に生きている人はみな同じく、死についての未経験者だ。ほかの人の死を見て、私たちはあれやこれや想像している。でも、どれほどの賢者であろうと、やはり生きている限り死など分からないのだ。そう思ったら生きるのが楽になった」佐々涼子さんは、今この瞬間、どのように生きておられるんだろう。
Posted by ブクログ
エンジェルフライトを読んで好きになった佐々さん。本人の経歴もなかなかで面白かった。オウムはちょうど世代だけど思い出すきっかけを与えてもらいました。大変な病気を患われていると聞いていましたが、あとがきで病名を知りました。穏やかな日を送られることを願います。まだ読んでいない著書があるので楽しみにしています。
Posted by ブクログ
佐々涼子さん。すごいです。10年書きためてきたエッセイとルポルタージュから厳選された作品集。重い現実に真正面から向き合って、伝えてくれるこの本に出会えてよかったと思いました。
初めの〈「死」がおしえてくれること〉から、一気に自分が体験したことに引き戻されました。いざ親の死と向き合ったときに、オロオロして自分の無力さを感じたこと。「親は死してまで大切なことを教えてくれる」というのは、私もそのときに感じたことでした。
次の〈夜明けのタクシー〉も、親になって、ワンオペで心細かったときに、ふとした言葉に救われたことを思い出しました。
〈体は全部知っている〉では、「人は死に方を知っているし、家族は送り方を知っている」という言葉で、見送ったときのことを思い出しました。「命のことは体に委ね、任せればいいのではないだろうか」という言葉では、佐々さんの強さを感じました。
死、技能実習生のこと、外国人の日本語教育のこと、宗教のことと、私たちが普段見ないように過ごしていることに、きちんと向き合い伝えてくれている本でした。
あとがきでは、本当に驚かされました。重い病になったからこそ見えるものがあり、それを伝えてくださったことに感謝の思いでいっぱいになりました。「遺された人たちには、その限りある幸せを思う存分、かみしめてほしいのだ。」というのは、見送った両親も思っているような気がして、救われました。
読後、佐々涼子さん、ありがとう、という気持ちでいっぱいになりました。
Posted by ブクログ
「エンド•オブ•ライフ」に次いで2冊目の佐々作品。作家として当然ながら確たる核を持ちながらも、変に自分を飾らず取り繕わず正直な姿勢がとても好ましくファンになってしまう。昨年お亡くなりになってしまったのは「エンド•オブ•ライフ」を書き上げた作者にとっては本当に何という皮肉か、大変残念。
遡って他の著作も読みたい。
以下心に残る、残したい表現の数々。
p.20 私は死に方を知らないが、きっと体は知っている。
p.27 行けない旅はどうしてこうも美しいのだろう。
p.39 亡くなりゆく人は、怒り、否認、取引、抑うつを経験しながら、やがて諦念のあとに死の受容に至る。
p.56 (筋トレ後の)新しい体は居心地が良かった。ほかの人はこんなにすがすがしく毎日を生きていたのか、と感動した
p.75 自分の痛みすら思い出せないのに他人の痛みや苦しみをわかるはずがないではないか。
p.93 いくら自分の外側を探しても答えは見つからない。自分の内側に戻って自分なりの生き方を見つけよう。そう思えた時、世界を旅して、僧侶たちに言われた言葉の意味がようやく腑に落ちた。「今を生きなさい。自分の内側に戻りなさい」
p.142 少子高齢化により働き手としての外国人に頼らざるを得ない日本人が、いよいよ個人としての鎖国を解かなければならない日がやって来ることを、私たちは知っておく必要があるだろう。
p.204 社会は生産性のないものを「愚」と呼ぶが、仏教ではそれを「聖」と呼ぶ逆さまの世界だ。
p.255 「佐々さんは、絶対にこちらに戻ってきますよ」と、私をよく知っている担当編集者が言っていた。(略)私は世俗にまみれて生きるのが性に合っている。
Posted by ブクログ
ノンフィクション作家、佐々涼子のエッセイ集。あとがきの翌年、2024年に亡くなった。既に病魔と闘い、死を覚悟していた時期の出版であり、読んでいて胸が痛む。人と真摯に向き合い、公私も交えてとことん取材し、命を削るように作品を仕上げていく様子が伝わる。佐々さんの作品は、読む人の心に響き、立ち止まらせ、深く思索させるものばかりだ。
Posted by ブクログ
『エンジェルフライト』『紙つなげ!』『エンド・オブ・ライフ』『ボーダー』
どの作品からも佐々さんから「生きていること」の意味が問いかけられていた。
もう彼女の声を聞くことができないのが残念でならない
Posted by ブクログ
2024年9月に希少がんのグリオーマで亡くなった佐々涼子さんのエッセイ集。
人の死や、生きていくということを色々な人を取材し作品にしてきた作者が、あとがきで、自分の人生が間も無く終わることを静かに語った上での以下の言葉が印象的だった。
「いつか私にも、希望の本当の意味がわかる日が来るだろうか。誰かが私を導き、夜明けを照らしてくれるだろうか。もし、それがあるとするなら、『長生きして幸せ』、『短いから不幸せ』、と言った安易な考え方をやめて、寿命の長短を超えた『何か』であってほしい。そう願っている。そして遺された人たちには、その限りある幸せを思う存分、かみしめてほしいのだ。」
ちょうど今観ている韓流ドラマでは、「人生は公平ではない。一生デコボコの人もいるし、必死で走った先に崖が待つ人もいる」という台詞があり、ずっと頭に残っていた。続きを観ていくと、その台詞を言った主人公が、人生を必死に走って崖から落ちた経験を持つ本人だったのだけれど、最後はヒロインに出会って幸せを取り戻すという話だった。
時に崖から落ちても、きっと誰かが導いてくれて夜明けがやってくる、そんな希望を持ちつづけたい。
Posted by ブクログ
死ぬこと、生きることについて考えさせられた。
世界各地の仏教の僧院に無料で泊まったりしながら、も、冷静な感覚で、自分と向き合う姿に感動を覚える。佐々さんの死生観に触れた。
もう一度読み返したい。
Posted by ブクログ
第2章ルポタージュの日本語学校が考えさせられた。
技能実習生、看護、介護、海外からきた労働者の子供の日本語学校。日本語だけでなく母国語さえも使えなくなる現状に驚く。
「会えない旅」は会えない故に父親の心境が、彼のそれまでの苦悩と共に伝わってきた。
Posted by ブクログ
エッセイに共感し、ルポルタージュでは佐々さんの取材姿勢や物事の受け取り方に感じ入りながら読み進めた最後に、ご自身の脳腫瘍のくだり。しかも余命数ヶ月という。
「誰もがいずれは通る道」「その瞬間を生き、輝き、全力で楽しむ」そして、「ああ、楽しかった」と言って別れる。 目の前に死が迫っているその瞬間にこれを言える佐々さんの、「強さ」という言葉だけでは言い表せない、人としての深さを感じた。
知らずに読み始め、慌てて調べたら、1ヶ月前の9月1日に亡くなっていた。この日は自分の誕生日。年齢もさほど変わらない。大病から命拾いした身としては、自分が今生きている事実を重く受け止めずにはおられない。他の作品も読んでみたい。
Posted by ブクログ
エッセイを一つ、ルポルタージュを一つ読むたびに
「佐々さんはもういないんだな」と想いがこみ上げてきた。
途中、闘病中の番組をYouTubeで観たりもして、どんな気持ちで執筆されていたんだろう…と。
たくさんの「死」と向き合ってきた方だけど、ご自分のとなると一筋縄ではいかなかっただろうと思う。
過去のもの〜最近のものまで書かれた年代はバラバラだけど、どれも大切に読ませてもらった。
特にあとがきの言葉は、すっと心の奥まで入ってきた。
今、この瞬間を「あー楽しかった!」と言えるように。限りある幸せを存分に味わえるように。
メッセージ、しっかり受け取りました。
Posted by ブクログ
佐々さんが命にかかわる病気だと以前から知っていました。
今回新しい本が出版され
それは今までの佐々さんの生きてきた証のような本で
佐々さんがまっすぐ体当たりで
ご自分の命を削っての執筆であったとよく理解しました。
だからどの作品もあんなに心を動かされたのてすね。
今はご自分の人生とどんな風に向き合っていらっしゃるのでしようか?
次回作を楽しみにしてもいいですか?
Posted by ブクログ
膨大な数の事象から何をピックアップしてどんな物語を紡ぎ出すかはそのひとの解釈次第だ。
起きる事は運。それをどうものにするかは才能。
刺激と反応の間にはスペースがある。そのスペースの中に自らの反応を選択する自由と力がある。私たちの成長と幸運は私たちの選ぶ反応に掛かっている。
ヴィクトール・E・フランクル
Posted by ブクログ
まず驚いたのは、著者の佐々涼子さんが悪性脳腫瘍で余命宣告を受けて2022年末から闘病中だと知ったこと。
色んな媒体に掲載されていたエッセイを集めた本で、最後のほうに「私には時間がないのだ」というような記述があり、気になって読み進めたところあとがきに病気のことが書かれていた。
だからおそらく、この先佐々さんが新しく文章を綴ることはないのだろう。と思うと、何とも言えず辛い気持ちになってしまった。
これまでさまざまな「死を見つめる」本を著してきた著者によるエッセイ集。
元々は日本語学校の教師だったそうなので、日本国内にある日本語学校の現実が綴られている章が多めだった。
海外から働き手としてやって来た外国人に日本語を習得させるのが困難なのは、日本語には情緒的な要素が多いからなのだろう。名詞や動詞は多少時間をかければ覚えさせることが出来るけど、概念的なことはなかなか難しい。
例えとして「人権」という言葉が挙げられていたけれど、これは確かに、外国人じゃなく日本で生まれ育った日本人であっても解釈に差が出そうだし、そもそも正しい解答があるのかどうかも分からない。
そういうことだとか、あとは金銭的なこと・体制的なことが切々と書かれていて、日本語学校を運営することの大変さがよく理解できる。
他にも「死のこと」「難病の末亡くなった母のこと」「遺された父のこと」「宗教のこと」「会いたい人のこと」などが書かれている。
病気が分かってから作られた本だと思うので、内容としては、雑多と言えば雑多だ。だけどどこを読んでもそこには「佐々涼子」がいて、生きて歩んできたことの証を感じる。
改めて、物を書くってすごいことだ。それを読むことで、世の中で起きている現実や、知らなかった世界のことを知れる。私にとっての魔法のような時間が読書をする時間で、色んなことを授けてくれる著者に、心の中で敬意を感じながら読んでいる。
知識を得ることがそのまままっすぐ自分の役に立つわけではなくても、覚えておくことで人との会話のときに役立ったり、自分以外の誰かのためになることもある。
佐々さんの新刊はもしかしたらもう読めないのかも、と思うと悲しいし残念だけど、既刊で未読のものもあるので、それらを大切に読んでいこうと思う。
Posted by ブクログ
エッセイは佐々涼子さんの歴史
依存症 回復には後光がある。ある日閃く
取材であった人に震災の話を「家族に言ったことのない話」を聞いた。話すことは背負わせること。家族友人でもない、仕事でもない人だけに話せること。
Posted by ブクログ
佐々さんのノンフィクションが好きなので、通読。
前半とか、禅の話はかなりのめり込んで読んだ。ノンフィクション作家としての苦しさ、メンタルを削る感じが伝わってくる。それでも、知りたくて仕方ない、そんな気持ちだったんじゃないか。
もしかするとそのストレスで、寿命を縮められたかもしれないが、ご本人が書かれている「命は長いから価値がある、というわけではない」というところには、佐々さんだからこその実感と重みが伝わってくる。
欲を言えば、佐々さんの本をもっと読みたかった。