網野善彦のレビュー一覧

  • 日本社会の歴史 上

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    教科書では勉強しなかった日本の歴史についての言及もある。

    いつから「日本国」になったか。
    いつから「天皇」になったか。

    自分が無知であることを、深く痛感するとともに、学びの意欲をさらに掻き立てられる作品。

    古墳時代等には今まで興味が持てなかったが、それは「無知」であることが原因の一つでもある。

    食わず嫌いをせずに、このような作品を読み込んで知識の幅を広げたい。

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    2011年05月11日
  • 増補 無縁・公界・楽

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    こんにち子どもたちのあいだに残っている「エンガチョ」、江戸時代に妻が尼となり強制的に離婚するために駆け込んだ「縁切寺」、罪人がそこに逃げ込めば基本的に罪科を逃れられるという「駈込寺」などと列挙していき、主に戦国時代の「無縁所」という、世間との縁をいったん断ち切って内部での平和を保証する一種の聖域=アジールを浮かび上がらせる。
    そしてこの無縁所は「公界」ともつながって、その場所の平和を土台として「市」=「楽市」が成立する。
    タイトルだけだとなんだかよくわからないこの本は、知的興奮をよびさます名著である。
    さらに「アジール」=「無縁性」は、どの文明・未開社会においても、普遍的に見られるものであると指摘し、とうとう人類学的な視野にまで到達するから壮観だ。

    さて現代社会では、たくさんのお年寄りが所在不明になっていることがわかり「無縁社会」だと言われているが、この本に呈示されている「無縁」による「自由と平和」が、自由主義/資本主義としての「市場」を形成するのであってみれば、現在の社会はその無縁性・自由主義の到達点であると言えなくもない。著者はそんなこと、執筆時にはまったく考えていなかっただろうけれども。

    ともあれこの本は面白かった。お薦め。

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    2011年02月19日
  • 日本社会再考海からみた列島文化

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    海にまつわる膨大な資料に現れる”海人”、”網人”・・・という表記を見ていると、11世紀前後に南西諸島以南を”鬼界ヶ島”と認識しているのに、同時期の「小右記」に現れる”奄美島”(p96/p212)を現在の奄美と認識するのに大きな疑問がわいてきます。
    また、”十四世紀までの西日本の社会に広くみられる女性の公的な地位への「進出」”を”卑弥呼のような女性の首長を積極的に認める社会的な背景、伝統が生きていた、と推測”する部分も、奄美のウナリ神信仰に繋がるような気がしました。
    急ぎ足で読みましたが、「日本論の視座」(同著)も一緒にもう一度読み直す必要があるようです。

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    2011年01月11日
  • 中世の非人と遊女

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    ちょっと興味があったので、買って見ました。
    当時の遊女というか、芸能関係者について、知りたいなと。

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    2009年10月04日
  • 増補 無縁・公界・楽

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     冒頭で筆者は、子供時代のエンガチョの遊びや、江戸時代の縁切寺などの「縁切り」の例を挙げ、縁切り=自由、縁切り寺=アジール(避難所)という捉え方を提示する。そしてそのような「自由」の原理が以前にはもっと生き生きと活動していたのではないか、という問題意識の下で、中世、古代、さらには未開社会における「自由」のあり方を探っていく。
     その結果明らかにされるのが、本書の表題でもある無縁・公界・楽と呼ばれる原理である。それは無主・無所有の思想が貫徹されているという意味でアジール、さらには一種の理想郷であり、未開・文明を問わず、世界の諸民族に共通して見られる。そのようなアジールの形態には3段階の変遷があるという。
     未開社会では、王などの特別な人間や寺院、神殿、あるいは森林などの場はそれ自体がアジールとされ、世俗の権限の及ばない神聖な領域であった。これが第一の「聖的・呪術的アジール」であり、この段階では無縁の原理もすでに見られるものの、まだ後の時代のように具体的な内容を伴ったものではない。いわば「原無縁」とも呼ばれる状態にある。
     しかし人類が自然の開発を進める中で「所有」を基礎とする有主・有縁の原理が分化し、無主・無縁の原理を「国家」として取り込んでいく動きが顕在化する。無主・無縁の原理の衰弱はここに始まるが、同時にそれは、それらの原理が有主・有縁と対立するものとして自覚化し、明確な意識化を遂げていく段階でもあった。これによって現れるのが、第2段階としての「実利的アジール」であり、日本ではその勃興期が古代から中世前期までに相当する。ここにおいては、遍歴民、勧進聖、一揆や惣、非人などの人々や、都市、山林、関渡津泊、市や宿、寺社などの場は、世俗的な権利の働かない無縁の存在であるとされ、「無縁所」「公界」「楽市楽座」などの名称の下に様々な特権、具体的には不入権、地子・諸役免除、自由通行権、平和領域、指摘隷属からの解放、貸借関係の消滅・徳政の免除、連座制の否定、自然的な年齢階梯による組織などが与えられることになる。
     これらの原理がもっとも完成させた姿を現すのが室町~戦国期にかけてのことであるが、同時にそれはアジールが第3段階の「終末」へと向かっていく過程でもあった。有主・有縁の関係を固めた戦国大名たちは、無縁の原理の取り込みを一層進行させていく。それまで潜在的に無縁の場所として認められていた寺社は、戦国大名の菩提所とされ、大名からの文書を受けることで無縁所としての形態を認められることになる。これは「無縁所」としての完全な自覚化であると同時に、大名の統制下に組み込まれていく動きであると見てよいだろう。その結果最終的に現れるのが、織豊政権、さらには近世幕府のような統一的な国家権力である。この段階では、無縁の原理は縁切り寺(鎌倉東慶寺、上野国満徳寺など)、遊郭などのごく限定された領域にのみ認められることになる。
     一方のヨーロッパでは、これらの段階を経た後、宗教改革や市民革命などの王権との闘争を通じて、近代的な自由、平等、平和の思想を生み出したと思われる。その点日本における無縁の原理は、近世以降特にその歩みを遅めたようにも思われる。しかし、無縁の原理とその世界は、決して滅びることはない。その「無縁」の自覚化こそが、現代における日本人にとって重要であると最後に述べられている。
    現在、エンガチョ遊びを知らない子供が増えている。これが「自由」「平和」の消滅と連携していることなのかは分からないが、いま末期症状を呈しているこの概念を、著者自身の経験から直観で捉えられるうちに形成期に遡って調べ上げた本書は、今後の歴史学研究に重用される文献となるだろう。
    また、「末期症状」とは言いながらも、再生への展望が最後に示されている。ただ研究のみ行い、それを提示するだけの論文と違ってこの著者は、それを研究した者にしか為しえない、「確実に文脈に則った展望の提示」を行う。ここを特に評価したい。
     さらに無縁の原理に関連して、従来の歴史学が軽視しがちであった非農業民的存在の人々や、都市的な空間に注目している。その点でも、後の歴史学に影響を与えたところは大きいだろう。
     そして壮大な試みであるこの研究は、壮大な試みであるが故に発表以来様々な形で批判を浴びることにもなった。その中で筆者自身による再検討作業も進められ、1987年にこの『増補版』が出版されることになったが、2004年の筆者の死去にともない、その原理も未完成のままに終わっている。
     また、本書では中世以前の「原始の自由」に生き生きとした生命力を見出し、それが近世以降に国家権力によって制限されていったとする点で、歴史認識としてはかなり悲観的なものがある。筆者によれば本書は、私的所有、有主的世界の進展を「人間社会の発展」ということができても、直ちに「進歩」と言い切ることができるのか、という疑問から出発し、「自然を人間と対立するものと見て、それを所有し、支配・管理することにのみに人間の本質を見出したときに、人間は破滅の道を進まざるをえない」と判断することにもなる。その上で、筆者は未開・文明を問わず世界の全ての諸民族の間に共通して存在し、作用し続けてきた無縁の原理を追求することで、従来の世界史の基本認識とは異なる、無所有の深化・発展に関する新たな人類史・世界史の基本法則を捉えようと試みているのである。それは、「進歩」や「自由」とは何なのか、という人間にとっての本源的問題とも関わってくる内容であるといえるだろう。しかし無縁の原理を追求するあまり視野が多少狭まるのだろうか、何から何まで無縁に関連づけることに、少し違和感を覚えた。

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    2009年10月04日
  • 異形の王権

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    鎌倉幕府を倒し「建武の新政」をおこなった後醍醐天皇を、旧来の天皇支持基盤(専ら貴族)を解体・再構築し、武士や楠木正成のような悪党までを取り込もうとした「異形の王者」としてえがく。世界歴史でも摩訶不思議な「天皇」という存在とはなんなのか、ここに謎のヒントがありそう。

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    2009年10月04日
  • 増補 無縁・公界・楽

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    今年(2004年)2月27日に亡くなった網野善彦の代表作。縁切寺や子どもたちの「エーンガチョ!」に見られるような「無縁」の原理は、原始のかなたから生きつづけているものだという、人類学的な拡がりを見せる日本中世史の本。普通は「縁」こそが日本独自の共同体の論理だと思われているが、「無縁」もまた「公界」という公共の領域を作り、「楽」と言われるように一種の自由を享受していた。しかし、その自由は近世になるにつれて「縁」の論理のうちに取り込まれていき、差別として固定化されていく(つまりエタ・ヒニン)。網野善彦がこの「無縁」の論理に一種の「希望」を見出し「自由」と形容したことに、抵抗と共感の両方を感じる。つまり、「楽観的すぎる」「もっと社会構造の観点から攻めるべきだ」という批判と、その論理が現に生きられたものであったからには、それはあくまで一種の「自由」であり、ひとつの生き生きとした社会的現実ではないかということだ。どちらにしても、この本にさまざまな可能性を感じるし、単なる日本史の専門書としてだけでなく、ひとつの読み物として魅力的だ。

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    2009年10月04日
  • 日本の歴史をよみなおす(全)

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    歴史本=睡眠導入薬の私であるが、この本は私たちが社会の授業で習ってきた日本史的常識に一石を投じるものでした。日本人の自然との関係性の変化、また、水上交通とそれを前提とした交易や商業等の発達、と言ったことが本書の視点だったように思います。へえ、そういう見方もありうるよなあ、と歴史学の面白さみたいなものを垣間見、興味を持ちながら読むことができました。

    …それでも途中で何度も眠たくなりましたが。(笑)

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    2025年01月31日
  • 中世の非人と遊女

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    もとは、川端康成などの小説に出てくる社会からはみ出た女性たちの存在に興味をもち、こういった女性はどこから出てきたどうゆう身分の人たちなのか不思議に思ったのがきっかけ。だから本書を読むにあたって一番期待したのは非人ではなく遊女だったが、読み終わってみて、主題は非人、遊女はどちらかというとオマケだと気づいた。
    近現代で差別の対象となった/なっている人たちの根源をさぐろうとするのが狙いなのか何なのか、とにかく種々の被差別民が登場する。今の被差別民は古代、すくなくとも中世までは職能民であり、その身分は天皇大王によって保障されていた、つまり元は被差別民どころか神聖な身分ですらあったが、室町戦国を境に天皇の権威が失墜し、それに附従していた人たちも卑賤な存在に転落して、今に至る、というのが本書の主眼。
    中世までは庶民だけでなく皇族の貴婦人も自由に各地を旅し、いまの倫理基準では乱交とみなされてしまうことも、当時はある程度認められていたらしい (但し、おそらくは未婚に限って)。遊女も元は天皇皇族のために特殊な職務を帯びた人たちであったのが、身分を失って、職能にたよって生きてゆくとなったとき、そこに男を慰める女性が生まれたらしい。
    論題自体はおもしろいものの、文庫でありながら内容は専門書で、体裁としては論文集。一篇おわるごとに大量の文献が並ぶ。筆者が書くのも基本的には過去に提起されたみ方や推論に対する反論であって、過去にどういう議論があったのか知らないと辛いところも多々あるし、そもそもその時代の日本史を知らないとつらい。
    そして筆者自身がいうように、元は方々で発表した文章を寄せ集めたもので、もう少し整理したいと思いつつも果たせず、発刊の期が熟したために半ば未完成なままになったのだとか。実際、同じことがなん度もでてきて、まとまりは確かにない。第二部は遊女が中心かと思ったら割と非人系の話が多くて、タイトルとあっていないなとしばしば感じる。

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    p.152
    ……非人や遊女・傀儡子は、たしかに公民、平民百姓を基盤とする「社会秩序」とは異質の存在ではあるが、決して社会秩序の全体から「忌避」されていたわけでも、国家全体の枠外に置かれていたわけでもない。……中世前期---少なくとも鎌倉期まで、遊女・傀儡子は決して賎視されていたわけではなく、むしろ天皇に直属する形で宮廷に出入りしていたのであり、非人もまたこの時期には聖なる存在として畏れられた一面が確実にあった……。それは基本的には天皇、神仏に直属する供御人、神人、寄人と同質の存在であった。……中世前期の「職人」身分は、このように……「聖」なるものに直属することによって、自らも平民とは異なる「聖」なる存在としてその職能---「藝能」を営んだ点に、その重要な特質があるといえよう。しかし南北朝の動乱を境に、天皇、神、仏の権威が低落し、権威の構造、そのあり方自体が大きく転換した結果、中世後期以降……、……実利の世界に転生することが難しく、「聖」なるものに依存する度合いの強かった人々が賎視の対象となっていく……。
    女性については、江戸明治と女性が鳥籠に閉じ込められて自由などなかった、というのが一般論であるのに対し、実際の当時の女性たちはそんなことはなかった、といろいろ論証をあげながら語るが、紫式部や清少納言が、誰にでも顔をみせる女房という立場ほどみっともないものはないと語ったらしいように、実際、身分や立場などによっては本当にそうだったのだと思う。貴族が廃れて武家社会になってからは、武士の奥方がつまりはそれを引き継ぎ、いわゆる日本の奥ゆかしい女性像につながったのではないかと思う。
    本書は総じて、なるほどと感心感嘆するところも多いものの、筆者の仮説であることが多く、しかも次から次に説明の対象が替わるので、一つ一つの主題が解決されぬまま次の主題に映る感じがして、正直悶々とする。

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    p.232
    「後藤紀彦……はまた、天皇、上皇、高位の貴族に寵愛されて、その子を生んだ数多くの遊女・白拍子がおり、鎌倉期はこうした女性を母にもつことは、官位の昇進になんら妨げになることはなく、遊女・傀儡はこうした実情を背景として、可也はやくから、前者は光孝天皇の……、後者は村上天皇の「姫君」を祖とするという伝承を伝えていた、という……事実に言及した。」

    紫式部作とされる『源氏物語』の帝のモデルおよび紫式部が内裏で女房をしていたころの帝が村上天皇らしい。とゆうことは、紫式部のあの時代に舞妓、遊女が天皇の子を産んでいたのか。登場人物の中に一人くらいはそういう出自もいるんだろうか。承久の乱の直接的原因となった伊賀局は白拍子、つまり遊女だったらしい。

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    2024年07月04日
  • 異形の王権

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    読みやすさ ★★★
    面白さ ★★★
    ためになった度 ★★

    扇の骨の間から見るしぐさのところと、後醍醐天皇のところが面白かった。

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    2023年09月30日
  • 日本社会の歴史 上

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    さすがに網野氏の書く歴史は、表層だけではなく、社会の深層からの分析が多く、新鮮な感覚で読むことが出来る。この巻は、有史以前の日本列島の成り立ちから当時の人類の動きにまで話が及ぶ。しかし、逆に人物像としては、大化の改新後の中大兄皇子が自ら天皇位に就かず、対立する古人大兄王子、蘇我倉山田石川麻呂、孝徳天皇などを排斥していく過程の描写は詳しく、天智天皇は陰湿な人物との印象を受けた。日本の古代は8世紀に多く登場した女性天皇の存在に見られるように女性の社会的地位が外国と比べて相対的に高かったとの説明は現在と比べて、皮肉なことである。

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    2022年02月27日
  • 歴史の話 日本史を問いなおす

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    -国史なんていっていると、いかに精密にやったって、国家と国旗が日常生活と連動しちゃうんです。そこが困るんですね。日常生活には国家の支配しきれない領域がある(鶴見)。

    国家の支配しきれない領域の存在を、海民や職能民の歴史を通じて解き明かそうとした網野善彦。本書は、哲学者・鶴見俊輔との対談。

    網野史学(と呼ばれるのを本書では拒否しているが)の仕事を、思想家の立場から解析すると何が見えてくるのか、というところが読みどころ。

    少々、年寄りの繰り言のようなページも目立つのだが、現代は「戦前、戦中にはなかった特別の鎖国状態にある」という指摘は頷ける。

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    2021年12月26日
  • 米・百姓・天皇 ──日本史の虚像のゆくえ

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    倭国=日本、律令制、農業=稲作、士農工商など、日本史上の「虚像」と目されるものを巡る批評。

    わたしの生半可な知識では十分ハードコアな内容なのだが、対談という形式に助けられ、割と苦も無く理解は進んだ。これが対談ではなく、論述式であったならば眉間にしわを寄せて読む時間は、倍はあったろうと思う。ビバ対談!

    網野史学を教導者として日本史に親しむ人口は多かったのではないか?
    かくいう私はまさにそう。
    高校の日本史の教師から研究者になり、「教科書の日本史」を否定し倒すという個性的な網野氏ももはや亡く。この分野でまた新たな教導者を探したい気持ちが募る。

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    2021年12月15日
  • 日本中世の民衆像 平民と職人

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    1979年に岩波市民講座でおこなわれた講演をもとにした本です。日本の中世史に社会史的な視点をとりいれた著者の関心の中心であったテーマについて、わかりやすく解説がなされています。

    著者は、「百姓」ということばが、中世以前には農民だけでなく平民身分の者を広く意味していることに注意をうながし、「日本人」という民族は稲作を中心とする歴史をあゆんできたという理解をくつがえします。そのうえで、中世の平民たちの負っていたいた年貢・公事にかんする事実を明らかにして、彼らの生活の実態にせまっています。

    さらに職人の多彩なすがたについてもとりあげられており、東国と西国の職人のありかたのちがいや、差別とのつながりといった、著者の中世史研究における重要なテーマについての目くばりもなされています。

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    2021年11月23日
  • 日本社会の歴史 中

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    中巻では、平安時代から鎌倉時代の終わりまでがとりあげられています。

    平将門の反乱から源氏の台頭を経て、鎌倉幕府が成立するにいたる歴史を一貫したものとしてあつかい、京都を中心とする「西の王権」に対して鎌倉幕府を「東の王権」と位置づけるなど、著者特有の視点が示されています。同時に、この東西にならびたつ二つの王権がたがいにせめぎあいをおこなっていくことで、そのときどきの日本の歴史の局面が生みだされていったことが鮮明にえがかれており、単一の「日本史」という枠組みが解体されていくスリリングな体験をあじわうことができました。

    また、非農耕民の営みや芸能にたずさわる人びとの動向、あるいは中世における女性の社会的地位などのテーマにも言及されており、日本の歴史のなかの多様性に目を開かされます。

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    2021年11月19日
  • 日本社会の歴史 上

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    中世を主要なフィールドとして、従来の「日本史」の枠組みの見なおしをおこない、「網野史学」と称される新しい観点を提出したことで知られる著者による日本通史の試みです。ただし17世紀の後半から現代にかけては、「展望」というかたちで著者の問題意識が示されるにとどまっています。上巻では、古代から平安時代初期までがあつかわれています。

    著者は「はじめに」で、従来の日本史のとらえかたが「はじめに日本人ありき」というべきものになっており、そのことがわれわれの歴史像をあいまいなものにしてきたと述べています。著者は、古代から日本列島とその周辺の地域とのあいだに切り離しがたいつながりがあったことに注目するとともに、日本列島の西と東、あるいは東北・北海道や沖縄の歴史のあゆみにも目くばりをおこない、日本の歴史がまさにその展開を通じてしだいにかたちづくられていったものであることを論じています。

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    2021年11月19日
  • 日本社会の歴史 下

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    下巻は後醍醐天皇から現代まで。

    新書一冊では扱えるわけが無いくらい広い範囲だと思われるが、実際その通りで江戸時代から太平洋戦争まで圧倒的なスピードで進んでいく。

    学校では近代史が等閑になっていると常々批判されているが、残念ながらこの本も同じである。

    これは筆者が日本の中世を専門にしているためであり、一人で書く以上仕方のないことである。

    いやむしろ、近代史の項目では琉球処分、偏向的な民族主義的な教育、アジア侵略などにしか触れられていないことを考えると、近代史が少ないのは幸運と言えるだろう。

    筆者は明治政府が江戸時代を否定したことを批判しているが、戦前の歩みを否定するのなら、それは同じではないか?

    網野さんは日本列島に生きる多様な人々を捉えることで、豊かな日本史を提示しようとしているが、これは現代にも通用するものだ。

    網野さんに学ぶことは多いが、戦後70年以上過ぎた今となっては、近代史にも多様な視点が求められるのではないか。

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    2021年11月02日
  • 日本社会の歴史 中

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    中巻は9世紀末から13世紀末のモンゴル襲来まで。

    正直、物語としての面白さはなく、歴史的事実をずっと連ねているだけという感じがしなくもない。

    もちろん、東西の違い、交易の活性化や都市の誕生、都市の職能民や非人の活躍など、網野さんらしい視点がある所は愉しめる。

    そういうわけで、網野さんのファンや日本史を復習したい人は読んでもいいだろう。

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    2021年11月02日
  • 日本社会の歴史 上

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    網野善彦さんの日本の歴史概説書。

    従来の日本史では捉えられなかった事象にスポットを当てるという意味を込めて、タイトルを「(日本列島の)日本社会の歴史」にしたそうである。

    上中下巻に分かれており、上巻は人類誕生〜9世紀の弘仁貞観の頃まで。

    古墳や鉄器などへの朝鮮半島や大陸の影響、中央に従わない東北地方への遠征など、周辺への視点が多いのが網野さんらしい。

    高校日本史的な知識が多いので、日本史を復習したい方にもおすすめである。

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    2021年11月02日
  • 歴史としての戦後史学 ある歴史家の証言

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    日本中世史の大家、網野先生の目を通しての戦後の日本史研究史といった本である。あとがきで著者自ら「老人の思い出集、しかもくり事であり、いまさら書物として多くの人々の目にさらすのもはずかしく、躊躇する気持ちもあったが」とあるように、戦後の日本史学かいわいの事情とそれにまつわるテーマで著作された論述をまとめたものである。したがって少々まとまりに欠けるところがある。
    この本を読もうと思ったきっかけは、他の先生がかかれた中世史の本を読んでいるときに、まるでマルクス経済学者の書くような文章で、こんな文章を書く学者が出る背景とはどんなものかと疑問に思ったところにある。
    本書を読むと、そういった背景がうまれた状況もなんとはなくわかるものである。
    後半にある、日本常民文化研究所の文書整理については他の書物にも詳しくかかれていた内容。渋沢敬三ほかの作品集の解説を掲載した部分はあまり本書タイトルとの関連性を感じない。

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    2021年10月27日