網野善彦のレビュー一覧
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今年(2004年)2月27日に亡くなった網野善彦の代表作。縁切寺や子どもたちの「エーンガチョ!」に見られるような「無縁」の原理は、原始のかなたから生きつづけているものだという、人類学的な拡がりを見せる日本中世史の本。普通は「縁」こそが日本独自の共同体の論理だと思われているが、「無縁」もまた「公界」という公共の領域を作り、「楽」と言われるように一種の自由を享受していた。しかし、その自由は近世になるにつれて「縁」の論理のうちに取り込まれていき、差別として固定化されていく(つまりエタ・ヒニン)。網野善彦がこの「無縁」の論理に一種の「希望」を見出し「自由」と形容したことに、抵抗と共感の両方を感じる。つ
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もとは、川端康成などの小説に出てくる社会からはみ出た女性たちの存在に興味をもち、こういった女性はどこから出てきたどうゆう身分の人たちなのか不思議に思ったのがきっかけ。だから本書を読むにあたって一番期待したのは非人ではなく遊女だったが、読み終わってみて、主題は非人、遊女はどちらかというとオマケだと気づいた。
近現代で差別の対象となった/なっている人たちの根源をさぐろうとするのが狙いなのか何なのか、とにかく種々の被差別民が登場する。今の被差別民は古代、すくなくとも中世までは職能民であり、その身分は天皇大王によって保障されていた、つまり元は被差別民どころか神聖な身分ですらあったが、室町戦国を境に天皇 -
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-国史なんていっていると、いかに精密にやったって、国家と国旗が日常生活と連動しちゃうんです。そこが困るんですね。日常生活には国家の支配しきれない領域がある(鶴見)。
国家の支配しきれない領域の存在を、海民や職能民の歴史を通じて解き明かそうとした網野善彦。本書は、哲学者・鶴見俊輔との対談。
網野史学(と呼ばれるのを本書では拒否しているが)の仕事を、思想家の立場から解析すると何が見えてくるのか、というところが読みどころ。
少々、年寄りの繰り言のようなページも目立つのだが、現代は「戦前、戦中にはなかった特別の鎖国状態にある」という指摘は頷ける。 -
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倭国=日本、律令制、農業=稲作、士農工商など、日本史上の「虚像」と目されるものを巡る批評。
わたしの生半可な知識では十分ハードコアな内容なのだが、対談という形式に助けられ、割と苦も無く理解は進んだ。これが対談ではなく、論述式であったならば眉間にしわを寄せて読む時間は、倍はあったろうと思う。ビバ対談!
網野史学を教導者として日本史に親しむ人口は多かったのではないか?
かくいう私はまさにそう。
高校の日本史の教師から研究者になり、「教科書の日本史」を否定し倒すという個性的な網野氏ももはや亡く。この分野でまた新たな教導者を探したい気持ちが募る。 -
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1979年に岩波市民講座でおこなわれた講演をもとにした本です。日本の中世史に社会史的な視点をとりいれた著者の関心の中心であったテーマについて、わかりやすく解説がなされています。
著者は、「百姓」ということばが、中世以前には農民だけでなく平民身分の者を広く意味していることに注意をうながし、「日本人」という民族は稲作を中心とする歴史をあゆんできたという理解をくつがえします。そのうえで、中世の平民たちの負っていたいた年貢・公事にかんする事実を明らかにして、彼らの生活の実態にせまっています。
さらに職人の多彩なすがたについてもとりあげられており、東国と西国の職人のありかたのちがいや、差別とのつなが -
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中巻では、平安時代から鎌倉時代の終わりまでがとりあげられています。
平将門の反乱から源氏の台頭を経て、鎌倉幕府が成立するにいたる歴史を一貫したものとしてあつかい、京都を中心とする「西の王権」に対して鎌倉幕府を「東の王権」と位置づけるなど、著者特有の視点が示されています。同時に、この東西にならびたつ二つの王権がたがいにせめぎあいをおこなっていくことで、そのときどきの日本の歴史の局面が生みだされていったことが鮮明にえがかれており、単一の「日本史」という枠組みが解体されていくスリリングな体験をあじわうことができました。
また、非農耕民の営みや芸能にたずさわる人びとの動向、あるいは中世における女性 -
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中世を主要なフィールドとして、従来の「日本史」の枠組みの見なおしをおこない、「網野史学」と称される新しい観点を提出したことで知られる著者による日本通史の試みです。ただし17世紀の後半から現代にかけては、「展望」というかたちで著者の問題意識が示されるにとどまっています。上巻では、古代から平安時代初期までがあつかわれています。
著者は「はじめに」で、従来の日本史のとらえかたが「はじめに日本人ありき」というべきものになっており、そのことがわれわれの歴史像をあいまいなものにしてきたと述べています。著者は、古代から日本列島とその周辺の地域とのあいだに切り離しがたいつながりがあったことに注目するとともに -
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下巻は後醍醐天皇から現代まで。
新書一冊では扱えるわけが無いくらい広い範囲だと思われるが、実際その通りで江戸時代から太平洋戦争まで圧倒的なスピードで進んでいく。
学校では近代史が等閑になっていると常々批判されているが、残念ながらこの本も同じである。
これは筆者が日本の中世を専門にしているためであり、一人で書く以上仕方のないことである。
いやむしろ、近代史の項目では琉球処分、偏向的な民族主義的な教育、アジア侵略などにしか触れられていないことを考えると、近代史が少ないのは幸運と言えるだろう。
筆者は明治政府が江戸時代を否定したことを批判しているが、戦前の歩みを否定するのなら、それは同じで -
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日本中世史の大家、網野先生の目を通しての戦後の日本史研究史といった本である。あとがきで著者自ら「老人の思い出集、しかもくり事であり、いまさら書物として多くの人々の目にさらすのもはずかしく、躊躇する気持ちもあったが」とあるように、戦後の日本史学かいわいの事情とそれにまつわるテーマで著作された論述をまとめたものである。したがって少々まとまりに欠けるところがある。
この本を読もうと思ったきっかけは、他の先生がかかれた中世史の本を読んでいるときに、まるでマルクス経済学者の書くような文章で、こんな文章を書く学者が出る背景とはどんなものかと疑問に思ったところにある。
本書を読むと、そういった背景がうまれた -
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異形の王権とは後醍醐天皇の治世のこと。
後醍醐天皇は建武の新政で天皇自ら政治を行なったことは学校でも習うが、どういう改革をしたかを知っている(覚えている)人は少ないのではないか。
後醍醐天皇が密教興盛を図ったことは有名だが、それがどういう意図を持って行われたか、当時の経済事情や政治状態を明らかにした上で説得力ある解説をしている。
私は後醍醐天皇の改革を怪しく思っていたが、当時の政治経済状況を鑑みると、時代に即した偉大な改革だったのではないかと読後感を持った。
私はこの本をとても興味深く読んだが、タイトルと内容に齟齬があるのが気になった。
異形の王権=後醍醐天皇の治世を直接扱っているの